瑞獣と偽者
「——此度の後宮での女人失踪事件にて、消えた女官ら全員の命は救えませなんだ。主上の期待された結果とならず、すべては、私の責任にございまする。ゆえに、如何なる仕置きをも受ける所存にございまする」
水影が御簾の前で平伏し、朱鷺の言葉を待った。
「なっ! 鳳凰様だけの責任ではありません! おれにも責任はあります! だからどうか、おれにも罰をお与えくださいませ!」
麒麟もまた、朱鷺に願い出る。
「水影殿、麒麟……。否、鬼の攻撃を防げなかったは、某の責任にございまする。ゆえに主上、某こそ、仕置きを受けねばなりませぬ」
安孫が一歩近寄り、平伏した。
「そうだのう……」
朱鷺が御簾の中から、一人つんとした表情を浮かべる満仲に目を向けた。それに気づき、満仲が鼻息を漏らす。仕方なく平伏し、
「わたくしめこそ、鬼を滅することが出来なんだ糞以下の陰陽師にございますれば、どうかわたしくめに罰をおあたえくださいませ、しゅじょう」
完全なる棒読みで、満仲が願い出た。
「うむ。では罰を言い渡す。そなたら全員……」
帝の裁断を、瑞獣らが固唾を呑んで待つ。
グー、すぴー、と寝息をかいてその場で眠りに就いた朱鷺に、
(いや、寝るんかーい!)と、瑞獣らが内心でツッコむ。
「はっ! 渾身のボケを考えておったら、眠っておったわ。危ない危ない」
珍しい帝のボケに、安孫だけが「ぶふっ」と吹いた。
「ウウン! それはそうと主上、此度の後宮での女人失踪事件にて、結果として鬼であった女人らを誘拐していた犯人——確か名は……」
安孫が、自らを陰陽師と名乗る男に目を向けた。あの日以来、男は牢に入れられていたが、今この時、申し開きのため、後ろ手に縄で繋がれ、帝の御前にて平伏している。
「我が名は、東雲黄呂と申しまする。陰陽大家——東雲家の遺児にございます」
「不動院家と二分する、陰陽大家、東雲家の遺児? はて、貴殿の御名を窺ったことなど、ありませぬが」
うーんと眉を顰めて、安孫の周りにクエスチョンマークが飛び交う。
「霊亀様なら、ご存じなのでは?」
「そうじゃのう? どうじゃったか……」
まるで相手にしていないように、満仲が視線を逸らす。
「鳳凰様はどうです?」
「私も存じ上げませぬなぁ。そもそも東雲家は、陰陽頭の地位を不動院家と争い、敗れた御家。其の権勢も、遠い昔のように思われまするが」
冷淡に話す水影に、「ぐっ……」と黄呂が奥歯を噛み締める。
「されど、風殿を救えたは、黄呂殿の御力あってのことにございましょう? 流石は陰陽師。人智を超えた存在にございまするな」
素直に安孫に褒められ、黄呂は目を見開いた。その後伏せられた顔に、そっと微笑みが浮かぶ。
「……して、東雲よ。此度の後宮での女人失踪事件、其の動機は何ぞ? 単なる鬼退治ではなかろう?」
実質、朝裁という体で、朱鷺が尋問を行う。ごくりと唾を飲み込み、恐れ多くも、黄呂は口を開いた。
「……私の目的は、後宮に潜んでおった鬼どもの殲滅。主上の御命を狙うなど、言語道断。とても見逃すことなど出来ず、事に及んだ次第にございまする。されど、捕らえた女人の中に、人がおったことは、私の過ちにございまする。瑞獣——三条水影殿がいたは、少々驚きましたが……」
鬼だと思って捕らえた藍式部の懐に、瑞獣である証——鳳凰紋の短刀が入っていたことで、その存在に初めて気が付いた。
「まったく。陰陽師が人と鬼の見分けもつかぬとは、情けない。左様な者が東雲家の陰陽師を名乗るなど、家の名に泥を塗るだけじゃ。今後二度と名乗らぬことじゃな」
ぶっきらぼうに満仲が言う。
「私とて、主上がためをと思い、逸っておったのだ! 私の真の目的、それは、主上が瑞獣の一人として、加えていただきたく存じ上げまする」
ぐっと黄呂が朱鷺を見上げ、口を噤む。
「なんじゃとっ? 主上が瑞獣に、二人も陰陽師などいらぬ! 御前は罪を償うため、即刻主上の御前より失せるが良い!」
いきり立つ満仲を、「まあまあ」と麒麟が宥める。一層強く、黄呂が願い出る。
「此の東雲黄呂、必ずや主上の御役に立ってみせまする! 鬼の娘を生き返らせたは、私の力を主上にご覧頂きたくっ……! 死者蘇生——。それこそが、我が東雲家に伝わる秘術にございますれば!」
「なんとっ、死者蘇生とな? 左様な秘術があるのか……!」
少年心が擽られるのか、安孫の瞳が輝いた。
「馬鹿馬鹿しい。死者蘇生など、有り得ませぬ。あの時、風の脈は触れませなんだが、まだ微かに息はありましたでな。傷を塞ぎ、出血を止めれば、鬼であらば回復も致しましょう。死者蘇生などと大仰な嘘をつくと、嘯く一族として、再度汚名を着せられますぞ? 東雲殿」
「なっ! 我が東雲家は、嘯いてなどおらぬっ」
事実を語った水影に、黄呂が憤怒の表情を向ける。
「……死者蘇生のう」
その言葉を、朱鷺が呟いた。
「主上! 私が主上の愛する朔良式部殿を蘇らせてご覧にいれまする!」
自信気に放った黄呂の言葉に、麒麟が唖然とした。
「朔良式部様を蘇らせる……? そんなこと、許されるはずがない。主上はそんなことを望まれてはいないっ……」
「麒麟……」
朱鷺の想いを知る水影が、それを代弁した麒麟に、そっと目を細めた。
「何を申すか! 浮浪児上がりが、帝の何が分かると言う! 薄汚い浮浪児が主上の影を務めるなど、烏滸がましいにも程があろうっ」
「おれはっ……」
すっと水影が立ち上がった。そのままずんずんと黄呂の下へと向かい、扇でその頬を叩いた。
「っ……」
「ヒュウ~。やるのう、三条の」
静観していた満仲であったが、その勇姿を称える口笛を吹いた。
「鳳凰さま……」
「み、みなかげ殿、落ち着かれよ。暴力など、貴殿らしゅうないですぞ!」
どうにか安孫が水影を落ち着かせ、主の言葉を待つ。
「もう良い。折角だがな、東雲よ。俺は麒麟が申した通り、朔良式部を蘇らせてほしいなどとは思っておらぬ。ついでを言えば、そなたを瑞獣にするつもりもない」
「なっ……! 主上、私はっ——」
「帝に二度同じことを言わせるな。此れにて申し開きはしまいぞ。処罰はおって沙汰する。それまで、牢に入って待つが良い」
立ち上がった朱鷺に、ぐっと黄呂は膝を掴んだ。
「……またしても、主上は、私を見ては下さらぬのかっ……」
「黄呂殿? 如何されたのか?」
安孫が黄呂の顔を覗くと、そこには、憎悪の表情が浮かんでいた。
「……分かりました。私を瑞獣にしてくださらぬと仰せならば、此の中より一人、偽者と入れ替えまする」
「何を申しておる。左様なこと、此の俺がさせると思うておるのか?」
珍しく怒気を放つ朱鷺に、瑞獣らは固唾を呑んで沈黙している。対峙する朱鷺と黄呂。本気の様相で、黄呂が立ち上がった。術により、その両手を縛る縄が解けた。天地陰陽の構えで、呪文を唱える。
「——万物ノ霊ト同躰ナルガ故ニ、為ス所ノ願ヒトシテ成就セズトイフコトナシ」
「なっ、其の呪文はっ……」
急き立つ満仲が黄呂を止めようとするも、時すでに遅し——。ボンっと白煙が辺りを包み、その場にいる全員が咳き込んだ。
「くそうっ、どうなっておる!」
周囲の状況を把握しようと、朱鷺が咳き込みながらも、白煙を流すため戸を開けた。やがて煙が消え、四人の瑞獣の姿が見えた。
「……ん? 特に変わった様子はありませぬが」
自身の掌に目を落とし、水影が首をかしげる。安孫もまた、「某も、大事ありませぬ」と告げた。
「おれもおれのままです」
「わしもじゃ。どうやら術は失敗したようじゃのう。おい東雲の、御前の術は糞以下じゃ」
嘲笑を浮かべる満仲に、「それは如何だろうの」と涼しい顔で黄呂が言う。見たところ、瑞獣らに目立った変化はないが、この中の一人が偽者と入れ替わっていることは、黄呂の様子からして明白だった。それを見抜いた朱鷺が、ぐっと目を据える。
「さて、主上。勝負にございまする。七日の内に此の中におる偽者を見つけ出さねば、本物は一生帰って来ませぬ。其の者は、彼の世と此の世の狭間で、自らが生きておるか死んでおるかも分からず、永遠に夢心地のまま、彷徨い続けることにございましょう。偽者を見つければ、主上の勝ち。見つけられねば、私の勝ち。その際は、私を主上の瑞獣に加えてくださりますよう」
そう両手を仰ぎながら言った黄呂が、そっと口角を上げ、笑った。