28.君は国をも亡ぼす淑女
「馬鹿な真似は、やめる気になりましたか?エドゥアルト殿下」
わざと挑発するような声色で、生まれ持った美貌を微笑みの形に揃えている。
後ろへ流した黒髪はほんの一房だけを前に垂らし、フェリクス・シュミットはこちらを見据えていた。俺が今日城へ寄る事も、この廊下を通る事もわかっていたのだろう。
「何の話だ?」
「貴方様の子飼いが長期休暇を取ったので、火遊びのフリはいい加減おやめになったのかと。どこへ行かせたんです?」
フェリクス自身ならまだしも、人を使っては行き先まで調べられなかったか。アイスラーが撒ける相手だったという事だ。
ヴァイゼンボルン子爵領へ行かせたこと、薬師コンラート・バーデンの保護が目的であること。
俺が吐かない限り、こいつが知るはずもない。
「リリアンの事は遊びじゃねぇ。本気だ」
「何の関わりも無かったのに、ですか?」
「何度も言わせるなよ。俺はただあいつに惚れたんだ」
フェリクスが僅かに目を細めた。
聞き分けの無い子供を見るようで、得体の知れないものを見るような目でもある。
俺の事情を理解できるはずがない。
シュミット家は自身に与えられた力を知らないがゆえに、お前ほどの男であっても真実に辿り着く事はないだろう。
そして別の主人を持つお前に、俺が協力を求める事はない。
「宰相に言っておけ。俺を王にするのは諦めた方がいいってな」
「…ディートリヒ殿下を推挙されるのですか?」
曖昧に笑って歩みを再開した。
兄上を救えたならその時は、誰も文句なしに兄上が王となるだろう。それが元々の正しい形なのだから。
どうしても救えなければ、その時は――…。
呼び止められる事もなく進み、騎士団の修練場に着く。
下手に王族が出ていくと騒ぎになるため、目立たない見学席から様子を窺った。
将来は騎士志望だろう学生が懸命に声を上げ、木剣を振り回して騎士に稽古をつけられている。順番を待つ学生達の視線は稽古の様子と、もう一か所とを往復していた。
離れた場所で、エルフリーデとその兄がラングハイム侯爵と話している。
アイレンベルク兄妹の美貌に見惚れていた学生達は、視線に気付いたエルフリーデに微笑まれて放心していた。
こうした些細な邂逅での印象付けは後々に使えるものだ。
今この瞬間にも、アイレンベルクの駒は増えている。
◇
事前に兄上の許可を取り、私達は休日に城を訪れた。
ニクラスは何を勘違いしたのか「お前さ、初デートが兄王子への挨拶は流石に無いだろ」とかなんとか、言っていたが…。
断じてデートではない。
ローレンツ兄上を守るためには何より本人の信用が要る。だから今の内にユリアと会ってもらうべきなのだ。
向かう馬車の中で、ユリアはまたしても隣に座って私を見つめていたが…体調が悪いのを隠しているように見えるのだろうか……?
勘違いしそうになるし緊張もするので少し、気を付けてほしい。
兄上の部屋の前で足を止め、ユリアと頷き合ってから扉に向き直る。扉の横で控えていた騎士が扉をノックし、入室の許可を取った。
扉が開かれる。
「失礼しま――」
「ようこそ我が部屋へ!」
バタン。
私は足を進める事なく扉を閉めた。今見えたものはなんだ?
ユリアが首を傾げ、長い黒髪がさらりと揺れる。可愛い。
「いかがされましたか、殿下。」
「いや…」
少し幻覚が見えたなどと言えば心配させるので言葉を濁し、無意識に皺の寄っていた眉間に指の節をあてる。
今、花や紙、布飾りを施した室内で兄上が「ディートリヒの兄」と書かれたマントを翻し、壁には大きく「ようこそユリア・シュミット様」と書かれた垂れ幕がなかっただろうか。兄上の立ち位置まで左右に三人ずつ並んだ侍女が、花吹雪を撒いていなかっただろうか。
――幻覚だと思いたい……が、兄上ならやりかねない。
「殿下?」
「……ユリア。少し、ここで待っていてもらえるだろうか。先に私一人で入る」
「心配ですので、余程の事情が無い限りはご一緒がよいのですが…」
「ん、うん…余程の事情か……」
君が私を気にかけてくれるのは嬉しいが、あれを見られると第一王子の威信に関わるところではあるかもしれない。
扉を閉めても内鍵をかけないこと、できるだけ早くユリアを部屋に入れることを約束し、私は扉の隙間から中へと滑り込んだ。
先程と同じ立ち位置でこちらの様子を窺っていたらしい兄上達が顔を輝かせ、ユリアが入ってこないのを見て同時に首を傾げた。完全に息が合っている。
「兄上…」
「客人はどうしたんだ、ディートリヒ?」
「どうしたと聞きたいのはこちらです。何なのですかこの部屋は?」
やはり幻覚ではなかったらしく、兄上も侍女も壁際に控えていた侍従も、全員がどこか満足げな顔をしていた。飾り付けを撤去してくれそうな気配は微塵もない。
上等なクロスが敷かれたテーブルにも美しい花々が添えられ、用意された茶器もワゴンで待機しているデザートも一級品だ。
「浮いた話の一つもなかった弟がご令嬢を連れ、それも私の所へ挨拶に来るというんだ。これで盛り上がらない兄がいようか?いや、おるまい。全力で冷やか――応援していく所存だよ。」
「冷やかさないでください。第一、彼女には真面目な話で来てもらったのです。」
「ああ。お前と婚約するという真面目な話だろう?」
「兄上」
「わかった、わかった。茶番は終わりにしようか」
兄上が渋るフリをしながら手を叩くと、使用人一同がてきぱきと散った花びらを片付けて壁際に整列した。
私は今一度兄上を振り返るが、一足先に着席してにこりと笑っている。
「あの。マントと部屋の装飾を――」
「客人を入れて差し上げろ」
止める間もなく扉が開かれ、ユリアが粛々と入室する。
さすがと言うべきか、彼女は装飾を見ても一度瞬いただけで足を止める事はなかった。私の傍へ来て止まり、兄上に対して淑女の礼をする。
「お初にお目にかかります。シュミット侯爵が長女、ユリアにございます。」
「ようこそ、シュミット侯爵令嬢。顔を上げていいよ」
背筋を伸ばしたユリアを見て、兄上は目を細めた。
緩く振られた手によって使用人達が部屋の外へ出ていき、私達三人だけになる。
人払いの判断をしたという事は、私が連れてきた点も含めてある程度は、ユリアの存在を許容頂いているか。
それでもまだ着席の許可が出ないことが珍しく、私は緊張を押し隠して兄上を見つめていた。
陛下と同じ赤色の瞳はユリアを観察し、彼女は真っ向からその視線を受けている。
「――…なるほど君は、私達を簡単に殺せる女性だね。」
兄上があまりにも穏やかにそう言ったので、私とユリアは目を見開いた。
見ただけでユリアが暗殺者だと――人を殺めるだけの手腕があると、察したのか。なぜ?見た目はただの美しい令嬢であるはずなのに。
「いいだろう、二人とも座りなさい。」
「…失礼致します。」
私が答え、ユリアが黙礼してそれぞれ着席する。兄上は微笑んで背もたれに身を預けた。
「なぜわかったのかわからない、そんな顔だね。」
「当然の疑問です。彼女を見ただけで…」
「身体が弱い分、昔から勉学と人の観察だけが楽しみでね。生物としての本能でもあるかな?強者は、その佇まいから何となく察する事ができる。令嬢に必要な筋力と殺しに必要な筋力は異なるし、精神面の強さも滲み出るものだよ。私が今のように見て怯まない女性は珍しいし」
兄上は、まるで空中に譜面でも書くように指先を揺らしながら言う。
随分と簡単に仰るが、並大抵の観察力ではない。あと、いい加減にそのマントを脱いでほしい。大変恥ずかしい。
「加えてシュミット侯とフェリクスという《強者の例》があり、君はその血縁だ。嫡男だけその域に鍛えるのだろうと安易に考えていたけど、そうではなかったというだけのこと。それにディートリヒの行動を含めれば……」
私とユリアを交互に見て、兄上は楽しげに微笑んだ。
「君は、私の弟が相当に信頼している《腕利き》といった所か。私の信用を得るために正体を明かす、その覚悟もできている…この子の片思いではないという事かな。」
「兄上。茶化すような言い方は」
「無論、両想いでございます。」
「ユッ…!?」
一体どういう事だ。
自信たっぷりに肯定するユリアに驚いて舌を噛んでしまった。
口元に手をかざし、数秒俯いて痛みに堪えてから顔を上げた。ユリアが心配そうに私を見ている。
「…シュミット侯爵令嬢。り、両想いとは。」
「はい。殿下にご依頼頂き、わたくしは喜んでお受け致しました。すなわち――まごう事なき、両想いでございます。」
「……、そうだな。」
気落ちしそうなところを堪えて頷いた。
誇らしげに胸を張る君は何も間違っていないが、純粋な目の輝きが今はただ眩しい。上げて落とされたような気分だが、間違っているのはすぐ浮かれようとする私の頭だ。
兄上が雛鳥を見守るような目をしている。やめてください。
「ともかく。兄上から先日お預かりした分については、毒物は認められませんでした。ですが……」
「まだ疑いの余地があるから、彼女に護衛を頼めとでも?」
自分にとっては初対面の暗殺者だと、なぜ信じられるのかと、そう言う声が聞こえるかのようだ。
楽しげに目を細めて微笑む兄上を見据え、己の胸に手をあてる。
「私を信じて頂きたい。どうか調査の許可を」
「…エドゥアルトといい、お前といい…随分と強引な男になったものだ。それも突然」
「兄上の身を案じればこそです。」
「うん、そこは疑っていないよ。わかった、それでは君と二人で話がしたい。シュミット侯爵令嬢」
「はい」
私がユリアに騙されていないかどうか、ある程度の見極めをするためだろう。
会話が聞き取れない場所まで離れようと、私は立ち上がった。部屋の外へ出るつもりはないし、兄上もそれはわかっている。
俺が距離を取って別の椅子に腰掛けると、二人は密やかな声で話し始めた。
兄上は薄く微笑みを浮かべ、対するユリアは真剣だ。部屋の空気が重くなり、何か一言呟いた兄上の目は笑っていない。ユリアがごく僅かたじろいだ様子を見せ、けれど持ち直して話し始めた。
これは……ものすごく会話内容が気になるな。
ニクラス達もいつもこのような気分を味わ――
「ユリア。」
反射的に名を呼んだ。彼女が不穏に目を細めたから。
ハッとして私を見たユリアは、なぜか目にも止まらぬ速さで床に跪く。慌てて駆け寄って立ち上がらせた。
「そこまでしなくていい!」
「も、申し訳ありません。もし…万が一と考えてしまい!つい第一王子殿下に対し威嚇行動を」
「威嚇行動を!?」
「ふっ」
堪えきれずに吹き出した、そんな声。
ユリアと二人そちらを見ると、兄上が肩を揺らして笑っていた。
「ははは、なるほどね。君はそういう人か。随分と面白い事になっている」
「面白くはございません」
なぜか早口に喋るユリアが、可及的速やかに私を庇うように前へ出た。
兄上、一体何を言ったんですか……。私を害するとでも嘯いたのだろうか。聞いても教えてくれなさそうな長兄は、軽い調子で「ごめんね」と首を傾げている。とりあえずマントを脱いでほしい。
「いいだろう、好きに調べなさい。何をしたいかは事前に申告すること」
「……!ありがとうございます。」
「では、親睦を深めるティータイムといこうか。シュミット嬢、廊下にいる皆にもう入っていいと伝えてくれるかな」
「…承知致しました。」
それはベルを鳴らせば済む話だ。要はほんの少しの間、私と二人にしろということ。
こちらに確認の視線を送るユリアに頷き返すと、彼女は踵を返して扉のある方へ歩き出した。
「ディートリヒ」
「はい」
兄上は花瓶の傍に置かれていたメモ帳を取り、さらりと一行書き綴る。
《あの娘、お前次第で国をも消すぞ》
ユリアが?
先程、二人は何を話していたのだろう。
兄上がもう一行付け足した。
《だから、お前は必ず生きなさい。》
それは――…それは、未来の私ができなかった事だ。
選べなかった事で、選ばなかった事。
兄上が微笑んだ。
「砂糖入りのミルクティーか砂糖無しのブラックコーヒー、どちらがいい?」
私は…




