42.良い報せと悪い予感
かつて――貴族院の重鎮であるフォルクヴァルツ公爵家、その娘が王太子に嫁いだ。
互いがまだ十歳にも満たない頃に親同士が結んだ婚約で、それは決められた道だった。
どちらが不満を言うでもなく交流し、成長し、そのまま結婚した。
しかし数年経っても子に恵まれず、王妃となった彼女は国の未来のために五年という期日を設ける。
それまでに子ができなければ側妃を迎えるべきと進言し、候補者選びも国王より王妃の方が熱心と噂される程に、彼女は後継者問題に真剣だった。
月日はあっという間に過ぎ去って、側妃に選ばれたのはビュンテ子爵家の娘。
元から王と親交があったか?――そんな事はない。
王妃の派閥に属していたか?――そんな事はない。
もっと若く美しく高貴な華はいたのに、なぜあの「行き遅れ」が選ばれたのか?
噂によれば、彼女を候補に入れるよう王妃に進言したのはメルツァー公爵だったという。聖地レラクに暮らす守り人の長が、その時は珍しく王都へやってきていたのだ。
さては国のため、神に選ばれた女なのではないか?
嫉妬と好奇に晒される彼女を養子に迎えたのは、当時近衛騎士の長であったギレスベルガー公爵。
そうして書類上は立派な「公爵令嬢」となって、側妃は王城へとやってきた。
医師が懐妊の診断を下すまでは、ほんの数か月。
第一王子ローレンツは、彼女の輿入れから一年経たずに誕生した。
ただし。
ほぼ同時に王妃の妊娠が発覚し、やがて生まれたのは第二王子エドゥアルト。
第一王子は身体が弱く体調を崩しやすかったが、第二王子は大きく丈夫な身体に恵まれている。
側妃が二人目を妊娠したという報告も上がり、子のいなかった王はあっさりと三人の子に恵まれた。
三人いればもう安泰だと言う者がいた。
第一王子の不調は王妃の仕業ではと疑う者がいた。
あまり表に出ない側妃について、産むために嫁いだ女はそれでいいと言う者がいた。
高貴な生まれの第二王子がいるのだから、第一王子などいなくていいと言う者がいた。
苦しむ息子に寄り添わず王とお楽しみとは、さすが側妃殿下は育ちがいいと言う者がいた。
早くに婚約が決まった自分とは違い、国王は三人の息子に婚約者をあてがわなかった。候補を並べてみせるだけだ。
これが「王妃との結婚が本当は嫌だったのでは」と憶測を呼んでも、その方針は変わらなかった。王妃も側妃も反対はしない。
誰が誰と結ばれて次代の王になるのか、利を得るのはどの家か、貴族達はひっそりと議論を交わす。
第一王子ローレンツは聡明で王の素質も持っていたが、ただただ、彼は病弱だった。常に穏やかな諦念の中におり、主治医の欲によってさらに自由を奪われた。
第二王子エドゥアルトは真面目な気質ゆえに、自身を「正当な血」と呼ぶ貴族がいる事も、兄の未来の暗さも、支えようとする弟の期待も理解していた。
彼はただすべき事をして、信じた者の裏切りによって表舞台を去った。
第三王子ディートリヒは、兄達を支えていく事こそ己が使命だと信じていた。「念のため」の三番目、兄達の予備だという陰口など飽きるほど聞いていた。
国のため家族のため、前へ歩もうとした彼はただ、全てを救うには甘かった。
彼らはそうして生まれ、そうして育ち、そうして死んだ王子達だった。
◇ ◇ ◇
放課後の生徒会室、円卓にはローレンツとディートリヒが向かい合っている。
互いの傍らに控え立つのはシュミット侯爵家の若き刃。
主君である宰相の命令で来たのだろうフェリクスと、ディートリヒを守る事を己が使命とするユリア。それぞれの護衛騎士は廊下で部屋の扉を守っている。
「急に呼び出して悪かったね。ディートリヒ」
「問題ありませんが……どちらかと言えば、清掃員に変装して現れるのを控えて頂きたく。」
「ふふ、なかなか似合っていただろう?」
「一目で気付けなかったのは確かですが…」
ディートリヒは苦い顔で笑った。
学園の廊下を歩いていると不意にローレンツの声がして、しかし見当たらない……と思ったら、近くを箒で掃いていた清掃員がおもむろに笑い出して帽子を脱いだ。それがローレンツだったのだ。
今はもう学園指定の制服姿に戻っているが、妙に爽やかな笑顔で現れた兄の姿は目に焼き付いている。
「周囲の生徒も驚いていましたし、どうか今回だけにしてください。」
「わかった、清掃員は控えよう。次はどうしようかな」
「兄上。体調が随分と良くなったようで皆喜んでいますが、あまり自由にされていると今度は心配になりますよ。無茶をなさっているのではと」
「自分の身体の事はわかっているよ。激しく動けば問題になるだろうが、弟を驚かそうとはしゃいで変装するくらい、なんて事はない。」
楽しげに微笑むローレンツは以前と比べて明らかに顔色が良い。
呆れ半分に「はしゃがないでください」と返すディートリヒだったが、兄が明るく振舞うのは自分を心配させないためでもあるだろうとわかっていた。
だからこそ強く止める事もできず、苦笑する。
そんな婚約者の斜め後ろから、ユリアがじっとローレンツを見ていた。
あまり、ディートリヒ様を困らせないで頂きたいのですが、という目で。
それに気付いているのかいないのか、ローレンツは「まぁそろそろ本題に入るか」と切り出した。
「エドゥアルトがヴァイゼンボルン子爵を捕えた。」
唐突な報せにディートリヒが目を瞠る。
ヴァイゼンボルン子爵は、自領で武器の密輸を行っているという悪党だ。その罪を明らかにするために、エドゥアルトはリリアンを残して旅立った。
しかしその報告がローレンツから届くとは。
ユリアはちらりと兄を見やったが、フェリクスは目を合わせない。
「…捕えたという事は、エドゥアルト兄上はご無事なのですね。」
「ああ。子爵側の抵抗で小規模の爆発が起きたものの、騎士にも重傷者や死者は出なかったそうだよ。」
「何よりです。近隣の住民や建物の被害状況についてはこれからでしょうか。」
「その辺りの詳細はまだ届いていないが、だいぶ上手くやったみたいだね。」
「……そう、ですか。」
ディートリヒが深く安堵の息を吐く。
騎士が共に動いていて、エドゥアルトの配下であるアイスラーも同行したとはいえ、直接向かった次兄がどうなるかと気を揉んでいたのだ。
そんな弟を、ローレンツの赤い瞳が見ている。
「……、エドゥアルトは事件への嗅覚が鋭くなったね。この件が公表される頃にはまた、第二王子派も沸き立つだろう。カルク伯爵令嬢が過激派を随分と釣ってくれているけれど、当然全てではない。」
「…仰る通りです。証拠がないよう下を切り、まだ潜んでいる者もいます。」
リリアンを潰したら、誰に利があるか?
それは何を隠そう第二王子派――エドゥアルトを支持する者達だ。
元々この国では、側妃から生まれた上に病弱なローレンツではなく、王妃から生まれたエドゥアルトを王太子にという声が優勢だった。
それを崩したのがディートリヒが作らせたバーデンの薬と、何よりもリリアンの存在である。
言わば「彼女のせいで」エドゥアルトは賢明ではなくなり、近い将来――もしかすると、既に――アイレンベルク公爵家に見放され、王位など到底望めない立場に自ら陥るだろうという状態なのだ。
リリアンを狙う過激派の中でも、特に危険な相手はユリアが対処している。
時にはニクラスが誘導し、時にはディートリヒの配下の中でも潜入を得意とする――ゼッフェルンの手も借りて、周囲からは自然に見えるよう、けれど暗殺者には格好の的に見えるよう、リリアンの状況を調整してきたのだ。
「体調がよくなってからは、私を狙う輩は明らかに増えた。お前もだろう?」
「幾らかは。皆のお陰で、今のところは問題なく過ごせておりますが」
ディートリヒがユリアを振り返り、彼女は「もちろんでございます」と言わんばかりに誇らしげな笑みを浮かべる。
妹の嬉しそうな表情にフェリクスも頬が緩みかけたが、見られる前に持ち直した。今は仕事中である。
刺客を捕えたところで、間に幾度も人を介していては早々首謀者には辿り着かない。トカゲの尾を切るように、辿った先は既に口を塞がれていたという事も珍しくはなかった。
それを踏まえてディートリヒは警戒と実害への対処に留め、ローレンツは幾人かを敢えて泳がせている。
体調が良くなればこそ《第一王子ローレンツ》に従う者も増え、目の届く範囲も広がり、余計な苦痛で鈍らされる事のなくなった思考は先を見据えていた。
「そろそろ諦めるのが賢いと思うけれど、それがわからない者もいる。エドゥアルトが戻ってこの功績が世に認められる頃には、またひと悶着起きるかもしれないな。」
「カルク伯爵令嬢を、今度こそ消してしまおうと?」
「ああ。やり方を変えてきたりしてね」
第二王子派はリリアンを潰し、エドゥアルトの目が覚めたならその時ようやく、本気でローレンツを消しにかかるだろう。
先にローレンツを消しては、もしリリアンを喪ったエドゥアルトが使い物にならなくなった場合に国として致命的だからだ。
薄く笑みすら浮かべている兄を見ながら、ディートリヒはテーブルの上で組んだ手を擦る。
きっと、ローレンツがエルフリーデに婚約を申し込み、アイレンベルク公爵家の後ろ盾を得た上で立太子されれば政治的には盤石なのだろう。
しかしエルフリーデが探しているのは彼ではない。
なら最初のエドゥアルトのように、やがて冤罪でローレンツが落とされる可能性も高いのではないか。
その疑念ゆえにディートリヒは、「アイレンベルクと手を組まないのですか」と口にする事はできなかった。
ローレンツが人差し指をぴんと立ててみせる。
「お前に伝えておく事としては、もう一つ。デルプフェルトの件で毒薬が見つかった」
「…橋のたもとに他国の傭兵くずれが居着いてしまった一件ですか。クレンク男爵が摘発されたとか」
「そう、そう。どうも元傭兵達は、自国から色々と持ち込んでいたようでね。」
二人の会話を聞きながら、ユリアが僅かに眉根を寄せる。
デルプフェルト領内、ドムス大橋の一件。アイレンベルク公爵邸でのエルフリーデとの茶会で、話題に出ていた事件だ。解決にはエルフリーデの兄やダニエラの父が関わっている。
「我らが伯父上、騎士団長ギレスベルガー公爵からの情報だ。証言と実際の数が一致していない。毒薬の一部がどこかへ持ち去られた可能性があると」
ユリアが即座にフェリクスと視線を交わし、シュミット侯爵家が既知の毒と確かめた。
万一にもディートリヒの周囲で使われようものならば、必ずユリアが気付く。赤紫色の瞳が自分に向いたのを、ローレンツは真っ直ぐに見返して微笑んだ。
「君も覚えておいてね。ユリア嬢」
「…はい。承りました」




