今日も休んで♪【前編】
ある時からか・・・大野課長が出勤してこなくなった。連勤続きで体調は悪かったようだから、工場長が許可をして有休で休んでいるみたいだ。でも・・・流石に三か月は長すぎるだろう。何か重大な病気にかかったのか?それだったら休暇に入った時の診断で解る事だ。人づてに聞いた事だと課長の主治医曰く、
「疲れがたまっただけ。薬を飲んで一週間もすれば元気になれる。」
と言われたらしい。それで一週間経って、二週間経って・・・もう三か月だ。課長をまとめる部門も最初は混乱したみたいだったけど、今はもうそれなりに回せている。そこに課長が戻ってくれば・・・それは、それでいい。三か月も席を開ければ社内評価は多少下がるだろうけど、今まで十分に働き過ぎていた部分もある為か社内の定例会では復帰した後でも問題無く同じような務めが出来る様に配慮してもらえてるらしい。それでも、三か月だ。流石に社内の噂になり始めた。人事部の誰かを見舞いに向かわせるらしい。それは解る。でも何故・・・と思い、この家を僕は眺めている。
ある日の昼休憩の終了間際の放送で呼び出しを受けた。僕の事を工場長がお呼びになった様だ。その内容は・・・。
貴方「僕が・・・行くんですか?」
工場長「そうだ、君に頼みたい。」
貴方「僕、大野課長とは部門が違います。」
工場長「そうだろうな。」
貴方「それに、お会いしたことが一度もありませんよ?」
工場長「そうだろうな。」
貴方「普通は休まれている方と親しい人が行くものではないですか?」
工場長「そうだとも。」
意味が解らない。工場長は何故、僕を呼びだしたんだろう?ウチの工場は関東ではそれなりの大きさだ。大野課長は事務部門。僕は部品を整備する部門。全然違う部分で働いてる。それなのにどうしていく事になるんだろう?顔に出ていた様だ。それを見かねた工場長が聞いて来た。
工場長「ああ、説明が無かった。悪かったね。この内容は会議に出てるんだ。復職させるためにはどうしたらいいか、とね。ただどうしても復帰出来ない様だ。こちらも人事の者を向かわせた事も三回ほどある。それで上手くいかない。だから、君になったんだよ。」
貴方「すいません。説明を受けてますます意味が解らなくなりました。僕、大して機転が利かない物で・・・。出来れば、事の経緯を説明してもらえますか?」
咳ばらいをすると工場長は3か月の課長の状況を説明し始めた。
大野課長の診断は長期間ストレスがかかった事による慢性疲労。軽めの精神疲労だから薬を飲んで一週間もすれば回復する。生活習慣が乱れがちだったから、今回の様な事になった。今回の休暇を使って改善すれば二度も同じことは起こらない。そう診断された。
その通りに大野課長は行動した。毎朝6時に起きて、ウォーキングを20分する。7時に朝食を取り、朝のニュースを見る。仕事が無い事をよく過ごす為に貯めて置いた、ドラマや映画、昔読んだ漫画なども戸棚から出して読んだ。晩酌は二日に一度。好きなワインや日本酒ならコップで二杯だ。体力が回復してきた週末にはゴルフへ行ってリラックスした。医者の言う通りに元気になったのだ。
出社の日の前日になった。大野課長は大きく伸びをしながら、翌日からの出社できる事を喜んでベッドへ入り、8時間の熟睡した。そうして出社の朝になった。
課長は6時に起きて、休暇中に整えたルーチンをこなした。8時には身支度を整えて出社の準備をする。そこまで出来ているくらいに体力・気力が回復しているらしい。が、そこでトラブルが起きてしまう。やれ躓いて転んでしまい、スラックスに穴が空いた、だの。やれ、飼い犬が逃げ出してしまい追いかける事に、だの。そんなトラブルが毎回起きるらしい。トラブルが起きているうちに出勤時間が過ぎてしまい、誰かが課長へ言い出すらしい。
【今日は休んだら?】・・・と。
実際に調査へ向かった人事の人たちも戻ってくると決まって言うのだそうだ。
「大野課長は十分に回復している。今日は休んで明日から来させた方が良い。」
工場長曰く、課長のところへは三回行かせた。二度目までは同じ人物だった。三度目は違う人物だ。二人の人事が言う事はそろって同じ。
【大野課長は十分に回復している。今日は休んで明日から来させたほうが良い。】
そうして、三か月経った。これが工場長から教わった課長の現状だ。説明を終えた工場長は短いため息を付くとコーヒーを口に運ぶ。僕と工場長の間に少しだけ沈黙が流れた。その流れを遮って僕が問いかける。
貴方「あの・・・、やはり意味が解りません。人事の人がそう言っているんですよ?話から察しますが実際に今日も大野課長は【出社する予定だった。でも何らかの理由があって出勤出来なくなった。】そういう風に捉えますけど?」
工場長「うん、そうだよ。それが正解。」
貴方「その現象が起き始めたのは3カ月程前なんですよね?」
工場長「それも正解。」
貴方「僕が大野課長をお見舞いしてどうにかなる事態ではなさそうです。と言うより、何か別の理由があって課長は来られないんじゃないですか?」
工場長は冷めたコーヒーを飲み干して言った。
工場長「それを調べてもらいたいんだ。君に。」
働いている工場から北に20キロの住宅地。マンション、アパート、一戸建てが乱立していてその中心に大きめのスーパーがあり地域の端になるところにコンビニがいくつかある。そこの中に課長の家がある。アパートでもマンションでも無く一戸建てだ。課長は車で出勤している。周辺5キロ圏内には駅は無い。バス停があるが少し遠い。僕は運動不足を解消するために自転車で向かう事にした。が・・・。
貴方「うーん・・・。」
時間がかかってしまっている。もう小一時間だ。同じような道があり、大通りから入った区画ある為か課長の家まではなかなかたどり着けない。スマホのマップを確認しているけど、全部乗らない程に道が入り組んでいる。
車が通らない程に細かい道がちらほらあってすっかり迷ってしまった。マップに示された課長の家までの距離はさっきから100mから80mを繰り返している。僕のマップナビは少しばかり古いせいかこれなのだ。それに周りは同じようなアパート、マンション、一戸建て。整然としていると言えばいいが僕から見れば、機械的に並べた様な感じを受けている。それでいて迷路のような道だ。僕の感覚からすれば気分が悪くなる光景だ。
道の向こうに会話をする2人組を見つける。知らない人との会話は得意じゃない。でも、この時間帯にも給料は発生する。何時間も道でうろうろしてました、では報告の仕様がない。ここは覚悟を決めて・・・。
貴方「すみません、よろしいでしょうか?」
男性「え・・・はい、私でしょうか?」
貴方「はい、そうです。えと、この住所ってわかりますか?初めてくるんです、この辺り。地図でもなかなか辿り着けなくて困っているんです。教えてもらえますか?」
男性「えぇ、いいですよ。っていうか、この家です。ここの住所はここですよ。」
男性はそう言って僕から見て右の家を指さす。僕は唖然とする。
かなり大きい家だ。さっきから住宅街を囲む塀だと思ってたのは課長の家だったのだ。関東の住宅。周りは立てたばかりのマンションがある。来る前に軽く調べたけど、マンションの一室の価格は新築で安くても七千万円はする。その周りと引けを取らない程の豪邸。これが課長の家・・・。
にわかに信じがたい現実に茫然としている僕に、男性が話しかけてきた。
男性「驚かれますよね?みんな、そうなんです。最初はそうです。」
貴方「だって、こんなに大きい家ですよ?借家だったら毎月、いくらかかるんですかね?」
男性「かからないんですよ、そんなに。だって・・・」
男性が言いかけたところを一緒にいた女性が制す。小声で言ってるようだが、何とか聞こえる。」
女性「そんな事、言わなくていいから・・・。私たちが困るじゃない・・・。」
そんな会話が少し聞こえてくる。何だ・・・?この家には何かがあるんだろうか?
僕の事をほったらかしで話し込む二人に目を向けていると、後ろから話しかけられた。
???「【コモリ】じゃよ・・・。」
突然の事に振り向く。そこには齢は80を超えている様な老人がいた。
老人「あんた・・・、ここに越してきた新しい人の知り合いか?悪い事は言わん。この家には関わらん事だ。あんたも【コモリ】に・・・。」
ひそひそ話をしていた二人が老人を囲って取り成す。二人に連れて行かれる老人。何かを僕に伝えているが概ねの内容としては、
【住めば、皆、コモリになる】、【出て行かないとコモリは治らない】。
そう言っている様だった。老人が発言する度、男女は老人を取り成すが老人はずっと何かを言っている。最後に聞こえた言葉は・・・。
老人「同じところはやめろぉー・・・。」
だった。
二人に連れられて老人が連れて行かれた様子を見届けてから、僕はまた課長の家を眺める。本当にこれが課長の家なのか?
塀の一部に扉を見つける。人二人並んで通るのがやっとの広さだ。裏口なのか勝手口なのか・・・。そんな事はどうでもいい。この大きさなら塀沿いに歩けばその内に表にたどり着くだろう。そんなことを考えながら僕は自転車をゆっくりと走らせる。
そうしているうちに表門に辿り着く。表札には厳めしく【大野】と太字で書いてある。間違いなさそうだ。ここが課長の家なのだ。門に不釣り合いな中古のセダン。これは課長が毎日乗って来ていた奴だろう。3カ月の間乗られていないせいか、少しばかり汚れが目立っている。周りが綺麗でも車がこれでは、と思う。せめて洗車でもすればいいのに。
インターホンの前に立ってボタンを押す。しばらくすると女性の声がした。
女性の声「はい、どちら様でしょうか?」
貴方「失礼致します。私、〇〇重工の者です。大野課長は御在宅でしょうか?」
女性の声「ああ、会社の方ですね?夫の事でいらしたようで・・・。今、散歩に出ているんです。」
貴方「でしたら、出直しましょうか?」
女性の声「いえいえ、すぐ戻りますよ。家に上がってお待ちになって下さい。」
そう言うと、カチャリと音がする。目の前の門を引くと開く様になった。ロックを解除した様だ。「おじゃましまーす」と言い、門を潜る。玄関扉を見るとガラスの部分に誰かが立っていている。カチャカチャと音がするところをみるにカギを開けている様だ。玄関の引き戸を開けたところに女性が顔を出す。歩きながら玄関に近づく僕に、女性は少しだけ頭を下げながら言った。
女性「大野 庄助の妻です。初めまして。ささ、どうぞどうぞ。ここに来るの大変だったでしょう?上がってくださいな。」
そう言われて「どうもです。丁寧にありがとうございます」と如何にも型にはまった返しをしながら玄関の敷居を跨ぐ。
日差しが無くなったせいか?家の中の気温や湿度がとても心地よかったせいか?工場長が渡した土産の茶菓子を渡せると安心したせいか?
なんだか・・・急に・・・脱力した・・・。
僕はその時、途轍もない【安心感】に包まれた。
同時に頭の中に何かが響いた。音でも考えでも無い。
だから響いたとしか言いようがない。
それは明確に伝えて来た。
【貰ったよ】、と。