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アンドロイドの君と、二人で生きた証を作りにいく。

作者: ΨK

 

  しかし……しかし君、恋は罪悪ですよ。


 500年も昔に書かれたという小説『こころ』の台詞を思い出す。目が覚めると粛々と現前してきたこの確かな「真実」であるが、果たしてそれが具体的に何を指すのか、スオウには理解できていない自覚があった。その答えを求めてスオウは、強烈で、しかしところどころ曖昧な昨日の記憶を辿る。


 ============================


「あ、主任、お疲れ様です!」

 スオウはいつものように第一開発局のビルを出て主任のネイラを待っていた。


 冷たいようで隠しきれない優しさ、合成人間(ネオリアン)ならではの神秘的な長い銀髪、そしてたまに見せる微笑みと、稀にしか聞けない高らかな笑い声。初めて一緒に仕事をしてから、スオウはずっとネイラに惹かれていた。


 しかし、常にネイラを目で追っていたスオウにとっては、彼女が抱える闇にも人一倍敏感であった。一人でいるときによく見せる曇った顔と遠くを見つめる目。そんな彼女の力にできるだけなりたいという想い一つで、副主任として主任のネイラを支える立場まで上り詰めた。


 今でも終業後に一緒に食事をするこの時間がスオウにとって何よりの生き甲斐だ。


「おまたせ、今日はどこ行く?」


 意図せずとも街はクリスマスに備えて煌びやかな光で二人を包んでくれる。


「今日はちょっといいとこ行きましょうよ。ほら、仮想現実での動作テストも終わったんですし!」


「まあいいけど。それにしても、QUARTSもとうとう産まれるのね」


 第一開発局はその前進である研究開発部量子神経特別チームが120年前に設立されて以来、一貫してQUARTS(Quantum-based Unified Autonomous AndRoid Technologies, 量子神経自律アンドロイド技術統合体)の開発を続けている。


 QUARTSの動力源はブラックボックスとなっている部分が多く、量産は原理的に不可能だ。QUARTSの核をなす量子神経システムはその開発者である初代主任のヒュウガが悲劇的な死を遂げて以降、本質的な改良は事実上不可能とされている。それでいて、テンサー製のアンドロイドはQUARTSの試作技術を流用して量産化したものがほとんどだ。それだけQUARTSはテンサーにとって特別で重要な個体とされている。


「QUARTSが完成したら、このチームも解散かもしれないな」


「何言ってんですか、QUARTSの育成もきっと我々の管轄ですよ」



「だといいけどね。テンサー(うち)のCEO、何考えてるかわかんないところあるし...。そうとはいえ、QUARTSは「純粋無垢」、何者にだってなれるのよ。CEOがなんと言おうと私がちゃんと育てるわ。」


 流石の言葉の重みの差に、少し反省する。


 ヒュウガと共に、そしてヒュウガの死以降も約100年もの間QUARTSに向き合ってきたネイラの方が、よほどQUARTSに対する思い入れは強いに違いない。


 さらに、ネオリアンの特殊個体であるネイラは、全身に纏ったナノマシンの肉体修繕能力のおかげで寿命が500年ほどあるそうだ。そんなネイラにとって人間との関係はきっと刹那で儚いものだ。


 それはそうとして、チームの解散という言葉にスオウの心にも焦燥感が駆け抜ける。主任とこの関係のまま終わるわけにはいかない。そう思いながらも、結局は仕事の話しかできない自分をスオウは恨めしく思う。


 その日の帰り際、スオウはようやく重い口を開くことができたのであった。


「主任、僕は主任のことが...」


 ===========================


 以降の記憶は曖昧だ。確かなのは、ネイラに振られた事実。

 感謝と謝罪の言葉に続いた、一呼吸おいてからの言葉。


  「私、恋愛感情は制限してあるの。きっと、私にとってはよくないことだから。」


 街の灯りに揺れるネイラの白い髪、こちらに向けた儚げな微笑み、そしてすぐに遠くを見つめ始めた目。スオウはどうしてもネイラの言葉を受け入れられなかった。


 ネオリアンの基本的人権が認められた現代においては本人の意思に関わらず、過酷な労働環境で使役される場合を除いてネオリアンの感情を制限することは違法だ。特殊個体であるネイラには許されるのだろうか。そんなことを考えてみるが、ネイラの言葉を受け入れられないのはそんなことが理由ではない。


 あたかもネイラ自らの意志で恋愛感情を制限しているかのような言い方であったが、ネイラと共有した時間は多くないスオウであっても、ネイラの言葉が素直な弁明とは思えなかったのだ。


 そして彼女にとって恋が「罪悪」ならば、自分にとってはどうだろうか。与える者と受ける者、両者が対等でなければ愛は不完全だ。恋愛感情を持たないと言った彼女に恋心を向けることは、いわば人間関係を人質にネイラに不気味な刃を突きつけることと等しい。


 自分が今後ネイラと対等に過ごし、支え合い、その幸せを享受するには、自らの恋心を抑え付け今後一切ネイラに見せないことが必要だ。そう思うことがスオウにできる最大限の現実逃避なのであった。


 何もする気になれないスオウはテレビをつけてみる。今日は悪名高いネオリアン保護法がネオリアン人権基本法へ改正されてからちょうど120年らしく、国営放送ではその特集を行っていた。


 かつて、ネオリアンをはじめとする生体機械、人工知能およびサイボーグはすべて人間に従属する道具として捉えられていた。ネオリアン自爆コードの作成と政府への提出が各企業に義務付けられていたこと、ネオリアンが事前に定められた寿命を迎えた際は生体機能の状態如何に関わらず記憶は政府主導で保管し肉体は生体資源としての再利用することが義務付けられていたこと。ネオリアンと自然人間が分け隔てなく暮らす今となってはグロテスクな内容ばかりだ。


  「自然人間とネオリアンの支配関係の逆転を恐れた人々は「サピエンス防衛軍」を結成、16年後、世界を震撼させる同時多発テロを起こします。その対象の一つとして狙われたのが、当時生体製品のシェアを独占していたテンサー重工業でした。」


 ナレーションとともに映るのは、テンサー研究開発部がまさに襲われている様子のホログラムだ。字幕はまるで自分に向けているかのように「ショッキングな映像が流れます。ご注意ください。」と警告してくる。


 戦闘用ネオリアン数体が周囲を瓦礫と化しながら暴れ回る。よく見ると旧式のテンサー製戦闘用ネオリアンだ。サピエンス防衛軍のハッキングにより乗っ取られたのだろう。その次の瞬間、スオウは目を疑った。


 蹂躙される人々の中にいたのは、髪の色こそ違えど見紛うはずのないネイラだった。戦闘用ネオリアンがネイラを襲おうとしたその瞬間、男が走ってネイラに覆い被さる。男が血を吹いて倒れたその瞬間、テンサー側が秘匿していた自爆コードが起動したのか、戦闘用ネオリアンの躯体はバラバラに飛び散った。


 ネイラは泣きながら必死に倒れた男に止血を試みているが、どう見ても絶望的だ。写真で見たことがあるその顔はヒュウガに違いないとすぐに直感された。ヒュウガはネイラと言葉を交わしたかと思うと、ついには目を閉じてしまった。


 ===========================


 ネイラは昨日の夜を思い出す。スオウに恋心を抱かれていたというのは正直驚きだった。


 初めて彼に抱いた印象は情けないというものだった。入社試験に次席の成績で合格したとは聞いていたものの、第一開発局に配属されて初めて話したときは現実を知らない理論家風情といった感じだった。


 しかし、一緒に仕事をする機会が増えてからはメキメキと頼もしくなっていき、二年足らずで副主任まで上り詰めた。苦しい局面に何度彼に助けられ、励まされたことか。気づけば仕事上とはいえ欠かすことのできないパートナーとなっていた、そんなスオウの気持ちを否定するのは申し訳ない。スオウを受け入れ、ともに人生を終えることができればきっと幸せなのだろうという直感もある。


 しかし、今でも鮮明に覚えている手にこびりついた血の匂いと感触、そして耳を離れないヒュウガの言葉はネイラを重い現実に引き戻す。耳から離れたことなど一度もない言葉なのに、心なしか当時のことを思い出すのは久しぶりな気がした。



「そんな...顔をするな。俺たち人間は...どうせ長くは生きられない...。だから生き急いで...足掻き、苦しみ...自分が生きた証を...残そうとする...。だがお前とQUARTSならば...人とともにどこまでも歩んでいける。だからこそ、君は俺らの希望なんだ。俺たちは、君の記憶の中で、生きてゆける。だから、...人とともに歩むその意味を忘れずに...」


  「生きろ、ネイラ」


「そして、俺たちが共に生きた証...俺たちの子どもを...QUARTSを頼んだぞ」



 ヒュウガは約100年前、乗っ取られた戦闘用ネオリアンの暴走から自分を庇って死んだ。人工生命体および人工知能による支配から人類を守ることを大義名分に掲げたサピエンス防衛軍によるテンサーへの大規模テロだと、表向きには理解されている。


 しかし、このテロは裏で糸を引いていた人がテンサーの上層部にいたこと、そしてその背後には世界全体を覆うさらに大きな闇があることを、ネイラは知っている。


 戦闘用ネオリアンには最上級のセキュリティが施されているはずなのに、いとも容易く突破された。あれほど戦闘用ネオリアンが暴れ回っていたのに自分とQUARTSの試作躯体は一切傷つかず、データも無事だった。そして、ヒュウガが死んだ瞬間に、まるで用済みとなったかのように起動する自爆コード。


 ヒュウガは意図的に殺されたのに対し、自分とQUARTSは意図的に生かされたのだ。


 この闇を暴き、復讐を果たそうとも、自分は生きるのを止めることは許されない。


 ヒュウガが望んだことである限り、世界が滅びるまで生き続けるのだ。


 実際そのためにヒュウガがQUARTS開発の傍で手をつけていたナノマシン技術を隠れて完成させ、未完成の技術として周囲を欺きつつ自らを不死身にした。


 そして、いつまでもヒュウガを殺したこの「世界」が歪んだまま存続し続けるのなら、そのときは自分が......。そういった想念に今でも乗っ取られそうになる。


 そんな自分の人生に、スオウだけは巻き込みたくない。ネイラは、生き続けるという自らの「使命」を正当化するかのように、スオウへの気持ちを封印するのであった。


 ===========================


 ヒュウガの血で塗れたネイラの肉体を呆然と眺めていたスオウははっとする。


 彼女のQUARTSに対する以上な執着とも言える「愛情」。自分を振ったときの遠くを見つめる目。そして、恋愛を「罪悪」だといった彼女の言葉。彼女は遠く暗い過去に縛られていることをスオウは悟った。


 そして、おそらくネイラもわかっていない恋の罪悪の本質が、彼にとっての真実としてその本質を表した。


「恋の罪悪」とはすなわち自己犠牲のことである。相手を守るための「尊い」犠牲が、言葉とともにその人を縛る呪いとなり、伝染していく。その連鎖の末にあるのはもちろん自分だ。


 たとえ自分が呪われていようと、何に変えてもネイラを過去から救い、呪いをここで断つ。ネイラと共に生き、ネイラと同じ墓に入るのだ。そして我々のQUARTS(こども)は、自分たちの生きた証ではなく、未来へ託すべき希望だ。そう、永遠などいらない。たとえ刹那であっても、共にあればそれで良い。それこそが、我々が生きた証なのだ。

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