9.殿下、構ってくださいませ。
そんなに知りたくないものでしょうか、経験人数……。
過去の実績ではなく今後のわたくしをその目で見て決めると、そういう事でしょうか。先入観を持たないために?
少しばかり首を傾げて考えておりましたら、殿下が気を取り直すようにコホンと咳払いなさいました。
「もしよかったら……少し、街へ出かけないか。その、今後のために…互いを知る機会というか。」
「なるほど、婚約者らしさを出すための予行演習ですね?もちろんお供致します。」
「………、そうとも言う。」
殿下がフッと笑みを零し、遠い目で窓を見やっておられます。
あれは顔を出すとスパンといく罠が仕掛けてありますから、あそこからの景色にご興味があるなら注意せねばなりません。開けては駄目ですよ、殿下。
街中で目立つと練習ではなく本番になってしまいますから、使用人の手を借りてササッと変装します。
殿下はどう足掻いても品が良く肌や髪の色艶が平民に見えませんので、下級貴族のつもりで衣服を調えました。
「帽子にウィッグ、装飾品や靴まですぐ出てくるとは…随分揃っているんだな。」
「忍ぶ事も多い仕事ですから、変装道具は必要でございます。他には…最後まではせずに放置したり、少々激しくする時のために、様々なお薬や拘束具などのご用意も」
「そろそろ出ようか、ユリア。」
「急ぎますか?承知致しました。」
確かに、変装を終えるだけでも多少の時間はかかっております。今は備品自慢をすべき時ではありませんね。
城の馬車はそのまま待機させ、屋敷に複数ある隠し通路の一つで街へ向かいます。
殿下は難しいお顔をされておりますね…。
「…君にはできるだけ早く城に移ってほしいんだが、いつなら来れるだろう。」
「ありがとうございます、殿下。わたくしは今夜でも構いません」
「今日?私はその方が安心だが、大丈夫か?準備などは…」
「問題ありません。持参する仕事道具を選ぶだけですので。」
「どっ………つ、使うかはさておき…君が、持っている方が良いと判断するのであれば…」
使うかはさておき??
そんなにもわたくしに依頼する頻度が少ない見込みなのでしょうか?
護衛業務にも必要なのですよ、各種暗器はもちろんお薬たちも。
悲しいですという気持ちを込めて見上げると、殿下が少し目を泳がせました。
「色々持っていこうと思います。駄目でしょうか?」
「だ、駄目ではないが……その…仕事のやり方について、君自身はどうしたいというのはあるのか?」
「わたくし自身、ですか。」
「いやこれはもちろん答えたくなかったら答えなくていいんだ。私はただ仕事と言えど本意でない事はさせたくないだけで」
「そうですね…単に事を成せば良いのであれば、何も感じる事なくすぐに終えればよい、とは思います。」
「………、そうなのか?」
考え込むように少し眉間に皺を寄せた殿下が聞き返すので、「もちろんお相手によりますが」と答えました。
情報を吐かせてからでなければ殺してはならない人、すぐにでも殺さねばこちらが危ういだろう人、色々いらっしゃいますから。
「目撃される恐れがある場合などは特に、時間をかけては危険ですので。」
「はっ?…それはたとえ話で、君がその…コトの最中に、無関係の他人に目撃された事など無いよな。」
「ございませんよ。いつどこで事に及ぶのか、場所選びは大事ですから。」
ターゲットの行動パターンや依頼主から求められた履行期限など、場合によっては人の多い会場の隅で密かに…という事もございます。
殿下は複雑そうな顔をされております。
もしや、《例の依頼》はわたくしには難易度が高いという印象を与えてしまったでしょうか?これはいけません。
「殿下。人の多い場所での依頼をお考えでしょうか?」
「っ!!?な、何を。君の――…そういった姿を、他人に見せるなんて趣味はない。一緒にしないでくれ」
お知り合いにスプラッタショーの愛好家でもいらっしゃるのでしょうか。
ともあれ、わたくしもシュミット侯爵家当主の娘。己の腕には自信があります。余裕たっぷりに微笑んでみせました。
「もちろん見つかるようなヘマは致しません。ですからどうか、近くに人がいるからできないなどと決めつけず、依頼があればすぐにご相談ください。」
「いや、私は本当に、そんな場所で頼む事は…」
角を曲がった先、建物の隙間、柱の影、開けた扉の裏側――ちょっとした死角で、いくらでも。お任せあれ、です!
誤魔化そうとなさる殿下に一歩迫り、形のよいお耳に唇を近付けて。
声を潜めて囁きます。
「物陰に隠れてこっそり、できますからね……。」
びくりとして数秒硬直し、その場に片膝をついた殿下はなぜか項垂れてしまいました。
もしや吐息が耳にあたって不快でしたでしょうか?気を付けなくては。押し時と思ってグイグイ行き過ぎたかもしれません。
「申し訳ありません、ご不快でしたか?」
「ふ、不快ではないが…頼むから、ちょっと離れていてくれ……」
「承知致しました。」
どうなさったのでしょうか、昨夜もバルコニーで似たような事があった気がします。
わたくしを恐れて腰が抜けたというわけでもなし、考えに詰まると身を縮めるクセでもおありなのでしょうか……?
殿下は程なくして立ち上がり、わたくし達は出口へ辿り着きました。
もちろん、複数ある内の一つです。中にはドアノブに手をかけた途端に毒を打ち込む罠の出口もありますから、シュミット家の案内なしには通れません。
「方向と距離からして、リーツ広場の西口付近だろうか?」
「――…ルンプ公園東の裏手でございます。」
「なるほど、少し違ったな」
殿下はまるで遊びで当てようとしたかのように軽く仰いましたが、通路は複数回曲がりましたし、わたくしもそれとなく、道順を記憶するにあたって邪魔になるだろうタイミングで話しかけておりました。
結果、方向の見当を付けるどころか距離まで計算し、その程度の誤差で済ませるとは……さすが、並行処理能力が高いですね。
音がしないように扉を開け、安全確認をしてから殿下に通って頂きます。
空っぽの地下倉庫へ出て、階段を上がれば小さな家。玄関を出るとルンプ公園東通りの路地裏です。人気はない様子。
「それでは、練習開始でよろしいでしょうか?」
「あ、っああ、そうだな。」
わたくしが腕を絡めてお聞きすると、考え事の最中でしたでしょうか、僅かにどもりながらも頷いてくださいました。
前を向いた殿下は言い聞かせるように「視察…これは視察…」と呟いておられます。
既に演技は始まっている認識でよろしいのですよね?
拗ねたつもりで殿下の腕を引き、少し眉を寄せてじっと見上げてみます。
「今はデートをしているのですよ。真面目なところも素敵ですが、少しはお仕事を忘れてわたくしに構ってくださいませ。」
「っ――……、か、確認なのだが。」
「はい。何なりと」
ちらりと視線をはしらせ、この道にはまだまだ人がいないと確認した殿下が小声で仰るので、わたくしも小声で真剣に返しました。今の時点で何かご意見がおありでしたら、思ったままに言って頂ければ幸いでございます。
ごくりと、唾を飲む音がする。
深い青色の瞳にわたくしが映っています。殿下は堪えるように少し、目を細められて。
「長年恋していた相手との婚約が叶った男として……少々、吹っ切れても良いだろうか。」
「勿論でございます。」
わたくし達はそういう設定の婚約者ですから。
殿下は「もし少しでも嫌だと思ったら言うように」と念を押して、わたくしが頷くと、どこか嬉しそうに微笑まれました。
思わず見入ってしまいます。ここが学園なら、女子生徒の悲鳴と歓声と倒れる音がしていた事でしょう…。
「君とこうして二人で出かけられるなんて嬉しくて堪らない。学生時代は、あの謎めいた美しい華がどうにかして私のもとへ来ないかと、焦がれながらも諦めていたものだ。」
「そう言って頂けるなんて光栄です。わたくしなど、学園では目立たない生徒でしたのに。」
「…目立たない生徒」
「はい。外見も成績も人付き合いも、なんとも振るわぬ令嬢でしたでしょう?」
髪はエルフリーデ様のような輝かしい色ではありませんし、目つきもキリッとした強さがなく、かと言って垂れ目でもない特徴の無さで、お父様やお兄様のような立派な体躯は持っておりませんし、リリアン様のような小動物めいた愛らしさもありません。
成績は全教科八十点で揃えておりましたから、成績上位者十名の中に入った事もありません。
特別どこに肩入れする事もない《中立》のシュミット侯爵家ですから、時間のある際にふらりふらりとお茶会に出はしますが、侯爵令嬢の中ではお友達が少ない自覚がございます。
「どうかな。常に君の事を考えていたから、私にとってはずっと《目を引く人》だった。」
「ふふ、常にとは大げさでございますね。本当ならとても嬉しいです。」
「本当だ。父から届く釣書の中に君がいたらと、何度思った事か…」
確かに貴族ならば、結婚相手の候補は親が決めるという方が大多数です。しかしシュミット家は例外、どなたと共に在るかは己が決めること。
主君も、使用人も、結婚相手も、です。
選び選ばれて、わたくし達はここにいる。
エルフリーデ様との結婚を避けるだけならば、玉座を遠ざけるためならば、わたくしである必要は無かった。いっそ、わたくしでは無い方が良かったと言える程に。
それでもわたくしを選んだからには、暗殺者に望む《お役目》があるのでしょうから。
数が少ないとしても、まだ信用しきれていないとしても。
願わくばたった一年という事なく、
「――…どうか、長くお傍にいさせてくださいね。」
「ああ」
人通りの多い道へ出て、わたくし達は馬車を避けて端へ寄ります。
立ち止まった殿下がわたくしの手を取り、見事な演技で愛おしそうに指先へ口付けました。
「共にいよう。私が望み、君が許してくれる限り。」




