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【完結】殿下、その依頼お受け致します!  作者: 鉤咲蓮
四章 貴方の運命

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32.殿下が見据える盤上の駒




「すまなかった。ローレンツ」


 人払いを終えた、第一王子の私室にて。

 銀色の髪に赤い瞳――自身の色をそのまま受け継いだ長男を見据え、国王は謝罪を口にした。整った顔立ちをしているがその眼光は鋭く、眉間には皺が寄っている。

 ティーテーブルには菓子の類など一切なく、香り立つコーヒーだけが置かれていた。どちらもまだ、一口も飲んでいない。


「シンデルマイサーがそなたを苦しめていた事……本来なら、もっと早く突き止めねばならなかった。」

「見抜けなかった己にも責があると思っています。そもそも、手口が手口ですから。護衛騎士達の処分はどうかご寛容に願います。」

「先日の件とは違う。無論、()()はしない」

「ありがとうございます。」

 シンデルマイサーと国王は学生時代からの親友であり、ローレンツは長年彼を主治医とし、「もう一人の父のような存在だ」とすら言っていた。

 それでも、この父子の顔には落胆も悲壮もない。

 動機も手口も知れた過去の罪人の話は切り上げ、二人は新たに組まれた医療チームについて話し始めた。


 親友、もう一人の父と言いながら――…所詮はその程度。

 裏切られた際に心を病むような、精神的依存を伴う関わり方はしていない。それを無意識に徹底しているあたり、この父子はやはり為政者の器であった。


「…私はエドゥアルトのお陰で手足を潰されずに済み、ディートリヒのお陰で神経毒を盛られずに済んだわけですが」


 悍ましい未来の可能性を、些事の如き軽さで口にして。

 ローレンツは赤い瞳の見る先を国王へと流した。


「弟達はそれぞれ一体どうしたのか、陛下にはお心当たりがあるのですか?」

「どうだろうな。」

「私も王になればわかりますか。」

「――…、ローレンツ」

 国王は小さくため息をつき、一切表情を緩めない。

 目が合った。


「できるのか。」


 なりたいかとは聞かない父に対し、ローレンツはゆるりと微笑んでみせた。国王という役割の重さは、容易く崩れてはならない義務は、よく理解していたから。


「できると言うにはまだ、この身体は動きませんね。」

 シンデルマイサーの「処方」は長期に渡るものだった。

 高熱や炎症の元となっていた毒を盛られる事が無くなったとて、即座に快癒する事はない。どこまで回復できるかはローレンツ自身の体力と、今後の治療によるだろう。

 国王はただ「そうか」と返し、コーヒーカップに指をかけた。湯気が消えかけたそれと共に、言葉にし難い心地を飲み込む。

 ローレンツは「まだ」と言ったのだ。


 ――いずれは、言う気があると。


 微かな音もなくカップを置き、国王はテーブルの上で軽く手を組んだ。

 ローレンツがその未来を見据えるなら、到達までに埋めねばならない席がある。


「エドゥアルトがカルクの娘を欲しがっている事は、そなたも知っているだろう。」

「ええ。学園で見かけた事もあります」

 外見が愛らしく整ったピンクブロンドの令嬢だ。

 エドゥアルトが突然気に入った相手だが、現在のカルク伯爵家の財政状況では格が釣り合わない。本人の知恵も礼儀作法もあまりに拙く、根は善人だろうが「それだけ」の娘だ。

 弟が彼女の何を気に入ったのか、ローレンツにはわからない。


 ――わからないが、エドゥアルトは陛下に似て意志が固い。あの様子では、たとえ廃嫡されようと彼女を選ぶだろうね。


「ディートリヒは、シュミットの娘と婚約する事になった。」

「…ユリア嬢ですか。なるほど」

 エドゥアルトと違い、《確定事項》の言い方だ。

 ほんの僅かに目を見開いたローレンツは、やはり弟達の変化には確かな原因があるのだろうと確信した。


 確かに、ディートリヒはユリアに好意を抱いているようだった。

 婚約するのだろうとからかっても、いずれそうする気はあるらしいと思える反応(かお)だった。ユリアに至っては離れる気がない。


 しかし、早すぎる。

 学園の上級生になるどころか初年度で、あの控えめなディートリヒが――…とうに国王の説得すら終えて、婚約確定とは。


「シュミット侯爵令嬢は、陛下がディートリヒに選ばれた候補にはいなかったと記憶しておりますが。」

「無論、例外的に認めたのだ。あれを自由にさせてはならない事くらいわかっているだろう。」

「そうですね。なぜかディートリヒに懐いているようですから、婚約をさせる(手綱を付ける)のはもちろん賛成です」

 批判が出るほど家格が合わないわけでもなし、ユリア・シュミットをディートリヒから引き離す方が危険だ。

 理解している事すべては口に出す事なく、ローレンツは父がそうしたようにコーヒーを口に含む。ほんの一かけらも砂糖が入っていない苦さを味わい、飲み下した。


「空席はそなたの横だけになった。――…選びたいのなら、あまり時間はやれないぞ。」


 国王の職務を全うできる身体になれるのか、なれないのか。

 どこまでの覚悟を決めるか、妃として巻き込む相手として誰を選び、どう納得させるか。父が自分に選んだ候補者の情報くらい、ローレンツは全て覚えている。

 玉座を望むなら、候補(そこ)にはエルフリーデ・アイレンベルクの名が加わるだろう事も。


「承知しております。陛下」


 微笑んでそう返してみせた息子をちらと見て、席を立った国王はそのまま部屋を後にした。

 ローレンツは戻ってきた護衛や侍女達に軽く手を振り、何も問題はないと示す。コーヒーの残りに唇を付けながら、幾つかの顔を脳裏に思い浮かべた。


 誰が、どう動くか。

 敵は、味方は、接触するべき相手は。


 飲み干してなお口内に残る苦味を、味わい深いものだと楽しんで。鼻歌でも歌いたいような気分で、脚を組んだローレンツは目を閉じた。

 四肢を動かす度に感じていた倦怠感も熱感も痛みも、今は随分よくなっている。


()()二人で話がしたい。シュミット侯爵令嬢』


 ディートリヒがユリアを連れてきた日に、ローレンツはそう持ちかけた。

 視線に込めた圧に怯まない精神力、令嬢らしからぬ強者の風格。恐らくは既に殺しの経験すらあるだろう淑女を見定めるためだ。


 人を殺せば罪なら処刑人や戦時の騎士は犯罪者か?違う。

 国王が使う影の者は罪人として裁かれるか?違う。

 ならばその全員が必ず正義か?違う。


 人並外れて力ある者の扱いには、細心の注意を払うべきである。

 テーブル越しにユリア・シュミットと向かい合い、ローレンツは赤紫色の瞳を見据えて微笑んだ。


『さて、危険なお嬢さん。どうやら随分と気に入った(執着してる)ようだけど……ひょっとして、入学までディートリヒを守らせていたのは君かな。』


 ユリアは表情を変えなかったが、内心では「なぜ知っているのか」と疑問に思った事だろう。

 実際には耳に入る警備状況と漏れ聞こえる話や噂、ディートリヒとローレンツの母である側妃や国王、騎士団上層部らとの会話、ユリアの態度などを掛け合わせた《推測》でしかない。

 だが、合っていたようだ。ユリアが目をそらさずに答える。


『仰る通りでございます。』

『うん。けどそれは本人の許可を得ていないよね?陛下が許そうとディートリヒが許そうと、私としてはそこもなぜと聞いておきたいな。』

『ディートリヒ殿下をお守りするのは、わたくしの都合だからです。』

『君の都合。』


 繰り返す事で問いかけると、ユリアはごく僅かにたじろいだ。ローレンツの目が今は笑っていない事にきちんと気付き、問いの重さを理解した様子だ。

 身体が弱く筋力も常人より衰えたローレンツなど、ユリアにとって一呼吸もなく殺せる相手だった。それでも彼女が気圧されるだけの威風を滲ませ、第一王子ローレンツがユリア・シュミットに問うている。

 本心で答えるべきだと察したのか、ユリアは迷いのない目で答えた。


『あの方を穏やかに()()()差し上げる事こそ我が使命。殿下ご自身が望まぬ限り、わたくしは全てから守ります。』

『そう、今から冗談を言うね。私はディートリヒを殺してあげようと思うんだ』

 間髪を入れず、軽やかに。

 ユリアが落ち着く余裕など与えず、ローレンツは今日の天気でも言うようにあっさりと殺害予告をした。


『――笑えませ』

『ユリア。』


 彼女の瞳に殺意が宿った途端、声を上げたのはディートリヒだ。

 悪い冗談だと流す事も苦笑する事もできなかったユリアは、名を呼ばれた瞬間ハッとして目にも止まらぬ速さで床へと跪いた。ディートリヒが慌てて駆け寄って立ち上がらせる。

 ついローレンツに威嚇行動をしたと言うユリアに驚くディートリヒ、そんなやり取りを見ていたローレンツは――堪えきれずに笑い出した。


『ははは、なるほどね。君はそういう人か。』


 ユリア・シュミットはディートリヒを守る事を至上としている。ディートリヒ自身が自棄にならない限り、己の命を賭してでも任務を遂行する。相手が王族であろうと彼の兄弟だろうと容赦はしない――…そういう目だ。


 しかし、未熟。

 若さゆえにどうしようもない事だが、恐らく驚異的な身体能力を持っているだろうこの娘は、ディートリヒの意思一つで揺らぐ危険を常にはらんでいる。


 ――弟が「もう要らない」と言ったら、この娘はどうするだろうか。


 大人しいディートリヒが持つには、彼女はあまりにも過ぎた手札だった。まかり間違ってこの国がディートリヒを殺してしまった暁には、ユリアは国を潰しかねない。

 そんな大げさな予想をして、ローレンツは念のため、ディートリヒに釘を刺しておいた。

 お前は生きなさいと。


 ――…まぁ、半分諦めていた私が言うのもなんだけど。


 ローレンツが簡単な注視で見抜けるのは筋力的な強さのみだ。

 もっと疑ってかかれば、シンデルマイサーの邪心も先にわかったのかもしれない。

 幼い頃から世話になっている人間への油断、足掻いてもさして変わらぬだろうという諦念、弟達が成長するまで、仕事を分担しておくだけの繋ぎ。

 苦痛を堪えて体を動かす目的(リハビリするの)は、生きている状態を保つため。普通の身体になるのは無理だと結論付けていた。


「これからは私も、ちゃんと生きなければね。」


 ぽつりと呟いて目を開ければ、国王のカップを片付けようとした侍女も、扉を守る護衛騎士も、皆がローレンツを見ていた。少し驚いたような顔で。

 にこりと笑みを深めてみせると、彼らは涙を堪えて頷いた。いつでも穏やかに笑う王子が、自分の未来を諦めていた事など――きっと、随分前からわかっていたのだろう。


 ――私個人としては、エドゥアルトの治世にも興味があったんだが。


 自分を支える彼らの前で言うわけにもいかず、ローレンツは赤い瞳をちらりと窓の外へ向けた。

 夕焼けの光は消え、闇に変化していく青空には小さな星が一つ。


「ふふ」


 目を細め、楽しげに口角を上げてローレンツは笑った。

 決して容易くはない道を、これからどう歩もうか。


「面白くなってきた」




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