XIII 婚約解消
その日の仕事も終わり、食事を取ってようやく一息ついた頃、姉に呼び出された。
連れて行かれた先はヨハネス様が借りている部屋だった。
いつもと違って二人が並んで座ったので、その向かいに着席した。私とヨハネス様が並んで座る時は人一人分くらい空けて座っていたけれど、今の二人はおしりが触れるほどぴったりと寄り添っている。
何だか二人の雰囲気が違っているように感じた。
昨日、二人は早々に部屋に戻ったみたいだったけど、まさか、同じ部屋にいた? 告白したか、両思いだと確認したか、あるいはそれ以上の進展があったか…。婚約者が同行している旅でそこまで恥知らずなこと…、していないとは限らない。
昨日の護衛達の態度がおかしかったのは、そういうことだったんだ。
机の上に一枚の紙が置かれていた。そこには婚約解消の通達と書いてあり、ヨハネス様の署名が入っていた。
「いろいろ考えたんだが、やはりおまえとの婚約は解消したい。家のつながりが必要なら、姉妹であり同じ治癒師でもあるマルゴットでも問題ないはずだ」
「ごめんなさい、リーゼ。私達、愛し合ってるの」
あのヨハネス様がとうとう決意したらしい。
私の目の前でぴったり寄り添い、手をつないでいる二人。現婚約者の前でここまでできる二人のパワーって一体何なんだろう。これが愛ってやつなんだろうか。
…頭が痛い。
しかし、私としてもこのチャンスを利用しない手はない。
「ひどい…」
ハンカチを目元に当てるけれど、液体はちびっとも出て来ない。鼻で息して鼻の奥がつーーーんと痛くなるのを促して涙を誘い、俯いて肩を揺らせば、婚約解消が当然のようにふるまっていたヨハネス様も驚いて声を詰まらせた。
「…ヨハネス様が私のことなんてみじんも関心がなかったことくらいわかってました。でも、いきなりこんなこと…」
悲しんで見せている私を目の前にしても、姉は悪びれもせず
「ほら、あなたは家に帰って領を継げばいいじゃない。アルノーとあなた、仲がいいでしょ?」
と言ってきた。それ、自分の役割をそのまま押し付けようとしてるだけじゃない。
「アルノーにはリタという恋人がいるの。お姉様、知らなかったの?」
「知ってたけど…、リタとは別れるらしいわよ。領が継げるなら誰でもいいんじゃない?」
親に愛されてる苦労知らずは怖いなあ。親が自分の言うことに耳を貸さず、無理難題を押し付けてくるなんて想像もできないんだろうな。
「領を継がせるために無理矢理親に別れさせられたって言ってたわ。しぶしぶ婿に来ることになったのに、さらにそれを裏切るなんて」
「しぶしぶな訳ないじゃない。私との結婚を喜んでいたもの」
全てを諦めた空笑いを喜んでると勘違いする? どうせお父様の口車に乗せられたんだろうけど、観察力はないんだろうか。自信過剰なのはまちがいなさそう。
「自分たちは愛のための結婚を望みながら、幸せを壊されたアルノーをさらに裏切るなんて…。アルノーが可哀想…」
さらにうつむいて肩を揺らせ、泣きを入れてみた。
二人は私とヨハネス様が婚約解消さえすればすべてうまくいくと思ってたに違いない。でもこっちはそれじゃ困る。
「私が婚約を解消されるのは仕方ないわ。でも、アルノーに無理強いなんてできない。アルノー達にも同じように幸せになってほしい。…そう思うでしょ?」
反応の鈍い姉。
「…まさか、自分さえよければあとはどうでもいいって思ってるの?」
「え、えー、…そんな事、…ないわ、…よ?」
ほんっとーに、人の事に興味ないな、この人は。しかし、否定したのは聞き届けた。
「お姉様がそんな人じゃなくてよかった。では、お姉様、安易に私に代役押しつけるじゃなくて、お姉様はヨハネス様と、アルノーはリタと、愛し合う者同士が結婚できるように、ちゃんとお父様に話をつけてね」
そして、愛し合う人がいない私がちゃんと家から離れられるように。
「おまえはどうするんだ。家に戻らないつもりなのか?」
突然ヨハネス様が余計なことを聞いてきた。婚約者がいながらその姉と恋仲になり、婚約解消まで言い出しといて今更私のこと心配する気? 鼻で笑っちゃう。おめえの知ったこっちゃねえよ、とでも言いたいところだけど、ここはぐっと我慢。
「私は今までもほとんど家にはいませんでしたし、治癒師として自力で食べていけます。お父様は恋愛結婚でしたから、真実の愛のもと、みんなで幸せになりたいとお姉様がおっしゃれば、きっと許してくださると思うんです。お姉様もヨハネス様もアルノーも、みんな幸せになること。これが私が婚約解消に応じる条件です」
こんな偽善まみれの臭いセリフ、よく言うな、と自分でも思うけれど、ヨハネス様は感動したらしく、初めて私に向けて笑みを見せた。本性を知っているので好感度0。ドキリともしない。それどころかちょっときもくて鳥肌が立った。
姉はわかってるんだか、わかってないんだか、
「はいはい、お父様に言えばいいんでしょ?」
と雑なことを言ってきたので、
「お姉様にとってその程度だったの…。やっぱり真実の愛なんてないのかしら。それじゃ婚約解消は一旦保留に…」
とちょっと揺さぶってみると、もう話は済んだと思っていた姉は動揺し、急に笑顔を作って
「ちゃんとお父様を説得するわ! 私が頼めば大丈夫よ!」
とようやくやる気を見せた。
こればっかりは私ではできないんだから、役に立って。
「よし、それじゃあ、家に戻ったら俺もすぐに父に話をするよ。マルゴットの治癒の力を知れば、父も納得する。きっとうまくいくさ」
やる気満々のヨハネス様。よし、その勢いで双方、親の説得よろしく!
婚約解消を告げる書類はそのまま渡された。私のサインは求められなかった。事実上一方的な婚約破棄宣言だ。この二人が親を説得できるかはわからないけど、説得に失敗したとしてもこの一枚のもつ意味はなくなりはしないだろう。
こんな紙一枚で何とでもなる関係だと思われていたかと思うと、伯爵家で暮らした日々が虚しく感じた。




