22.君が死ぬのは誰のせい
王妃譲りの燃えるような赤髪。
鋭い目つきを今は優しく和らげて、第二王子エドゥアルトは真昼間の中庭のベンチで女子生徒の肩を抱いていた。
「恥ずかしがらずにこっちを見てくれ。リリィ」
「っ……え、エドゥアルト殿下。その、もう勘弁してください……」
ピンクブロンドの髪をふわりと揺らす彼女はリリアン・カルク。
庇護欲をそそる愛らしい顔立ちの伯爵令嬢だが、今は羞恥の涙で瞳をうるませ、頬を朱に染めて目をそらしている。その胸中は疑問でいっぱいだった。
――なんで、こうなったの?
リリアンは去年、「狙えお金持ち!いっとけ王子様!」と心の中で叫びながらエドゥアルトに声をかけたが、その時は無礼者を見る目で「悪いが、俺は君に用がない」と冷たく断られたのだ。
元より玉砕覚悟だったとはいえ、通行人にばっちり見られたリリアンは数か月もの間「やばい女」とヒソヒソ囁かれる事となる。
緊張して声が上ずった上にカチコチの笑顔だったのも悪かったかもしれないが、しばらく歳の近い男とろくに喋れなくなるくらいにはトラウマと化した。
それが、どうしたことか。
一ヶ月ほど前エドゥアルトは学園の廊下を走ってきて、突然リリアンの名を叫んで抱きしめ、愛を語りだした。
――今思い出しても、ぜんぜん意味がわからない。
リリアンは「夢かな?」と思いながら数日過ごしたが、どうやら夢ではないようで。誰かが言った「殿下が壊れた」という呟きに、リリアンもついうっかり頷いたものである。
令嬢のグループに呼び出されて「貴女一体、エドゥアルト殿下に何をしたのよ!」と詰め寄られもした。何もしてないのに。エドゥアルトが駆け付けて「俺が惚れているだけだ」と宣言した。
それ以来、見せつけるようにこうしてべたべたいちゃいちゃと過ごしている。
王子様の身に何が起こったのか、リリアンはよくわかっていない。
でも宝石のついたアクセサリーとかをくれるので、換金して家へ仕送りをしている。
お金のために全力で媚びたいけれど、王子様の顔が良くて緊張するのと、囁かれる台詞が全部こっ恥ずかしいのとで、上手く対応できていない。
――ああ、誰か良い感じのやり方を教えてほしい。無料で。…それか、慣れるしかないのかなぁ……。
「俺の事は《エド》でいい。」
「そ、そぉいうわけにもいかないんじゃ…」
耳元で囁いてくるエドゥアルトにおろおろしていると、誰かの足音が明らかに近付いてきた。
遠巻きにこちらを見ていた生徒達がざわめく。
一体誰が来たのかと顔を上げたリリアンは、真っ直ぐにエドゥアルトを見据える青年を見て顔色を悪くした。
輝く銀髪に深い青色の瞳。
王妃の唯一の子であるエドゥアルトと違い、側妃が産んだ第三王子ディートリヒだ。
第一王子ローレンツが病弱なため、次期国王は実質この二人のどちらかだと言われている――否。ほんの少し前までは、誰もがエドゥアルトだと信じて疑わなかった。
急激に揺らいでいるのはリリアンがいるせいだ。
「兄上。お時間を頂けますか」
「よう、ディートリヒ。見ての通り、今はリリィを愛でるのに忙しいんだが」
「あわわ…わ、私の事はおかまいなく…」
「ご相談があります。――次こそは、良い選択をするために。」
その一言を聞いた瞬間、エドゥアルトは笑みを消す。
ディートリヒの中で予想が確信に変わった。ゆっくりとリリアンから手を離し、エドゥアルトが立ち上がる。
「…悪いな、リリィ。大事な話みたいだ」
「は、はい!私ここで失礼しますねっ!」
脱兎のごとく逃げ出したリリアンからエドゥアルトへ、ディートリヒは視線を戻す。
それは軽薄に振舞う兄王子を叱りに来た弟の顔ではなかった。エドゥアルトもまた確信を得て、零れたのは苦笑いだ。額に汗が滲み、赤髪をぐしゃりと掻き上げる。
「まず、聞いておこうか。……お前、何歳のディートリヒだ?」
◇
エドゥアルトが二年に上がる少し前、第一王子ローレンツは殺されかけた。
幸いにも命は助かったが、二度と自力で立つ事もペンを持つ事もできない身体となったのだ。病弱な身体が快方に向かえばと、僅かながら意味のあった彼の《王位継承権》は粉々に砕け散った。
それでもローレンツは弟達の前で笑顔を絶やさなかったが、痛めつけられた手足は血液の循環に不備を起こす。
「兄上の苦痛を和らげようと、シンデルマイサーは必死で方法を探していた。だがそれも上手くいかず……三年に上がる前、俺は婚約者となったエルフリーデやお前と共に、兄上を看取ったんだ。」
エドゥアルトは学園を卒業してすぐに王太子となり、二年後に国王が事故死した事で齢十九にして王となった。
国王の事故は側近も巻き込むものだったので、当時の上層部は数人が欠けた状態。
エルフリーデやディートリヒの手も借り、多忙ながら何とか国を回していく。
そして事故から一年の時を置き、互いに二十歳となったエルフリーデと結婚する――はずだった。
しかし。
「俺が国庫に手をつけて私腹を肥やしていた、そんな証拠と証言が大量に出てきた。いずれも時間をかけて用意されたもの、騎士団にも身内にも裏切り者がいるのは明白だった。……証拠一つに対して潔白を証明できても、次から次へと新たな容疑が生まれただろう。俺がシロなのか、クロなのか。結論を出すまで、国民もそう長くは待ってくれねぇ」
ディートリヒとラングハイム侯爵は最後まで疑問を訴えていたが、エドゥアルトは殺された。
あくまで表向きだが、「責任を取ると書き残して自害した」と発表されたのだ。民の血税を吸い上げた国王が市井に放り出されたら、怒りに燃える民からどんな目に遭うかは想像に難くない。
だから――
『だから殺して差し上げます。エドゥアルト様』
エルフリーデは美しく微笑んでそう言った。
処分が確定しきったその頃には、エドゥアルトも誰が裏切ったのか理解していた。ゆえに、彼女を怒鳴りつけるような事もない。
もう、何を足掻いても無駄なところまで落ちたのだ。
『わたくしは、貴方自身には何の恨みもないのです。貴方は誠実で真面目でした。わたくし達と共に、ただ国に尽くしてきただけ。』
『……では、なぜ俺を落とす。君は国に愛着がある方だと思っていたが。』
『ええ、むやみやたらと乱すつもりはありません。貴方を苦しめたいわけでもない。……大丈夫、誰しも未来に光があるものです。信じて努力していれば、報われるものなのですから。』
そう語るエルフリーデの目も、微笑む唇も、声色も。
まるで絵空事を信じる幼い少女のような純真さがあった。幾つもの駒を動かして現状を整えただろう女とは思えない程に。
『俺を自由にすれば、後に報復されるとは考えないのか?』
『貴方は元々、王になりたかったわけではない。ローレンツ殿下の御不幸があって、なるしかなかっただけですもの――…それに、これ以上国を荒らそうとは思わないでしょう。』
『……君が、これ以上荒らさないならな。』
『ええ。お約束致しますと言っても信じられないでしょうから、見ていてください。この国のどこかで…』
王都は知り合いが多過ぎる。
目立つ赤髪を暗く染め、エドゥアルトは身分を隠して旅立った。
立ち居振る舞いからお忍びの貴族と思われ、幾度か襲われた事もある。市井に溶け込むため、徐々に粗雑な仕草と話し方を覚えていった。
これまで得た知識と経験があり身体も鍛えていたので、日銭を稼ぎながら流浪するのはさほど難しい事でもない。元より衣食を贅沢したがる性質ではなく、それよりは床に雑魚寝せず、狭くても個室で、多少固くてもベッドで眠る方に金を使った。
一ヶ月ほど経ってようやく、エドゥアルトは落ち着いて暮らせそうな田舎町に辿り着く。
その頃には、ディートリヒ陛下がエルフリーデと結婚したという話も聞こえてきた。
当然の流れだ。第三王子には婚約者がいなかったし、エルフリーデは王妃になるための教育を全て受けている。
誰がどう見てもそれが自然だったのだ。
かつての婚約者が異母弟と結婚しても、エドゥアルトは何の怒りも湧かなかった。自分はもう第二の人生を歩んでいる。
都会に比べれば人のいない町、定住を望む若い労働力は歓迎された。
しばらく放置されていた空き家に住んでいいと言われ、向かった先に居たのがリリアンだ。
『やだ、もう来ちゃったの!?ごめんなさい、まだあんまり片付いてな……これはまた、すごい色男が来たわね。お兄さん、本当にこの町でいいの?』
五年は話すどころか目も合わせていない相手だが、「どこかで見た女だ」と察したエドゥアルトは正体を知られる事を恐れた。
ひとまず曖昧な笑みを浮かべ、どうやって穏便に町を出るか考えながら誰何を問う。
『私リリアン。仕事は領主様の奥様の臨時侍女と、役場の雑務担当、週三日は酒場のウェイトレス。ここに住むならどこかしらでまた会うと思うわ。よろしくね』
『…随分働くんだな。』
『弟妹が多いのよ!可愛いんだけどね、とにかくお金がいるの。爵位返上しても――ごほんごほん!家財を処分したりしたけど、ギリギリで……お兄さん、お金はある方?』
ちらと見上げてくるリリアンについ、苦い顔をした。
同情的に話を聞いていたが、何を売りたいと言ってくるかによっては、親切そうに見えた町の面々の印象も変わってくる。
『料理とかお掃除苦手だったら、週一回とかなら手伝えるわよ。昼間にちょろっと。』
『………、覚えとく。』
『ありがと!私に用があったら、大体昼は役場、夜は酒場に来てくれたらいいから。いなくても誰かしら伝言してくれるし…あ、でも同情で無理はしないでね。』
リリアンはぺらぺらと喋りながらエドゥアルトと共に家の掃除と片付けを終えたが、顔を見ようがエドと名乗ろうが、とうとう最後まで、僅かたりとも「学園にいた王子様」を思い出す事はなかった。
夕陽に照らされて「じゃあまた」と笑った彼女は達成感に満ちていて、拍子抜けしたエドゥアルトは黙ってその背を見送ったものだ。
不意に、人の気配がする。
咄嗟に振り返り飛び退ると、長いローブに身を隠した者がぽつんと立っていた。フードを深くかぶっているが、顎のラインや身体の細さで女とわかる。
『この町に住まれますか?』
声には聞き覚えがあった。
エドゥアルトは服の下のナイフへ伸ばしかけていた手を止める。到底敵わない相手だ。
『…俺を見張ってたんだな。ディートリヒの命令か』
『貴方様がどこかへ落ち着くまで、最低限の護衛を仰せつかっておりました。最長、一ヶ月という事で。』
『程々にやっていけそうだから気にするなと、そう伝えてくれ。…あと、お前に守らせるべきは自分だろうと。』
ほんの僅か、女が口角を上げる。
彼女も本当は主君から離れずにいたかったのだろう。
『…承知致しました。こちらは、護衛を終えたら渡すようにと。』
差し出された手紙には、いざという時はどんな偽名でどこ宛に報せろと書かれている。
読み終えたエドゥアルトが手紙を返すと、深く一礼した彼女は音も無く姿を消した。
「ユリア・シュミットは、お前が持つ優秀な手駒だった。父上達の死で少し荒れた国を立て直すため……俺らは随分仕事をしてもらったものだ。……そんな顔すんな。当時は色々と企む連中が随分湧いてな。どうしても必要な事だったんだ」
エドゥアルトは最期までその町で暮らした。
頼りになるし働き者だと町民に慕われ、仕事仲間から酒場へ誘われる内にリリアンと話す機会も増える。せっせと働く彼女がどれだけ弟妹に金を使っているか、自身はお腹を空かせながら頑張っているかを泣きじゃくる飲んだくれどもに聞かされ、仕事で留守にする日に料理の作り置きを頼んでみたりもした。
同い年の美男美女だと囃し立てられ、頬を赤らめたリリアンが満更でもなさそうに
「兄上。そこ長いですか?」
「それなりに長い。」
「短めでお願いします。」
「結婚した。」
「結婚したんですか!?」
やがて二人は子を授かり、産まれてくる赤子の名をどうしようかと悩ましくも幸せで。
そんなある日の晩に、ユリアは再びやってきた。
リリアンが起きないようにそっとベッドを抜け出して、エドゥアルトは赤紫の瞳と対峙する。
『貴方がた夫婦の命を頂きます。』
すぐに自分達の死を理解した。
身重のリリアンを連れて逃げられる相手ではない。そしてユリアが来た以上、命じたのはディートリヒ本人だと。
『……エルフリーデに子ができねぇらしいな。あの女、俺を生かした事が怖くなったか。』
『陛下のご命令でわたくしが殺すか、どなたかのご命令で別の者が殺すかの二択でございます。』
『ああ、だからお前が来たんだろう』
『方法はエドゥアルト殿下に選んで頂くよう、仰せつかりました。』
ユリアの声は淡々としている。
取り出されたのは抜き身のナイフと、畳まれた薬包紙。
そうだろうなとエドゥアルトは思った。
ディートリヒはもう、王なのだ。
ユリアの価値を知っている。
『リリアンは部屋で寝てる。…お前なら、苦しまない薬で殺せるな。』
『お約束致します。貴方様をどうしましょう』
『ナイフでいい。あいつを巻き込んだのは俺の責任だ』
『………、承知致しました。』
ユリアは薬を懐へしまうと、慣れた手つきでナイフを握り込んだ。
本当に死ぬのは初めての事だと、エドゥアルトの心臓が嫌な音を立てる。
これは兄弟の賭けだった。
赤紫の瞳がエドゥアルトを見据え、ユリアは踏み込む。
月明かりの下で長い黒髪が揺れた。
『次こそは、良い選択を。』
一瞬の痛み。
エドゥアルトは意識を失い、目を覚ますと時が戻っていた。




