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【完結】殿下、その依頼お受け致します!  作者: 鉤咲蓮
六章 秘密の仕事

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56.彼は彼女を信じてる




 週明けの放課後、エルフリーデは学園の寮ではなくアイレンベルク公爵邸へ戻っていた。

 使用人達は退室させ、円卓についているのは公爵である父と家を継ぐ予定の兄レオポルトだ。イザークには「父を説得できたら」と課題のように告げたが、彼だけに任せる気はさらさらなかった。


 ――彼に手を引いてもらうばかりでは駄目。わたくしも自ら踏み出さなければ。


 偶然にも予定が空いていたのだろう、父兄はエルフリーデが昨夜出した面会依頼に即座に返事を返してくれた。そうして叶ったのが今この時である。

 碧の瞳は真っ直ぐに互いを見据えている。


「これはわたくしの意思です。お父様、お兄様」


 経緯は話した。

 じきにメルツァー公爵家から縁談がくるとイザーク本人から聞いたこと、彼が学園に来てから幾度か話すうちに親しくなったこと。メルツァー公爵家へ嫁ぐ事によるアイレンベルクの利点。


「王妃になれず不出来な娘となりましたことは、謝罪致します。ですが、どうか前向きに検討を」

「エルフリーデ。」

 重々しい声に遮られ、エルフリーデは口を閉じた。

 眉根を寄せた公爵はゆっくりと首を横に振る。失望を示すかのようだった。


「お前に謝られたところで、祖国に何の益も無いだろう。」

「『謝らなくていいんだよ』と、父上は仰っている。」

「はい」

 真剣な顔をした兄からの言葉に素直に頷き返し、エルフリーデは公爵へ視線を戻す。

 何かをたとえるように、長い指がテーブルの異なる場所を二度叩いた。


「第一王子殿下か、第二王子殿下か……私が何も指示を出さなかったのは、他でもないお前自身が何を重視し、どう選ぶか。それを見極めたかったからだ。」

「『どちらがタイプなのかわからなかったから、そっと見守っていたんだよ』と、父上は仰っている。」

「…はい」

 美しい姿勢を維持したまま相槌を打つエルフリーデを見て、公爵は深いため息をつく。眉間の皺は深かった。


「それがまさか、選んだのは公爵家のメルツァーとはな。どうやらこれまで課してきた教育は、お前には過ぎたものだったようだ。まったく、気が沈む。」

「『メルツァー公爵家を選ぶなら、君に課した教育は少し厳し過ぎたかもしれない。無理をさせたなんて落ち込むよ』と、父上は仰っている。」

「気を落とされる必要など……今のわたくしがあるのは先生がたのお陰であり、その教えを受けさせてくださったお父様のお陰ですわ。」

 苦しい時もつらい時もあったけれど、エルフリーデは嫌々勉強してきたわけではない。

 より素敵な淑女になるための努力は今もなお彼女を輝かせ、自信を保つ一助となっているのだ。


「ふん……聞き飽きた言葉だな、謙遜などいらぬ。他者からの施しなどさしたる意味はない。」

「『いつもそう言ってくれるけど、謙遜しなくていいんだよ。何よりも君が頑張ったからこそだ』と、父上は仰っている。」

「はい、お父様、お兄様。アイレンベルクの娘として胸を張ります。」

 きりりと表情を引き締めるエルフリーデに対し、公爵は鷹揚に頷いてから息子へと視線を移した。ちょうど公爵を見たらしい彼と目が合う。


 ――レオポルト、やめなさい。さっきから全く格好がつかん。


 ――娘可愛さにちゃんと喋れなくなる貴方が悪いんでしょう。エルフリーデが傷つくぐらいなら、父上の威厳が消し飛ぶ方が圧倒的にマシです。


 片眉を上げ、公爵は拳を口元にあてて空咳をした。

 彼にとってエルフリーデは可愛い可愛い可愛い可愛い娘であり、話す時は気を引き締めなければ表情筋が全力で緩んでしまうのだ。特に外部の人間がいない場所では、それこそ五歳児に向けるような顔と声と話し方になってしまう。

 しかし娘はもう十五歳。父親にそんな真似をされては心の底から引くだろう。二度と目を合わせてくれないかもしれない。

 息子に通訳されないよう、公爵はしっかりと言葉を選んでから口を開いた。


「……お前の意向はわかった。後はメルツァーの申し出を見て、イザーク殿と私が直接会ってから判断する。」

「父上、その際は僕も同席させてください。せめて父兄の前でもこの子への愛を語れるようでなければ、嫁入りなど到底認められませんからね。恥じるなどもってのほかです。」

「……そ、その辺りは…大丈夫だと、思いますわ。」

 どちらかと言えば、イザークは照れも恥じらいもなしに真っすぐ愛を伝えてくるタイプだ。

 何を思い出したかほんのりと頬を染め目を伏せたエルフリーデを見て、公爵達はこぼれんばかりに目を見開いた。二人の反応に気付いたエルフリーデが「こほん」と咳払いする。


「本日の議題はまだございます。勝手な動きをしている者達がいる以上……有事に備え、兵を集めておく必要があるかと。」




 ◇




 ステンドグラスから朝の光が差し込んでいる。


 教会に流れる静謐な空気は故郷のそれにも似ていて、最前列の椅子で瞼を閉じていたイザークはゆっくりと目を開けた。

 同時に後方の扉が開かれ、忍ぶつもりのない足音が教会に上がり込んでくる。神父でもシスターでもなければ、枢機卿であるはずもない。胸に下げていた眼鏡をかけて振り返れば、目立つ赤髪が見えた。

 意外に思って瞬きながらも、イザークは立ち上がって彼に一礼する。


「貴方がいらっしゃるとは珍しい。歓迎致します、エドゥアルト殿下。」

「悪いな、先触れもなく。」

「いえ、ここは学園の教会ですから。生徒である殿下が開門後に訪れても、何も問題ありませんよ。」

 エドゥアルトの護衛が後から入ってくる様子はなかった。

 イザークは中央通路を一歩、二歩と進み、座る様子もない第二王子と向かい合う。


「アイレンベルクに縁談を申し込んだらしいな。」

「はい。閣下に許しを頂くのはこれからですので、婚約できると決まってはおりませんが。」

「そうか……本気なんだな。よかった」

「……?」

 かつて、エドゥアルトとエルフリーデは婚約間近と噂されていた。

 そんな事はイザークも知っているが、リリアンを選んだエドゥアルトが今更エルフリーデを惜しんだわけでも、彼女はやめておけとイザークを止めに来たわけでもなさそうだ。

 黙って様子を窺うイザークを見返し、エドゥアルトがきっぱりと言う。


「伝えておく事がある。イザーク・メルツァー……お前はきっと、自分の身を投げ出してでも人を助けられる男だ。」

「ふふ、そう見えますか?」

「どうかな」

 イザークは瞬き、改めてエドゥアルトをまじまじと眺めた。

 そこで「どうかな」と返すのは少し、ちぐはぐである。冗談めかして笑い合う雰囲気でもない。エドゥアルトの顔は真剣そのものだった。


「とにかく……そういう人間は、無茶をするなと言って聞くものではない。咄嗟に身体が勝手に動いてはどうしようもないからな…それは俺もわかっている。しかし――」

 はくりはくりと、エドゥアルトの唇は動いても声が聞こえない。

 何か、言うのを躊躇したのだろうか。読唇などできないイザークが言葉を待つと、目をそらしたエドゥアルトは少し考えてからもう一度口を開いた。


「置いていかれた者がどうなるか……それは考えておいてくれ。何か起きるよりも先にな」

「……殿下。私一人いなくなったところで、この国は――人間は、逞しく生きていけるものですよ。」


 エドゥアルトが何を思って言っているか見当もつかないだろうに、イザークは落ち着いた笑みを浮かべてそんな事を言う。

 これでもまだ十四歳。精神年齢で言えばエドゥアルトより十歳以上は年下の男だが、今はディートリヒやニクラスと談笑している時とはまったく違う雰囲気を纏っていた。


 ――慈悲深きメルツァーは神の信奉者であり、惑う人々に方向を示す道標である、か……。


 エドゥアルトが歩んだ最初の人生では、イザークは家を継ぐ前に死んでしまった。崩壊する大聖堂の中、逃げ遅れた信徒を庇って瓦礫の下敷きになったのだ。

 彼の死を悼む時、メルツァー公爵がエドゥアルトに語った事がある。


『あの子は私よりもずっと神様に近かったのです。幼少の頃から容易にかのお方と対話し、人を観察する事に優れ……軽口を言ったり悪戯をする事もありましたが、本当に優しくて思いやりのある子でした。……きっと今は、神様のもとで笑っているでしょう。』


 子供の冗談と流される事のない、大人から伝わる事実。イザークが命を落としたからこそ明かされた秘密だ。

 神の声を聞くらしいと囁かれるメルツァー公爵家の中でも対話を、それも容易にできる者は国の歴史上でも類を見ない。一度王になったエドゥアルトはそれを知っていた。


 ――万物の頂点に立つ存在と、幼少から自由に対話していたのだとすれば……この落ち着きも頷けるか。


「人間は確かに強いが、感情が揺れては弱い生き物だ。俺とて全知の存在ではないが……お前は少し、自分の価値を知らないようだな。」

「価値ですか。結構高い方だとは思っていますが」

 イザークは軽い口調で言ったが、エドゥアルトは表情を変えない。彼は「置いていかれた者の気持ちを考えろ」と言ったのだ。もちろん、そういう話がしたいわけではないだろう。


 そして話の始めはエルフリーデとの縁談についてだ。

 彼女の顔を思い浮かべ、エドゥアルトからの問いをなぞって、イザークは苦笑した。


「…なるほど……もしこのまま結ばれたなら、そして()の死が人的要因だったなら――…ま、許せないか。」


 くすりと笑ったその顔は、まるで「仕方ないな」とでも言うようで。

 呆れでも諦めでもなく彼は、簡単な事のように言葉を紡ぐ。


「それはあらかじめ、あんまりやったら駄目だって言っておかないといけませんね。殿下、ご忠告痛み入ります。」

「……その時頷いたとして、実際お前が死んだら冷静でいられると思うか?」

「ふふ。もし泣いたり怒ったりしたとしても、大丈夫ですよ。きっと約束は守ってくれます」

「だといいがな。」

「ご安心を。信じる者は救われると言うでしょう」

 イザークの後方、高みにあるステンドグラスから光が降り注いでいる。

 まるで神の祝福を受けているかのように、そのシルバーブロンドはきらきらと輝いていた。


「私が信じているのに、彼女が裏切るわけがない。」


 ――ああ、そうか。


 イザークの微笑みを見たエドゥアルトは、腑に落ちて苦笑する。

 自分が今その言葉を聞いた事さえも、彼が望む未来へ続く鍵なのだ。


 イザークはただ、エルフリーデを信じていればいい。

 生きている間に愛を、言葉を、沢山残していけばいい。

 もし何かが起きてイザークが喪われたなら、心乱れたエルフリーデに伝えてやるのはエドゥアルトの役目だ。


 彼は、エルフリーデを信じていると。




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