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第1話 奴隷と少女

―――世界を見下ろす高き高き空の上、一頭の竜がいた。



竜は五本の角を持ち、空中にいるというのにその大きな羽は動かさなくても、落ちる事がない。

まるで宙空に座すように、巨大な羽を畳み尻尾と長い首を丸めて地上を見下ろしている。


五本の角を持つ竜は、誕生とともにシィアマルブルムという名を持ち、睥睨する世界のあらゆる知識を持っていた。

言葉も、文化も、習慣も、過去滅んだ国も、今ある国も知っている。

地上に暮らす数多の人、一人一人の事まではさすがに分からないが、おおむね世界の変化はこうして空中でじっとしていても分かる。


加えて竜が持つ膨大な力を維持するためになにかしら食べたりする必要すらない。

だから五角竜は空中でただただ、眼下を眺めて過ごした。

永く永く一頭で過ごし、ある日五角竜がわざわざ咢を動かして発した言葉は、

「退屈で狂いそうだ」

これである。


竜は無限の生を持っているから、老いて死ぬことはない。

その特殊さから体感する時間は、地上の人間の比ではなく、ついさっき国が興きたと思えば翌日には滅んでいた、そんな感覚である。


「人間は愚かで脆弱だ」


それがもたらすのは知識と僅かな感想だけ。

一国が誕生して487年後に滅んだ、そういう知識だけで大した感情の変化ももたらしてはくれないものだった。


何をする必要もなく、ただ無限に生きられる竜生、知識だけが蓄えられるそれを、

「我は何のために存在する?」

何の意味があって自分は存在するのかと考え始めた。


脳内に浮かび上がったのは、どうやら人間も時として同じ疑問を持つらしいという知識。

だから、五角竜は地上に降ることに決めた。


「我も問うてこよう。何故我は生まれたのかを、ほかならぬ人生で」


永き『竜生』を一度横に置き、人として『人生』を生きてみようと同時に決めて。


永く座した高高度、横や頭上を見れば星が瞬く黒く広大な空間が広がるそこから、大地の緑、海の青、そこに暮らす数多の人間達の元へと、ゆっくりと飛翔して降りる。


降りる続けるうちに竜の巨大な体躯を小さく変異させ、人に見えぬ様に体表の竜鱗を変化させ、地上に降り立つ前に見つけた青年を『参照』して、彼とそっくりの姿になって変異は完了した。


「うわあ、お腹がすいてるんですけど?斬新な感覚だあ」


その性格や口調まで青年のものへと完全に変化した、やや軽い言葉を吐いて、お腹をさすりさすり歩く姿は誰が見ても人間らしい人間である。


「ああー、名前まで真似るのはまずいなあ。うーん、そうだ方言に『名無し』の意味をもった言葉があるから、それでいっか。よし、僕は今から名無しって意味の―――」


五角竜は今、人間になった。

こうして、世界に五体いる竜のうち、最強の力を持つ五角竜シィアマルブルムは、人間として世界を生きてみる事にしたのである。



そして、彼が参照した人物の性格と性分のままに、様々な体験をしていく中での出会いが、彼の人生を決めるものになるが、それは人生を始めたばかりの彼には少々先の話である。


◆◆◆◆


―――ベネステス領というオプラトス大王国の片田舎の小村のはずれ。



貧しい小さな農村らしく、しかし収穫期の秋なのに活気とは遠く、村民も彼らの家々もまたまばら。

その村のはずれに、陰気な小村には不釣り合いな屋敷がある。


都市や街の貴族屋敷とまではいかず、比べて言うならば、中堅商家の屋敷くらいの大きさ。

長く住む者がいなかったためか、屋敷を囲む木柵も、門扉も、屋敷自体にも痛みが見てとれる。


そこに、横づけされた馬車から二名が、黒の燕尾服の上下に身を包んだ身なりの良い初老の男に連れられて屋敷へと入っていった。


周囲で彼らを見た者がいたなら違和感を持っただろう。

連れられた二人は足を鎖で繋がれ、ジャラジャラと歩くさまは、まるで囚人のようで。


片方は、ひょろりと背が高く、けれども猫背で背の高さを感じさせない青年。

黒髪が腰まで伸びて、しかも顔を覆うほどボサボサ。

あとは、背にありえないほど巨大な箱型背架を担いでいる。

その細い体でどうやってその大きさを支えられるんだ?とツッコミを入れたくなるほどの。


もう一方は、大王国では見慣れない服装。

一重を体の前で合わせ、裾の広いズボンのようなものに通した腰帯で留めている。

その背には、その者にはおよそ扱えないほどの長剣。

これも、鞘がまっすぐでなく少し湾曲した形で、大王国では見ない品である。

なにより、この者の違和感は、まだ10歳にも満たない子供だということ。


ひょろりと大荷物の若い男と、おかしな身なりの子供。

その二人が、身なりから貴族の使用人と思われる老紳士が家に引き連れているのだから。


「あ、カビくさいんですねー、僕の今度の職場。貴人のお屋敷とは思えませんねーひどいですねー」


背の高い男が場違いで失礼な言葉を口にしながら、玄関扉をくぐり、階段横を過ぎ、老紳士の後にするりと続く。


「腹がへったでござる………」


自身の身長より長い長刀をかちゃかちゃ言わせて後に続く子供の方は、ただただ幼い子供らしかった。言葉使いはやはり、大王国では違和感しか感じさせないが。


老紳士が、静かに広間への扉を押し開く。

両開きに開いた扉の先、拾い部屋の中心に敷かれたくすんだ濃い茶色のカーペットの上で、椅子に座った少女がいた。


陽が落ちる前の、夕暮れと呼ぶにはまだ早い時間だというのに、広間を囲む南側の窓は木扉が閉じられていて陽光を拒むように薄暗く、それをランプの灯りで補っている。


もちろん大王国の民だから皆がこんな生活というわけではなく、一般的には外が明るいうちは、その明るさを家に取り込んで、無駄に燃料などかからない生活を送る。


それに反しているこれは、一部の金持ちが、寒い日に薄着になれるほど無駄に部屋を暖かくして、その中で冷たいものを楽しむような、庶民には贅沢にすぎるものだ。


しかし重要なのはそこではない。

椅子の上の少女はひどく痩せていて、血濡れて錆びたような赤錆色に似た髪は手入れされないまま伸び、服は女性用のワンピースというよりは、意匠の皆無な貫頭衣にしか見えず、こちらもしわだらけで汚れている。

顔は本来整っているのだろうが、それを感じさぬほどに健康さとはかけ離れ、何よりその目には角膜と瞳孔に色がなく、白目が濁って黒い。要するに黒い瞳を持つ人に例えるなら、黒目部分が白く、白目部分が黒い。

そんな目は普通にあり得ない。


誰かが『悪魔のようだ』と言えば、怖気とともに多くは納得するかもしれない。

そういう異様な目をしていた。


老紳士が、連れてきた二人に片手で椅子の前へ立つよう促す。

身なりの良い使用人が広間の中心にいる彼女へ二人を引き合わせる形から、明らかに身分の低くないはずの少女の姿は、だからこそ身の回りの世話を家から放棄されているとしか思えない異常な姿といえた。


少女の前へと促された大小二人が、彼女の前に進み出て、

「―――ッ?!」

老紳士は意図せず己の身体がビクリと跳ねたのを感じた。


老紳士は、誰にも聞こえぬように、すうっと息を吐き、全身の感覚を研ぎ澄ませる。

細めた目で、少女と、その前に立つ二人を窺う………気配、感情、動き………が、数拍監視しても何も感じない。


老紳士は再び息を吐きだし、首をふって警戒を解いて、

「アリオラお嬢様、これらが本日よりお嬢様の身の回りのお世話を致します。なんなりとお申し付けを」

伝えるべきことだけを伝えた。


「おかしな話ですよねえ。僕らみたいな奴隷が世話係って、ねえ?あ、僕はナノで、こっちの子はナナシ君です。お嬢様」


少女の前に立った大小の首には、奴隷である事を示す鉄の首輪が鈍く光る。

どこに逃げようとも、所有者の名前が刻まれたその首輪がある限り、奴隷は所有者の元に返還されるのが、オプラトス大王国法で決められている。


所有者が持つ鍵でしか首輪は外せず、逃げ出しても捕まるだけ、その首輪が示すのはナノとナナシがそういう奴隷であるという事。


髪で両目が隠れ、前がちゃんと見えているのか疑問な顔を少女に向け、緊張の無い声の自己紹介。

どこかとぼけたような自己紹介に、答えることなく、少女は暗い目で大小の二人をとらえ、彼らを縛る鎖を見て、なんとも言えない悲しそうな表情を浮かべ、

「………なぜ………巻きこんでっ………」

聞き取れないほど小さく口から漏らし、膝を抱えるとその間に顔をうずめてしまった。


「ナナシ君、掃除とかできる?」


「腹が減ったから無理でござる。食い物をくれたらできるきがするでござる。」


「そう、じゃあ。はい、これ」


返事のないままの少女から、ナノと名乗った少年は頭を切替えて、さっそく『お嬢様の身の回りの世話』を実行することにした。


大きな背架の脇に固定された小鞄のうちの一つから干し肉を取り出してナナシに渡す。

そして、ナナシに腹ごしらえの後の掃除のお願いをしてから、老紳士………おそらく少女の家付の執事、を振り返る。


「執事さんは、こちらの屋敷に常駐するんではないんでしょう?それともお食事用意します?僕、なんだか嫌だなあ執事さんに僕の美味しい料理を振舞うの。なんでだろーなあ」


奴隷とその所有者側という絶対的な身分差をあまりに軽んじたような、軽いもの言いに、執事は方眉を上げたものの、

「いや結構。私には他に役目もある。お前たち奴隷への命令は二つだけ………」

執事は『奴隷』の部分を幾分強く発音して、

「一つ、このお嬢様の世話。二つ、この屋敷から出ないこと」

二本の指を立て、ナノとナナシを拘束する鎖の先を、屋敷中央に位置する広間の柱にそれぞれ固定して、ナナシの背の長刀を没収して、

「屋敷にあるものは全て自由に。ああ、それからお嬢様………」

その声に、少女がビクリと身を震わせた。


「すべきことはお分かりですね?すべきことをなさらないなら、ロンダがどうなるかも?」


そう言った執事の顔が鋭いものになったが、ナノは既に屋敷の様子を確認しようとキョロキョロし、ナナシの方は座り込んで、干し肉をかじかじと食べ始めていた。


主家の娘を『このお嬢様』呼ばわりし、少女を怯えさせる執事。

しかし、ナナシは子供で理解できている様子もなく、ナノにはそんな事は些末な事だった。


単純明快に、ナノがすべきことは、お嬢様の身の回りのお世話、それが今の彼の全てである。

だから、どのくらい時間が残されているか分からないが、まずは掃除から。

これが心身の健やかさの秘訣にして奥義であると、ナノと名乗る青年は知っているから。

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