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――キャァァァ!!
ホールに響き渡る、女の悲鳴。
きらめく刃は血に濡れて、己の身のうちから引き抜かれた。
「王妃様!!」
「誰か、医者を!!」
己を刺した男は、先日不正を摘発され、財産を没収された伯爵家の者だった。
男は取り押さえられ、恨みを喚き散らしている。
視線をめぐらせ、あの人の姿を探す。咄嗟に庇ったけれど、あの人は無事だろうか?
あの人を探して視線をさ迷わせ、そして見つけた。
あの人は、怯えるあの子の肩を抱き、慰めていた。
ああ、そうか……。死の淵に居る私より、あの子の心配をするのね。
再び、己に、あの人に失望する。
どんな事があろうと、あの人は私を顧みない。
もう、何もかもが無駄なのだ。
「母上!!」
あの人との間に出来た、私の宝物。唯一、あの人から貰った愛しい子。
「ルイ…ス……」
ああ、もう十四歳になったのに、そんなに泣いて……。
涙を拭ってやろうと手を伸ばそうとするが、体が重くて上手く動けない。
「駄目です、母上! 動かないで!!」
可愛い、可愛い私の子。
愛する私の宝物。
どうか、お前は幸せに……。
「母上? 母上!?」
その日、王妃セシリア・リリア・カーノインは死んだ。
* *
王妃が死んだ。
逆賊の手により、凶刃を受けて死んだ。
王妃の夫、ゼオン・ガイ・カーノイン王は回顧する。
思えば、実に煩わしい女だった。
自分が持つ地位に目がくらみ、愛を請う愚かしい女だった。
自分は、本当の自分を見てくれる純粋な愛が欲しかった。
己が王という立場でなくとも、愛してくれる誰かが欲しかった。
そして、そんな誰かを自分は手に入れた。
王となりはしたが、自分は息抜きに時折町へと繰り出していた。その時出会ったのが、男爵家の一人娘、エレナ・リーナ・ダインだった。
栗色の髪に、緑の瞳。表情がくるくると良く変わる、可愛らしい娘だった。
私達は直ぐに恋に落ちた。
そして、私は身分を明かし、彼女を側室へと招いた。
本当なら、自分の隣へと、王妃の座に彼女を置きたかった。けれど、それはあの女の身分が邪魔だった。どこまでも、忌々しい女だった。
けれど、それももう終わりだ。
あの女は居ない。
今度こそ、彼女を王妃に……。
そう考えていた時に、怒りの表情で乗り込んできたのは、あの女との間に出来た第一王子、ルイス・ゼン・カーノインだった。
ルイスはあの女の血を引いてはいるが、賢い自慢の息子だ。
「この、愚王が!!」
ルイスは部屋に入るなり、己に何かを投げつけてきた。
「っ!? 何を――」
「それを読んで、己の所業を振り返るがいい!!」
そう言って、ルイスは荒々しく部屋を出て行った。
「何だというのだ……」
普段は穏やかな息子の諸行に、しばし呆然としながら、投げつけられたものを拾う。それは、古びた日記帳だった。
そして、息子の言うとおりにその日記帳に目を通し、己の所業を振り返り、後悔した。何もかもが今更で、己の愚かさに吐き気がした。
それは、王妃の日記帳だった。
* *
286年 11月7日
お父様に殿下との結婚が決まったと聞かされた。
天にも上るような気持ちとは、きっとこのことだわ。けれど、少し不安。だって、あんなに素敵な方の妻にだなんて、私がなってもいいのかしら? 私に王妃が務まるかしら? 不敬にも、あの方がもっと下の身分だったらよかったのに、なんて思ってしまった。
駄目ね、こんな事じゃ。これからあの方に相応しい妻となるために、沢山努力しなくては。
287年 5月13日
結婚してもう一ヶ月。あの方とはギクシャクしたまま。どうすれば良いかしら?お茶に誘っても、仕事があるからと断られてしまうし、話す機会が無いわ。
もっと、あの方の事が知りたいし、私のことも知ってもらいたいのに。
駄目ね。あの方を見ているだけで幸せだったのに、どんどん欲張りになってしまう。
~
288年 9月3日
あの方との子が生まれた。可愛い、元気な男の子。
どうしてかあの方に嫌われてしまったけれど、この子に罪は無いわ。どうか、この子まで嫌われませんように。
~
290年 6月23日
罰が当たった。わが子をだしにして、せめて家族愛だけでも築けないかと思ったから、罰が当たったの。あの方が、別の女性を、本当に愛する女性という方を側室にした。
私に向けられない愛情を受ける彼女を、憎く思ってしまう。
こんな私に、あの方が目を向けてくれるわけが無いわ。
~
299年 8月20日
もう、疲れてしまった。あの方に相応しいように、王妃としてあの方の隣に立つに恥ずかしくないように沢山の努力をしたわ。
けれど、その全てはあの方に認められる事は無い。
もう、諦めてしまおうかしら。
~
302年 3月7日
嫌な事を聞いてしまった。あの方が、あの子を王妃にしたいのだと。
もう、全てが無駄なのね。何もかもが、無駄なんだわ。
~
302年 4月29日
本当に、愛していたのよ。あの方の事を、本当に愛していたの。
本当は、私は人に会うのが苦痛なの。人前に出るのは、あまり好きではないのよ。けど、王妃なら、あの方に相応しくあるには、それは必要な事でしょ?
本当は、私は勉強なんて大嫌いなの。実は、お転婆娘なのよ。馬に乗って掛けたり、裸足になって草原を走り、木に登るのが大好きなの。けど、王妃がそんな事をしたらはしたないでしょ?
沢山我慢したわ。沢山努力したわ。
だから、これからはあの方を諦めるために、沢山努力しようと思う。
長い片思い、初恋だった。
諦めて、楽になるわ。
* *
王は震える手で日記のページをめくる。
もう、全てが遅かった。