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【完結】殿下、その依頼お受け致します!  作者: 鉤咲蓮
六章 秘密の仕事

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51.正すべきもの



 紳士淑女の皆々様、ご機嫌よう。

 本日も健康に()()()おいででしょうか。


 ゴキッ


 こちらは学園の本館と別棟の隙間にある細い路地、黒髪のわたくしはシュミット侯爵家のユリア。

 今しがた口を塞いだ上で両肩の関節を外して差し上げた殿方は、わたくし達を尾行していた人。おまけに一切見覚えがないので生徒ではない、それなのに制服を着ている不審者でございます。ぴくぴくと痙攣していますが、しっとりと冷たい土の寝心地がよくて感動しておられるのでしょう。


 頭上には澄んだ青空が見えています。

 地面には枯れ葉が重なり、吐く息が白い季節となりました。


 不審者の引き渡しを終えたらば、わたくしは愛しいお方が待つサロンへ向かいます。

 廊下で待機していた護衛のツァイス様に軽く会釈し、ノックをして名乗ってから中へ。


「ただいま戻りました。ディートリヒ様」

「お帰り。手間を掛けさせたね」

 輝く銀の短髪に、深い青色の瞳。

 穏やかに微笑んで迎えてくださったこの方こそが、わたくしの婚約者であるディートリヒ様です。不審者の一人や十人や百人程度、貴方様のためならすぐに黙らせます。


「詳細な尋問はお任せしてきましたので、さしたる手間では。」

「…ありがとう。ユリア」

 仕事のためにお傍を離れると、ディートリヒ様の目は必ずわたくしの様子を窺います。

 怪我はないかと尋ねる事で、わたくしが「腕を信用されていない」と思わないように。信じてくださっている事などわかっておりますのに。信じていてなお案じてくださるのは、貴方様の優しさであると。わたくしを大事に思ってくださる心ゆえだと、わかっておりますのに。


 ――婚約者としてだけでなく、暗殺者としてのわたくしも慮ってくださる、そのお心が。どうしようもなく嬉しくて、愛しいのです。


 にやけてしまいそうな表情を、どうにかして淑女の微笑みに留めます。

 本当は今すぐにディートリヒ様をこの腕の中に閉じ込め、艶々とした御髪を撫でて頬擦りを…いけません、周囲の警戒を怠らないようにしなければ。ソファで隣同士に座り、ご尊顔をじっくりと見つめる程度で我慢致しましょう。


「……、いつものか?」

「いつもの体調確認です。」

「わかった。…今朝もやったような気がするけれど」

「幾度してもよい、わたくしはそう思います。」

「ふふ、君は心配性だな」

 いけません、殿下――ディートリヒ様。

 そのように愛らしく微笑まれては。危うく、衝動を抑えるためにナイフを投擲して窓を破壊するところでございました。わたくし万一にも、全力で抱きしめて意図せず貴方を殺めてしまう、なんて終わりを迎えるわけには参りませんので。他へ向けて力を解放するところでした、今回は抑えが利きましたけれど。


「今度の特別授業、外部から講師を呼ぶ事は君の耳にも入っていると思う。」


 脈拍をとりたいと言ってその手に触れてしまいましょうか。

 こちらがそんな企みをしていたとも知らず、ディートリヒ様は僅かに声を低めて仰います。思案するように僅か細められた目を見て、わたくしはすぐさま思考を切り替えました。


「はい。エドゥアルト殿下のご依頼で、大聖堂を統括するトレーガー枢機卿がいらっしゃるとか。」

 御年六十八歳、長い白髪を緩く三つ編みにまとめた男性です。

 お父様とも旧知の間柄であり、とても人当たりの良い穏やかなお方と聞いております。


「護衛の他に補佐として司祭を二人連れてくるそうだが、その片方……リーデルシュタイン卿については、ゼッフェルンに動向を探らせるつもりでいる。」

 ゼッフェルン様はわたくし達と同学年の男子生徒で、潜入などその場に馴染んでの情報収集や扇動が上手なお方です。リリアン様を処分しようと狙う者を現行犯で捕える時など、わたくしも幾度かご協力頂いた事がございます。

 ターゲットはリーデルシュタイン卿。

 大聖堂に属する司祭の一人ではありますが、あまり実績や知名度のある方ではなかったはず。


「ローレンツ兄上の調査対象と接触があったらしい。気にしておくよう言われた程度だけれど、ゼッフェルンに経験を積ませる意味でも、私としては頼んでおきたくてね。」

「そういう事情でございましたか…」

 であればエドゥアルト殿下が枢機卿を呼んだのも、リーデルシュタイン卿に探りを入れる機会作り…でしょうか。生徒の中で彼と接触する者がいるかどうか、彼が接触を試みる者がいるかどうか。

 考え過ぎという可能性もありますが、ローレンツ殿下は盤上遊戯がお好きなようですからね。直接の指示ではなかったとしても、どこまで想定しておられるのやら……。


 ディートリヒ様がゼッフェルン様の経験のためと仰るように、ローレンツ殿下はディートリヒ様に少しずつ課題を与えている……そんな風に見える事があります。

 恐らく、ご自身の体調について油断していないからなのでしょう。

 殿下が見ているのはご自身が居る未来と、居ない未来。ディートリヒ様が与えられた采配権を固辞しないのも、殿下の意思を尊重しているからこそ。


「メルツァー様は大聖堂とも繋がり深いと存じますが、リーデルシュタイン卿について、何か仰られていましたか?」

「それとなく聞いてみたが、『出世したいんだろうな』と。自分の事はあまりよく思っていないはずだとも言っていた。」

 よく思っていない?

 信仰を尊ぶ方ならば、聖地を守るメルツァー公爵家あってこそではとも思いますが……そうですね。神に仕える道を選んだ方々の中には、生まれながらにして神に認められているかのようだと妬んだり、大聖堂に勤める自分達の方が上なのだと、そう考える者もいるらしいとは……噂程度には聞こえて参ります。

 リーデルシュタイン卿もその一人なのかもしれません。


 扉の外、廊下の奥から聞き慣れた足音が近付いてきました。

 わたくしは()の到着をディートリヒ様に伝え、十秒も経たずに扉がノックされる。廊下で待機していたツァイス様と共に、思っていた通りの方が入室しました。


 ディートリヒ様の側近にして幼馴染の伯爵令息、ニクラス・レヴィン様。

 柔らかな新緑の短髪に薄茶色の瞳の彼は、文官としてディートリヒ様を支える立場であり、ヴィルマ・フューラー伯爵令嬢の婚約者でもあります。


 子爵令息のエーリック・ツァイス様は、将来護衛騎士になるべくディートリヒ様に仕えている。

 真っ直ぐに伸びた朽葉色の髪を襟足で一つに結っており、その瞳は濃い灰色。基本、雑談などには参加せず仕事に専念なさいます。ただ今回は仕事の話ですから、面子が揃った時点で彼も入って頂きました。

 二人にはテーブルを挟んだ向かいに着席してもらい、幾つか直近の予定についてすり合わせをしていきます。


「――この日はツァイスにバーデンの様子を見てきてほしいが、頼めるだろうか?」

「お任せを。また申請を溜めていないかも確認しておきます」

「はは、確かにそれも必要だな。」

「口ごもった時は、わたくしの名を出すと早いかもしれません。」

「なるほど、場合によっては使わせて頂きます。」

 エドゥアルト殿下が戻った事で、リリアン様がバーデンの研究室に行く事は滅多になくなりました。

 半月に一度ほどは差し入れを持って――エドゥアルト殿下と共に――ふらりと寄るそうですが。彼女は細やかな雑事を率先して手伝ってくださっていたので、研究室の散らかり具合が増しているように思います。


 バーデンはあれでも、今や王家が認めた研究者。

 誰か、片付け上手な弟子でもとってくれるとありがたいのですが……彼の姿を思い浮かべると、到底「師匠」が務まるようには思えませんね。


「ここの土曜は恐縮ながら、休暇とさせて頂きたく。騎士団で学生も参加可能な研修が行われる事になりましたので、腕を磨いて参ります」

「わかった、問題ないよ。そういえばニクラス、イザークと話す日も決めなければいけないな。」

「ああ、学園の教会運用な。確実なのは…」

 何でしょうか。

 メルツァー様のお名前が出た途端、ツァイス様がごく僅かに眉を顰めましたね。逡巡するように視線をテーブルへ落とした後、彼は進言したい事があるとばかり姿勢を正して、ディートリヒ様に向き直りました。


「殿下。イザーク・メルツァー様ですが、もう少し、その……振る舞いを正して頂いた方が、良いのではありませんか。」

「…どういう意味だ?」

「アイレンベルク公爵令嬢に近付いていると、噂になっております。敬虔な神の信徒であるべきメルツァー公爵家、それも後継者であらせられるのに、女性関係の噂が立つのはいかがなものかと。」

「……。」

 レヴィン様がちらりとディートリヒ様を見やりましたが、ディートリヒ様は敢えてそちらを見ませんでしたね。顔を見合わせてしまうと、ええ。「何を言っているんだ」という意思表示になりますから。それは避けたというところ。

 ツァイス様がそういった口出しをなさる事自体珍しいですが……エルフリーデ様へのメルツァー様の態度、わたくしが知る範囲は何の瑕疵(かし)もございません。どういう意図の発言なのでしょう。


「……ツァイス。人心を弄んだり不義理をするなら咎められるべきだが、イザークは違う。彼が家を継ぐためにも、婚約者候補の令嬢に声をかけるのは当然ではないかな。それも複数ではなく一人を相手に。むしろ丁寧なやり方だと思うが」

「神様は聖職者の結婚を禁じてないしな。…どうしたんだよ、お前いつからそんな事気にするようになったんだ?」

「…いえ。聖職者なのにどうこうと言いたいわけでは…」

 ツァイス様は気まずそうに目を伏せて言いますが、少々、先程の主張と食い違っているように思えます。ここで「実はこんな事が」と言い出せないのなら、恐らくメルツァー様を止めるべきと強く言えるだけの理由もないのでしょう。ならば、一体何が気に障ったのか。

 彼の表情を見ながら、レヴィン様は軽い笑みを浮かべて人差し指を立てました。


「まさかお前、エルフリーデ嬢に気があったとか。」

「あり得ません。身分が違い過ぎます」

 きっぱりと否定なさいましたか。仮に図星を突かれたなら、もっと動揺するところですが。

 発汗や視線の乱れもない。これは本当に全く思っていないか、そう思い込んでいるかのどちらかですね。ツァイス様については、寡黙なお方だと思っておりましたが……エルフリーデ様に関して、何か思うところがあったのでしょうか。

 あるいは、メルツァー様個人への妬みか。


「…ともかく、私からイザークにその辺りを自重しろと言う気はないよ。」

「――言う必要がないからな。」

 レヴィン様が改めて、ディートリヒ様が言った以上に線引きを致します。

 それでもなお「振る舞いを改めさせるべき」と言うのなら、エルフリーデ様ご自身の拒絶なり、強引な手段を用いた証拠や証言が必要になるでしょう。

 無ければ、この話は終わり。


「……アイレンベルク公爵令嬢は、次期王妃と目されるお方です。もし困っておられたらと考え、過ぎた事を申しました。失礼致しました」

 ツァイス様が深く頭を下げ、ディートリヒ様達はそれを許す。

 しかしわたくしには聞こえておりました、彼の靴裏がカーペットを僅かに踏みにじる音。ソファに座っている状態、「過ぎた事」と思っての冷静な謝罪なら、片足へそのように力をこめる事はありません。


 ごく一時的な不満なら見逃しますが……重ねるようなら、確認が必要でしょうか。




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