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【完結】殿下、その依頼お受け致します!  作者: 鉤咲蓮
四章 貴方の運命

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36.どちらの殿下に仕えるか




 二人の兄を差し置いて、第三王子ディートリヒの婚約が発表された。

 笑って祝福の言葉を述べたその口で、人々は様々な憶測を交わす。


 第二王子エドゥアルトはここ数ヶ月、貧乏伯爵令嬢に夢中らしい。陛下はこれを見限って第三王子の後ろ盾を固めたのでは?

 回復の兆しが見えた第一王子、ローレンツ殿下の相手こそ先に決めるべきだったのではないか。

 そもそもなぜシュミット侯爵家が出てきた?油断するな、長男はあの宰相の補佐だ。

 問題は、アイレンベルクが誰につくか――…。





 早朝の学園。


 男子寮を出て騎士と共に校門前へ向かったエドゥアルトは、見えてきた光景につい苦笑した。


「なんだ。見送ってくれるのか」


 異母弟ディートリヒとその婚約者は丁寧に一礼し、傍らに立つリリアンも一拍遅れて慌てて頭を下げた。

 ピンクブロンドの髪が揺れ、直りきらなかったのだろう寝癖がぴょんと跳ねる。

 顔を上げたリリアンは不安そうだった。エドゥアルトは「大丈夫だ」と言うように眼差しを和らげ、ディートリヒへと視線を移す。


「兄上…どうか、ご無事で。」

「ああ。シュミット侯爵令嬢、弟を頼む。」

「お任せくださいませ。」

「リリアン」

 名を呼ぶと、リリアンははくりと唇を動かした。

 声が出るより先に手を伸ばし、足を前に出して、迎えてくれたエドゥアルトの手に触れる。


「…エドゥアルト様。ほんとに行くんですか?」

「まぁな。」

「でも、危ないなら騎士団に任せたって…なにも貴方が…殿下が、行かれなくても。」

「今回はそうもいかないんだ。」

「何で……私と、その…あのっ、好きなだけ手を繋いだり、くっついたりしていいですから。だから」

「随分と魅力的な誘いだが」

 行かないでと言われる前に、エドゥアルトは遮った。

 大きな手でリリアンの頬に優しく触れ、普段見せる甘やかな笑みとは、違う笑い方をする。


「悪いな。お前の身の安全はこの二人に任せてあるから、安心してくれ」

「…私は、だって、最初から安全じゃないですか。学園にいるだけだもん」

「俺の留守を狙う奴は出るはずだ。」

「でも、エドゥアルト様の方が危な――…」

 エドゥアルトがリリアンを見つめて顔を近づけ、その距離にリリアンは思わず閉口した。目も閉じた。

 うっとりと身を委ねる――というより、頬を真っ赤にし、眉間に皺が寄るほど強く目を閉じて、肩を縮めて。


 手が触れているのとは反対の頬にほんの一瞬、柔らかな感触がした。

 反射的にぱっちりと開いた目には、身を離したエドゥアルトの微笑みが映る。


「俺を信じて待ってろ。リリアン」

「は…っ、ひゃい……」

 寝癖の残った髪をふわりと撫でられながら、リリアンはそう返すのがやっとだった。

 そんな二人から、数歩離れた位置で。


「……ユリア」

「はい」

「逆じゃないか?」

 ディートリヒは心底不可解そうに言った。視界はユリアがかざした白いハンカチで覆われ、兄とその想い人の姿は見えていない。


「こう…私が、君にその。見るなというものでは。」

「いいえ。あのような事…殿下が見て万一真似をなさっては、わたくしが動けなくなる可能性がございます。」

「…そ、それほどの事を人前で……?」

「お子様達。勝手に人を破廉恥扱いするな」

 エドゥアルトがリリアンから手を離すと、ユリアはようやくハンカチを下ろした。

 ディートリヒは耳まで赤くなって俯くリリアンを見やり、平然としたエドゥアルトへ視線を移す。


「…兄上からすると、確かに私達は子供なのでしょうが。」

 エドゥアルトには国王に即位し、失墜し、地方でリリアンと結婚し、子に恵まれるだけの年月を経た記憶があるのだ。

 十七歳の時点から戻ったディートリヒより、精神年齢はさらに上である――とはいえ、今は。


「貴方がたもまだ十五歳ですよ。お忘れなく」

「忘れるかよ。随分と加減してるだろ」

「ま、まだ《上》があるって事…!?」

 リリアンが悲鳴のような声を上げ、未来の妻と目が合ったエドゥアルトは楽しそうに笑う。

 それを見守るディートリヒが眼差しを和らげ、ユリアは少しだけ待ってから「そろそろ時間でございます」と告げた。



 そんな全ては、オペラグラスの向こう側。



 別れを告げる弟達を、赤い瞳が眺めていた。

 くすりと笑ったその人はゆるりと瞬き、窓に背を向ける。


 かたりと置かれたオペラグラス。

 こつりと靴音響かせて、第一王子ローレンツは生徒会室を歩く。休む事も多い彼だが、今日は調子が良いので登校していた。


「今度は何を企んでいるのだろうね、私の弟達は。」


 楽しい事だといいけど。

 そう言いながら、誰に聞いているわけでもなく。

 特別知りたいわけでもないのだろうと、黒髪の男は考えた。弟王子達の動向など、ローレンツが本気で知りたがったらいくらでも情報はとれるだろう。


 部屋の入り口脇に待機する護衛騎士はちらり、ローレンツの言葉に何も返さない美しい客人を見やる。艶やかな短髪をきちりと後ろに撫でつけ、されど前に垂れるほんのひと房が、元々の美貌と相まって彼をより魅力的に見せている。

 数拍の間を置いて、彼はようやく形の良い唇を開いた。


「私は、殿下が何を思っておられるかの方が気になりますが。」

「ふふ」


 男――フェリクス・シュミットを振り返り、ローレンツはにこりと微笑んだ。


「誘いは受けるよ。宰相(ゲラルト)には、今度私の所へ顔を出すよう言っておいてくれ」

「ありがとうございます。」

「ちなみに、これは雑談だけど」

 そんな前置きをして、ローレンツの赤い瞳がフェリクスを捉える。


 不可視のナイフが首に向けられたかのようだった。

 たかが細身の青年一人、護衛が控えていたとてフェリクスはすぐに殺せるのに。


「君やシュミット侯は、彼女を止められるのかな?」

「…妹の事でよろしかったでしょうか。」

「そう、そう。誰の指示ならという話じゃない、できるかできないかだ。」

「殺せます」

「へえ?」

 止められるかと聞かれ、殺せると返した。

 そんなフェリクスを見つめるローレンツは楽しそうだ。


 ――これほどの男でも、あの娘を殺さずに止める事が難しいか。すなわち実力の差は僅か…いざという時、どうするかだな。


「騎士団でも対処に困りそうだと思ったけれど、さすがに君達が上なのか。」

「はい。()()()()の話ですが」

「いずれ越えてくると。なるほどね」

 抱えるにはリスクのある存在だ。

 ユリアがディートリヒを喪えばどうなるか。仮にディートリヒが昏睡するほどの重傷を負った場合、報復を待てと言って聞くかどうか。もし国家間に関わる事件なら「待て」ができないのは致命的だ。


 ――どんな関係性を築くか、まずは弟の手腕を見てみようか。


 空には薄雲がかかっている。

 後ほど一雨きそうだと思いながら、ローレンツは去っていく馬車と残された三人を見下ろした。

 オペラグラス無しでは表情まで見えないけれど、項垂れたリリアンにディートリヒが何か声をかけ、まったく別方向を振り返ったユリアは二人を守るように前へ出る。


 その視線の先を辿ると、三人のもとへ向かう誰かの後ろ姿が見えた。

 騎士団の制服ではないため、騎士でなく生徒だろう。背が高くがっしりとした身体つきで、金色の髪をなびかせ、大きく手を振りながら駆けている。

 ディートリヒがユリアに何か言うと、彼女は警戒を解いた。知り合いだったのだろう。


 ほんの少しだけ目を細めて、ローレンツはそれを見ていた。




 ◇




 第二王子エドゥアルトが学園を休んだ。

 そしてそれを知っていたのだろう、第三王子ディートリヒとその婚約者ユリア・シュミットが、エドゥアルトが熱を上げていたリリアン・カルクに寄り添っている。


 かの王子は謹慎処分を食らったのではないか。

 そんな噂が囁かれる中で、「何かご存じですか」と聞かれるエルフリーデは貴族令嬢らしく微笑んではぐらかした。


 知っているけれど、言えない事だから。

 まるで、そう言っているかのような微笑みだ。実際はエドゥアルトからも、ディートリヒからも、何も聞いていなくても。何も知りませんなどと、アイレンベルクの娘が吐けるはずはない。

 休んだ理由が気になるのはエルフリーデも同じだったが、それでも今、ディートリヒに会いに行きたいとは思えなかった。



 午前中からずっと降っていた雨はやんだが、厚い雲が今もなお空を覆い隠している。

 月明かりも星の姿も見えない暗い夜、エルフリーデは小さなランプ片手に寮を抜け出していた。傍からすぐにはわからぬようローブを着込みフードをかぶり、湿った土を踏みしめて。


 ――…わたくしは、次期王妃に相応しく育てられた娘。エドゥアルト殿下が()()ならローレンツ殿下へと、お父様は考えているかしら。


 少し前までは、エドゥアルトが失墜するなら次の相手はディートリヒだったのだ。

 しかしローレンツが快復するなら、多くの者は彼を王にと推す。


 ディートリヒが先に婚約者を得た事もあり、エルフリーデが大切に想う《彼》ではなくなってしまった事もある。

 困難だろうと実現してみせようなどと、思う事もない。

 もうその道は消えていた。


 ――ローレンツ殿下。もし隣で()()()するのなら、気を引き締めなくては……。


 第一王子はきっと、必要とあらば()()()夫婦になってくれるだろう。

 エルフリーデを尊重し、見極めながら王妃の職務を任せ、アイレンベルクの伝手も利用し、場の空気を操って。

 この方に仕えられて良かったと、誇りに思わせてくれる。身体さえ良くなるなら、かの王子はそれだけの風格を備えていた。


 エルフリーデはわかっている。

 ディートリヒの事がもう関係ないのなら、父の期待に応え《次期王妃》として確実な道を辿るべきだ。

 わかっていて――…碧の瞳は、まだ雨粒が残る芝生を見つめている。


『わたくしはエルフリーデ・アイレンベルクです。あなたは――』

『長いね。エルって呼んでいいかな?』

『かってを言わないでくださいませ!わたくしの名は、お父様とお母様がつけたかくしきあるもので…』


 無防備に不用心に、エルフリーデは歩いている。

 学園内とはいえ、ろくに戦えない令嬢一人は格好の獲物だった。仮に今、アイレンベルクを恨む者でも侵入していたら。もしも今、貴族令嬢を狙った人攫いでも忍び込んでいたら。

 そうしたら全てが終わってしまうのに、不思議と恐怖を感じなかった。


『エル。』


 ――…貴方を、もう、失ったのなら。わたくしだって、もう……


 どこへ行くでもなく学園の敷地を歩いて数分、少し先に明かりの漏れる扉が見える。

 もうじき日付も越える夜中なのに、教会には人がいるらしかった。門も開いていて、まだ訪問者を受け入れると示している。


『エルフリーデ様。帰還したイザーク・メルツァー様ですが、学業の傍ら、学園の教会にも所属されるそうです。』


 そう報告を受けた事を思い出し、エルフリーデは教会から目をそらした。

 明らかに人目を避けた装いの自分を、イザークのような男に見られたいとは思わない。


 ――わたくしは…こんな所で、何をしているのかしら。


 夜に徘徊するなど、気高きアイレンベルクに相応しくない行いだ。

 引き返そうと踵を返した先、誰かが立っていてつい、反射的に顔を上げてしまった。相手も驚いた様子で目を見開いている。


「アイレンベルク公爵令嬢…なぜこんな時間に」

「こんばんは。奇遇ですわね」

 呆けた顔など絶対にしない。エルフリーデは美しく微笑んで、その男子生徒に挨拶する。将来は第三王子ディートリヒの護衛騎士になるだろう男、ツァイス。

 口数が少ない方ではあるが、話してみれば無愛想まではいかない真面目な男で、時折立ち話をする間柄だ。問題は少々、()()が悪いところ。


「まさかお一人ですか?危険です」

「問題ありませんわ」

 ツァイスが焦った様子で一歩近づいてきて、エルフリーデは内心眉を顰めた。それとなく視線をはしらせ、目撃者がいない事を確かめる。誰もいない――現時点では。

 ぱさりとフードを下ろす仕草と共に横へ一歩二歩、自然に距離を取っておく。こそこそ会っていたと思われるより、堂々としていた方が良い。


「勉強していたら目が冴えてしまって……もう戻るところです。ご心配ありがとう」

「そうでしたか…よろしければ、寮の門前までお供致します。」

「紳士ですのね。」

 エルフリーデが取った距離をそのままに、隣ではなく少し引いた位置で、ツァイスは共に歩き出した。エスコートするでも友人としてでもなく、護衛の立ち位置だ。

 ツァイスの視線を感じながら、エルフリーデは振り返らずに聞く。


「エドゥアルト殿下がお休みされているけれど、ディートリヒ殿下もご存じだったのでしょう?」

「は…そのようです。自分も詳しくは知りませんが、しばらくカルク伯爵令嬢を守ると聞いています。」

「そう」

 どうやら、エドゥアルトはそう簡単に戻ってこないようだ。

 そしてディートリヒはエドゥアルトとリリアンを応援するつもりでいるらしい。


 ――何も聞いていない……わたくしは、あまり信用されていないのかしら。


 相手は王家だ。もちろん、言えない事もあるだろう。

 エルフリーデがアイレンベルク公爵家の娘だからこそ言えない、そういう事もあるだろう。相談がなかった理由も幾らだって思いつくけれど、どうしてもエルフリーデの心は少しばかり落ち込んだ。


 約束も企みも関係なくても、公爵家の者として、二人とはそれなりに信頼関係を築いてきた。

 それでも言えないほどに何か、エドゥアルトの不在には重大な理由があるのだろうか。ディートリヒがユリアを連れ、街で不審な男に会っていたという報告も聞いている。

 何かが進んでいる。


「メルツァー様は、ご令嬢に人気のようですね。」


 エルフリーデの思考を邪魔して、ツァイスがどうでもいい話を振ってきた。

 そのようねと軽く答えながら、エルフリーデは心の中でため息をつく。早く寮に着いてしまいたい。


 放課後などはイザーク目当ての令嬢が教会に押し寄せ、彼は優しく対応しているらしい。

 緊張した声色から察するに、ツァイスはエルフリーデがイザークに会おうとしたのではないか、と懸念しているようだった。


「迷いのある方には、教会の神父様がたの言葉も必要でしょう。わたくしはそう思いますよ」

「…貴女にもですか?」

「ふふ。わたくしが言葉を求めるとしたら、それは――…神様その人、でしょうね。」


 嘘だ。エルフリーデは神を頼る気などない。

 言葉を交わす方法も、その手に触れる方法もないのだから。頼りようがない。


 神とはただ、見ている者だ。


 その眼に自分はどう映っているかと一瞬だけ考えて、すぐにやめた。




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