間に合わなかった夏休みの宿題
「あーもう! あんたくらいじゃないの!? まだ宿題終わっていないの!」
「うっさいな! 先生は9月までに出せばいいと言っているんだからいいじゃん!!」
母親に怒られた少年は怒鳴り返しながら、目の前に置かれている金魚鉢のような水槽にピンセットを用いて、また新しい餌を入れていた。
これは低学年の子供がやるような生物飼育キットだ。
あなたもやったことはないだろうか?
私が幼い頃には『おばけえび』と称されたアルテミアの飼育セットを用いて、その経過を夏休みの自由研究にしようしたものだ。
さて、いずれにせよ、母親に怒られていた少年もまたそんな飼育キットを用いていたわけだが……。
「その子達、分量を間違えるとすぐ死んじゃうからね!」
突然そう言われて、少年がビクッと震えてしまいその瞬間に本来ならば慎重に入れなければならない餌は水槽中に散らばってしまった。
それは魚の餌のようにブロック状に固められており、本来なら一匹ずつ丁寧に外して使わないといけないのだが、面倒くさがった少年がそうしなかった故にこのざまだ。
「あー! お母さん、何するのさ!」
「何をするって……! お母さん何もしてないでしょ!?」
そんなあり触れた親子喧嘩が始まる日常風景。
しかし、水槽の中の生物からしたらたまったものではない。
試しに覗いてみよう。
『巨大生物対策課』とデカデカと掲げられた建物の前で兵士が青い顔をして言った。
「隊長! 確認されただけでレヴィアタンの数は十三! 此度の数はいくらなんでも異常です……! これでは人類は滅びに向かってしまいます……!」
その報告を受けた隊長は少しでも平静を保とうとタバコを吸おうとしたが、指が震えてあっさりとそれは地面に落ちてしまった。
自身の狼狽えを象徴するかのような取り落しに隊長は遂に諦めて呟いた。
「終わりだ。もう」
それは決して言ってはいけない言葉だったかもしれない。
まるで待っていたかのように隊長の口はぽろぽろと言葉を落としていく。
「そもそも何故、そんなにもレヴィアタンが……。一匹しか居ないはずだろう……? そんな、馬鹿な……もうどうしろと……神は一体……」
傍らに置かれていた旧約聖書の一節を指でなぞり続ける隊長の様を見て兵士達は項垂れる。
現場の最高責任者がこの様子ではもうおしまいだ。
兵士全員がそう理解し、絶望に包まれたままある者は空を仰ぎ、ある者は反対に俯いて、そして多くの者がその場を逃げ出して家族の下へと走った。
さて、場面は戻り親子の日常。
「説明書にも書いてあったでしょ!? レヴィアタンは一体で良いの!」
母親の言うように飼育セットの説明書きには下記の通りに記されていた。
『レヴィアタンは必ず一匹だけ入れてください。つがいで入れてしまえば、すぐに水槽の中に満ち溢れて生物を喰いつくしてしまいます』
反論しようとする少年に向かって母親はさらにその下の説明書を指差しながらなおも言う。
「ほら見て! ここにもあるでしょ!? 『レヴィアタンの役目は水槽の中の生物が滅び去る時の最後の食事です。小さな命が巨大な命を力を合わせてやっつける様を是非観察してください』って! 分かる? レヴィアタンは本当に一匹だけでいいし、その役目が果たされるのも本当に最後の最後なの!」
正論とは言え、こんなにも叫び続けられたならば少年の方も我慢が出来ず言い返す。
「うるさいな! 僕だってそんなの分かっていたよ! だけどもう時間がなくて!!」
「だから早くからやっておきなさいって!」
不毛なやり取りはまだまだ続きそうだ。
そんな親子の騒々しくもどこか微笑ましいやり取りの隣に飼育キットのパッケージが転がっていた。
そこには子供受けのする微笑ましいイラスト共に注意書きがしっかりと載せられていた。
『人間は非常にしぶとい生き物です。中々滅びたりしません。夏休みをかけてじっくりとその生態を観察してください』