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【完結】殿下、その依頼お受け致します!  作者: 鉤咲蓮
四章 貴方の運命

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31.最近の殿下とわたくしは



 紳士淑女の皆々様、ご機嫌よう。

 本日も健康に()()()おいででしょうか?


「ぐぁっ、ぅう!」


 わたくしはユリア。

 暗殺者の家系であるシュミット侯爵家の娘、そしてこの国の第三王子であらせられるディートリヒ殿下の――…婚約者でございます。


 婚約者。


「ああ、なんて素敵な響きなのでしょう…。」

「っ…ぁ……」

 学園の調理場からカフェテリアへと続く廊下にて。

 殿下の食事に何か混入しようとしたウェイターを締め上げながら、わたくしはついうっとりと目を細め、最近の幸せを振り返りました。



『ユリア。お前の最初の依頼主が、動ける人間をお探しのようだぞ。』


 お忍びで現れたお兄様は、楽しそうに笑ってそう仰いました。

 わたくしの最初の依頼主様――…ええ、もちろんディートリヒ殿下の事です。いつかもしご依頼を頂ける機会があれば、決して逃すまいと思ってはおりましたが。まさか、学園に入ってすぐだなんて!

 胸に抱いたのは焦りと期待でした。


 いけませんよ、殿下。

 その辺の未熟で不埒な半端者など、お雇いになりませんように。信頼関係もなく初めて裏の者を使うなら、相手の本質を見極めた上で、正しい扱いができねばなりません。

 何より、既に一つ契約を交わした暗殺者がいるのですから――…たとえ、貴方様のご記憶にはなくとも。


 わたくしをお使いください、どうか。

 わたくしをお選びください、どうか。


 八年前の夜のように。


 ベールのついた仕事着で女子寮を抜け出し、わたくしは殿下のもとを訪れるつもりでした。

 先に一人だけ、片付けが必要なお方もいましたが……その程度はさっくりと終えて、密かに男子寮へ忍び込もうと思っていたのです。日中は人目もありますし、側近のレヴィン様や護衛のツァイス様がお傍にいますから。

 少しだけ……ベッドでお休みになっている貴方様をまた見たい、という願望があった事も否定しませんが。


 旧庭園にて愚か者を捕え、手早く縛り上げた時。

 草を踏みしめる足音に気付いて、わたくしは顔を上げました。こんな夜中にこんな場所へ、どうして?

 捕えた男は茂みに隠し、闇色に染まる雑木林の木の上から様子を見ると……一体どうなさったのか、ランタンを片手に歩いてきたのはディートリヒ殿下でした。


 殿下、このような時間にお一人で出歩かれてはなりません。危険です。

 せめてもう一枚は上着を羽織ってくださいませ、お風邪を召されたらどうするのでしょう。

 そんな心配が真っ先に頭に浮かんだにも関わらず、わたくしの胸に広がったのは喜びでした。裏稼業の者を探しているという貴方様に、今、わたくしがお会いできる。邪魔者なくお話ができるのです。

 まるで、ここで出会う事が定められていたかのように思えました。


 風が吹くと同時に木の枝を蹴って空中へ飛び出し、東屋の屋根に着地します。


 殿下はわたくしを見上げました。

 輝く銀の短髪、海のような深い青色の瞳。八年前と比べて凛々しくなったお顔は、驚きの表情で。害をなすつもりはありませんと示すため、わたくしは殿下から数メートルの距離をおいて地面に降り立ちます。

 恐怖や警戒のないご様子につい笑みを零し、少しだけ首を傾げました。


『《こんばんは。》』


 名を告げて素顔でお仕えしたい気持ちを抑え、他のお客様への対応と同様に声色を変えて話します。

 裏稼業の者を探していると聞いたこと、腕に自信があること。

 殿下のご期待に応えてみせるということを。


 我慢をするつもりでした、機会があるまで何年も。

 ただ見守るよう努めるつもりでした、レヴィン様達のようにお傍へ侍る事が叶わなくても。

 そうして待って…卒業後も、どうしても機会がなければ……我が生涯の主を決めるより先に、思い切って一度だけこちらから売り込みをするか、どうかと。

 思っておりましたのに。


『…私の知らないところで、頑張ってくれていたんだな。』


 先程捕えた男をお見せしたところ……殿下は、そう仰いました。

 それはわたくしにとって、予想外で。


『ありがとう』


 殿下は、目を細めて穏やかに微笑んでくださいました。

 あの夜と同じ……素敵な笑顔。


 不意打ちでした。


 胸にとくとくと喜びが広がって、表情筋が勝手に動いて、ああ、ベールがあって良かったと思ったものです。きっとわたくしは到底殿下にお見せできないような、だらしなく緩みきった顔をしていたに違いありません。

 嬉しくて、嬉しくて。

 そのせいで。


『――いえ、いいのです!わたくしが勝手に…やっ、た……』


 完全に、素の声で口走ってしまいました。

 正体を隠して活動する暗殺者としてあるまじき姿です。それも売り込み中ですのに、あるまじき失態です。

 「殿下。わたくしは腕は良くても、正体を隠すのは下手な間抜けです。」と申し上げたようなものです。


 気分はこの世の終わり。

 当然、「この者に任せられる任務など無い」と思われた事でしょう。

 違うのです、殿下。普段のわたくしはもっとちゃんと正体を隠していて、今はその、殿下にご依頼頂けるかもしれない事が嬉しくて。

 これまで依頼主様に正体を知られた事など一度もございませんし、違うのです、違うのです……。


 心の中でばかり言い訳をします。

 これ以上心証を悪くしたくないと、実際に口に出す事はできませんでした。お見せするためにめくっていた、捕えた男を隠す布を元通りにして。草むらから殿下の御前へ出ます。

 落胆のお顔をされていたらどうしようか、そう思うと上手くお顔も見れません。


『…叶うなら。君が何者かわかると、信用もしやすいのだが。さすがにそれは難しいか?』


 声から知られてしまったのではなく、自ら明かした事にせよと。

 殿下はそのようなお慈悲をかけてくださって――ああ、いけません。まるで潜入術を習いたての初心者の如きミスをしたのに。

 変声も保てない者は駄目です、そう思うのに、言いたいのに。


 ディートリヒ殿下のお優しい声に抗う術を、わたくしは持ち合わせていませんでした。

 お言葉を聞いた次の瞬間には自ら素顔を晒し、はっきりと告げていたのです。

 八年前、きっとその耳には届かなかった――…わたくしの名を。


『長い付き合いになると思うが…どうか、()()受けてほしい。』


 この方は、わたくしをどれほど喜ばせたら気が済むのでしょうか。

 また、そのお言葉をくださるのですか。

 わたくしに受けてほしいと。


『私と契約してくれないか。』


 差し出された手に触れ、もちろんお受け致しました。

 本当なら八年前のようにその手に誓いをしたかった程ですが、その時はただ嬉しくて、嬉しくて。一年もの長期契約だと言われてさらに舞い上がる心地で、わたくしは浮き立つ心を抑えるのにとても苦労をしたものです。


 そして騎士団へ罪人の引き渡しを終え、男子寮へ戻られる殿下のお背中を見送りました。

 ひっそりとお守りする覚悟をしておりましたのに、これから一年もお傍で護衛をさせて頂けるなんて。その間にわたくしの実力を見て頂き、契約期間を更新して頂けるようにしなければなりません。

 明日から気合を入れ直し、更なる精進を――…と考えておりましたら、振り返った殿下が手を振ってくださいました。


 当時、殿下の視界に入っている生物はわたくしだけ。

 わたくしだけに、ディートリヒ殿下が、手を振ってくださっている。

 衝撃を受けつつも手を振り返してみますと、殿下は破顔して視線を前へ戻し、そのまま歩いていかれました。


 ………素晴らしい主君に仕える喜びは、金銭など遠く及ばぬ報酬であると、聞きますが。


 深く、理解致しました。

 これが報酬――少々距離があり、わたくしの視力でも見辛いものではありましたが――今の笑顔を、今後もっと近くで拝見する事ができるというのでしょうか。


 見たい。

 それは是非とも、見たいです。


 八年前の素敵な笑顔を胸に、あの方のために良い腕を持とうと努力して参りましたが。

 どうやらわたくしにとって、殿下の笑顔は金銭など遠く及ばぬ素晴らしい報酬のようなのです。心拍数が上がり、全身に血が巡り、今なら五人ほど瞬時に()れそうな心地が致しますと、そう思うほどでした。


 ディートリヒ殿下。

 たとえわたくしが至らず、一年後に契約が終わってしまったとしても。

 どんな事があっても、必ず――…わたくしが最期までお守りし、この手で依頼を果たします。


 必ず。


 誓いを新たにした翌日などはつい、気持ちが急くあまり殿下をじっと見つめてしまいました。それに、「さすがに照れる」と仰るその横顔が……初めて見る表情で、ますます見ていたくて。

 「依頼」という単語を聞いてようやく我に返りましたが、危ういところでした。殿下ばかりを見ていては、殿下の敵を(ほふ)れません。ご尊顔を拝見するにも限度があると、常に理解していなければ。


 そうして殿下の依頼でお会いしたのは、第一王子ローレンツ殿下。

 遠目でお見かけする事はございましたが、目を合わせて言葉を交わすのは初めてのこと。


『――…なるほど君は、私達を簡単に殺せる女性(ひと)だね。』


 一目でそれを見抜いておきながら、容易く口に出してみせるとは。

 仮にも一国の王子殿下に対し、わたくしは無意識に侮っていたのだと…反省致しました。


 病弱な第一王子殿下。

 幼少の頃から体が弱く、その生には常に苦しみが付きまとっている。

 関節部の炎症とそれによる痛みが続き、発熱もしやすく、日常生活程度に身体を動かす事すら苦痛が伴う。けれど動かなければ血流が滞り――…丁寧に世話をされているとはいえ、数日寝込むような事も数え切れないと聞きます。褥瘡(じょくそう)の経験だってあるでしょう。


 薬で辛うじて苦痛を和らげ、笑顔を保っておられる。

 十数年もの間、ずっと。


 ――…()()()()だけは、笑えませんでしたが。ローレンツ殿下は、ディートリヒ殿下の敵ではない。


 ディートリヒ殿下が兄君を助けたいなら、そのために誰かを疑うのなら。わたくしが真実を解き明かす手伝いをするのは、当然でございます。


 結果として、ローレンツ殿下はシンデルマイサー医師を失いました。

 王子殿下の命を自分が握っている――…それを「神様になった心地」などと言う、勘違いも甚だしい男でございました。

 ローレンツ殿下は罪人に仰います。


『おぞましい生き物だな、君は。』


 わたくしは違う。


『私がその手に納まると思ったのか。実に愚かだ』


 わたくしがディートリヒ殿下を殺す時は、ご自身が望まれた時のみ。

 もうこれが最期の時だと、殿下がそうお思いになった時のみです。たとえ自然がもたらす死だとしても。

 息を引き取る最期の瞬間――…わたくしが必ず、お傍で幕引きを。


 貴方とは、違う。


 …嫌な人間(もの)を見たという苦みはありましたが、わたくしと殿下は「ローレンツ殿下を救う」という目的を果たしました。

 けれど、わたくしには随分助けてもらったと、ありがとうと仰ってくださるディートリヒ殿下のお顔には、どうしてか後悔が滲んでいて。


『八年前の約束を、貴女は覚えているだろうか。』


 殿下は、予想外にも――…わたくしとの出会いを忘れていたと、謝られました。

 わたくしが勝手にした行動を、「献身」と言ってくださって。


『今までずっと、私を守ってくれてありがとう。』


 あの時の感情をどう言い表せばいいか、未だにわかりません。

 わたくしは、「殿下に思い出してほしい」とは思っていなかったはずなのです。わたくしが覚えているからと、思っていて。

 なのに嬉しくて、嬉しくて。暗殺者たるもの、涙など容易く見せてはいけないのに、どうしても堪える事ができませんでした。


『ユリア。君が好きだ』


 殿下の声が、耳に心地よく響いて。

 八年もの時間をかけ、その時ようやく自分の気持ちを知りました。


 あの夜、微笑む貴方を見て――…わたくしはとっくに、恋に落ちていたのだと。


 共に生きてほしいと言う殿下につい、「娶らずとも仕事をします」と言いました。

 殿下はただの虚勢であったそれを否定なさらず、「でも」と続けます。


『私は暗殺の腕以上に、君自身に傍に居て欲しいんだ。だから、どうか受けて欲しい』


 わたくし自身に、傍に居て欲しいと。どうか受けて欲しいと。

 貴方様にそう言われ、跪かれて……拒否する事など、誰ができましょうか。


『私と婚約してくれないか。』


 もちろん、喜んでお受け致しました。

 そうしてディートリヒ殿下がわたくしの手を取って、指輪を嵌めてくださったのです。


 婚約者。

 殿下を誰よりもお傍でお守りできる立場……それも護衛のための偽装ではなく……す、好きだと、仰って頂けるような、そんな幸福な立場に、わたくしが。

 今なら神でも殺せそうな心地だと、そう思ったものです。


 しかし一つ失敗がありました。

 抱きしめてよいかと聞いてくださった殿下に、わたくしは浅はかにも頷いてしまったのです。……もっと己の心を理解してからにすべきだったのではと、未だに反省しています。


 殿下に抱きしめて頂いた途端、その体温や香りを感じた瞬間、いつ何時でも周囲の警戒を怠らなかったはずのわたくしは――…わたくしは、殿下の事しか考えられなくなっていました。

 せっかくこれからお傍で御身をお守りできるというのに、わたくしは、わたくしは!!

 あまりにも離れがたくもっと触れていたくて三秒もかかってしまいましたが、どうにか距離を取る事に成功しました。危険です、駄目です、殿下をお守りしなくては。


『殿下。どうか今のは一ヶ月、いえ二週間の禁止…三日……いいえ!周囲の安全確認を終えた時だけにしましょう!』


 わたくしが未熟なだけならば、いずれ……いつかは、殿下に抱きしめて頂いていても周囲の警戒を怠らず、問題なくお守りできるようになるはずです。

 そうしたらもっと長く抱きしめて頂け――…今からこのような思考ではいけませんね。誘惑を振り切るのです。


 わたくしは暗殺者。

 殿下に抱きしめられ、あの優しい声で名前を呼んで頂きたいなんて事は――…できるだけ考えず、殿下の敵を消す事を第一に考えねばなりません。


「……ええ、大丈夫です。わたくしは今日も任務を遂行致しました」


 泡を吹いて痙攣している男を縛り上げ、ワゴンに載った殿下のお食事に問題がない事を確認します。男の衣服はサイズが微妙に合っていないので、本物のウェイターはどこかに転がされているかもしれませんね。

 聞き覚えのある靴音に振り返ると、予想通りレヴィン様がいらっしゃいました。


「なんか遅いと思ったら…ユリア嬢、そいつ死んでませんよね?」

「はい。五分以内に蘇生処置をすれば大丈夫です」

「次から気絶に留めてくれますか。」

「善処致します。レヴィン様、こちらのワゴンをお願いしてよろしいでしょうか。」

 そう時間は経っておりませんが、殿下のお食事が冷めてはいけません。レヴィン様達の分も載っているワゴンを指すと、快く引き受けてくださいました。

 わたくしは昼休みが終わる前に、この男を騎士団に突き出しておかなくては。


「そいつは職員にでも預けて、ユリア嬢も早めに来てくださいね。」

「ですが」

「ディートリヒ様がお待ちですんで。」

「三分以内に参ります。」



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