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【完結】殿下、その依頼お受け致します!  作者: 鉤咲蓮
六章 秘密の仕事

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52.お望みの働きを




 蝋燭の明かりが揺らめく夜の生徒会室。


 最奥にある上質な椅子に身を預け、第一王子ローレンツは目を閉じていた。

 どこに話を持っていくか、誰にどんな言葉をかけるべきか、邪魔者の狙いは何なのか。たった一人を突くだけで複数の動きが変わる事もあれば、要所に配置しても何の意味もなさない者だっている。


「それで、どうするつもりなんです?」


 応接用のソファから声が飛んだ。

 護衛騎士は廊下で待機しており、今部屋の中にいるのはローレンツと彼だけだ。ライラック色の癖毛に妖艶な垂れ目、青紫色の瞳。ソファで堂々と脚を組み、無礼にも背もたれに片腕をかけている。


 ホルスト・ギレスベルガー。

 騎士団長を務める当代ギレスベルガー公爵の次男である。現在二十二歳の若者で、家を継ぐのは兄に任せ、自分は騎士団の中でも気ままな閑職についている――なぜなら、暇な方が秘密裏に動きやすいから。


 ローレンツの母である側妃はギレスベルガー公爵家の養女。

 ホルストはローレンツにとって血の繋がらない従兄にあたるが、それは表向きの話だ。


「アイレンベルクのご令嬢が持ってきた情報、そこそこ使えると思いますけど。……そこそこって言うか、向こうを潰せるくらいには?」

「ああ、思っていた以上にしっかり調べてくれたみたいだね。」

 ローレンツがエルフリーデに依頼したのは、例の誘拐事件でリリアンを誘導するために届けられた手紙――その送り主と思われる貴族について。


 どうもそちらは、リリアンが部屋を出た隙に偽の証拠を仕込むなどして、彼女を嵌めたいだけだったらしい事はわかっている。

 用意された手紙の内容がエルフリーデの誘拐だった事すら知らず、手配したのは手紙を届けさせる人間と、外出を見張って作業をする予定だった者だけ。


 結果的に「エルフリーデの誘拐は起きなかった」ので、彼らはヨハン・クレンクに騙された事すら気付いていないだろう。

 単にリリアンの誘い出しが失敗に終わったという認識でいるはずだ。


「末端とはいえ自分の派閥がやらかした事です、消して無かった事にしてくるかと思いましたが……」

 そうしなかったのは、「第一王子殿下(ローレンツ)の意思決定を待つ」ということ。

 たとえ娘が嫁がずとも、アイレンベルク公爵家はローレンツに従うということだ。着々と物事は進んでいる。

 ローレンツの都合が良い方へ。


「ふふ」

 どうしてだろうねとでもとぼけそうな声色で、第一王子が笑う。

 ホルストは()()()()()()従弟から目を離すと、恐ろしくも面白い男だと口角を上げた。


 かつて、ビュンテ子爵家の一人娘はギレスベルガー公爵家の養女となり、国王の側妃になった。


 なぜあの女が選ばれたのだと、当時数多の令嬢が歯噛みしたものである。

 ギレスベルガー公爵家はどうして彼女を受け入れたのか――側妃に選ばれる事を知っていたとか、どうしても彼女を娶りたい国王から金を渡されたとか、様々な憶測が飛び交ったものだが――…実のところ。


 ビュンテ子爵令嬢はただ単に、公爵の娘だったのである。


 近衛騎士の長であった先代ギレスベルガー公爵の、婚外子。

 過ちを犯した事実を隠すため、子供のいなかったビュンテ子爵家で育てられた娘。男児しかいなかった公爵は初めての娘になかなか結婚を許さず、行き遅れと言われるようになった頃に側妃として選ばれたのだ。


 メルツァー公爵が国王に彼女を勧めたのも、神が「そうなるべき」と言ったからではない。

 久方振りに会った神にメルツァー公が話したのは王の後継者問題であり、「血筋も度量も相応しく、卑しくない者はいないか」と相談された神が、「あの娘はどうか」と言っただけのこと。婚外子だなどとメルツァー公は知りもしない。


 側妃本人が望んだのは「役目を果たした後の静かな暮らし」、「養父母であるビュンテ子爵夫妻に自由に会わせること」、そして「外出を禁じないこと」。

 国王はそれを受け入れ、彼女が役割を果たして生んだのがローレンツとディートリヒである。

 一部の者しか知らない事実。


「とりあえず今のところは、泳がせておこうと思う。」

「いいんですか?ああいう信者めいた手合いってのは、多少無茶があっても()()()()よ。」

「そうだね、誰が協力して誰がどう対抗するか――…もしかすると、良い刺激になるかもしれない。」

「刺激で済みます?」

「大事には至らないさ、()()()()ね。」

 それはきっと、ローレンツに協力する者が多いからだろう。自分のように。

 ホルストは長い指で自らの髪を掻き上げ、脚を組み替えた。


「俺にはどんな働きをお望みで?第一王子殿下。」




 ◇




 ローレンツへの報告を終え、エルフリーデは女子寮の自室に戻っていた。

 調査したのはアイレンベルク公爵家を筆頭とする派閥の末端も末端、エルフリーデが直接関わる事などろくにないノルデン子爵家のこと。


 保身のためにひっそりと身を置いているだけかと思えば、どうも当主は熱烈なアイレンベルク信者であるらしい。

 普段は温厚な性格ながら、酒が進むと「遥か昔に王家の赤子とアイレンベルクの赤子は取り違えられており、アイレンベルクこそが本当の王族なのだ」という世迷言まで語ると聞いて、あまりの不敬にエルフリーデはぞっとした。


 どんなに便利でもどんなに使えても、狂信的な人間を駒にするべきではない。

 その理解しがたい狂気はいずれこちらの手に余り、望まぬ方向へ引きずられかねないからだ。


 末娘であるテレーゼ・ノルデンは学園の生徒であり、将来は侍女として王城で働くつもりであるらしい。

 子爵家の使用人に一度だけ語った夢は「次代の王妃殿下に仕える」こと。ノルデン子爵家にとってそれは、エルフリーデ・アイレンベルクに他ならない。


「はぁ……。」


 ついため息を漏らして、エルフリーデは椅子に腰かけた。

 テレーゼ・ノルデンは一度挨拶を受けた覚えがあるくらいで、普段交流する中にいるわけではない。父親が危険なだけでテレーゼは純粋な憧れなのか、彼女もまた「エルフリーデを王妃にするためなら手段を選ばない」思想を持っているのか。そこまでは掴めなかった。


 ――ローレンツ殿下にはわたくしを娶るつもりがない、それくらいはもうわかるでしょう。……だからこそ、危ない。彼らは己が思想のために何をしてくるのか。


「……期待を裏切ったわたくしへの加害……あるいは殿下やダニエラ様への警告、暗殺……誰に向くか、ですわね。」


 アイレンベルクの不穏分子となるならいっそ、ノルデン子爵を消した方が早い。

 しかし先の誘拐事件でアイレンベルクは王子達に借りができた。ローレンツの判断を待たずに消す事は、今後のためには悪手となる。


 指先でトンとテーブルを叩き、エルフリーデはそこに置いていた郵便物に目を落とした。

 茶会の招待状や、付き合いのある宝飾店からの新作案内、出資している商家からの定期報告。その中に一つ、見覚えのない封筒がある。

 紙の質は良いが飾りが少なく、シンプルなデザインだ。差出人はイザーク・メルツァー。


 煌びやかな舞踏会で、その温かな手に導かれて踊った夜を思い出す。

 艶めくシルバーブロンドに反射する光を、眼鏡の奥にある瑠璃色の瞳が向ける眼差しに安堵した事を、その微笑みに自然と笑い返せた事を、思い出す。

 あの日彼が誘ったのは、踊ったのは、自分だけだった事も。


「っ、こほん。」

 小さく息を呑んだエルフリーデは、誰もいないとわかっているはずなのに部屋をちらりと見回した。

 ペーパーナイフを手に取り、普段通りを装って丁寧に開ける。心臓が少しだけうるさく感じるのは単に、彼から手紙が届くのは初めてで意外に思っただけと言い訳をしながら。

 入っていたのは便箋ではなく、たった一枚のカードだった。


《来週末、私とお忍びで出かけませんか。》


 短い。

 アイレンベルク公爵令嬢に対し、メルツァー公爵令息が渡すカードの文言がこんなに短い事があるのかと考える。せめてもう一、二文はあるのが礼儀ではないか。

 おまけにイザークらしき男性が一輪の花を差し出す落書きが添えてあり、エルフリーデの頭にカッと血が上る。決して頬を赤らめたわけではなく、少々苛立って血が巡っただけだ。


「なん、なんですの、このッ……落書きは……!」

 誰に聞こえるわけでもないのに小声で呟く。

 落書きは特徴を捉えた上で簡略化されており、妙に上手かった。エルフリーデはつい、その絵をじっと見てしまう。


 ――まさかイザーク様が描いたとでも?そんなはずが……でもそれ以外に考えられない。嘘でしょう、彼がこれを?こんな可愛らし…いえ、まさかそんな。


 本人が目の前にいたら問い質していただろう。

 今もなお頬が紅潮しているのは意外過ぎて驚いたせいであって、決してときめいたり惹かれたりしたわけではない。エルフリーデはそんなに軽い女ではないのだ。


 ――来週末と言ったって、こちらに合わせるにせよ時間帯はいつを考えているの?行き先がわからないと返事だって服装だって困るでしょう。お忍びとは?護衛はどうしたらいいの、何か考えが?ああもう!


「……わたくし、そんなに暇ではありませんから。」


 生憎とね、などと呟きながら、エルフリーデは鞄から手帳を取り出した。

 来週末にどんな予定が入っていたか、不思議とすぐには思い出せなかったのだ。そして確認した結果、来週末は日曜の午後がしっかりと空いていた。ぱたんと手帳を閉じて、碧の瞳はもう一度カードを見下ろす。

 少しばかり反抗したくなってそれを伏せてみれば、裏にも文字が書かれていた。


《また、あの庭で会いましょう。》


 断るなら返信一枚で良いだろう。

 しかし誘いを受けるのであれば、エルフリーデが心の中で羅列したように確認すべき事が沢山ある。直接会って話した方が早いだろう事は確かだった。


 イザークは基本的に、平日の昼間は教会裏手の庭で昼食をとっている。

 肌寒くなってきた最近は焚火でスープを温めて神父やシスター達と食べている時もあったりして、ディートリヒからの書類を届けに来たエルフリーデは呆れたものだった。教会と言えど学園の敷地内で自由過ぎる。


 ――美味しかったけれど……いえ、そうではなく。わたくしに、のこのこと会いに来いと?まるで「是非行きたい」と言うようでは…いえ、いいえ。どういうつもりなのかと、具体性が無さ過ぎて困りますと言って差し上げるだけのこと。会いに行く事が誘いに乗る事だなんて、決まっていませんもの。勘違いなさらないでと、言ってしまえばいい。


 エルフリーデは冷静だ。

 心臓がどくり、どくりと普段より少しだけ主張が激しいけれど、冬なのにどこか暑く感じるけれど、意味もなく部屋の中を歩いているけれど、冷静だった。

 弾むように心がざわめき、スープの器を差し出すイザークの笑顔が浮かんでいる。その時自分がくすりと笑ってしまった事も覚えている。

 それを見て、彼が嬉しそうに目を細めた事も。


 エルフリーデは立ち止まった。


 この感覚は幸福なのか、甘えなのか。

 じわじわと心を蝕む不安と罪悪感は、誰に対するものなのか。


 次期王妃と目されながらも選ばれなかった惨めさや嘲笑から逃れようと、イザークの好意を利用しているだけかもしれない。

 ずっと望んでいた彼と生きる道を絶たれた苦しさから目をそらそうと、もういない人の影を重ねているだけかもしれない。

 アイレンベルクの娘が、そんな弱さを持っていて許されるのか。


 ――……惑うのはきっと、わたくしの心が決まっていないから。自分で理解しようとしていないから。


 幼い頃の出会いを忘れたディートリヒ。

 生きる上での目標は瓦解し、諦念を抱えたエルフリーデを見てくれる存在が現れた。

 しかし優しくされたからといってすぐに惚れ込むようなら、それはアイレンベルクにあるまじき軽率さだろう。


 幼い頃のディートリヒにも似た、自由な行動と素直な笑顔。

 自分は二人を重ねてしまっているのか、イザーク自身をどう思っているのか。

 それをきちんと考えなければ、エルフリーデは永遠に自分を責め、嘆き、暗い感情渦巻く泥濘に足を取られたままだろう。


 もしイザークの手を取りたいのなら、父である公爵の許可も必要になる。

 意見が対立したらどうしたいのか、それも考えて臨まなければならない。覚悟を決めて。


 ――…自分の心にさえ向き合えないようでは、アイレンベルクの名折れだわ。


 エルフリーデは踵を返し、テーブルに置かれたカードを手に取った。




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