本物の皇帝
「ウド」
その声に目を開けた私は、寝台に横になったまま、夕暮れの橙色に染まった天幕を背にして立つバークレイ殿下を見上げた。
「勝ったぞ」
そう勝報を告げた殿下は、戦いのその後の経過を丁寧に教えてくださった。
神なき者どもの王であるカマルムクを陛下の作戦通りに自身の槍で討ち取り、残った敵の右翼は崖に押しやって殲滅し、戦意を失った左翼と中央は散り散りになって潰走していき、今は逃げ遅れた残敵の掃討を進めている最中とのことだった。
陛下の遺策の成ったことに私の胸には安堵と、喜びと、誇りの入り混じった感動が広がったけれど、そんな私の心情とは反対に誇るべき戦勝を語る殿下の声には、悲痛の色が強く滲まれていた。
その御姿に私は謝罪を述べる。
「この、ように、横になった、まま、拝聴、せざるを得ない、ことを、お詫び、いた、します」
「構わない。お前もよく戦った」
殿下は首を振ると、恐れ多いことに膝を突いて顔をお寄せになり、労うように私の額に浮いた汗を手ずからお拭きになられた。
「感謝する」
私の身体には赤黒く血に滲んだ包帯が、肩から腹部にかけてきつく巻かれていた。皇帝を演じる私へと突撃を仕掛けてきた敵が、退く直前に放った最後の矢は、狙い違わず私の脇腹を深く射抜いたのだった。
痛ましい表情の殿下に、私は微笑みを返す。
「役、目を、果たしただけ、です」
矢傷は深かった。手当をする陛下付きの医師の険しい表情に、私は自分の役目がもう終わったことを、あらためて悟ったのだった。
「光輝の、影、として、生きて、死ね――」
そう声を漏らす私に殿下は「言うな」と仰られたが、私は私の最後の奉公を信じて言葉を続けた。
「ラートイ陛下、の、最初の、御命令、です」
日没が近い。橙色に染まっていた天幕は徐々により濃く赤い影を深めていき、夜の色は粛々と物陰から闇を広げていく。
光が消える。
陛下は、ずっとこの日に備えられていた。
『ウド、あれを次の皇帝にする。そう心得て仕えよ』
陛下に初めて見えた日、陛下は殿下の目を盗むと、そっと私の耳に手を添えて二番目の御命令をそう耳打ちされたのだった。
だから陛下と同じ顔をした私は、陛下の死に殉じなければならない。たとえこの矢傷がなくとも、私は折を見て毒を呷り、病死として死ぬつもりだった。
『あれは堅苦しい癖に、私のような賢しさを真似ようとしていかん。堅いならぶつかれば強いのだから、自分の名前通りに迷わず突き進めばよいものを』
陛下はかつてそう語り、殿下は兄のような皇帝になろうとする故に、突き進む者という自身の名に背く迷いと影を抱いていると、私に教えてくださった。だから私が消えなければ、殿下は皇帝となった後も、きっと陛下と同じ顔をした私に陛下の影を見続けて、自身の歩む道に迷いを抱くことだろう。それを陛下も私も望まない。
神に愛されし皇帝は、自らの輝きで人々を照らさなければならないのだから。
「殿、下――」
聞き苦しい、息の切れた声しか出せないことを歯痒く思った。けれど、私は私の願いを確実に、正しくお伝えしなければならないと、上下の礼を失してでも殿下の手を握り、その揺れる瞳を見つめて、声を、想いを、絞り出した。
「戦、場で、殿、下の、走る道、を、光が、美しく、照らし、て、いまし、た――」
本当に美しい光景。天より射した光が道を示し、次なる皇帝を勝利に導く光景。神に愛されし皇帝にしか為し得ない、神話を描いた神殿の天井画のように荘厳で神々しい光景。
「あなた、は、偉大なる神に、愛、された――」
私は確かにその瞬間を見たと、だから恐れることはないのだと、握る殿下の手に力を込めて伝える。
「――あなた、が、新しき、皇帝、です」
私の言葉に悲痛な表情を払い、決意を秘めたまなざしで強くうなずかれた殿下の御姿に、私は全身から力が抜けていくのを感じた。
「ウド」
殿下は私の手を寝台に下ろして立ち上がると、赤く燃え映る夕染めの天幕を背に、
「役目、御苦労。安らかに眠れ」
厳かに短く、そう御命じになられた。
その決別の声はまっすぐに迷いのない光のように響き、私の胸にスッと落ちた。
「は、い――」
私は、新しき皇帝が最初に発した、この私への最後の命令に忠実に、役目を果たし終えた安堵と安らぎを胸にしながら、天幕から消えていく光とともにゆっくりと目を閉じた。
*****
日が没し、完全に夜に染まった天幕の中で、バークレイは独り立ち尽くしていた。
ウドは最後の命令の通りに、安らかな顔で寝台に眠っている。
その顔を見つめながらバークレイは、生前に兄が漏らした、ある言葉を思い出していた。
『私が死ねばウドも死ぬ。皇帝として私がそう命じた――』
この遠征の途上のことだった。バークレイと二人きりになったラートイは、そのときには死期を悟っていたのだろう、常ならば決して人に聞かせない悔いの混じった声で弱くそうこぼし、
『しかし……あやつの信じる皇帝は、それで泣きなどしないのだろうが――』
そう自嘲して、まなじりを一度だけ払ったのだった。
「兄上――」
もう日は沈んだ。光は絶え、影も消えた。
だから新しい皇帝は、ウドの死に決して泣くことはしなかった。
寝台の横に置かれた手燭に火を点ける。揺れる灯りがバークレイとウドの顔を照らす。
薄明に射す曙光のように凛としたまなざしのバークレイの顔。
何も知らぬ子供のように安らかに眠るウドの顔。
「影よ、さらば――」
バークレイはウドの死に顔に決然と背を向けて、手燭で足元を照らしながら、独り天幕の外に広がる夜の闇へと迷いのない足取りで歩いていった。




