3.殿下、その依頼お受け致します。
「どうなさったのですか?」
「……わかっていて聞いているなら、君にとって私はさぞ滑稽なのだろうな。」
「殿下を滑稽などと思った事はございません。察しが悪いのなら申し訳ないのですが…」
「わからないならいい、少し、あの。離れてくれ。」
「御意に。」
わたくしはドレスに気をつけながら下がり、成人男性の遺体幅ひとつ分ほど開けました。
殿下は相変わらずこちらを見ません。
「君は……本気で、自分の身を差し出しているのか?」
「もちろんです、第三王子殿下。一度でもわたくしを使って頂けたらと」
「自分の事を《使う》などと言うな。」
鋭い声で言われて、不思議で、瞬きました。
何がいけないのでしょう、わたくしは暗殺者なのです。影の者です。ひとときの依頼人からは使い使われ、払い払われの関係です。
けれど床に置かれた殿下の手が固く握り締められている事に気付いたので、わたくしは考えるより先に「はい」と答えてしまっておりました。
「一度でも、か……もしそれを終えたら、君はまた他の客を取るのか。」
「いえ、これまで携わった中から生涯お仕えする方を選ぶつもりです。見つからなかったり、受け入れて頂けないようでしたら、また新たに。」
長く仕えるのですから真剣に選ばねばなりません。
わたくしの声も自然と少し低まり、落ち着いた声音になります。
こちらへ向き直った殿下の頬は赤みがおさまって、少しだけ眉を顰めてわたくしを見つめていました。
「生涯仕えるとは、婚姻の意味で?」
「……場合によりましょう。仕える主と婚姻相手が同じとは限りません。」
「君はそれでいいのか」
「女性に仕える事もありますから。」
「……………、そうか。」
たっぷりと間を置く間に殿下は驚いた顔をしたかと言えば、していません。真剣な顔のままぴたりと時が止まったようになっておられたので、わたくしは不思議に思って聞きました。
「どうかなさいましたか?」
「…少し、未知の世界だった。」
「左様でございますか。」
もしや女性は裏の者を使わないとでも思っていらしたのでしょうか?
……甘い、甘いですよ殿下。思っていたより危ういお方。なんだか心配になってしまいます。
「私は君にとって……生涯仕える相手の候補、なのか。」
「はい。殿下に対して候補とはまこと恐縮致しますが…もちろん、仮にわたくしが主になってくださいませと申した所で、お気に召さなければ断ってください。」
一度でも良いから仕事を受けたいというのは、殿下がわたくしという駒の手腕を確認するためでもあるのです。
お父様達は「お前の腕ならまず断られる事は無い」と言ってくださいましたが、油断は禁物ですから。
ディートリヒ殿下はどうしてか苦しそうな、悩むようなお顔をされます。
「私が君を見捨てると?」
「見捨てるなど、そのような言い方…」
「確かに、君の仕事が知れれば誰もが引き離しにかかるだろう。兄上の事もある、私にそういうイメージがつけば王家には致命的だ。」
「もちろん実情が知られないよう動きます、表向きの扱いはお好きになさってください。」
エルフリーデ様含むこれまでの依頼主様達には変装して対応しましたから、正体がわたくしだとは知りません。目星をつけて《ご案内》を送り、色よい返事があったので動きました。
ただディートリヒ殿下は警戒される可能性が高く、わたくし自身が絶対に一度は仕事をお受けしたいと望みましたから素顔をお見せしたのです。手早く信用頂けるように。
勿論もしこの一度きりになったとて、仕事はご満足頂けると誓いましょう。
「一度でもという事は、しばらく期間をもらう事もできるのだろうか。」
「はい。その場合、仕事内容は都度ご相談くださいませ。」
「…私と契約している間、他の客は決して取らないでほしい。絶対にだ。」
「承知致しました。」
良い方に動いています。
殿下は明らかにわたくしを雇ってもいいとお考えの様子…どこか苦渋の決断めいていますが。
「期間内にどれほどの仕事を頼むかは、依頼する側である私の自由かな。」
「料金の上下は発生しますが、ご随意に。ただわたくしは護衛もできますので、仕事が見当たらない時はそう命じて頂いても結構です。」
「護衛?」
「守りも得意でございます」
少し胸を張ってみせると、殿下は柳眉を下げて微笑んでくださいました。
その優しく端正なお顔を見ると、誰とも知らぬご令嬢達の黄色い歓声が脳内で響きます。学園ではよく…いえ、しょっちゅう聞いたものでした。
「では、君には基本的に護衛を頼みたい。命は張らないように」
「なぜでしょうか、護衛ですのに…」
「生涯の主ならともかく、私はまだ一時的な相手なのだろう?」
そうですが……依頼主を守りきれないなど、恥でございます。しかし殿下はどうあっても折れないつもりのご様子、むむむ。わたくしは仕方なく了解の言葉を返しました。
「期間は最長で頼みたい。」
「最長」
つい目を僅かばかり見開いてしまいましたが、ありがたいこと。わたくしも見極めの時間を頂けるというものです。すぐに微笑んで臣下の礼を取りました。
「光栄でございます。一年間でいかがでしょう」
「一年も?いいのか」
「はい。どれほど濃密なお仕事を頂けるか、楽しみにしております。」
「っ――…そ、そうか。言った通り、しばらくは護衛で頼む。」
同年齢の娘に護衛を頼むのがむず痒いのでしょうか、目を泳がせる殿下の頬は紅潮しています。
レヴィン様と話していた、裏稼業の者に頼みたいなにがしかの計画……そちらはまだ、詳細をお教え頂くには早いのでしょうか。他の人間に頼むおつもりなのでしょうか。
ともかく、まずは護衛の仕事でわたくしの実力を知って頂かないといけませんね。
部屋の扉がココンとノックされました。
どうやらレヴィン様が婚約者様と共に殿下を呼びに来たようです。わたくしは「詳細はまた後程」とお伝えし、殿下を部屋に押し込めて扉を閉めました。
わたくしも会場に戻るとしましょう。
「この俺の婚約者は――そう、リリアン・カルク伯爵令嬢だ!!」
馬鹿ここに極まれり、なんて。
お兄様、周囲には聞こえなくとも隣の妹には聞こえております。駄目ですよ、我が国の第二王子殿下を馬鹿などと。あ、お仕事ですか?いってらっしゃいませ。
今宵はエドゥアルト殿下のお誕生日ですから、もちろんご本人のご挨拶がございます。
そこで婚約者および立太子の発表という噂でしたが……ディートリヒ殿下が頭が痛そうに目を閉じたり、エルフリーデ様が冷たい目で見ているあたり、暴走の気配が致しますね。
ちなみに「さぁ出ておいで俺の女神」と引っ張り出されたリリアン様は、「いまはじめてきいた」とばかり目をぱっちりと見開いて固まっています。だんだん青ざめていきます。お可哀想に。
「で、殿下……?婚約者はエルフリーデ様じゃ…」
「確かに陛下は彼女を推薦していたが、俺は君を選ぶ!どうだ、嬉しいだろう!驚くと思い当日まで内緒にしていたのだ。」
「ワァ」
「リリアン?リリアン!!」
あぁ、あぁ。泡を吹いて気絶してしまわれました。
無理からぬ事だと思いますが、エドゥアルト殿下は想像もしなかったようで慌てて彼女を横抱きにし、走っていかれます。休憩室で万一があるといけないので、護衛もすぐに後を追っていますね。
シンとした会場に一人、快活な笑い声を上げた方がいました。
エドゥアルト殿下がいなくなってぽっかりと空いたスペースに進み出たのは、ディートリヒ殿下です。
「――まったく、兄上にはいつも驚かされる。これでは少々趣味の悪いサプライズの種明かしも何もあったものではないな。正式な発表は日を改めさせて頂こう」
なかなかに無理がありますが、リリアン様が婚約者というのは正式発表ではないとゴリ押すつもりのようです。護衛が見張りとなり、エドゥアルト殿下は今日はもう出てこないでしょうね。
会場の人々はざわめき、ため息にヒソヒソ話にと忙しい。
そんな中でカツン、とヒールの音が致しました。
自分に注意を向けるため敢えて鳴らした、そういう音です。
「もういいのです、ディートリヒ殿下。」
ゆっくりと歩み出たエルフリーデ様は、美しい双眸をやるせないように伏せて小さく頭を振りました。
きちんと彼女を婚約者と紹介していればよかったのでしょうが、先ほどの発言を受けてアイレンベルク公爵家はエドゥアルト殿下を見限ったのでしょう。
そうしたら、王妃になる予定だった彼女は当然――第三王子殿下を王にするのです。
たとえ血筋と武勇でエドゥアルト殿下に及ばずとも彼には頭脳があり、政務を通じて広げた人脈もある。
ディートリヒ殿下もすぐに察したのでしょう、僅かに見開いた目で彼女を見つめ、どうするかを急いで考えておられる頃でしょうか。殿下はずっと「王になるのは兄上で良い」という態度でしたから。
「いずれ国王となるお方を支えるため、わたくしは努力して参りましたが……」
誰もがじっと見つめる中、まるで舞台を歩く主演女優のように彼女は進みます。
ここでエルフリーデ様がディートリヒ殿下に寄り添った場合、「元々二人は想い合っていた」ような構図ができあがるのです。
第二王子と政略的婚約を結ぶだろうと言われていた公爵令嬢が、第三王子との真実の愛を成就できるようになったという筋書き。
カルク様を王妃にという戯言を吐いて騒ぎを起こしたエドゥアルト殿下の立場を崩しつつ、アイレンベルク公爵家がディートリヒ殿下の後ろ盾になると明言する事で、彼の立太子の可能性をググンッと上げるのです。それはもう、ほぼ確定というレベルでしょう。
貴族院はもう少し緩い次期国王を望んでいたと思いますが、アイレンベルク公爵家は「自分達が後ろ盾なのだから」と融通を利かせられる位置につくのです。
エルフリーデ様は生家のため、令嬢の役目を果たそうとしていらっしゃいます。
ディートリヒ殿下は紳士で優しいお方、エルフリーデ様が近付いてこられても思いきり避けるような真似はできないでしょう。
これは、エドゥアルト殿下の愚かさを信じ次の手を考えていたアイレンベルク家の勝ち、といったところでしょうか。
「想いを秘めるのも苦しみが伴うもの――…」
「わかるよ。」
あら。
まだエルフリーデ様との距離があるところで、ディートリヒ殿下がとても爽やかにキッパリと遮られました。予想していなかったのか、エルフリーデ様が足を止めてしまいます。
「非常に同感だ、アイレンベルク公爵令嬢。私も秘める苦しみから解放されてみようか」
「それでは…」
「シュミット侯爵令嬢!」
会場全体がざわついたのは仕方ありません、ここで名を呼ばれたらそういう意味になりますから。
なんて事でしょう。
心の中でそう呟きながら、わたくしは人と人の隙間をスルスルと縫って御前へ姿を現しました。
「お呼びでしょうか、ディートリヒ殿下。」
薄く淑女らしい微笑みを湛えて、わたくしは初めて対面で殿下のお名前を口にします。その方が良いと思ったからです。
カーテシーを終えて顔を上げると、殿下は柔らかく笑いかけてくださいました。
「あぁ、間違いなく君を呼んだ。ユリア嬢」
「ち、ちょっと、何をなさるおつもりです」
エルフリーデ様が青ざめて手を伸ばしかけ、けれど自ら下ろします。彼女は聡い方。これ以上足掻くより見守る方が賢明と察したのでしょう。
ディートリヒ殿下はわたくしの手を取り――あぁ演技がお上手なこと――まるで心から愛を乞うように、熱っぽい瞳で見つめられました。深い青色の瞳にわたくしが映っています。
「陛下とシュミット侯の判断を待たねばならないが、どうか受けてほしい。初めて会った時から君を忘れられなかった」
確かにわたくしは言いました、表向きの扱いはお好きにと。
殿下はそれを婚約者と定められたのですね。婚約者としてお傍につき、御身をお守りする。それがわたくしに与えられた仕事。
「私と結婚してくれないか。」
なんて人でしょう。
この方は兄王子の騒ぎを塗り替えるために、公爵家の思惑に流されないために、ご自身とわたくしを犠牲になさったのです。たとえ婚約を解消しようと互いの影が残るでしょう。まして殿下は「天使」様という想い人がいるのに。それでもなおご決断されたのですね。
わたくしは微笑みました。
「嬉しいです、殿下。もちろん」
その依頼。
「お受け致します」
拍手と歓声が響き渡る。
ありがとうと呟いた殿下はわたくしの手の甲へ口付けを落とされました。
ますます盛り上がる人々の中、わたくしと殿下の契約もまた……人知れず、始まったのでした。




