24.君こそ我らが要であり
「俺が知ってるお前なら、そこで自分の死は選ばなかっただろうな。」
視線をテーブルの上へ落とし、エドゥアルトが呟くように言う。
ディートリヒは拳を握りしめた。自分の選択が完全に正しかったとは思っていない。後悔が無かったわけでもない。意識してゆっくりと拳を解き、口を開く。
「エルフリーデが自滅覚悟で、兄上がご無事なのであれば。…ユリアが確実に生きていられるようにと…生きていてほしいと、そう思ったのです。」
「責めてるわけじゃねぇよ、十七なんてまだまだ若造だ。ディートリヒ陛下より未熟で当然だろ。」
「……むず痒いので、そう呼ぶのはやめてくれませんか。」
渋面で苦情を言う弟にわざとらしく肩をすくめてみせ、エドゥアルトはカップに指をかけた。
湯気はまだほのかに立ち昇っている。
「父上は、兄上が戻った事をご存知なのですか?」
コーヒーを一口喉へ流し、エドゥアルトはカップをソーサーへ置きながら「たぶんな」と返した。
「俺もそれを直接言う事はできないが…兄上の護衛を変えろと城に乗り込んだ時、エルフリーデとの婚約話も白紙にしたいと宣言した。それで…」
人払いをして父と子の一対一になり、どういうつもりかと問われたエドゥアルトは自身の胸を指す。
『――シュミットが聞いた結果、…城へ、帰って参りました。』
ユリアの名は声が出ず口も動かせない。過去へとも、未来からとも、戻ったとも言えないらしかった。
それでも国王は目を瞠り、考え込むように眉根を寄せる。
エドゥアルトは「聞いた」と言った。
シュミット侯爵家が神に《問いかける》力を持つ事を知っているのは、《国王》あるいは《メルツァー公爵》を継いだ者だけだ。
正妃の子だろうが何だろうが、まだ王子であるエドゥアルトが知っているはずはない。
「だから陛下は察したはずだ。俺が一度玉座につき、シュミットの誰かに殺されて戻ってきたって事をな。」
「その割には、なかなか兄上の思うようには動いてくださらなかった気がします。エルフリーデと貴方の婚約話は、白紙まではいかなかった。」
「戻った奴の言う事が何もかも正しいとは限らねぇからだ。詳細は伝えられないし、特に俺は釣り合わないリリアンと結婚したがってる。で、俺に任せて上手くやれたかについては……現に、お前が戻ってきただろ?」
「私の事は兄上のせいではありませんが、陛下についてはわかりました。」
学生時代、ディートリヒは幾度か国王に進言している。
エドゥアルトの行動を改めさせるべきだと、多少強引にでもリリアン・カルクを引き離した方が良いと。
それでも国王は様子見を続けた。突然ユリアと結婚したいと言い出したディートリヒに対しても。
『ディートリヒ、お前もいずれわかる。……陛下が俺の変化をどう見ていたのかが。何で様子見で済まされてきたのか…正妃が生んだ男児でありながら、何で継承権の放棄が許されたのか。お前が王になる頃にはな』
王になる頃。
つまりあの時のエドゥアルトは、「王になりシュミット家の秘密を知れば、自分が戻った人間だとわかる」と言っていたのだ。
「…私も兄上も、エルフリーデに追い込まれて死んだわけですが……互いの経験を合わせても、なぜ彼女がそんな事をしたのか、いまいちわかりませんね。」
「あいつに直接聞ければ早いが、そうもいかねぇだろうな。アイレンベルクのプライドに差し障るような真似はしない方がいい。下手するとドカンだ」
「危険過ぎませんか。私は彼女に対して全くそういう……感情的なイメージがなかったので、正直今でも信じがたく思っています。錯乱する薬でも盛られたと言われた方が、まだ信じられる。」
「俺も玉座から蹴落とされた日は一瞬、何が起きたかわからなかったな。だが事実だ」
――…ディートリヒに、エルフリーデと結婚した後の記憶があれば良かったんだが。
口に出す事はせず、エドゥアルトは眉を顰めて考える。
少なくとも最初の人生において、エルフリーデがパートナーに選んだのはディートリヒで間違いないのだ。今も、エドゥアルトが戻った一ヶ月前より過去の出来事は一度目と同じはず。《城の庭で会った男の子》とは誰の事なのか。
エドゥアルトの瞳がじろり、異母弟を見やる。
「念のために聞くが、幼少期に彼女と会った記憶は?」
「ありませんよ。城の庭でしょう?私が相手なら、彼女も《もう会えない》とは言わないでしょうし。」
「それもそうだな。エルフリーデについてはどうも、そいつの正体が鍵になりそうだが……城の庭に入り込める男児か。」
「まさか、ローレンツ兄上でしょうか。」
自分が騎士に捕われて翌日命を落とすまでを思い返し、ディートリヒが呟いた。
もし、ローレンツが死んだ後で《ローレンツが庭で会った男の子だった》と気付いたのなら。エルフリーデが「もう会えない」と言った事にも筋が通るのではないか。
――だが、それだとエドゥアルト兄上が玉座から落とされたのはなぜだ?私の時と違い、エルフリーデは「未来に光がある」とまで言っている。ローレンツ兄上が「そう」だと知らなかった?……確信が持てない。
「ともかく、心当たりには聞いた方がいいだろうな。城勤めの貴族、使用人、騎士の子って可能性もあるし、本人が忘れてたら探すのは無理だ。だいぶキツイぞ」
せめて外見情報があればまだ良かったかもしれないが、あの時のディートリヒにそんな事を聞き返す余裕はなかった。
だからこそ、ディートリヒはニクラス・レヴィンに幾つか頼みごとをしている。
「幼い頃であれば、当然公爵が彼女を城へ連れてきたと思われます。なのでそれがいつ頃か探らせている所です。機会があったとしても、そう多くはないでしょうから。」
「多少は絞り込めるか?そいつを探し出して再会させたら解決……だといいけどな。」
「彼女についてはまだ時間がありますから、少しずつ探っていきましょう。今は…」
「ああ。兄上をどう助けるかだ」
深くため息をついて、エドゥアルトはテーブルに肘をついた。軽く拳を握ってこめかみにあてる。
ディートリヒの話を聞くまで、ローレンツはもう大丈夫だと思っていたのだ。裏切った護衛は切り捨てた。
しかし数か月後には寝たきりの身体にされるという。
「ディートリヒ、お前はとにかくユリア・シュミットを手に入れろ。俺の知る一度目もお前の知る二度目も、彼女はお前の味方だった。戦力面でも毒の知識も――最終手段としても。彼女の存在は要になる」
「……神は、同じ人間を二度も戻すでしょうか。」
「どうだかな。できるだけその手は使いたくねぇ……当然、今回が最後のつもりで動く。」
ぎろりと鋭い目を向けてきたエドゥアルトに、ディートリヒも真剣に頷き返した。
殺してもらえば過去へ戻れるかもしれない、など。どこまでも追い詰められた最後の最後でなければ、そんな希望は抱くべきじゃない。
「お前の事だ、調査を頼んだのはアイレンベルクの事だけじゃないだろ?勿体ぶらずに教えとけ。」
「勿体ぶるつもりはなかったのですが……フェリクス殿の耳に、私が裏稼業の者を探しているという情報が入るようにしました。」
「兄の方にか?」
「ユリアに直接声をかけるより、フェリクス殿から《学園内に依頼者がいる》と聞いた方が良いと思ったのです。」
シュミット侯爵家の直系は皆が優秀な暗殺者である。
それはごく一部の者しか知らない事実、今のディートリヒが知っているわけがない。ユリアに対して直球でいけば、誰に聞いたのかと怪しまれ警戒されてしまう恐れがあった。
――私に契約を持ちかけた時、ユリアは「これまで携わった中から」生涯の主を決めると言っていた。彼女は学生時代から仕事をしていたはずだ。それに…
勝手な婚約をシュミット侯爵は許すかどうかと話した時、ユリアは「わたくしは殿下の依頼を受けたいと前々から伝えていた」と発言している。
その「前」がいつ頃かは不明だが、「父のように貴い方に仕えてみたい」とも言っていた彼女のことだ。同級生の王族であるディートリヒからの依頼は気になる事だろう。
もしフェリクスから話がいかなくても、ディートリヒはユリアと確実に二人きりで話せるタイミングを知っている。
夜中に一人で出歩き、東屋の屋根から飛び降りるという軽やかな身のこなしを見せてくれた。
未来で沢山ユリアと話してきた今のディートリヒなら、彼女に見惚れて固まったりはしないはずだ。
「それに私自身、彼女を他の者に渡す気はありません。」
「結構。他には?」
「ローレンツ兄上の命を奪った《東国の毒》…ユリアは、数年前に取り寄せられた物だと言っていました。そして今は、事件から約三年前。」
「なるほど?既に来ているか、あるいはこれから取り寄せる予定があるわけだ。」
エドゥアルトの言葉にディートリヒが頷く。
今どういう状況なのかがわかれば、未来に備えて準備していけるはずだ。
「数年後に向けての下準備としては、取り急ぎその三つを指示。シンデルマイサーがなぜ虚偽の証言をしたかは不明ですが…念のため、ローレンツ兄上の薬も一式手に入れてきたというわけです。」
「シンデルマイサーか……」
エドゥアルトにとっては、手足を潰されたローレンツのために苦心していた姿が印象強い。
どうしても良くしてやれないと疲弊し、やせ細り、それでも笑顔でローレンツを診続けていた。
ディートリヒとて、寝たきりになった兄をずっと診ていたのは彼だ。疑いたくはないし、証言だってエルフリーデの手の者に脅されただけかもしれない。
ただ証が欲しい。
信じて良いのだと安心するための材料が。
「…後は、コンラート・バーデンの身柄を確保しておきたいです。しかし今のヴァイゼンボルン子爵領をどう潜って行かせたものか…兄上の伝手を頼れませんか。」
「勿論いいぞ。そんならアイスラーに行かせよう。」
「アイスラー?彼は護衛ができるのですか。私の時は財務部に勤めていましたが…」
ディートリヒの三つ上なので、彼は今卒業したばかりのはずだ。この時期どこに所属していたかまでは流石に知らない。
エドゥアルトは事も無げに言った。
「見た目は細ぇが、俺が十一の時に引っこ抜いた殺し屋だ。あれは」
「……えっ?」
「学園通わせて、今は騎士団の事務部に行ってる。兄上の護衛を切る時も情報を揃えたのはあいつだし、任せて問題ないだろう。」
「裏切らないという事ですか?」
「信用はしてる。一度目は俺を守って死んだからな」
国王と側近らの急死により、国は荒れた。
正当な王家を殺し切ってでも覇権を奪おう、そんな愚者も出た中で。
一度目のエドゥアルトは政務に追われ、剣術に打ち込める時間が少なかった。
ユリアを連れたディートリヒとは引き離され、敵に囲まれた乱戦の最中にアイスラーは命を落としている。ディートリヒ達との合流はほんの数秒、間に合わなかった。
――…だから、私の知る兄上は剣の腕を鍛えていたのか。リリアン・カルクを守るだけでなく、少しでも多くを救うために。
二度目のエドゥアルトは政務こそ未来の王たるディートリヒに投げていたが、身体を鍛え騎士団と共に幾つもの武功を上げている。
ヴァイゼンボルン子爵を捕えさせ、それでも足りない時のためと現場に駆けつけてイザークを救い、襲撃に遭ってもリリアンと共に逃げおおせた。
兄はかつての妻を守りきったのだ。
「…武力面の協力者については、ダニエラ・ラングハイムも推薦する。」
考え込むように視線を空中に向け、エドゥアルトが呟く。
ディートリヒやユリアの同級生であり、騎士団屈指の大男ラングハイム侯爵の娘だ。今はまだ成長途中だが数多の破壊伝説は既にあり、三年後には百九十二センチまで背を伸ばす予定の健康的美女である。
そしてこれからディートリヒと成績首位を競う才女でもあった。
「彼女ですか……」
「特に護衛だな。でかくて真っ向勝負の《ラングハイム》は暗躍に向かねぇが、こちらに大義ありと言い切れる《守り》は死んでもやりきるって連中だ。…だから父親の方は毒で殺られたんだろうがな。」
「学園で何かあれば、頼みやすい相手ではありますね。騎士を入れるよりは目立たないし、城へ連れて行くにも、侯爵関連の用事と言えば筋は通る。」
「そういう事だ。」
空になったカップをソーサーへ戻し、エドゥアルトが立ち上がる。話の終わりと察してディートリヒも腰を上げた。
薄いカーテン越し、夕陽の温かい光が差し出された手を照らしている。
「それじゃ――できるだけ、良い選択をするとしようか。」
にやりと笑う次兄の目を見て握手を交わし、ディートリヒも口角を上げた。
「もちろんです。兄上」
――…私に機会をくれた、ユリアのためにも。




