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アーデルハイト家

『期待しているわ』


その声音が、まだ耳の奥に残っている。


……そこで、馬車が大きく揺れた。


はっとして、私は目を開く。


王宮の石畳を離れ、夜の街路へと入ったらしい。

窓の外には、闇に沈んだ街の灯りがゆらゆらと流れていく。


胸の奥に沈めたはずの言葉が、まだ重い。


『――潰してしまいなさい。』


逃げ場のない、甘やかな拘束。


私は深く息を吐く。

王宮の夜は、いつも静かで不気味だ。


けれど本当に息が詰まりそうなのは、あの玉座の間ではなく――


これから私が向かう先なのかもしれない。


馬車の窓に映る自分の顔は、

驚くほど平静だった。


アーデルハイト。女王陛下の番犬。


感情の消えた瞳。整いすぎた無表情。


女王が求めるアーデルハイトは、ここにいる。


やがて一定の速度で走っていた馬車が速度を落とした。


大きく反り立つ鉄の門が、重い音を立てて開く。


見慣れたはずのアーデルハイト家の紋章が、夜闇の中で鈍く光っていた。



馬車が完全に止まり、扉が開らくと同時に、緊張で手が悴んだ。



門をくぐった瞬間、空気が変わる。

あの息苦しい王宮とはまた違った重苦しさがある。


もっと私的で、もっと異常な支配の気配。


「お帰りなさいませ、お嬢様」


ずらりと並んだ執事より、1歩前に出た執事長のクラウスが深く一礼する。


その背後。


階段の手すりに、細い指がかかっているのが見えた。


「……遅かったね、クルル」


静かで平坦な声。


階段の上から、長男――クロロがこちらを見下ろしていた。


灯りに照らされた顔は端正で、感情が薄い。


瞳だけが、異様に澄んでいる。


生き物というより、観察者の目をした兄から、私は視線を逸らさずに呟いた。


「王宮に呼ばれていたわ」


「うん。知ってる」


即答。

ほんの少しだけ、口元が上がっていた。


「女王は何て?」


それは尋問でも確認でもない。


兄は私に“当然共有される情報”として聞いている。


私は数秒だけ沈黙した。そのわずかな間に、彼の視線が一層冷きった。


まるで逃がさない。揺らぎを見逃さないと言われているようだ。


「……鼠を潰せと」


沈黙。

そして。


「へえ」


感情のない声なのに、空気がひやりと冷える。


彼はゆっくりと階段を降りてくる。


足音は静かなのに近づくほど、圧力が増す。


「クルルが、やるんだよね?」


問いかけの形をしているソレは決して、選択肢ではなかった。


こういう所は女王陛下とよく似ていると思う。



「当然でしょう」


その瞬間。


彼の瞳が、ほんのわずかに細まった。


満足したのだろう。


所有物が期待通り動くときの、無機質な喜び。



そのまま目の前まで来ると、兄の細い指が、私の頬に触れた。


温度を感じさせないような冷たさだった。



「クルル、お前に期待してるよ」


声は平坦で感情はなく、それだけで胸が押しつぶされそうになる。



口元のわずかな上がりは笑みではない。

期待通り動くことを、あくまで確認するような調子。


――失敗したら、どうなるか。私は知っている。


「いい子だね」


兄の目は笑っていない。


指が離れる瞬間まで、私はぴくりとも動けずにいた。




私は――女王の番犬である前に。


このアーデルハイト家の……兄の“操り人形”。



その年の冬、クルルは11歳にして、初めて鼠を殺した。

女王陛下の命令によって、散らした命を目の前にしても私の手は震えなかった。


――だが、胸の奥では恐怖と戸惑いが交錯していた。

冷たい手で“鼠”を殺した瞬間、私の願いもまた、潰えたのだ。


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