津縄代神社焼き討ち事件
夕鶴帝による津縄代神社行幸から八年後、黄呂は十六歳を迎えた。世の中は、弟である鷲尾帝の時世となっていた。この世の美しいものすべてを憎む鷲尾帝の『美麗狩り』により、各地の荘厳たる寺院や神社が次々と取り壊されていく。津縄代神社にも『美麗狩り』の脅威が迫り来る中、それでも黄呂は、必ずや時宮が約束を守るため、鷲尾帝に対抗してくれるものと信じていた。まだ幼かった時分、一目見た時からずっと、時宮への恋心を抱いていた黄呂は、あれからずっと願掛けを続けていた。その願掛けこそ、いつか時宮の臣下となり、その縁を永遠のものとする——。重たくも、すべては時宮を想う自分の幸せのためと、その願いを秘めていた。
「——くそう、何故『美麗狩り』なるものに、津縄代神社が廃されなければならぬのか!」
鷲尾帝から通告された廃社命令に、宮司や氏子らが猛反発する。
「この那智山——津縄代神社は、天狗信仰の総本山ぞ! 前の帝——夕鶴帝も、我らが御祭神、大天狗様とは旧知の仲であられたと言うに……!」
「まあ、たかが幼子の帝がやることよ。我らが拒否し続ければ、いつかは手を引くだろう。そうカリカリするでない」
一人悠長に、大天狗が構える。その背後に控えていた黄呂は、それでも不吉な予感がしてならなかった。
黄呂は神社の裏手で一人、陰陽師による亀甲占いを行った。呪文を唱え、亀の甲羅に走った線により、その先の吉凶を占う——。結果は、大凶。甲羅が砕け散ったことから、破滅の未来が示唆された。
「そんなっ……」
絶望に打ちひしがれる黄呂であったが、それでも時宮による救済を信じてやまない。
「大丈夫だ。宮様が必ず、この津縄代神社を御守りくださる。約束したんだ。未来永劫この津縄代神社は、宮様の庇護下で繁栄し続けるっ……」
荘厳な社に、神気に包まれた霊山。那智山周辺に暮らす民らは厚く天狗を信仰し、その庇護が絶対のものであると信じてやまない。たとえ帝による『美麗狩り』の脅威にさらされようが、信仰心の前に、大それたことなど出来やしない——。そう誰もが信じ、津縄代神社の宮司らも、幾度に渡って通告された廃社命令を突っぱねた。
そうして、悲劇が起こる。
目の敵にしていた甥である時宮が厚く信仰する、津縄代神社。もとより、恐れるものなど何もない鷲尾帝にとって、時宮が大切とするものはすべて、ぐちゃぐちゃに壊すことが、何よりも快感だった。そうして時宮と契った女人を、何人も処刑してきた。すべては時宮に更なる絶望を与えるため、津縄代神社もまた、完膚なきまでに叩き潰す。
廃社期限となったその日、津縄代神社の鳥居前に陣取った鷲尾兵。
「——再三に渡り廃社命令を通告したと言うに、それに抗わんとする津縄代神社は、他の抵抗勢力への良い見せしめとなろう。また祭神である天狗は殲滅せよ。鬼や妖といった闇の眷属らが、我が世に蔓延らんとするを防ぐ、良い機会じゃ。よって、那智山津縄代神社及びその一帯をすべて焼き討ちとする」
帝による詔を代読した鷲尾兵の宣戦布告により、那智山一帯への総攻撃が始まった。麓の民家に火が放たれ、津縄代神社にも容赦なく火矢が降りかかる。
「おのれ幼子の分際でっ……! この天狗の総本山に攻め入ろうとはっ!」
ぶちギレ状態の大天狗が那智山一帯を守るために、戦闘態勢に入った。荘厳な社にも火の手が上がり、攻め込んできた鷲尾兵による虐殺が始まった。あちらこちらから聞こえてくる絶叫に、思わず黄呂は耳をふさいだ。
「何をしておる、黄呂。おぬしは山を下り、一刻も早く、都へと逃げよ」
「……え? いやだっ、おれも戦う!」
耳をふさいでいても聞こえた大天狗の言葉に、黄呂は首を横に振った。
「何を言っておるか! 敵はこの地一帯の殲滅を目論んでおる! 到底人とは思えぬ鬼畜な蛮行ぞ!」
そう言い放った大天狗が、ぐっと黄呂を抱き締めた。
「……すまぬ。わしが幼子の本気を見誤っておったばかりにっ……」
早まる心臓の音に、黄呂は大天狗の遺恨を聞いた。乱れる息と、溢れ出る涙。
「おぬしは最強の天狗陰陽師となるのであろう? ならば、斯様なところで志途絶えては、伝説になどなれぬぞ?」
優しく大天狗が諭す。さっと身をかがめ、黄呂の天狗の面に触れた。
「おぬしの願いは、必ずや叶えられよう。ゆえに、このようなものに願掛けをするのはしまいぞ。これからは、素顔のおぬしにて、最強を目指すが良い」
大天狗が天狗の面を外し、素顔の黄呂に優しく微笑んだ。
「素顔のおぬしの方が、宮も臣下にと望むであろう。宮の下……いずれ阿呆な帝を退けるであろう時の帝の下、生きるが良い、黄呂」
「そんなっ……いやだっ、おれも一緒に戦う! おれが大天狗も津縄代神社も守るからっ……!」
「黄呂……」
その時、ズドンと地響きがした。音がした方に振り返ると、大切な御神木が斬り落とされ、大火に包まれていた。
「なっ……! 彼奴等め、よりにもよって、我が依代をっ……」
いきり立った大天狗が巨大化し、鷲尾兵らを蹴散らしていく。天狗の呪術により、一人で那智山一帯を守る大天狗に加勢しようと、覚悟を決めた黄呂もまた、天狗道と陰陽師を掛け合わせた呪術でもって、鷲尾兵らと対峙した。
「——さあ、大天狗より教わりし、六根清浄ぞ。陰陽道と掛け合わされると、どうなるかな?」
天地陰陽の構えで、六根清浄の祓詞を唱える。
「諸ノ方ハ影ト像ノ如シ清ク浄ケレバ、仮ニモ穢ルルコト無シ。説ヲ取ラバ得ベカラズ」
詠唱後、鷲尾兵らの影が実体を持った。そうして本体である鷲尾兵らの体を後ろ手に掴み、身動きが取れなくなった。
「なっ! 何故影がっ……!」
「日没までそうしておるが良い!」
次から次へと黄呂が鷲尾兵らを捕らえていく。大天狗もまた、壮大な秘術により鷲尾兵らを蹴散らしていった。天候を操り、大雨を降らせるも、麓から山頂まで、火の勢いが衰えることはない。鷲尾側もまた陰陽師らを従え、呪術により、那智山一帯を燃え盛る炎が絶えることはなかった。
「くそうっ! 不動院家の仕業か!」
姿は見えないものの、焼き討ちに陰陽師の力を加えていることは明白だった。そうしてその陰陽家こそ、仇である不動院家。黄呂は、ぐっと拳を握った。
「それが御前達の陰陽道か、不動院っ……」
「——がはっ……!」
突如として、上空で大天狗の悲痛な叫び声がした。はっとして見上げると、陰陽師の術式によって捕らえられた大天狗の姿があった。
「大天狗っ!」
赤い光輪で、徐々に大天狗の体が締め付けられていく。苦悶に歪む大天狗が地面へと落ちてきた。慌てて駆け付けようとするも、「くるでない!」と大天狗が制止する。
「……何度も言わせるでない、黄呂。逃げよ。おぬしは、生きるのだ」
白と赤の狩衣姿の陰陽師らに囲まれて、大天狗が最期を悟る。その陰陽師の中に満仲の姿を見た黄呂が、「葛若……?」と呆然と口にした。黄呂を一瞥した満仲は、表情無く兄が大天狗にトドメを差したところを見た。その瞬間に立ち会った黄呂が、その場に崩れ落ちた。
「東雲が遺児か?」
陰陽頭である不動院一益に手を差し伸べられるも、それを黄呂は拒絶した。絶望と憎悪が渦巻く心の中で、「はっはっ」と息だけを強く吸う。燃え盛る火の粉が舞う中、一点を見つめる満仲が言う。
「大天狗は始末した。社も落ちた。津縄代神社の焼き討ちは、これにてしまいじゃ」
そうして帰還の途に着く満仲に、「……何が最強の陰陽師だ」と黄呂が呟く。
「……御前には分かるまい。禁中に掬う闇がどれほどのものかなどっ……!」
ぐっと声を押さえる満仲の背中に、黄呂は嘲笑を浮かべた。
「禁中に掬う闇? そんなものは、宮様が一掃してくださる! そうだ、まだ終わってなどいない! 必ずや、宮様が我らをお救いくださるのだっ……!」
ふらふらと黄呂が満仲へと向かって歩いていく。それに視線だけを向けた満仲が、「今の時宮に、左様な力などない」と冷静に言う。
「いいや! 宮様こそ、我らが御祭神となられる御方! そうだ。再び此の地に津縄代神社を再建し、宮様をお迎えすれば良いのだ! そうすれば、おれのことをずっと見ていてくださる! おれを一等の臣下にしてくださるのだ!」
「いい加減にせぬか、八千代! 鷲の世である今、時宮は臣籍へと落ちた! あの御仁に帝となる道は残されておらぬ!」
「ふん。葛若よ、御前には分からぬのだ。あの御仁こそ、此の国を神代の世へと戻される御方。大神の託宣を受けられた御方よ」
「御前は天狗の六根清浄に囚われすぎぞ! 本来の東雲家の陰陽道を忘れたか!」
その言葉に、黄呂は眉間をつかれた。そうして息絶えた大天狗に目を向け、一筋の涙を流した。
「そうだ……。おれは、東雲家の陰陽師。我が一族の秘術——死者蘇生。六根清浄と併せ持った今、おれこそが最強の陰陽師。それでもって、此度の焼き討ちにて亡くなった者らを生き返らせれば良いか」
「何を馬鹿げたことを申しておる! 死者蘇生など有り得ぬ! 御前達東雲家は、かつて夕鶴帝の后——紫陽花宮を生き返らせんとして、失敗したであろう! それが原因で、嘯く一族として汚名を着せられ、衰退した過去を、御前ならば良う分かっておろう!」
「我ら東雲家は、嘯いてなどおらぬ。すべては、我らの秘術を恐れし、御前達不動院家の陰謀あってのことよ」
黄呂が、静観していた不動院家の陰陽師らに目を向けた。一益や兄らの動揺に、何も知らない満仲の眉間が動く。黄呂は燃え盛る炎の中、社へと走っていった。そうして崩れ落ちていく津縄代神社の再建と、焼き討ちで亡くなったすべての者らを復活させることを、固く誓ったのである。




