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【完結】殿下、その依頼お受け致します!  作者: 鉤咲蓮
三章 貴女の真実

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29.君が抱える過去の約束




 フェリクスの元へ向かったユリアと別れ、ディートリヒは城内の自室に立ち寄った。


 今は学園の寮に寝泊まりしているとはいえ、こちらの部屋もいつでも使えるよう清潔に保たれている。上着を脱いで椅子にかけ、少々行儀が悪いとは理解しつつ外着のままベッドに腰掛けた。


 思い返すのはローレンツとの茶会だ。

 苦いコーヒーを飲みながら、ディートリヒは兄に問いかけた。


『幼い頃、兄上も城の庭に出る事があったと思いますが……催し以外で、貴族の子息子女と会う事はありましたか?』


 もちろん、エルフリーデの探し人を確認するためだ。

 ローレンツは「幾度かある」と答えた。通りすがりの知人が子を連れていれば、自然と挨拶を受ける。


『一番よく覚えているのは、()()()()()かな。……天使のように美しいご令嬢がいてね。なびく金色の髪、煌めく瞳――』

『っ!?まさか…』

『日に焼けた肌、軽々と運ばれる彫像』

『彫像』

『そして高木を登るあの速さ…私も彼女ほど健康だったらと、憧憬の念を抱いたものだ。』


 ディートリヒは幼いエルフリーデが彫像を運び、木を登ってみせる姿を想像しかけてやめた。さすがに別人だろう。

 一応「他にはいませんか」とも探りを入れてみたが、ローレンツがエルフリーデと庭で会った事実はないようだった。


 留学中のイザーク・メルツァーからはまだ返信が届いていない。

 そもそもが「エルフリーデ・アイレンベルクが探し出せなかった相手」、こんな短期間で見つけられずとも当然の話だ。

 エルフリーデの件はまだ数年の猶予があると、ディートリヒは己を落ち着かせる。


『もう彼に会えないとわかったら、どうでもよくなってしまったのです。』


 家柄と実力を踏まえれば、誰もが「次期王妃に最も近い」と言うだろう公爵令嬢。

 かつてのディートリヒにとって、姉のように頼もしい人だった。共にエドゥアルトの治世を支える仲間として、彼女を信じていた。

 強い女性(ひと)だった。

 しかし。


 ――…エルフリーデは、たった一人と再会できずに全てを捨てた。エドゥアルト兄上は、王家を抜けてでもリリアン・カルクを望んだ。


 生まれ持った責任も、積み上げてきた信頼も、期待も、投げ捨てて。

 人は何を天秤にかけ、どちらを選ぶのか。


 重苦しい何かを飲み込んだような気になって、ディートリヒは仰向けに寝転んだ。

 自然と目に入るのは部屋の天井だ。ユリアの名を呟いたら上から返事があった、そんな日もあったなと思い返す。ディートリヒの中では割と最近の出来事でも、ユリアにその記憶はない。

 押したら開くのかもしれない天井の一か所を眺め、ため息をついた。


《あの娘、お前次第で国をも消すぞ》


 背を向けたユリアに聞かれないよう、ローレンツはメモ紙に走り書きしてそう告げた。

 彼女と二人で何を話したかは明かさず、ユリアを睨む事も、ディートリヒに怒る事もなく、ただ微笑んで。


《だから、お前は必ず生きなさい。》


 ディートリヒにとって、長兄のその一言はあまりに重かった。

 核心を突かれたような感覚に陥り、それによって強く自覚する。


『依頼だ。私を殺してくれ』


 命を落とした日の、最後の選択。

 その方がユリアが生き残る可能性は高いはずだと、ディートリヒは考えた。


 確かに、そう考えたのだ。

 しかし、それ()()でもなかった。


 ――…わかっていた。「ユリアに生きていてほしい」と考えながら、私は……本当はただ、「殺されるならユリアがいい」と、そう思った自分の心を優先したんだ。そういう気持ちがあった事を、否定できない。


 ユリアが「つい」殺気を向けてしまっても、ディートリヒは彼女を恐れなかった。

 寒気の正体がユリアと知れば警戒も解いた。なぜなら、「彼女になら殺されてもいい」と思っていたから。


 一国の王子が持つ事は許されない思考だ。

 己の命を軽んじて良い立場ではないし、ディートリヒ自身、決して軽んじたつもりはなかった。


 ただあの状況で考えついた選択肢の中で、自身の願いにもっとも近い方へ傾いてしまっただけのこと。

 たとえ王子に生まれようと、ディートリヒはたった十七年生きただけの青年だった。


 望む方へ手を伸ばし、時に愚かな事をして。

 大事なもの全てを守る事などできず、国を次兄に託せるなら自分はいなくていいと考えた。


 時が戻った今もなお、ディートリヒは「ユリアになら」と思っている。

 あの澄んだ瞳で自分を見る彼女が、最期に見送ってくれるのなら――…。



『…いつかもし、わたしがしぬのなら……』



 遠い昔にも同じように考えた事がある気がして、ディートリヒは瞬いた。

 なんとなしに頭を動かすと、ベッド脇の窓が目に入る。カーテンは左右にまとめられ、ガラスの向こうには暗くなりかけた空があった。


『『てんしにあった』って言い出しただろ。』


 ニクラスの声が脳裏に蘇る。

 幼いディートリヒが「天使」を目撃したのは、この部屋だった。

 窓から来た同い年くらいの少女と話をした、そう言っていたらしい。「夢じゃない」とも。


 少し、自身の鼓動が大きく聞こえた。

 ディートリヒは身を起こす事もせず、閉じた窓をじっと見つめている。当時、高熱でひどく苦しかった事は覚えていた。

 頭が重くて、目の前はぼやけて見え、そして――…


 窓の外、十四歳のユリアが顔を覗かせた。


 目を丸くするディートリヒの前で彼女は、窓の鍵が開いていないと気付く。

 身を起こしかけたディートリヒに「大丈夫です」と手振りして、止める間もなくどこかへ行ってしまった。


「なぜ外から――いや、それよりも…」


 起き上がって無意識に髪を手櫛で整え、視線を泳がせる。

 ガラス越しに目があった瞬間、ディートリヒは強い既視感を覚えた。あれはまさしく、彼が知っている光景だった。


 ――そうだ、私は……このまま弱って死ぬのだろうかと、ひどく恐れていたあの夜に。


『きみは……?わたしをむかえにきたのか。』

『むかえ?』

『わたしはしぬんだろう』


 天使がやってきた。

 星空を背景に、美しい少女が窓の外から。

 幼いディートリヒは、それが人間であるはずはないと思った。


『しにませんよ。わたくしが今――…』


 熱で意識が朦朧とする中で、それでも目の前の少女は夢ではないと理解していた。

 月光が反射して光る黒髪に、ディートリヒを真っすぐに見る澄んだ赤紫色の瞳。


『――…ほしいという、いらいですか?』


 依頼。

 その言葉を聞いて、幼いディートリヒは素直に「そうだね」と呟き、そして願った。


『いつかもし、わたしがしぬのなら……きみのような、きれいなひとにおねがいしたい。』


 目の前の美しい天使が迎えに来てくれるのであれば、死も恐ろしくはないだろうと思えたのだ。

 ディートリヒは彼女に、死の淵での再会を願ったつもりだった。


 ――それから、何があったのだったか。確か「報酬」と言われて……今思えば、天使に報酬を求められるのもおかしな話だが……私はなんと答えたのだろう?思い出せないけれど、彼女に聞かれたら何でも差し出してしまいそうだな。


 ディートリヒのおぼろげな記憶の中で、天使は微笑んでいた。

 握ってくれた手を温かいとは思わなかった、そんな気がする。真夜中に外からやってきた天使の手はきっと、冷えていて。


『――…あなたさまがおわるときは、かならずわたくしがいたしましょう。』


 愛らしく微笑んで、天使はそう言ってくれた。

 思い出したディートリヒは、少し汗の滲んだ手でシャツの胸元を握り締める。


 あの「天使」は、間違いなくユリア・シュミットの姿をしていた。


 今しがた窓越しに彼女を見るまで、ディートリヒは完全に忘れていた記憶だ。

 しかしユリアはどうだろうかと考えて、すぐに結論が出る。


 ――彼女が忘れているわけがない。


 しょっちゅう依頼を欲しがり、達成すれば誇らしげにディートリヒを振り返り、褒めれば嬉しそうに微笑む人だった。

 しかし――…。


『私を殺せ。ユリア』


 ディートリヒがそう願った時、彼女は全く笑わなかった。

 そうせずとも逃げられると説得する素振りもあった。それでも頑ななディートリヒを見て、言ったのだ。


『お望みのままに。()()ですから』


 それが何を指した言葉だったのか、今になって思い知る。

 当時のディートリヒには深く考える余裕などなかった。「どんな仕事でも期待に沿う」と言ったユリアであったから、そういう意図の話だろうと。

 思い出した今では、聞こえ方が全く違う。


 ――かつて《天使》に会った私は、それが《暗殺者》だと思わなかった。迎えに来てくれるなら、その時に会う天使は君がいいと言った。しかしユリアには、「死ぬ時は君が私を殺してくれ」という風に聞こえただろう。


 ユリアは入学した時から既にディートリヒを気にかけ、不審な動きをする同級生を見張っていた。暗殺者として生涯の主を決める前に、一度はディートリヒの依頼を受けたいと言っていた。契約してからは過保護なほど近くで守ろうとした。

 彼女は、幼い日に受けた依頼を大事に持ち続けていたのだ。


 ――ずっと私の身を案じていたのも、先程の「命を終えるまで体調管理を」という発言も。全ては「いつか殺す日まで死なないように」という事か。


「ああ……そう、か。」


 ディートリヒは手で顔を覆い、目を閉じる。

 彼女にとって、自分はそういう相手だったのだ。こみ上げる激情を堪え、ゆっくりと息を吐く。


「……あの時の私はやはり、()()()()のだろうな。」


 ディートリヒを殺す時、ユリアは「次はお間違えなきよう」とは言わなかった。

 殺されたからこそ時を遡り、かつて知らなかった多くの事実を知る事ができた。エドゥアルトの本心も、エルフリーデが抱える願いも、忘れ去っていた幼い頃の邂逅も。

 自分を殺させたからこそ予想外に増えた選択肢が幾つもあった。戻る事ができて良かったと心から思う。


 それでもなお「自分は間違っていた」のだろうと、ディートリヒは考えた。

 きっとあの時、ユリアに自分を殺させるべきではなかったのだ。


 ――次こそは、良い選択を。


 目を開いて手を下ろし、深呼吸をした。

 ユリアが窓から去ってどれくらい経ったかと壁の時計を見やり、天井に目を向ける。ディートリヒにその向こうなど見えはしないし、物音も聞こえない。彼女の気配を感じ取れるわけでもない。

 それでも口を開き名を呼んだ。


「ユリア。いるだろうか」

「っはい!?」


 少し焦った様子の声が聞こえ、かこんとずれた天井板からユリアが顔を覗かせた。

 ディートリヒが当然のように呼んだ事に驚いたのか、珍しく目を丸くしてこちらを見ている。ディートリヒが構わず軽く手振りをすれば、僅かな着地音と共に彼女は床へ降り立った。


「報告を聞こう。」

「は、はい。確認したところ――…東国から取り寄せられた《毒》は、二種類ありました。」

「二つ?記録上は…」

「一つのみです。城へ届くまで箱には厳重に封がされていたため、運び手であるキンケル侯爵も知らされていないかもしれません。」

 何者かが東国への注文に密かに追加していたようだ。

 今回はディートリヒの調査命令によってユリアが内密に申し出て、フェリクスを通じて宰相が許可を出し、共に中を確認しての発覚である。当然、時が戻る前はこの段階で彼らが調べる事はなかった。


「どちらもこの国にとっては新種ですが、東国から添えられた文書にある程度の効能が書かれておりました。片方は少量でも死に至る毒、もう片方は――…」




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