幕間 邂逅と忘却
廃れた教会で二人きり。
迫る炎の中で、ユリアはディートリヒの亡骸を抱きしめ涙を流した。
『わたくしを、信じて…』
彼にはもう言葉など届かないと知りながら。
それでもいつかの再会を願って目を閉じた、瞬間。
『また君か、ユリア・シュミット。』
炎の熱が、音が、匂いが、痛みが、全て消え去って。
唐突に響いた覚えのない声に、ユリアは即座に目を開きディートリヒを抱えて後退しようとした。
しかし、その手は空中を掻く。
ディートリヒの身体はそこになかった。
『殿下!?』
立ち上がり目をはしらせ、ここが草原だと気付く。
空に浮いた草原の中、棺を中心に四つ配置された白い床石の中央に、椅子が一つずつ。ユリアは椅子の前に立っていた。
棺の蓋を開けなければ、その中を確かめなければと走り出そうとして、見えない壁に阻まれる。拳で叩いてもびくともしない。
『っく…』
『無理だよ、それは破れない。中が見たければ、開けてあげようか。』
棺の向こう側、ユリアの対面に設置された椅子から声がかかった。
短い金色の巻き毛に金色の瞳、まだ十歳かそこらの男児がいつの間にか腰かけている。純白の衣服は金の刺繍が施され、まるでどこかの王族のようだった。
ユリアの目が残り二席を確認する。
いつ現れたのか、一つには体格の良い黒髪の男が座っていた。白く長いベールで顔を隠している。残る一つは空席のままだ。
子供がふわりと草原に降り立ち、棺に向かって人差し指を振る。
蓋が外れると、中には衣服に血の染みも傷もないディートリヒが眠っていた。ユリアが見えない壁に幾度も拳を叩きつける。
『殿下!殿下、ディートリヒ様っ!』
『そう騒がないで。死んでるだけだよ』
どうでもよさそうに言いながら、子供は棺の端に腰かけた。
ひと際強く壁を叩き、ユリアは怒りに満ちた目で子供を睨みつける。棺に座るなど死者への冒涜だ。
怯える事なくその視線を受け止め、子供は肩をすくめた。
『彼が死んだ事は、君が誰より知っているだろう?なにせ今回は自分で殺したんだし。』
『殿下を返してください。何者ですか貴方達は』
『僕は君達が《神》と呼ぶ者だ。ようこそ二度目の裁定の場へ。ユリア・シュミット』
面倒そうに腰を上げ、神と名乗った子供は一度地面を蹴っただけでふわりと自席へ戻っていく。
まるで羽根でも使ったかのように。
ユリアは思いきり眉を顰めた。
『神?子供に見えますが。』
『それは君が僕を、《子供のように理不尽な存在》と思ってるせいだ。いいからさっさと裁定に――…といきたいところだけど、少し吐き出しておきたい事もある。』
偉そうに腕組みをしてウンウンと頷き、彼はぴんと立てた人差し指をくるりと回した。
『今回の話だ。エドゥアルトはよくやってくれたよ、なにせ守り人を助けてくれた。だが……』
じろりと、神はユリアを睨みつける。
いかにも子供らしい不機嫌そうな目つきだった。
『せっかく生き残った守り人を、君。何で殺したんだ!馬鹿な真似を!!』
『イザーク・メルツァー様の事でしたら、彼が勝手に飛び出したのです。』
『言い訳になっていないな。彼を殺さずアイレンベルクの娘を仕留めるなんて、全くもって簡単だったろう。それを、君。わざとだろ、君。』
『ああした方が良いと感じたのです。』
背筋をぴんと伸ばし、ユリアは一ミリたりとも悪いと思っていない。
神は頭が痛そうに顔を顰め手を振った。
『そうだろうとも、君の狙いはあの娘を苦しめて苦しめて殺す事だ。それも肉体的じゃない、精神的なもの。イザークを目の前で刺した方が、逃げなかったあの娘に死体を見せた方が苦しむとわかっていた。』
『お二人の関係は存じませんが、当時の様子から、その方がいいと判断したまでです。結果、エルフリーデ様は死を受け入れました。』
『あの娘だけ殺せばよかったものを。それでいてディートリヒの死には審議申請をしてくる、はぁ。まったく…』
不貞腐れたように足をぶらぶらさせながら、神は「決まりだから」とユリアに説明をした。
シュミットが心から「死ぬべきではない」と感じた相手を殺し、「次こそは良い選択を」と告げた時。
その者にはやり直しの機会が与えられるのだと。
『ただし、この裁定の場で《やり直させてもよい》と決議されたら、の話だ。』
『……なぜ、わたくし達が殺した場合に限るのですか。』
『君達は人の身でありながら、その実力ゆえに《天災に近い絶対性》を持つからだ。ある種の理不尽。だから初代に聞かれた時、まぁ救済措置を置いてやってもいいかと思ったまで。』
正直面倒だけどね、と神は言った。
顔を隠した黒髪の男は黙ったままだ。ユリアは壊せない壁に片手をつき、神を睨みつける。この壁さえなければ手を出していたとでも言いそうな目だ。
『わたくしがあの言葉を言ったから?ではなぜすぐに止めてくださらなかったのですか。即座にここへ繋がっていれば、貴方の言うイザーク様の死もありませんでした。』
『申請書を書き終えたら、それは即座に実行されるかい?違うだろう。提出し、届き、承認され、実行する者へ命令が届いてからだ。』
大げさに腕を伸ばして遠くを指し、とん、とん、とんとリズムよく自分に近付けるように指していく。最後にユリアを指差して、神はぼやいた。
『君は前回も文句を言ったよ、僕が遅いからディートリヒが死んだと。エドゥアルト達を殺してすぐ戻れば良かったのを、埋葬までしたのは君なのにさ。それがなければ間に合った……まぁ、部下が散歩中の僕を探すのに手間取った事も認めよう。』
『…わたくしにその記憶はございませんが、今聞いて腹が立ちました。どうしてくれましょう』
『どうもできるわけないだろう、君は所詮人間なんだから。――では、裁定に移ろうか?』
座るよう促され、ユリアは唇を引き結んで従った。
神を名乗る子供が腹立たしいのは確かだが、壁に阻まれた自分に成す術がない事もわかっている。これまでの説明が本当なら、ディートリヒに「やり直し」の機会を与えられるのも神だけだ。
審議を行うにあたり、席は四つ。
神と、ユリアと、黒髪の男と、もう一つ。空席を見やったユリアに気付き、神がため息交じりに手を振る。
『そこはメルツァーの席だ。当代はイザークだが、君が殺したからいない。』
『…左様ですか。』
『前回は君が関わらない死だったから居たよ。エドゥアルトのやり直しに同意した一人だ』
どう返事するべきかわからず、ユリアは黙っていた。
ディートリヒと違い、ユリアは少ししかイザークと話した事がない。
彼がどんな人物かもう少し知っていたら、手にかけなかっただろうか。そんな意味のない問いが浮かび、すぐに消える。
『裁定を下そう』
神がそう言った途端、黒髪の男とユリアの前に花が現れた。細長い花びらは外向きにカーブを描き、一本の茎から枝分かれして六輪以上は咲いている。
淡い桃色の、ネリネの花。
空中に浮かんでいたそれを手に取ると、自身を閉じ込めていた壁が消えた。
『やり直すべきと思う者は、花を棺へ。不要と思う者は、花を大地へ。』
草原に吹いていた風を感じ、ユリアは足を踏み出す。
花を手に歩みを進め、棺の中で眠るディートリヒの傍に屈み込んだ。さくり、さくりと、黒髪の男が近付いてくる。
『今回、君はディートリヒを手に入れた。しかし当然、やり直した先でどうなるかはわからないよ。』
興味無さそうな声で神が言う。
ユリアはそちらを見る事はせず、ディートリヒにネリネの花を手向けた。手を胸の前で組み、目を閉じる。
『どのような結果になろうとも、貴方様がお望みのままに。』
ぱさりと、音がした。
もう一つの花がディートリヒの胸に落ちたのか、草原に捨てられたのか。ユリアの耳はきちんと聞き取っている。
後は意見を受けた神の最終決定次第。
ため息が聞こえた。
『君は本当に子孫に甘いよ。』
誰かの手がユリアの肩に触れる。
不思議と拒む気にならずそのままでいると、知らない声がした。
『次こそは――…君も、良い選択を。』
ここでの記憶は残らない。
全てが無かった事になってしまうと知りながら、それでもその人は声をかけてくれた。ユリア達のための言葉を。
目を閉じたまま頷いた。
『必ず。』
柔らかな光が溢れ、数秒も待たずして消える。
棺の中にディートリヒの姿はなく、傍らにいたユリアの姿も無くなっていた。
◇ ◇ ◇
白い雲が浮かぶ晴れ空の下、木に留まった一羽の小鳥が歌っている。
「平和ね」
わたくしが穏やかに微笑んでそう言えば、共に午後のひとときを楽しんでいた友人達も同意してくれた。自分のため家のため将来のため、誰もが笑顔で和やかに言葉を交わす。
流行り物から各領地の情報を、各家の財政状況を、誰にどんな伝手があるのかを。
そして時にはただの年頃の娘として、他愛のない話も混ぜ込んで。
空から小鳥のさえずりが聞こえた。
舞い降りて来た一羽が、先程から木に留まっている一羽の隣に落ち着いて。元からよく知った相手なのだろう、二羽は仲睦まじく寄り添っている。
他の誰も目に留めないその光景を、わたくしは少しだけ羨んだ。
『大きくなったらきみをむかえにいく。』
――大きくなったら、なんて……まったく、いつまでかかるのかしら。
心の中でだけ、そう苦笑して。
自由な貴方がわたくしを連れ出してくれると、離さないでくれると言ったのに。
忘れた貴方をわたくしがお傍で支え続けると、思い出すまで待つと決めたのに。
いつか叶うと信じていても、時折、ほんの少しだけ――…寂しくなる。
一体どれだけ待っていたら、わたくしを思い出してくださるのか。
幼い頃あんなに奔放だった貴方は、たった数年で王族らしい真面目な少年になっていて。
わたくしを勝手に「エル」と呼ぶ事もない。急に「かわいい」なんて言って驚かせる事も、言葉が乱れてしまう事もない。
成長と共に、貴方は別人のように変わっていた。
それは「次期王妃に相応しくあれ」と育てられたわたくしがお支えする相手として――…王になって頂くためには、良い変化で。
喜ばしい変化であるはずなのに、寂しく感じてしまうのは……きっと、幼い貴方が懐かしいから。
貴方がまるで、あの日の出会いなど「無かった」かのように過ごしているから。
幼いわたくしは、立派な淑女になって、いつか迎えに来た貴方を驚かせようと思ったのに。
精一杯の努力を支えてくれた思い出が、「嘘」のようで。
わたくしの大切な出会いが、そこに居たはずのお友達が、約束してくれた彼が、本当に消えて無くなってしまうかのようで。
――…きっと、大丈夫。
わたくしは自分に言い聞かせる。
貴方を傍で見守り、助けになり、支えて、そうしていつか。
あの日のように幼く笑う、素顔の貴方に会えたなら。
ようやく報われる。わたくしのこれまでは間違いではなかったと。あの日のわたくし達は確かに居たのだと。
共に生きていけるのだと――…。
二羽の小鳥が飛び立った。
茶会を終えて側仕えと共に歩き出したところで、とある男子生徒に目を留める。茶会をしていた東屋がよく見える廊下で彼は今、ややぎこちなく歩き始めた。こちらを見ないようにして。
――…わたくし達を見ていたのね。けれど、会話が聞こえる距離ではない。
先日お兄様と共に騎士団を訪れた際にも見かけた顔だった。
普段はディートリヒ殿下の護衛騎士見習いとして、彼の傍にいる事もある。寡黙な性質で、饒舌に話す所を見た覚えはない。
わかりやすく視線を送れば一瞬だけ目が合い、慌てた様子で頭を下げられた。
ああいう眼差しには慣れていて、すぐに理解する。
――そう。わたくしが気になるのね。
殿下の傍にそんな騎士は要らないと、そう思う。
美女に見境がないなら切るべきであり、わたくしだけを想うなら、それを隠す覚悟と技量が無ければ駄目だ。
ディートリヒ殿下のため、国のため。
次期王妃に相応しく育てられた女として、わたくしの目が届く範囲の者は見極めておかなければ。
彼がもう一度こちらを見る瞬間を狙って僅かに微笑みを作り、立ち止まらせた。
「ご機嫌よう。ツァイス様」




