幕間 邂逅の記憶
王都なんか、来るんじゃなかったな。
『ご無沙汰しております、閣下!そちらはもしや…』
『ええ、私の息子です。イザーク、この方達にご挨拶を。』
『…イザーク・メルツァーです。よろしくおねがいします』
わらって、かおとなまえをおぼえて……。
なんでこんなことをしなきゃいけないんだ。かみさまもきっと、こんな人たちは好きじゃないだろうにさ。
だって、ほら。かすかに、ちょっとだけ。
『いやあ、閣下に似てなんとも 利 発 そ う ですな。これは将来が 楽 し み だ。お前も挨拶なさい』
『はじめましてイザークさま。…ぜひ、ぼくとも な か よ く し て いただけたら、 う れ し い です』
『信 心 深 き 民として、自分も教会には 日 頃 か ら 通 っ て おりますが…やはりメルツァー公爵家の方々は、その佇まいから格が違いますな!』
『私の娘はご子息の二つ下なのです。今度、是非ともご挨拶させてくださいまし。 気 が 優 し く 大 人 し い ものですから、まだ友人が少なく…』
たまにさ、こえがヘンだ。
ちちうえとしゃべってる人も、しょうかいされる子供も、ろうかではなしてるだれかも。
こんなところは出て、せいちにかえりたい。
レラク、せいちレラク、おれたちのこきょう。しずかで、くうきがキレイで、こえがヘンになる人もそうはいない。ここは多すぎる……。
人がいなくなると、ちちうえはおれの目のまえに手をかざした。
見すぎだっていう、あいず。おれは目をとじて、あける。ちちうえと目が合った。
『疲れたかい?』
『うん。……こえがヘンな人ばっかりだ。おれ、かみさまとしゃべってていい?』
『おじい様の屋敷に着くまでならね。呼んだらきちんと戻ってくるんだよ。』
ちちうえに手をひかれて、ばしゃにのりこんだ。
おじいさまかぁ。おれを見るとすごくげんきにはなしかけてくるから、それもちょっとつかれるんだよな。
そんなことをかんがえながら、目をとじた。
かみさま。
ねぇ、いまヒマ?おれとはなそうよ。
かぜがふく。
くうきがおいしくなって、いつのまにかすわりこんでたじめんに生えたくさが、ゆれてる。
おれは目をあけて、すうメートルさきにある大きな木の下を見て、わらった。
『こんにちは、かみさま!』
『こんにちは、イザーク。』
かみさまのこえはおだやかだ。
シカみたいなからだは金色の毛なみで、あたまとせなかからは、ながい毛みたいにツタがしげってて。うしろにのけぞったツノはかっこよくて、たまにチョウがとまってる。
かみさまはまつりのときにつかうようなりっぱな布をかけてて、かおの上半分ツタにかくれちゃってるけど、かきわけると金色の目をしてるんだ。
あしをまげてねそべってるかみさまにかけよって、よりかかる。
かみさまはケモノくささがなくて、よく干したふとんみたいなにおいがした。いつだったか、なんでってきいたら、「それは君が僕を、ケモノだと思っていないからだよ」なんて言ってたっけ。たしかに、かみさまはかみさまだもんな。
かみさまをまくらにしてたら、ヘンなこえをきいてイヤだったきもちがなくなっていった。
かみさまのまわりはいつもおだやかだ。
『あー、おちついた。』
『歴代のメルツァーの中でも、僕を枕にするのは君くらいだよ。』
『かみさまのよこっぱら、ちょうどいいんだよな。ふかふかで。なんでみんなしないんだろう?』
『それは、僕が人型に見える者が多いからだろうね。』
『ふぅん』
おれにとっては、はじめからずっとふかふかのツタツタだけどなぁ。
かみさまのツタをいじりながら、そらをみる。
『今おれ王都にいるんだけどさ。こえがヘンにきこえる人ばっかりだ。』
『王都は、人間にとって政治の要だからね。特に城では、表裏のある発言をする者も多いものだ。長く人間を見ているけれど、それはずっと変わらないよ。』
『どれくらいずっと?』
『ずーっとさ。』
『ずーっとかぁ』
いやなまちだな。
大人はかんがえることがたくさんあってたいへんそうだ。ひるねのじかんもないのかな。
おれもいつかそうなるんだろうか。
『ちちうえが言うにはさ、おれがジッと見てるから、見えるから、いわかん?があって、こえがヘンにきこえてるんだって。』
『君は人に対して、並外れた観察力があるからね。注視した相手に滲む悪意や罪悪感、心苦しさや焦り、そういうものを無意識の内に察するからこそ、それらへの反射的な嫌悪や疑心が、君の感じ取り方に作用する。《聞き苦しい嫌なもの》として、言わば不協和音のように聞こえているのさ。』
『……それ、《子供にはむずかしいはなし》ってやつ?』
『そうだよ。』
こういうとき、かみさまはカンタンに言いなおしたりしないし、おれも「わかりやすく言ってよ」とは言わない。
だって、かみさまが言うことをぜんぶわかろうなんて、ムリがあるもんな。
『今の君は加減がわからないから、全てを見ようとしてしまってる。もう少し成長したら情報の取捨選択や、相手にする必要があるかどうかもわかってくるはずだよ。普段は見ないようにしておくことだってできるはずだ。いずれはね。』
『《大人になったらわかるよ》ってやつ?』
『そうだよ。』
『そっかぁ。』
今はまだしかたないかとためいきをついて、おれはちちうえにゆりおこされるまで、かみさまとテキトーなはなしをしていた。
王都に来てからなにがおいしかったとか、これはまずかったとか。
かみさまって、ごはんたべるのかな。
おれに見えるかみさまは《せいしょ》にかかれてるよりずっとはなしやすくて、きがるに会ってくれる。
でもちちうえはそんなにしょっちゅう会えないらしい。おれもいつかそうなるのかな。
『同じメルツァーの直系でも、それぞれで違うからね。成長した後でも僕と会えるかは…イザーク。君次第だよ』
『そういうもんなの?』
『君の父は、神とは自分が容易く話せる相手ではない…という意識が強いんだ。だからなかなか、ここへは来られない。来ないように自制しているとも言えるね』
『おれは?』
『ほとんど赤子の状態でここへ来たのも、君が初めてだよ。』
『へぇ』
そんなときからだっけ?
しょうじきおぼえてないけど、かみさまが言うならそうなんだろう。
おれはおじいさま…ディーツェルはくしゃくのやしきにとまって、そこではこえがヘンになる人はあまりいなかった。
でもちちうえにつれられてしろへ行くと、やっぱりひどいものだった。
こえがヘンな人ばかりで、おれはまず、あちこちにいる人のかおをやたら見ない、ってことをおぼえた。おれにちょくせつはなしかける人は、どうしようもないけど。
それと、ヘンにきこえるのもたまにはやくにたつってしった。
『イザーク様、 お 父 上 の と こ ろ ま で ご案内しますね。』
しろのじじょにあんないされて、てあらいに行ったあと。
ろうかにもどったらさっきのじじょはいなくて、きぞくっぽいおとこがわらっていた。おれもわらって「ありがとうございます」と言った。だれだこいつ。
とりあえず、ゆだんしたスキにきゅうしょをせいしょでぶんなぐっておいた。
ちいさくてもおれはメルツァー、あほみたいにおもいせいしょをもちあるいていた。せいしょをいれるのがメインのかばんを、いつもかたにかけているのだ。
ちなみに、ホンットにおもい。
たのしい本だけど、いやがらせのようにおもい。
だから、こうげきのときは「えんしんりょく」をつかって…おっと、それどころじゃないな。
あいてがかいふくするまえにはしる。
ちゃんとみちをおぼえてればよかったな。どこだここ?
てきとうにはしって、しらない大人がいたらかくれて、とおりすぎるのをまつ。
……ぜったいこっち来たことないから、ぜったいこっちにちちうえはいないな。
そうはおもったけど、ここまでくるとおれはもうたんけんがしたかった。かいだんを上がって、ぜんぜん人がいないろうかには、まどからひかりがさしこんでいる。
大人におこられることもないと、おれはろうかをはしってまどのそとを見た。
かみさまって、こっちには来られないのかな。おれといっしょにたんけんしてくれたらよかったのに。
そんなことをかんがえてたら、うしろからガチャッとおとがした。ふりかえると、だれかがとびらをあけて。
かおを出したのは、おれとおないどしくらいの子供だった。
ぎんぱつにあおい目で、みょうにこぎれいで、ものすごくおどろいてるらしい。おれもおどろいた。ここ、子供が来ていいとこなのかな。それともこいつも、かってに来たんだろうか。
目をぱちぱちして、そいつは口をひらいた。
『……き…君はだれ?』
『おれ?ディーツェルはくんとこのイザーク。お前は?』
『わたしはディートリヒだ。……ええと、ニクラスのしりあいだろうか?』
『ちがうけど。お前もたんけんしてるのか?』
『たんけん』
ディートリヒはぽかんと口をあけて、まるで「かんがえたこともなかった」みたいなかおだ。
まどのそとにはキレーなにわがあって、かだんがめいろみたいで、たのしそうだ。
『あそこ行ってみようとおもうんだけど、ディートリヒも来るか?』
『え……?わたしはたぶん、その。かってに行くわけには』
大人かだれかをさがすみたいにきょろきょろして、ディートリヒはこまったかおだ。そっか。
『来ないならいいけど。じゃあな』
『え!?いや、君は……え?ま、まって…』
『お、きょうそうするか?まけないぞ!』
『なんできょうそう?ではなくて、まってイザーク、にわはそっちじゃない!』
『あはは、お前あしおっそ!』
『なっ…!?』
かおをまっかにしてはしりながら、ディートリヒはなんだかんだ、にわまであんないしてくれた。
さっきのところはじぶんのへやだと言って、ここまでのみちをしってて、つまりは、ディートリヒは王子らしい。
大人が見てなくていいのか?
おれ、ぜんぜんフツーに会えちゃったけど。
しばらくあそんでたら、いきをきらしたみどり色のも来て、ニクラスだとなのる。半なきになりながらディートリヒをさがしてたら、まどからおれたちが見えたらしい。
ニクラスがさわぐもんだから、とうとう大人がやってきた。王子がいなかったわりに、ずいぶんおそい。
『ディートリヒ殿下、勝手に部屋を抜け出されるとはどういうおつもりですか。…そちらの子は』
『かれは、ぐうぜん見かけて……わたしがあそびにつきあえといったんだ。』
これまた、おどろいた。
かんぜんにウソだ。おまけに、おれはディートリヒのかおをはっきり見てるのに、
『これでも王子だ。かれはさからえなかっただけだよ、アルトナー卿。わたしがひきとめていた』
こえがヘンじゃない。どうしてだ?
ディートリヒは大人の目をまっすぐに見上げていた。まるでほんとうみたいに。
でもウソだ。なんでヘンにきこえない?
かみさまが言ってた、あくいとかなんとか、そういうのがないってことだろうか。
だったらおれは、王都に来てよかった。
大人がこっちを見て、目が合う。
かばんから出したせいしょをかかえて、おれはそのひょうしに手をあてた。
『かみにちかって。でんかをにわへさそったのはわたしです』
『イザーク!』
あわてたようすでおれをよぶディートリヒをじろっとにらみつける。
お前、ふざけるなよ。
『たのしかったんだ、めいれいだったことになんかさせるかよ。』
『でも今のは、わたしがせきにんをとるところだっただろう!』
『せきにんね…足おっそいお前になにがとれるんだ?』
『あ、足はかんけいないだろう!わたしはあまり外に出ないから、今はまだおそいというだけでっ…!』
『ふたりとも、ケンカしてるばあいじゃないって!』
ニクラスが大人とおれたちをこうごに見ながらさけんで、その大人はふかいためいきをついた。
まゆにちからをこめておれたちを見下ろしてる。
『……イザーク・メルツァー様、父君が探しておられます。…ディートリヒ殿下。イザーク様を見つけた上、我々が来るまで保護して頂いてありがとうございました。』
そういうことになった。
おれがきゅうしょをなぐった人はとうにつかまってて、大人たちはきえたおれをさがしまわってたらしい。
おれはかなしいかおでジッと見てくるちちうえにあたまをさげ、ヒマなときは大人にちゃんとつたえた上で、ディートリヒにあいに行くことにした。
あいつは足がおそいから、わるい人にねらわれてもにげきれないかのうせいがある。とことんはしらせて、きたえてやらないとな。
まさか、あのときの大人がホンキを出すと、いちじかんはせっきょうをつづけるとはおもわずに……おれはのんきにも、つぎの日にさっそくしろへむかったのだった。
◇ ◇ ◇
――…どれだけ、昔の話だよ。
一瞬で駆け巡った遠い記憶に、「思い返すにしても昔すぎるだろ」と考えた。
喉にこみ上げた血が口から溢れ出る。扉に打ち付けた背中が、貫通しそうな勢いでナイフを突き込まれた腹が、公爵邸を出る時に折られた骨が、切られた傷が、痛い。
まぁ、そりゃあ痛いだろうな。私はたぶん、このまま死ぬ。
『ッ、は……』
まったく、笑えないな。
そうは思いつつ口が勝手に笑った私を見ても、目の前の女はニコリともしなかった。されても気味が悪いか。
体内をえぐるナイフの角度がまた変わり、臓腑を突き破る。
『ぐッ…!』
とにかく苦しめたい程に憎いか、そうか。
その感情があるのなら、ぶつける相手は私でいい。
ユリア・シュミット。
長い黒髪にも白い頬にも返り血を浴びた彼女は、ディートリヒと居る時に見たのとは別人のように表情が無い。
ナイフを握るその腕を掴む私の手にはもう、ほとんど力が入らなかった。ずるりと、血で滑る。だがあと僅かでも、もう少しでも時間をと、声を振り絞った。
『っんな、事しても……ディー、トリヒは』
『わかっています』
ぼそりと吐き出された温度の無い声は、彼女の絶望を表していた。
騎士やラングハイム侯の死体の先、視界の端ではディートリヒが倒れている。もう息は無いだろう……やはり、エルが殺してしまったのだろうか。
『わたくしが手にかけることを、ディートリヒ様は望まないでしょう。』
そう言いながら、ユリア・シュミットは引き抜いたナイフを私の首筋にあてた。
エルは逃げられたのか?わからない。せめて騎士がいる場所へ辿り着いてくれれば。君はどうか生きて、贖罪を。
ああ……私はエルを止めようとするのではなく、ディートリヒに伝えるべきだったんだろうな。少しでも良い方へと欲張った結果がこれか。
すべてが不幸に吞まれていきそうだと感じて、光のない赤紫の瞳を見据えた。
この先どこまで何人手にかけようと、その心は救われないだろう。
それも理解した上での事だな、「望まない」とはっきり答えたのだから。
貴女が死ぬ時天使は来ない。
ならばせめて、
『――神の慈悲が、あらん…ことを。』
私の最期、掠れた声が聞こえたかはわからない。
焼けつくような痛みがして、その瞬間に意識は飛んだ。
風が吹いている。
大木の木陰に寝転んだ私は、きらきらと光る木漏れ日を眺めていた。
痛みはすっかり消え去って体は軽く、さっきまでの出来事がまるで夢のようだ。
『神様。俺死んだの?』
『そうだよ』
横から声が聞こえて、神様の鼻先が視界に入ってくる。
手を伸ばしてツタに触れながら、己の無力さにため息が漏れた。聞くべきか、聞かざるべきか。傷などないのに、胸がずきりと痛む。
『……エルはどうなった?』
『君が死んですぐ、ユリア・シュミットに殺されたよ。』
『そっか…』
俺は本当に、何もできなかったんだな。
あまりにも情けない結果だ。メルツァー公爵家の名が泣く。
いつか死んだら手伝いをしてほしいとか、なんとか。神様は前からそんな事を言っていた。
俺は快諾してたから、これからそうなるのかもしれないが…こうまで悲劇を招いた俺に、果たして神を手伝う資格などあるのかどうか。
『……イザーク。どうして僕に彼女への慈悲を願ったの』
神様の声が普段より少し低い。
珍しいなと思って視線を戻すと、ツタの隙間から金色の瞳が俺を見下ろしていた。
『彼女は君を殺さずにおくことも、苦しめないこともできたのに、敢えてそれを選んだんだ。』
『ふはっ、そうっぽかったよな。めちゃくちゃ痛かった』
『イザーク』
神様が俺の腹に頭を乗せた。さっきまでナイフで抉られていた所だ。
頭に茂ったツタに触れて、落ち着かせるようにそっと叩く。蝶がひらひら飛んできて、神様の角に留まる。
『優しい君が苦しむ必要なんか、無かったんだ。』
神様はずいぶんと憂鬱そうな声で呟いた。
……俺、そんなに優しいか?確かにメルツァーとして、「私優しいです」みたいな顔してる時はあるけど。実際そうでもないと思うけどな。聖書で色んなもん殴ってたし…。
ただ、最期に見たシュミット侯爵令嬢の姿を思い返すと。
『俺が止められなかったせいもあるし、あれを見たらさすがに慈悲ぐらい願うだろ。――…あのままじゃ、救いが無さ過ぎるもんな。』
風が吹いて、蝶がひらひら飛んでいく。
俺達が死んでも、誰が嘆いても、報われなくても、世界は続いていた。
『……わかったよ、イザーク。彼女に殺された君が、他ならぬ彼女への慈悲を願ったんだ』
神様がゆっくりと身を起こし、背中のツタがざわりと揺れる。
ちょっと機嫌が悪い時のクセだな。神様としては、俺はもっと長生きする予定だったのかもしれない。俺も起き上がって伸びをした。これからどんな生活になるんだか。
『君は入れてあげられないけれど、裁定の場を設けよう。初代も早くしろとうるさいしね』
『ん?裁定ってのは…』
『たぶんさようなら、今のイザーク。たとえ君でもこの記憶は残らないだろう』
妙な事を言い出した神様を見つめる。
俺が神様との会話を覚えていられなかったのは、よほど小さい時ぐらいだ。
『願わくは、君に幸多からんことを。』




