XVII 父との決別
いつまでも父に会うのを渋っていたせいで、父は娘を誘拐したとして修道院を告訴する準備があると言ってきた。
「よくある脅迫よ。そういう輩から婦女子を守るのも女子修道院の役割なんだから」
シスター・ヘルガはそう言ってくれたけれど、これ以上修道院の皆さんに迷惑をかけたくなかった。かといって父の言いなりになる気もなく、私はシスターや護衛の方に同席してもらい、決着をつけるべく父と会うことにした。
父は面会さえ許可されれば私を連れて帰れると思っているようだ。余裕の笑みを見せ、軽く反省をほのめかすのも作戦だろう。
「おまえがあまりに家に戻るのを嫌がっていたから、あの時は仮病だと思ってしまったんだ。体調が悪い中、無理をさせたのは悪かったが、おまえだっていくらボルフェルト家に未練があるからと、姉の婚約した先にしがみつくような見苦しいことを」
「ボルフェルト家に居残る気はありませんでした。ですが、家に帰る気もありません」
父の勘違いを正すと、父はすぐに機嫌を損ね、笑顔を消した。
「家に帰らないでどうする。おまえが家を継ぐのは当たり前のことだ」
「家を継ぐのは私ではなくアルノーですよね?」
「それはおまえの婿になってからの話だ」
「別に婿を取らなくても、養子でいいはずです」
アルノーに領を継がせるのに私は必須じゃない。父が婿を取りたがっていたのは、姉を領に残し、領と姉の世話を引き受けてもらうため。自分の世話も含まれているだろう。
「借金の残る領に誰でも来てくれるわけではありません。お姉様ならともかく、私と結婚することにメリットはないでしょう?」
納得しそうな父に、自分で言ったことながら腹が立つ。
そもそも、父が私を呼び戻す目的は領の後継のためじゃないことくらいわかっている。
「アルノーのことはともかく、マルゴットがいなくなった以上、おまえが領の治癒師をするのは当たり前だ。とっとと領に戻り仕事をこなせ」
「私一人にやらせるつもりですか? 教会から治癒師の派遣も受けず? できる訳ないでしょう」
「何を甘えてる。おまえの母もマルゴットもやっていたことだ」
「そうやって無理を押し付けたせいで、お母様は亡くなったんです」
その事実を指摘され、父は顔をひきつらせた。自分の判断が母の命を縮めた自覚はあるんだろうか。少しは罪悪感があるんだろうか。
「どんな凄腕の治癒師でも一人で領全体を担うなんて無理なんです。お母様が亡くなった後、雇った治癒師が長続きしなかったのは、一人では手に負えない仕事を任され、どんなに訴えてもお父様は怠慢だと言うだけで何もしなかったから。どんなにお金を出してもまともな治癒師は誰もうちの領には来ないでしょう。私でも断ります。お姉様は上手に手を抜いて凌いでいたみたいですけど。今、リーベル領の領民で治癒魔法の恩恵を受けている人はごくわずかだってこと、ご存じですか?」
どうやら父は知らなかったようだ。時々私が領の教会を回っていたことも知らないだろう。姉を助けるためではなく、家にいたくなかったのが本当の理由だけど。そこで聞いた姉の訪れる頻度は、年に3,4回。流行病の時には自分がうつるとみんなが困るからと言って敢えて来なかったと聞いた。
治癒師の仕事も理解していない領主。仕事を丸投げして現状も把握していない。誰がそんな人に雇われたがるものか。
「…う、うるさい、理屈ばっかりこねてないで、とっとと戻って仕事をしろ! 今まで誰に育ててもらったと思っている」
陳腐な親の言い分に、深いため息が出た。
「私は自分の生活費は自分で稼いでましたし、私の稼ぎの大半は仕送りしてきましたよね? そのお金はどうしたんですか? 領の収益と合わせれば、つつましく暮らしていればとうに借金の返済は終わっていたはずです。借金の返済も滞り、五年前の不作がその後も毎年続いているかのように偽装して、税もきちんと支払ってないとか」
「な、…何故、…それを…」
治癒の仕事で王都に行き、王城関係者にも知り合いがいる。親切心でいろいろ教えてくれる人もいれば、よくない噂をあえて聞かせて反応を楽しむ悪趣味な人だっている。
「私の耳に届くくらいです。そろそろお役人は動いているかもしれません。それとも既に税の追徴を受けて焦っているんでしょうか」
どうやら図星だったみたい。それで姉の支度金として金貨50枚の追加を受けて、姉を手放す決意をしたということね。姉もまた父にとっては売り物。それでもいいところに売れた、姉の思い通りにしてやったと満足しているのだろう。
「…私は今は修道会に所属しています。もし還俗させたいなら身請け金が必要です」
「何で自分の娘を引き取るのに金がいる」
「もうあなたの娘ではなく、神に仕える身になったからです。…お母様のように、お金で買って使い捨てにしますか? 安くはないですよ?」
父は机を叩いて立ち上がった。
「お、おまえは、母親を愚弄するのかっ…」
「お母様を愚弄しているのはお父様の方でしょ? アルノーのお相手に対し『平民は子爵家の嫁にできない』と言いましたよね。お母様を本気で愛し、自分の妻だと、子爵夫人だと認めていたなら、そんな言葉は出なかったはずです」
アルノーの恋人、リタへの言葉は、そのまま母に向けた言葉だった。
「治癒師として一人で領を巡らせ、ずっと働き詰め。子爵夫人にそんな事させないでしょう。お金に困っていても夜会に行くときはご自身は礼服を新調してましたよね。それなのにお母様にはドレスを用意したこともなかった。夜会に同行しなかったのは平民だからですか? 夜会ではどなたをエスコートしたんですか? 貴族の女性? それはお母様への裏切りではないんですか?」
父の顔色が悪くなった。口を閉ざしていても「どうしてそれを知っている」とでも聞こえてきそう。
仕事で初めて夜会に参加した時、美しく着飾った貴婦人達がわざわざ私の元にやってきて、親切にもかつてのリーベル子爵の逸話を聞かせてくれた。
結婚後も父がエスコートしていたのはどこかの貴族のお嬢さんだった。ドレス代を払って来てもらっているとか。夜会の後もご一緒していたかも。
下世話な妄想をほのめかし、周りにいた紳士、淑女も笑っていた。
「平民は働くためにいる」
「買った金の分は働いてもらわないと」
「生まれたのが女の子で丁度よかった、親戚から後継ぎを迎えれば平民の血は薄まるだろう」
……
そう言って父が笑っていたと聞かせてくれた。
まだ未熟だった私は動揺を隠しきれず、初心な反応で高貴で上品な紳士・淑女の皆様を楽しませることになった。
全てが父の言葉ではないかもしれない。たとえ周りが言った言葉でも、頷けば認めたも同然。
だけどその話を聞いているうちに納得がいった。
すぐそばで母を見ていた私が、ずっと感じていた違和感…
恋に落ち、借金をしてでも母を引き取り、愛を貫いたなんて架空の美談にすぎない。
愛なんて言葉に騙されない。
真実の愛なんて信じていない。
「あなたはお母様のことも領のことも少しも大切にしていなかった。私のことも、家にいてもいなくても気にもとめなかったでしょう? 風邪で寝込んでいても、疲れてふらふらで家に戻っても気付いたことなんてなかったじゃないですか。…何も変わりはしません。変わらず、私はいないだけです」
突然父は私の手首をつかみ、無理矢理連れ帰ろうとして護衛に押し倒された。
私は護衛とシスターに守られ、地面に伏せる父に背を向け部屋を出た。
廊下まで響く父の私を罵倒する声は、獣の咆哮にしか聞こえなかった。
しばらく震えが止まらなかった。シスターや護衛がいてくれてよかった。
父は最後まで私を利用することしか考えていなかった。それが淋しくはあったけれど、ぶれないでいてくれたおかげで、私もぶれずに済んだ。
父に捕まれた手首は赤く腫れ上がり、痛みが治まった後も蕁麻疹が出て、落ち着くのに数日かかった。父は私のアレルゲンだ。




