第一部 完
後宮にて起きた女人失踪事件で、無事に後宮へと戻って来たのは、蔓式部ただ一人であった。それ以外の女人については、残念ながら帰らぬ人として、禁中は触書を立てた。鬼の中で一人生き残った風は、仲間の菩提を弔うため、伊予二名洲へと、遍路の旅に出ることを決めた。
「また会いましょう、麒麟」
そう言って、風が人の姿で麒麟に手を差し伸べた。
「うん。またね、風」
固く握手を交わした麒麟が、「どこにいても、おれたちは友達だよ」と笑う。
「ええ。いつかアンタが窮地に陥ることがあれば、その時は、一番に駆け付けてあげるわ。約束よ」
「ああ。おれも風に危険が迫れば、いつでも助けに行くよ。約束だ」
きりっとした麒麟の表情に帝の姿を重ねた風が、そっと笑う。そうして伊予二名洲へと旅立った風の背中を見送る麒麟が、しれっと隣に立つ満仲を見上げた。
「……霊亀様、この国では、人と鬼は共存していくことは出来ないのでしょうか?」
「いとも容易く同胞の首を掻っ切る者らゆえな。我ら人とは、相容れぬじゃろう」
「おれは人も鬼も、左程大きな違いはないと思いました。心の底にある想いは、同じではないかと。おれは風が、冷酷非道な鬼には思えません」
俯く麒麟に満仲が目を据えるも、がしっと弟分の頭を掴んだ。
「いっ? 霊亀さまっ?」
「吉報を招く麒麟が落ちこむでない。御前は前だけを向き、ただ光の方へと歩めば良いのじゃ」
「霊亀様……。はい。ありがとうございます」
「あの娘は鬼じゃ。冷酷非道な面を見せることもあろう。されど、その吉祥文様は、竹であったからのう。御前はその意味を存じておるか?」
「竹の意味? いいえ? 何ですか?」
「竹はのう、本来茎の中が空洞であることから、裏表のない“潔白”という意味を持っておる。ゆえに、御前の友が女中時分に見せておった顔こそ、本来のあの娘なのではないか」
面倒見がよく、誰にでも親切。それが麒麟の知る、風という女人である——。いつになく満仲が格好良く見えた麒麟は、それでも嬉しそうに、「はい!」と笑って頷いた。
無事に後宮に戻って来た蔓式部を、伊角納言が、泣くのを堪えて抱き締めた。
「蔓っ……!」
「伊角納言さまっ……」
女同士の熱い友情を、藍式部として後宮に入った水影が見つめる。これが最後の後宮勤めであった。
「本当にありがとう、藍式部」
伊角納言に礼を言われ、「『後宮物語』の続きを、楽しみにしております」と、女人の声色で、美しく微笑んだ。その姿に二人の女官が、ぽっと頬を赤く染めた。二人とも藍式部が男であると知っているが、彼が罪に問われないよう、その秘密は墓場まで持っていくつもりである。
「さあて、蔓。藍式部のお陰で想像力が掻き立てられたことだし、早速『続・後宮物語』の執筆といくわよ!」
「ええ。私も新しい“後宮の文官サマ”の可能性が閃きましたわ! 参りましょう、伊角納言様!」
きゃっきゃと二人が部屋へと戻り、執筆に精を出す。
「やれやれ。もう二度と後宮に入ることはなかろうが、良い見聞の機会となったでな。……後宮での悲劇が二度と起こらぬよう、しかと御友人らを守られよ、朔良式部殿」
後宮を後にする前、水影が微笑む朔良式部の霊体に向かい、言った。
「貴殿の愛する御仁は、必ずや我ら瑞獣が御守り致します」
そう礼を尽くした水影に安堵したように、朔良式部が友である伊角納言と蔓式部の下へと向かった。情熱を注ぎ、互いに良い作品を生み出す二人に寄り添うように、朔良式部が安穏の笑みを浮かべた。
後宮から出た藍式部が女装を解き、三条水影へと戻る。松文様が描かれた扇を開き、禁中を歩く水影が、そっと笑った。
「此れにて、第一幕“完”にございますれば、第二幕も、乞うご期待あれ——」
次回から第2部開幕です!
ここまでのご感想等頂けましたら、咽び泣くほど舞い上がります。