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母が刺された。父を庇ったために、今、死の淵をさ迷っている。
「……どうなんだ?」
「今夜が峠かと……」
そう言って、医師は目を伏せた。
ルイスはじっと、母を見つめる。
白い美しい顔に生気は無く、固く目を閉じた母。
母は、美しく、気高く、悲しい人だった。
母の報われない恋に気づいたのはいつの事だっただろう。
母は熱心に父を恋い慕い、父はそれに気付かず母の存在を拒絶していた。
それは、ほんの僅かな誤解によるすれ違い。
父は母が権力狙いの愚かな女だと思い込み、母は話をする場すら設けられずに遠ざけられていた。
母は努力家だった。王妃として、父の妻として相応しくあろうと努力を怠らなかった。そして、その努力は実を結び、周囲に素晴らしい王妃として認められた。
けれど、本当に欲しいものは手に入らなかった。
「父上、何故なのです。何故、母上を見ようともしないのですか……」
母の顔をちら、と見るだけで出て行ってしまった父に失望する。
その呟きを聞いた医師もまた、唇をかんで目を伏せた。
「母上は、命を掛けて父上への愛を証明したと言うのに……」
はたして、どれだけの貴族の女が刃の前に身を投げ出そうとするだろうか?
「なんと、愚かしい……」
最早、父には見切りをつけるべきだろう。
* *
休んだ方がいいと言われ、医師に部屋を追い出された。
そんな時だった。不振な侍女を見かけたのは。
侍女の手には、古びた日記帳があった。
その日記帳には見覚えがあった。それは、母の日記帳だった。
「何をしている! それは、母上のものだろう!!」
「で、殿下!」
侍女から日記帳を取り上げようとするが、侍女は身をひねってそれをかわす。
「それをどうするつもりだ!」
「お許しください、殿下。王妃様の命なのです!」
よく見てみれば、侍女の目は真っ赤で、泣き腫らした跡があった。
「……どういう事だ」
「……王妃様が、もし自分の身に何かあったら、日記帳を燃やすようにと」
そこまで言って、侍女はポロポロと涙を零し始めた。
「……中身は、読んだのか?」
「いいえ、まさか、そんな! ……けれど、王妃様は公に出来ないからと、おっしゃって」
「……悪いようにはしないから、それを貸してくれないか?」
「………」
侍女はしばらく悩んだ末、震える手で日記帳を差し出した。
そして、内心で母に謝りつつ、その日記帳の中に目を通す。
そこには、予想していた通り、母の切ない思いが書き綴られていた。これは、確かに外部に漏れたら良くないだろう。
父と母の不仲は、内部の人間、特に身近な人間しか知らない。国民は、父と母の仲を疑ってもいない。
「……あんまりです」
侍女の呟きに、日記帳から目を上げる。
「陛下は、あんまりです。何故、王妃様が、あんな、あんなに悲しい……」
不敬とわかっていながら、首を切られる可能性もあるのに、侍女は言葉を紡ぐ。言わずにはおれない心境なのだろう。
「……なあ、父上に一矢報いたいと思わないか?」
「え……?」
侍女に提案する。
「この日記帳があれば、父上はきっと己のしてきた事を後悔するだろう」
「………」
それの意味するところを、侍女は察したようだった。侍女はまっすぐこちらを見つめ、頷いた。
「母上からは、俺が言っておく。お前が咎められる事は――」
そこまで言った、その時だった。
「殿下!!」
慌しい足音と共に、近衛騎士が駆けて来る。
「王妃様が!!」
そうして、その数時間後、王妃の死が王に告げられた。




