48.さぁ、考えてみようか
自分の部屋の天井に四角い穴が空いた。
否、いつの間にか、ぱっと見ではそれとわからない扉が作られていたようだ。身を起こしたリリアンはばくばく鳴る心臓を押さえながらユリアを見上げた。
「なんっ、てんじょ、ええぇ…」
「リリアン様。」
「はいっ」
「まず貴女様のご家族は、エドゥアルト殿下がとうに守り手を送っていたはずです。聞いて参りますのでこのまま待機していてください。」
ハンカチをポケットに押し込みながら、ユリアはリリアンの部屋に異常がないこと、扉の内鍵が閉まっている事を目視で確認する。
「不用意に扉を開けないこと。エルフリーデ様の状況も確認します」
「ありがとうございます。私じゃどうしていいかわかんなくて…指定されてる場所って、学園の旧庭園ですよね?何で…」
「ええ、よく知っている場所です。では」
目を合わせて軽く一礼し、ユリアはすたんと足音を響かせて天井裏へ跳び上がった。
部屋の主すら知らなかった天井裏の通路は、扉がしまるとぴたりと壁紙が合わさって、どこが切れ目かまったくわからない。
「……ユリア様って、結局何者なのかしら……。」
一分にも満たない訪問だったが、圧倒されたリリアンは仰向けにベッドへ倒れ込んだ。
ユリアはまずエルフリーデの部屋を訪ねたが、どうも明かりがついていない様子で、ノックしても反応がない。彼女と一緒に寮へ帰ったはずのヴィルマの部屋も同様だ。
暗い中で目立たないよう仕事着に素早く着替え、女子寮を抜け出した。
男子寮の敷地に忍び込み、まだ起きているらしいディートリヒの部屋の窓を叩く。回数とリズムはあらかじめ決めていた通りに。
気付いたディートリヒがカーテンを引いて窓を開け、部屋に入れてくれた。事情を簡単に話すと、ディートリヒが急いでエドゥアルトを連れてくる。
「リリアンの家族を人質に?それはまずないと思うがな」
「やはりそうですか。」
――本当に人質を取っているのなら。それとわかる品でも髪の一部でも、脅迫状につけて証拠とすべきでございます。あるいは、リリアン様ならそれでも信じるだろうという判断かもしれませんが。
ユリアがそう考える一瞬の間に、エドゥアルトとディートリヒは視線を交わす。
これはどちらが知る未来でも覚えのない事件だった。
「…念のため、わたくしは旧庭園を見て参ります。実際にエルフリーデ様がいないとなると、リリアン様以外にもあの手紙を出していたかもしれません」
「ヴィルマ嬢も戻っていないなら、ニクラスにも伝えた方がいいな。今は教会に行っているはずだ」
「では先にそちらへ…」
「いや、ユリアはすぐ旧庭園に向かってくれ。ツァイスとニクラスを連れて私もすぐに行く。」
「俺は兄上に確認を取ってこよう。夕食ではエルフリーデと最後まで話していたはずだ」
言いながら、エドゥアルトはユリアに伝わりやすく廊下の方をちらと振り返る。
エドゥアルトが来た時から一人、扉の外に控えている者がいるのだ。彼の配下のイェルク・アイスラーだろう。王子達の護衛は足りている。ユリアは頷いた。
「承知致しました。ではまた後程」
開け放った窓からユリアが姿を消し、エドゥアルトとディートリヒも上着を手に取り静かに駆け出した。
貴族令嬢が狙われた可能性がある、今はまだその段階だ。大げさに騒ぎ立てるべきではない。
ディートリヒがツァイスを連れて教会に着くと、ちょうど扉が開いて危うく中から出てきた人物とぶつかりかけた。
見慣れた深緑の短髪に、丸くなった薄茶の瞳。ニクラスだ。
「うお、っと…ディートリヒ?」
「夜にどうした、珍しいな。」
驚いたニクラスが離して閉まりかけた扉を、すぐ後ろにいたイザークが手を伸ばして押さえた。
どうやらちょうど男子寮に戻るところだったようだ。
周囲に人気は無かったが、ディートリヒは念のため教会の中で事情を話す。ニクラスが眉根を寄せた。
「ヴィルマが戻ってない……?脅迫状もだが、本気でやばいかもな。行こう」
「私も行く」
「助かる。イザーク」
「……。」
共に駆け出したディートリヒとニクラスは、ここでイザークがついてくるのを当然と考えているようだ。
貴方は関係ないでしょうと、ツァイスは心の中でだけ呟いた。
旧庭園の入り口で、エルフリーデの側仕えがばらばらと倒れている。
驚いて声を上げかけたツァイスをニクラスが手振りで止め、四人はユリアの元へ駆け寄った。
彼女は倒れた一人の口に水を流し込んでやっていたが、ちょうど終えたのかこちらを見て立ち上がる。
「ユリア。これは一体」
「痺れているだけです。呂律が回らず会話できませんが、解毒薬を含ませたのでもう半刻ほどで口は利けましょう」
ディートリヒとニクラスの顔色が変わった。
他国の傭兵崩れに協力したとして捕まった男爵と、そこから毒薬が持ち出された事を思い出す。ユリアが頷いた。
「ええ、まさにデルプフェルト領の一件で持ち出された物と思われます。使用されてから約一時間といったところかと」
「相手はクレンク男爵に連なる者か。確か息子が消息を絶っていた」
「足跡から察するに、幾人か雇っております。量によっては殺してしまう毒ですが、身体を痺れさせた上でちょうど黙らせる投与量とは……あちらには扱いに慣れた者がいますね。」
ディートリヒとユリアが話す間に、周囲を見回していたイザークは踏み折られた雑草に気付く。ユリアは処置を優先して、そこを調べるのは後回しにしていた。
倒れた葉の下から紙の端が覗いていて、拾ったそれが本の栞と見て軽く土を払う。
「ニクラス。」
「……俺がヴィルマにやった物だ。っくそ」
「殿下がお見えです」
ユリアが学園の方を振り返った。
ディートリヒ達もそちらを見ると、確かに駆けてくる背の高い影が一つ見えた。胸元で明かりが揺れている――否、明かりを持ったローレンツを抱きかかえ、ダニエラが走っている。
「偶然居合わせたので私も馳せ参じました!緊急事態とか。」
「前衛的な登場の仕方で悪いね。」
朗らかに笑うローレンツの表情がどこか、何かを諦めたようにも見えるのはニクラスの気のせいだろうか。彼に話を聞きに行ったはずのエドゥアルトの姿はない。
ダニエラは丁重にローレンツを地面に下ろし、第一王子殿下は何事もなかったように歩き出して現場を見回した。
「兄上。使用された毒から見て、犯人はクレンク男爵家と関わりがあるかもしれません。」
「クレンク…」
その名を聞いてダニエラも顔色を変える。
エルフリーデが狙われた理由が男爵家の没落なら、共に事件を担当したダニエラの父にも此度の誘拐について責任の一端があるだろう。
にこりと笑って、ローレンツが「なるほど」と手を叩く。
「息子がまだ逃げていたね、もう後のない男か。使える場所はあるのかな。いつから探していた?人手はどこからだろう、リリアン嬢を放置したままエルフリーデ嬢を攫った理由は?手引きした者は何が狙いだろう。ヴィルマ嬢まで攫ったのは?」
次々に疑問が並べ立てられ、わからない事が多過ぎるのだと改めて理解したツァイスは青ざめた。これでは到底、エルフリーデを助ける事などできないのではないか。
第一、時間が経っている以上は彼女はもうとっくに、攫った者達によってひどい事をされているかもしれない。吐き気がこみ上げる。
――そうなるくらいなら、あの方は自死を選んでしまうのでは。
誰か妙案は浮かばないだろうかと、ツァイスは今いる面々を見回した。
ローレンツは「わからない」と並べたばかり、エドゥアルトは来ていない。
ディートリヒは黙りこくり、ニクラスは意味もなく手帳を見返していて、ダニエラは痛ましい顔でいるだけ、何をしにきたかわからないイザークは目を閉じており、ユリアも動かない。
「さて、ディートリヒ。すべて騎士に任せるかこちらも動くか、どちらがいい?」
そんなこと決まっているでしょうとツァイスは思った。
大事にすれば世間がエルフリーデ達を見る目は哀れみとなるだろうが、自分達で解決できる範疇を超えている。全面的に騎士団の手を借りるべきだ。
「こちらも動きましょう。」
ディートリヒがきっぱりと答える。
ツァイスの瞳に少し希望が浮かんだが、疑問は消えなかった。この手でエルフリーデを助けられるならそれが一番だが、可能なのだろうか。
「騎士団には不審者の通報を、必ずすぐ動くよう兄上から伯父上にご連絡頂けますか。」
「構わないとも。」
「そちらが動く間に、ユリア。君に二人の救出を頼みたい」
「承ります。」
ディートリヒの指示を聞きながら、ツァイスは腰に提げた剣の柄を握り締める。
自分はあくまでディートリヒの護衛であり、正規の騎士ではない学生であり、ユリアのような毒の知識もない。騎士が動く間に救出するという事は、内密に事を終える手際も必要だ。
できるとは、手伝えるとは、言えなかった。
「場所は絞れそうか?」
黙って手帳をめくっていた側近に、ディートリヒは当然のように問いかける。
ニクラスは「空き家が狙われた事件があったけど」と話し始めた事で、ツァイスも思い出した。
クレンク男爵がデルプフェルト領で捕われた後のこと、空き家の鍵が壊されたり何者かに侵入されるという連続事件があったのだ。
「条件が似てて、被害申告のない屋敷が幾つか。中でも、騎士団の詰所前や大通りを行かずに馬車が通れるのはこの二つだ。」
示された手帳のページをディートリヒとユリアが覗き込む。
ユリアが目を細めた。
「多少騒がれても隣家に声が届かないという点で、こちらの方がよろしいかと存じます。学園からの方向も異なりますから、多少残っているでしょう轍の跡も見て行けば確実かと」
「よし、後は足がいるな。馬術場に…」
「エドゥアルトが馬を取りに行っているよ。もうじき数頭連れてくるさ」
ローレンツが軽い調子で言い、ダニエラが横で力強く拳を作って頷いた。
まさか最初からこうなる事がわかっていたのかとツァイスが瞬くと、それに応えてか偶然か、ローレンツは「どの道必要だからね」と緩やかに微笑む。
「ダニエラ嬢はリリアン嬢の部屋を見張る者がいないか確認と、彼女の護衛を。」
「はい、お任せください。」
「私達はこの者達の介抱と事情聴取だ」
エルフリーデの側仕え達はまだ動けない。
医務室に運んでも騒ぎになるし、彼らもエルフリーデの不名誉な噂に繋がる事は避けたいだろう。ニクラスとツァイスが頷き、ディートリヒは眉間に皺を寄せているイザークへと視線を移した。
「…大丈夫か?」
「めちゃくちゃキレてる。犯人捕まったら私刑していいか」
「お前、黙ってると思ったら!神に祈ってたとかじゃないのかよ。」
「神様とだべっても解決しないだろうが。」
「あはは、良ければ君も行くといい。イザーク・メルツァー」
からからと笑って許可を出したのはローレンツだ。
ツァイスは驚愕に目を見開いたが、第一王子の意見に口を挟む事はできない。
「私は生徒会長として、迷子になった生徒が帰れるよう手配を頼んでいるんだ。夜の闇にあっては不安だろう。合流したら、君が話を聞いて落ち着かせてあげてくれ。」
「…御意に。」
真意を探るように少しだけ目を細め、しかしイザークは拒否しなかった。
蹄の音が聞こえてくる。




