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【完結】殿下、その依頼お受け致します!  作者: 鉤咲蓮
五章 選択の自由

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44.そして彼女は目をそらす




 白雲の浮かぶ青空はいかにも呑気で、廊下をすれ違う生徒達の会話も平穏そのもの。

 薄暗い灰色の雲を胸中に留まらせているのは、わたくしぐらいなものかしら。


「エルフリーデ様、本日の昼食(ランチ)はどこに致しましょう。」

 バスケットを持った側仕えに聞かれ、幾人かの令嬢の行き先を思い浮かべる。

 サロンに集まる方、中庭の東屋を使う方、教室や食堂に行く方…特段、今日必ず接触するべきという方はいないわね。


「…今日は日差しも柔らかいし、外で食べようかしら。」

「承知致しました。お供します」


 わたくしの今後について、まだお父様から手紙(指示)はない。


 エドゥアルト殿下が姿を消しても、ローレンツ殿下が毎日登校できるようになっても。

 どちらに近付け、どちらを見張れと言われる事もない。


 けれど、ローレンツ殿下が本当に快復されるのなら、彼が王になるべきでしょう。

 ならわたくしをその妻にと、お父様は考えるのではないの?


 なぜ、何も言ってこないのか。


 きっと少しずつ、少しずつ、何かが動いている。

 わたくしが与り知らぬ外側で、何かが。


 ……知ろうとすれば、簡単にわかるのかもしれないけれど。


 すれ違う生徒達と挨拶を交わしながら歩いていく。

 エドゥアルト殿下が休学されてすぐの頃は皆、彼がいなくなった事や、ディートリヒ殿下によるリリアン様の庇護に目が向いていた。


 数か月経った今では明らかにローレンツ殿下へと興味関心の先が移っている。鉢合わせたわたくしと殿下が挨拶するだけで、周囲の生徒が囁き合い顔を見合わせて。

 不躾な視線を向けられるのは慣れているけれど、少し煩わしくはあった。


 ……旧庭園の方にでも行こうかしら。あそこなら早々、人は寄り付かないでしょう。


 途中に使えるベンチの一つや二つはあるはずと、そう思って移動する途中で教会の前を通りかかった。

 門は開かれていて、以前図書室で聞いた声が思い出される。


『疲れたと感じる事があれば、どうぞ気軽に教会へいらしてください。』


 メルツァー公爵家の次期当主、イザーク様……あれから時折、彼はわたくしの前に現れた。

 なんのことはない。挨拶の他にはほんの二言、三言、交わす程度の事だけれど。


『人目を避けたければ裏手にも入口がありますし』


「エルフリーデ様?」

 側仕えの戸惑った声に振り返る事もなく、教会を囲う生垣に沿って歩き出した。

 ほんの些細な寄り道。


 決して、彼に会おうと思ったわけではないわ。

 これまでわざわざ裏に回る事などなかったから、彼の言う「裏手の入口」をわたくしは知らなくて。それを見ておこうと思っただけ。


『何も問題はありませんので。教会へ伺う事はありませんわ』


 大丈夫、イザーク様は今ここに居ない。

 昼食の時間は教会を訪れても絶対に不在だと、どうしても捕まらないと令嬢達が噂していたもの。

 わたくしが来ていたなんて、あの方に知られる事はない。


 角を曲がった先、白塗りのガーデンアーチの向こうで小鳥が鳴いた。

 芝生の庭には三人席のテーブルセットがあり、片手に持ったサンドイッチを小鳥達につつかれながら、なぜか居るイザーク様が脚を組み背もたれに寄り掛かり、緩く微笑んで空を眺めている。


 ……どうして、いるの。


 つつかれているのは無視?不在という話は?一人で何を?

 幾つも疑問が浮かんでしまって、引き返すのが遅れたわたくしとイザーク様の目が合った。

 驚いた顔で瞬いた彼は人が来ると思っていなかったのでしょうに、どうしてか歓迎するように笑って、向かいにどうぞとばかりに手振りをする。


「まぁ…!いつの間にか、お約束されていたのですね?」

 目を輝かせた側仕えが戸を開けながらそう囁いた。

 偶然と返しても信じないでしょうから、肯定も否定もせず曖昧な返事をする。


 邪魔になってはいけないからと、側仕え達は教会の庭へ入ってすぐのところで待機した。昼食の入ったバスケットを受け取り、わたくしは仕方なしにイザーク様の方へ歩く。

 ここでようやく椅子の背もたれから身を起こし、組んでいた脚を解いて、彼はわたくしを見上げた。


「こんにちは、エルフリーデ嬢。私を見つけるのがお上手ですね」

「こんにちは、イザーク様。探してはおりませんわ。入口(そこ)の把握だけしに来たつもりでしたの。」

「ふふ、そうでしょうね。まぁせっかくですから、どうぞ。」

 急に現れておきながら不本意を示したのに、イザーク様は気分を害した様子もない。いつも信徒にするのだろう慣れた手つきで、立ち止まったわたくしに椅子を勧めた。

 椅子(そこ)まではまだ、一メートルほど距離があって。バスケットの持ち手を握り直す。


「大丈夫ですよ、掛けて頂いて。」

 本当にそうかしら?

 彼の腕や肩、テーブルに留まっている小鳥達がわたくしを見ている。近付いたら、怯えて飛び立ってしまうのではないか。

 ほら、一羽が首を傾げている。


「大丈夫に見えません。」

「ふっ、大丈夫だって」

「笑いましたか?」

「笑いましたね、これは失礼を。」

 そう言うイザーク様が立ち上がったけれど、それでも小鳥達は彼の上からどいただけで、飛び去る様子はなかった。

 ここまで慣れているのならもしかして、野鳥ではなく教会で飼っているとか。


 イザーク様がわたくしに近い椅子を軽く引き、手振りと共に「どうぞ」と言って自分の席に戻る。

 さして親しくもないのに随分と丁寧だ。

 王族でもないわたくしに対して、次期メルツァー公爵たる貴方自ら、そこまでせずともいいでしょうに。


「…ありがとうございます。」

「貴女とご一緒できて光栄ですよ。」

 大人しく座ってバスケットをテーブルに置きながら、イザーク様の方をちらと見る。未だ逃げない小鳥達が、彼がちぎり渡したパンくずをつついていた。

 眼鏡の奥で、瑠璃色の瞳がそれを見ている。弱者を慈しむ心、メルツァーの慈悲。


「随分と貴方に懐いていますが、ここで飼育を?」

「いえ、野鳥です。」

「…それほど慣れているのに?」

「聖地は自然が多いですからね。野生動物との距離感や接し方も、いつの間にか身に付くものですよ。」

 イザーク様はそう言ってサンドイッチを食べる。

 その一口は、公爵令息がするには少々豪快に見えた。無作法とまでいかないけれど。

 以前図書室で話した時に比べると、今ここにいる彼の方がずっと年相応に思える。


「…聖地は、王都(こちら)とはだいぶ違うのですか?」

 わたくしも食べようかと、先程渡されたバスケットを開いた。

 こちらは最初から一口サイズにカットされていて、中身は野菜が多く、深皿にフルーツが添えてある。


「ええ。お越しになる際は喜んでご案内しますよ」

「そうですね、機会があれば。」

 メルツァー公爵領、聖地レラク……生まれてこの方、直接訪れた事はない。

 今後機会があるとも思えなかった。わたくしは王都(ここ)で生きていくでしょうし、どなたに嫁ぐ事になろうとも、それなりに忙しい日々が待っている。

 だから社交辞令で終えたのだけれど。


「招待しましょうか?よろしければ、ご友人も一緒に。」

 イザーク様はそう言った。

 それなら話が変わる、貴方と縁を繋ぎたい者は多いでしょうから。

 メルツァー公爵領の広さや特産品に隣国との主な交易品、本に載っていた風景画、歴史上の記録…知っている情報が頭の中を巡った。

 欲しがるのは、誰か。仲介の対価は。


 考えながら、目の前の青年を見る。

 対応に間違いがないように。


「…本気で仰っているのなら、興味がありますけれど。敬虔な信徒というわけでも、相談事があるのでもない者が多く訪れるのは、貴方にとって不本意ではなくて?」

「そう見えますか?」

「昼食に誘いたくても捕まらないと聞きます、そういった者を避けるためでしょう。いつもなら教会(ここ)にもいないとか?」

「いますよ。」

 そう答えた彼はにこりとして、悪びれた風もない。


「対応した者に嘘をつかせたと?」

「まさか。彼女達が建物(教会)を訪れるので、そこにいないと正確に答えているだけです。私がいるのは(ここ)ですから」

「……呆れた理屈ですが、ともかく。彼女達を避けたいなら、先程の発言はご冗談でしょう。」

「そんな事はありませんよ。貴女が来てくださるなら何でも良いので」

 多少賑やかなくらい問題ないと言うイザーク様の手に、小鳥がテーブルの上を跳ねて寄っていく。

 彼は思わせぶりにわたくしを見るでもなく、利権をちらつかせるでもなく、呑気にもその鳥を撫でていた。


「……そうですか。」

 微笑みを張り付けて返したけれど、どういう意図の発言かわからない。

 わたくしが王都を離れる事に意味が?それとも聖地で誰かに接触させる?隣国との境、イザーク様はごく短期間とはいえ留学していた。あちらは随分と引き留めたがったと聞く。

 思惑があって呼ぶのだと、敢えてわたくしに告げたのはなぜ?


「…ああ、考えさせたか。失礼、深い理由や政治絡みの意図はありません」

「それを素直に信じろと?」

「ええ。信じられなければ仕方ありませんが、まぁ、私は故郷が好きなので。貴女にも見て欲しいと思っただけです。」

「イザーク様は、わたくしを何だとお思いで?」

 敢えて冷たい声を出した。目を細め、相手を見据えて。

 アイレンベルクの娘を相手に、貴方は「気分転換になるでしょう」とでも言いたいのかしら。気落ちした者への慰めのように。


「…何かと言われると、そうですね」

 その瞳にわたくしはどう映っているのか。

 愚かにさ迷う羊?それとも、哀れに助けを求める弱者?


 冗談じゃない。

 ここにいるのは


「可愛い方だな、と。」


 ………、そういう事ではない。

 わたくしが怒りを滲ませた事くらい、想定した答えの種類くらい、わかっているでしょう。


「外見の話ではありません。」

「もちろん性格も含めて、貴女をどんな方だと思っているかの回答ですよ。」

 イザーク様の微笑みにはどこか、からかうような()()があった。

 ならばこれは嘘で、つまらない冗談のはずで。楽しげな眼差しに喜びが滲んでいるように見えるのは、見間違いに決まっている。


「軽口は結構です。」

「嘘偽りなく本心ですよ。」

「到底信じられません。」

「…では、努力しましょうか。信じて頂けるように」

 妙に穏やかな声でそう返したイザーク様が見つめる先で、首を傾げた小鳥が彼の手のひらへ寄り添った。


 今ここで席を立てば、拒絶できる。


 そんな確信があった。

 初めて会った夜、馴れ馴れしかった彼を拒絶したように。


 貴方の努力など無用だと示そうか。

 そう考えたのに、あの日差し伸べられた手が脳裏に浮かぶ。


『お嫌でなければ、貴女をお連れしましょうか。』


 この手を取れば自分は弱くなると、そう確信した時の恐怖が蘇った。

 きっとわたくしは、この方と深く関わるべきではない。


 弱さを見透かされる事は、それを受け入れられる事は、アイレンベルクに相応しくないから。

 築き上げてきた自分が崩されてしまいそうで、怖い。


 だから、立ち上がらなければ。

 そう思うのに脚が動かないのは、堕落なのか。

 それとも、弱くなどならないと証明したいのか。


「……そうですか。」


 呟いた言葉は拒絶には程遠く、好きになさればいいわと言ったも同然だった。

 見なくてもわかる、きっとイザーク様は微笑んでいる。


 弱者を労わるように?不幸を慰めるように?


 あの瑠璃色に自分がどう映るか知りたくなくて、羽を繕う小鳥を見ていた。




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