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【完結】殿下、その依頼お受け致します!  作者: 鉤咲蓮
三章 貴女の真実

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30.君と生きていくために




「終わりとは、実に呆気ないものだね」


 自室のベッドに腰かけて長い脚を優雅に組み、第一王子ローレンツが言う。

 薄く微笑みを浮かべてすらいる彼はまるで、たった今自身が毒を盛られかけた事など、ほんの些事に過ぎないと捉えているかのようだった。

 赤い瞳が見やった先で、黒髪の侍女が白衣の男を床に押さえつけ拘束している。

 ローレンツは男に微笑みかけた。


「まさか本当に、貴方が裏切っていたとは。」


 主治医であり、国王の親友でもある男、シンデルマイサー。

 定期健診として訪れた彼はいつものように器具を取り出し、まずはローレンツの喉を診るために舌圧子(ぜつあつし)を手に取る。

 それをローレンツの口元へ運んだ時点で、一人の侍女が彼を拘束した。

 なぜなら、器具にはうっすらと薬液が塗布されていたから。


「う、裏切ってなど!殿下を裏切ってなどおりません!これは毒ではない!」

「ご冗談を」

 黒髪の侍女――ユリア・シュミットが口を挟んだ。

 塗布された薬液は微量で、確かにそれだけで人体に不調をきたすものではない。

 しかしローレンツの診察は数日に一度、その頻度で接種すると体内に蓄積し、高熱や関節部の炎症などを引き起こすのだと。

 死ぬ事はないが、日常生活には確実に支障をきたす。


「長年続く第一王子殿下の不調は、この男が操っていたものと考えます。」

「馬鹿な!」

 ユリアの言葉をシンデルマイサーが否定する。

 それでもローレンツは、「拘束を解け」とは命じなかった。彼の主治医は床に押さえつけられたままだ。


「接種量や頻度を調整すれば、体調に波を作る事も、自身で処方する薬の効果も思いのままでしたでしょう。」

「この女の言う事は出鱈目です!殿下、貴方を治すために私がどれだけ苦心して――…」


「ではなぜ毒を持ち込んだ?」


 気迫ある声には聞き覚えがあり、目を見開いたシンデルマイサーは床に頬を擦りながらそちらを見る。

 いつの間に部屋へ入ったのか、第二王子エドゥアルトと第三王子ディートリヒが揃っていた。険しい表情でシンデルマイサーを睨むエドゥアルトの横で、ディートリヒがユリアに合図する。


 ユリアの手が迷いなくシンデルマイサーの上着を探り、ガラスの小瓶を取り出した。中には黒が混ざったような暗さのある紺色の結晶が入っている。

 ユリアが最初から小瓶の位置を知っていたという事は、持ち出した時点で見られていた可能性が高い。青ざめたシンデルマイサーの喉がゴクリと鳴った。


「東国からわざわざ取り寄せたらしいね。」


 穏やかに問いかけるのはローレンツだ。

 この結晶は熱に弱く、ただの湯でも溶けてしまう。それを人間が飲むと運動失調や温度感覚異常、四肢麻痺などを起こす神経毒となる。


「私を寝たきりにしたかったのか?主治医である君が。ぜひ理由を聞かせてほしいところだね。私が快癒すれば、貴方は腕利きの医師と称えられただろうに。」

 たとえ中身が伴わずともね。

 そう付け足したローレンツには焦りも嘆きも、怒りすらも見当たらない。

 長年信じていた男の裏切りに ――いっそ寛容に思えるほど――、第一王子は静かだった。


 ――殿下にとって、私は《その程度》だったのか。


 シンデルマイサーの顔に恐怖と絶望が浮かぶ。

 かつては間違いなく優しい医師だったその男は、ユリアに奪われた毒を見て「これは、万一の…」と呟いた。


「これは……これはあくまで、《お守り》で。違うのです、今日使うつもりなどはなかった!」

「いずれは使うつもりだったのだろう。そもそも毒を隠し持って兄上に近付く事が罪だと、貴方が知らないはずもない。」

 ディートリヒの叱責にシンデルマイサーは必死な様子で首を横に振ったが、やがて三兄弟の視線に耐え切れず項垂れた。


 国王の親友である事、優秀な医師である事、これまで培った信頼。

 全てが崩れていく。


 もう逃れる術はないと理解して、シンデルマイサーは力を抜いた。ユリアは彼を押さえつけるのをやめ、しかし拘束は解かずにその傍らに立つ。


「わ、私は――…神様に、なりたかった」


 ぽつりと告白したシンデルマイサーの目は、ローレンツだけを映している。

 その目に今まで気付かなかった狂気の存在を感じ、ディートリヒは人知れず拳を握り締めた。

 もっと早く気付けばきっと、兄の苦しい日々も少なくて済んだ。


 どこか遠くを見るように視線を空中に投げ、シンデルマイサーが続ける。


「幼い貴方が流行り病でひどく体調を崩され、意識を失った時に……私は初めて診察をさせて頂きました。」


 普段以上に真剣に診たのはなにも、彼が王子だからではない。

 苦しげな幼子を、親友の息子を、一人の医師として助けたかったから――…だと、思っていた。


 意識を取り戻したローレンツの赤い瞳と、目が合うまでは。

 当時を思い出してか、シンデルマイサーはぶるりと身震いして自身の腕を擦る。


「幼いながらも、貴方の風格――苦痛を押し隠して笑うそのお姿に、なんと高貴な方かと胸を打たれました。私はそんなお方に頼られる医師なのだと知った!あの時、貴方が苦しむ匙加減は私の処方次第だったのです。まさに――まさしく、神様になった気分でした。私は殿下の命を握らせて頂いた」

「っ貴様!!」

 護衛騎士が憤慨して一歩踏み出したが、他ならぬローレンツがそれを視線で止めた。

 赤い瞳の向く先がシンデルマイサーに戻ると、彼は告白を再開する。


「先月、殿下の四肢を潰す計画があったと聞いて……恐ろしくなりました。潰されては血液の循環に支障が出て、予後はそう長くもたない!あ、貴方の身体に手を出して良いのは、主治医である私だけなのに…!」

「ふ」

 ローレンツは、「何様のつもりだ」と笑いかけて、やめる。

 神様になりたいと言ったのだ、この愚かな男は。


「王位継承権があるから、そんな事が起きた。なら、私が貴方の苦しみを調()()()()()範囲で……継承権など関わらない段階へお連れして、私が、貴方が終わるまでずっと管理して(見守って)差し上げようと思ったのです。」

「おぞましい生き物だな、君は。」

 ローレンツが言う。

 長年の不調で多少やつれてなおも美しい王子は、頷くように瞼を閉じて、見るのも面倒そうに目を開けた。口元は未だ、微笑んでいる。


「私がその手に納まると思ったのか。実に愚かだ」


 その言葉を聞きながら、ユリアは表情を変えないまま、閉じた唇に少し力を込めた。

 シンデルマイサーと自分では守り方が違う、考え方が違うと心の中で呟く。貴方とは違うのだと、見下ろしながら。


「まったく――…もう少し上手くやればいいものを。」


 唇をほとんど動かさずに呟いたローレンツの微かな声を、ユリアだけは聞き取った。

 どういう意味かと瞬くも到底口には出せない彼女の見つめる先、かの王子はにこやかに罪人を見下ろして言う。


「長い付き合いだったね、今までありがとう。シンデルマイサー」

「殿下…わ、私はただ、貴方に頼られたかっ」

「その首は括るのと切り落とすの、どちらがいい?」


 選んでいいよと王子は言った。

 はくはくと動くだけの唇は答えを吐き出せず、それが二人の最後の会話となった。



 シンデルマイサーは騎士に捕縛され、長年ローレンツが治らないよう調整していた事、いずれ今以上に不安を覚えたら小瓶の結晶を煎じ薬に混ぜ、実質的に継承権を失う状態まで落とそうと考えていた事を認めた。

 彼が主治医になる前からローレンツは病弱だったが、余計な(どく)が抜ける事でこれまでよりは活発に暮らせるかもしれない。


 じきにヴァイゼンボルン子爵領から薬師バーデンもやってくる。ローレンツには未来と違う薬が必要になるかもしれないが、あの頃に救えた治験患者達のためにも、ディートリヒは同じ薬もバーデンに作らせてみるつもりだ。


 数ヶ月後に起きるはずだった第一王子ローレンツの事件は、こうして未然に防がれた。

 ただ、シンデルマイサーが不安を抱くに至った原因――犯行の発端となったのが、エドゥアルトが防いだ襲撃事件であった事から。


 未来で起きた事件を防ぐ事ができたとしても、安心してはならないと。


 ディートリヒもエドゥアルトも、改めてそれを実感した日だった。





 ◇





「ユリア」


 人払いをした自室で、ディートリヒは優秀な暗殺者の手を取った。

 彼女は既に令嬢の装いに戻っており、第一王子殿下を守れたと、ディートリヒの依頼に応えられたと、誇らしげに目を輝かせている。


「貴女が居てくれたから早く、滞りなく進められた物事が幾つもある。まだ短い間だというのに、随分と助けてもらったな。」

「殿下のお役に立てたなら、何よりでございます。」

「――…本当に、ありがとう。」

 少し目を伏せて、ディートリヒが言う。

 なぜか後悔が滲むように見えるその表情に、ユリアの顔から笑みが消えた。


 ――気のせいでしょうか、殿下の「ありがとう」が、「さようなら」に聞こえるのは。どうして?


 小さく、すぐ目の前にいるディートリヒにすら聞こえないほど小さく、ユリアは唾を飲み込んだ。

 深い青色の瞳がユリアを見る。

 真っ直ぐに、あの夜のように。


 ――殿下。わたくしは、最後まで貴方様を、


「八年前の約束を、貴女は覚えているだろうか。」


 ユリアの瞳が丸くなり、それだけでディートリヒは確信したようだった。

 彼は何かを堪えるように少しだけ眉を顰め、苦笑する。


「すまない、私は最近ようやく思い出したんだ。ずっと…ずっと忘れていた。」

「謝る必要など!殿下は高熱で魘されていたのです。仕方のない事です」

「依頼という形で、自身の最期を君に託していた。それを思い出して…」

 軽く握られていた手が離れ、ユリアの指先が無意識に震えた。

 思い出したから契約したんだと言われるのか、思い出したからこれからもよろしくと言われるのか。

 それとも――…


「私は、恐ろしかった」


 ずんと、重くなる。

 あの夜ユリアを怖がらずにいてくれた男の子が、記憶を取り戻した今、「恐ろしかった」と口にした。


 依頼は、その場で殺されないための方便だったのか。始めから信じられていなかったのか。

 拒絶から出た空っぽの嘘に気付かず、望んでくれたと勘違いしていたのか。


 ――殿下は、わたくしに「お願いしたい(殺してほしい)」とは、思っていなかった?


 頭から血の気が引いていく。

 初めて依頼してくれた、素敵な笑顔の貴方のためにと――そう思って努力してきた自身のこれまでは、一体何だったのかと。

 ユリアはそれを考えようとして、考えられない。


 短く息を吸ったディートリヒに、「それ以上言わないでください」と言いたかった。

 けれど喉は締められたようになって、指先ひとつ動かせなくて、ユリアは彼の言葉を黙って聞く他ない。


「君のその献身を、ひたむきな思いを、努力を……私が知らずにいた事を。」

「……え?」


 続いた言葉が予想外で、ユリアは小声で聞き返した。

 希望を探すように視線を上げ、ぱちり、ディートリヒと目が合う。深い青色の瞳にあるのは恐怖でも拒絶でもなく、後悔と覚悟。


「君が私の願いに尽くしてくれていたと知らずに、この命を終える事など……あってはならなかった。今更と思うかもしれないが…長い間、声すらかけずにいてすまなかった。ユリア」


 記憶の中の少年と、目の前のディートリヒの笑顔が重なった。


「今までずっと、私を守ってくれてありがとう。」


 ――あの夜と同じ。穏やかで、素敵な笑顔。


 胸の奥にじわり、温かい感情が広がっていく。

 こみ上げる涙を堪えて、ユリアは微笑みを返そうとした。

 なのにどうしてか、ディートリヒに格好悪い姿など見られたくないのに、くしゃりと歪んだ変な顔になってしまう。


「い…いいのです。わたくしは……貴方様が、思い出さずともいいと…本当に、そう思っていましたから」


 その命を奪う日まで思い出されなくても構わないと、考えていた。

 ディートリヒの記憶には無くても、かつての約束はユリアが覚えているのだから。

 約束を果たしたいという気持ちはユリアのものだから、自分さえわかっていればいい――…はずだった。


「ああ、でもやはり……思い出して頂けて嬉しいと、そう思います。」


 頬を伝う涙に、ディートリヒがそっとハンカチをあてた。

 ユリアが自分の手を重ねても、温かい手が離れる事はない。いつの間にか二人の距離は狭まっていて、ディートリヒの優しい眼差しはどこか、熱をはらんでいた。


「ユリア。君が好きだ」


 想定外の言葉に目を見開く。

 まるで何年も抱いてきた想いを吐露するように、ディートリヒの声は穏やかだった。嘘偽りなど微塵も感じられない素直な言葉が、ユリアの心にすとんと落ちる。


 ――…好き。


 湧き上がったのは歓喜と、幸福だった。

 生涯の主を決めるなら必ず貴方を候補にと、そう考えてきた自身の本当の心をたった今、ユリアは理解する。


 ――…恋とは、その人が欲しくなることだと。いつか母が申しておりました。


 ディートリヒが他の誰でもなく、自分だけを見つめている。

 ユリアはその瞳から目が離せなかった。


「私と共に生きてほしいと言ったら、君を困らせるか?」

「――…よろしいのですか。わたくしで」

「君がいい。」

 ディートリヒが即答する。

 あまりの早さに、ユリアはついくすりと笑ってしまった。ハンカチを持つ手が離れ、少し物足りなく感じる。

 暗殺者としてなんと腑抜けた姿なのだろうと、ユリアは虚勢を張った。


「この腕をお望みなのでしたら、なにも娶らずとも…わたくしは仕事をしますのに。」

 嘘だ。

 先程までは真実だった、今はもう嘘になる言葉だ。

 ディートリヒに触れられ名を呼ばれて「好きだ」と言われる、そんな極上の幸福を知りながらただの雇い人に徹するなど、無理があった。心をどれだけ潰せば()()()かわからない。


「ああ。でも私は暗殺の腕以上に、君自身に傍に居て欲しいんだ。だから、どうか受けて欲しい」


 ユリアの前で跪き、ディートリヒはリングケースを差し出した。

 指輪の石座には彼の瞳と同じ色の宝石が輝いている。


「私と婚約してくれないか。」


 それはユリアにとって最上の誘いだった。

 誰より近くで彼を見つめ、誰より近くで彼を支え、誰より近くで彼を守る。

 自分でいいのかと、同じ問いを口にしかけてやめる。誰あろうディートリヒがそれを望んでくれたのだから、ユリアの答えは一つきりだ。


「その依頼、喜んで……っもちろん、お受け致します!」


 精一杯の笑顔で答えた途端、ディートリヒの顔が赤く染まる。

 彼は急に視線を泳がせつつも「ありがとう」と言い、ぎこちなくユリアの手を取って婚約指輪をはめてくれた。



 ――…た、多少自信はあったものの……本当に、本当にユリアと本当の意味で本当に婚約を、


 ディートリヒの頭はまだ少し混乱している。

 嬉しそうに指輪を見つめるユリアが、今にも「婚約者としてお仕えしますね」と言い出しそうな気がしていた。

 彼女の白い頬に赤みがさしているのは、ディートリヒの見間違いではないと思っていいのだろうか。

 心臓の鼓動が早い事を自覚しつつ、ディートリヒはユリアに問いかけた。


「…君を抱きしめても、良いだろうか。」

「もちろんです。どうぞ、お好きなように。」

「ありがとう」

 安堵して微笑んだディートリヒが腕を広げると、愛しの婚約者は大人しくその中に納まってくれた。彼女が苦しくない程度に、けれどしっかり抱きしめる――事ができたのは、三秒ほど。


 次の瞬間にはユリアはディートリヒの腕から抜け出し、三メートルほど離れた位置で眉根をきゅっと寄せていた。

 やり場のない腕ごと硬直し、ディートリヒが瞬く。本人の許可があったとはいえ、ハグは早すぎたのだろうか。


「……ユ」

「殿下。」

「はい」

 姿勢を正したユリアに向き合い、ディートリヒも背筋を伸ばす。

 今しがた婚約を了承してくれた相手のはずだが、その表情は主君を諌める臣下のようだった。


「これは、よくないものです。」

「よくない…」

 嫌という事か。

 ディートリヒは精神的ダメージを負って視線を泳がせた。

 生理的に無理だったのだろうか、そう聞くべきか迷いつつユリアを見ると、彼女は耳まで赤く染めて目を伏せている。


「だ、抱きしめて頂いた途端……廊下を通る足音は遠く聞こえ、思考はほぼ使い物にならず、気配察知能力も著しく下がりました。これでは御身が危険です」

「……、うん?」

「どうにか抜け出せはしましたが、それも非常に時間と精神力を要してしまい、わ、わたくしは殿下をお守りしたいのに……!」

 珍しく汗まで滲ませているユリアに驚き、ディートリヒはぱちりと瞬いた。

 なんだか論点が違うなと、改めて聞いてみる。


「ユリア。先程のようにするのは、嫌か?」

「嫌ではないから困っているのです!一度は打破したのに、あの離れがたさ……ずっとああしていたくて、もっと殿下の温かさを感じていたくて、次に必ず抜け出せるという自信がありません……!」

「……、そうか。」

 ディートリヒは目を閉じ、しばし天井を仰いだ。


「可愛いな、私の婚約者は……」

「殿下。どうか今のは一ヶ月、いえ二週間の禁止…三日……いいえ!周囲の安全確認を終えた時だけにしましょう!」

「……善処しよう」




三章 完


四章開始まで、少し間が空きます。


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― 新着の感想 ―
[良い点] ユリアが、ユリアがかわいすぎて 尊すぎて1日かけて読んでしまった 好きで数時間堪能、婚約しようで数時間堪能…今最後まで… 読めて幸せすぎる…! 4章も楽しみにしてます!
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