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【完結】殿下、その依頼お受け致します!  作者: 鉤咲蓮
六章 秘密の仕事

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53.邪魔になる相手




「ユリア様は、この人には敵いませんって思う人はいらっしゃいますか?」


 学園内の広い応接室、資料片手に打ち合わせる私とニクラスから離れた位置で。

 エドゥアルト兄上の恋人であるリリアン・カルク伯爵令嬢は、そんな問いを投げかけた。資料に目を通しながらもつい耳を傾けると、私の婚約者はあっさりと答える。


「ディートリヒ様ですね」

「あっそうじゃな…そうではなくて。倒せないっていうか…」

 最近口調を直そうとしているらしいリリアン嬢がぎこちなく付け足したが、ユリアは「変わりません」と返した。


「ディートリヒ様の手にかかれば、わたくし一瞬で身動きがとれなくなってしまいますので。」

「へぇー!殿下ってすっごく強いんですね。意外かも」

 とても誤解がある。

「それより、刺繍の手が止まっていますよ。」

「はいっ」

 二人は刺繍の作業に戻ったようだが、ユリアが言っていたのはおそらく……私から抱きしめられたりすると、つい固まってしまうという話だろう。

 未だ、軽く打ち合いをしただけで「百回は殺せました」と言われる始末の私だ。素の実力で言うなら、彼女を拘束する事など不可能だった。


 ……拘束と言えば。

 ユリアが私に愛を示したくなった時、私を後ろ手に拘束したがるのはどうしたらいいのだろうか。やり返されると五感が鈍くなって(護衛目線で)危険という主張だが、そろそろやめてほしい。


 私からの接触に慣れないと難しいのだろうと、拘束される前に先手を打つなどしてはいるものの……あまり改善が見られない。恥じらうユリアが可愛いあまり、つい長く愛でてしまうのがよくないのだろうか。

 当初は即座に腕から抜け出し距離を取られていたので、流石にそれと比べれば改善してはいるか。とはいえ、愛する女性を抱きしめ返せないのはつらいな。


「悩ましいところだ…」

「ディートリヒ。それ仕事の話だよな?」

 ニクラスが見せつけるようにばさばさと書類を振った。私がついユリア達の会話を聞いてしまった事は気付いているのだろう。当然のように頷いておく。

 ユリアの件も悩ましいが、ローレンツ兄上から振られた仕事の采配が悩ましいのも確かだ。幾つか目途が立っているものについて話しながら、具体的な手配について打ち合わせた。


「ディートリヒ!枢機卿への挨拶はこの光るやつと漆黒のもの、どちらの服がいいと思う?」


 振った本人はこの通りなのだから、困る。

 紅の瞳を楽しげに光らせて、ローレンツ兄上は煌びやかな装飾がついたものとほとんど光を反射しないものとを両手に掲げていた。隣で微笑むダニエラ嬢が閃いたように手を伸ばす。


「組み合わせもいいかもしれませんね~。ほら、こうしてみると…」

「おお、なるほど映えるね。流石だよ」

「普通に制服を着てください。」

 私の一言は聞こえなかった事にされ、兄上達はキャッキャと鏡の前で服をあてている。

 二人の婚約発表もそろそろなのだろうが、その時には何が起きるか私は今から不安でならない。もう少し兄上の暴走――茶目っ気を抑えてくれる女性だと、私も気苦労が減ったのだが。


 ――しかし……兄上がああして元気に笑っているのだから、これでよかったんだろうな。


「ディートリヒ、せっかくならお前とエドゥアルトの分も用意しようか。楽しみにしていてくれ」

「着ませんからね」

 巻き込まないでほしい。

 すっかり体調がよくなって時折走り回るくらいになったのは本当に、心から喜ばしい事ではあるのだが、巻き込まないでほしい。

 バーデンは心を落ち着ける薬など開発できないものだろうか。


 元々本気ではなかったのだろう、兄上はくすくす笑って引き下がった。ダニエラ嬢と衣装について話し合う横顔には学生らしい幼さも見えるが、その手腕は到底歳には見合わない。

 以前ヨハン・クレンクによって起きた誘拐事件だって、後から考えてみれば、性格を加味しても兄上は落ち着き過ぎていた。敵が頼りにしていた「男」の存在、それぞれの行動、導かれた結果も。


 兄上は一体どこまでわかっていて私達を動かしたのか。察していただけで携わってはいなかったのか、それとも。

 仮に実情を明かされたとして、全てに納得できる自信もない。そこはあまり、踏み込んではならない領域なのだろうな。だから明かされない。

 自分とは別のやり方をしろという意図もあるのだろう、兄上の線引き。


 ――もしかすると今後、ダニエラ嬢だけは許されるのかもしれないな。その線の内側に入る事を。


 踏み込む位置を、関わる距離を。

 見極められる者でなければ、兄上のパートナーは務まらないだろう。呑気なほど明るい二人のやり取りから目を離し、私はニクラスに視線を戻した。


「ゼッフェルンの準備は問題なさそうだったか?」

「ああ。最近はもう教会に出入りして《熱心な生徒》に馴染んでる」

 明日には大聖堂からトレーガー枢機卿がやってくる。

 彼と共に訪れる二人の司祭の片方、リーデルシュタイン卿はローレンツ兄上が調査対象としていた貴族と接触があり、気にしておくよう言われていた。

 だから潜入を得意とするゼッフェルンに張り込みを頼んだわけだが……まさかその「調査対象の貴族」がノルデン子爵とは、昨日兄上に言われるまで知りもしなかった。


 子爵はアイレンベルク公爵家を尊崇しており、エルフリーデ嬢を王妃にと考えているらしい。

 彼女がエドゥアルト兄上と結ばれるならリリアン嬢が邪魔であり、快癒したローレンツ兄上も邪魔になる。ただし、ローレンツ兄上がエルフリーデ嬢を娶って王になるのなら、それもまた良しという考えだ。


 ――…つまり子爵にとって、イザークも邪魔になる可能性が高い。


 エルフリーデ嬢がイザークの気持ちを受け入れたら、彼女は王妃ではありえない。

 そしてリーデルシュタイン卿はメルツァー公爵家を良く思っていない……。


「リーデルシュタイン卿の見張りも勿論だが、イザークの事も守らせたいな。」

「…あいつなら、早々死にはしないだろうけどな。どうする、頼むか?」

 ニクラスがちらりと見やったのはユリアだ。

 確実に守るならそれが一番安心できるのだが……何か起きるかもしれない時に、私から離れる事を納得してくれるかどうかだな。イザークは「私の守り?いらんだろ」などと言いそうだし。


 子爵の末娘は今、生徒としてこの学園に通っている。

 テレーゼ・ノルデン……私が知る未来では、王城の侍女となっていた。明るく素直で働きぶりが良いと評判で、ユリアが城に来てくれた際に専属として彼女につけた内の一人だ。


 ただ、ユリアが連れ歩く時はもう一人……ベルタ・トイファーをよく選んでいたように思う。

 使用人の働きぶりについてもう少し聞いておけばよかったかもしれないが、今となっては確認する術もなかった。




 ◇




 肩を越す長さのシルバーブロンドを低い位置で結び、整った顔立ちに切れ長の目。チェーンがついたフレームレスの眼鏡の奥には瑠璃色の瞳がある。

 虫も殺せなさそうな穏やかさで微笑みを浮かべていたイザーク・メルツァーは、教会の扉が閉じるや否や、スンと笑みを消し白けた目をして頭を掻いた。


「何だったんだ、今のは…。」

「何かありましたか?いつもとさして変わらぬように見えましたが…」

 イザークの呟きに、元から学園の教会に勤める神父が気遣わしげに問いかける。

 たった今までイザークが対応していたのは学園の女子生徒、それも婚約者が決まっていない貴族令嬢達だ。


 美貌の公爵令息を射止められないかと何人もがやってくるのは日常茶飯事であり、時折その中に紛れている、本当に困って教会を頼ってきた令嬢を見分けるのも普通は至難の業。

 それをあっさり見破るのがイザーク・メルツァーという青年の特技でもあったが、片眉を跳ね上げた彼は軽く顎を擦って視線を横に流す。


「……いえ。気にするほどではないと思います。忘れてください」

「貴方がそう仰るのでしたら…。」

 今は時間が惜しい。

 イザークが語らないならばと、神父はそれ以上追求しなかった。もうじき大聖堂からトレーガー枢機卿が来るのだ。教会は緊張に包まれていた。


 外では数人の令嬢が顔を見合わせたり、首を横に振ったりして歩いていく。

 明らかに肩を落とす者や涙ぐんでいる者もいれば、なぜ自分の美貌が通じないかと憤慨する者も、次はどうするかと眉根を寄せる者もいた。

 イザークに会うという目的は一致していても、その胸中はそれぞれだ。


「………チッ。」

 ぞろぞろと去っていく令嬢達を、校舎の影から見ている者がいた。

 朽葉色の髪の男子生徒だ。人伝に差し向けた女が誰もイザークのもとには残れなかったと見て、苦々しく舌打ちした彼は踵を返した。

 一人の女子生徒から、そんな姿を見られていたとも知らずに。




「ご無沙汰しております、トレーガー枢機卿。」

「お会いするのを楽しみにしておりましたぞ、イザーク様。」

 長い白髪を緩く三つ編みにして体の前に流し、頭にはちょこんと帽子を載せている。

 柔和な笑みを浮かべてイザークと握手したトレーガーは、続けて後ろに控えていた二人の司祭を紹介した。灰緑色の短髪で目が細く鷲鼻なチェルハ神父、男爵位を持つリーデルシュタイン卿はカーキ色の長髪で面長、ひょろりと背が高い。


「チェルハ神父、リーデルシュタイン卿。短い間ですがよろしくお願いします。」

「お会いできて光栄です。メルツァー様」

「久方振りにご一緒できて嬉しゅうございます。イザーク様」

 並びの悪い歯をちらりと覗かせて笑うリーデルシュタインに、イザークも微笑みを返した。

 イザークの耳に、彼の声は時折歪んで聞こえている。


 本当はメルツァーを尊敬するどころか妬んでいるのだろう事も察しているし、それゆえにイザークを嫌っている事もわかっている。

 野心を持ち、いずれ自分が大聖堂の主になりたいと思っている――ただしその器はない、矮小な男。


 ――私に()()()()さっきの子らも、案外こういう奴が差し向けたのかもな。


 教会を訪れた令嬢の中に幾人か、甘えた声を出しながらも本音は違うだろう者がいた。誰かの指示で誘惑しに来たのか、陥れてやろうと自ら思って来たのかはわからない。

 メルツァー公爵令息たる彼と親しくなれば利がある、そう考えて近付いてくる者など数え切れないほど相手をしてきた。幾人か増えたところで、イザークにとっては些事である。


「では応接室へ参りましょうか。少し歩きますが」

「ほっほ、まだまだ歩けますとも。そうだ――せっかくですから、イザーク様。今晩はあの店で食事でもどうですかな?しばらく行っておられないでしょう。」

「ああ……そうですね。ぜひ」


 今はトレーガーを王子達の元へ案内しなければならない。

 どうせ思い返すのなら、天使のように愛らしい彼女の事を。


 昨日おずおずとやってきたエルフリーデの緊張した仕草を、薄く赤らんだ頬を、こちらを見やる不安げな瞳を思い返して、微笑んだイザークの足取りは軽かった。



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