21.君との距離も今は遠く
これは死の間際に見る夢か。
あるいは、私が過ごした年月こそが夢だったのか。
「なんか上の空だよな。具合でも悪いのか?」
共に昼食をと押し寄せる令嬢令息を断り、私はニクラスと二人で学内のカフェテリアへ来ていた。
体の具合は悪くないが、頭は半ば混乱したままだ。眉間に皺が寄っている事を自覚しつつ、のろのろとカトラリーを手に取った。
「……大丈夫だと、信じたい。」
「駄目そうだな。」
少し大げさに肩をすくめ、私の幼馴染みであり側近でもある男は席につく。
あれから幾度か、私はニクラスに事情を話そうと試みた。
しかし口頭で伝えようとすれば声が出ず、筆談しようとすれば指が動かない。どうやら私が未来を見た――あるいは時を遡ったと人に伝える事は、できないらしかった。
私の身に何が起きた?
死してもう一度生き直すなど、まるで神の……
「何で悩んでるのか知らねぇけど、思いつめるなよ。」
「…ああ。」
話す気になれないとか話す勇気が持てないという事ではないのだが、謎の強制力が働いていると知らないニクラスにはそう見えるのだろう。
昼食を口に運びながら、私はそろそろこの現実を受け入れようと考えた。
今は十四歳――私の《死》から約三年前だ。
この学園には貴族の子息子女が多く通っており、昼食で賑わうカフェテリアを見回すと知った顔が幾つも見える。
同学年ならニクラスの婚約者であるヴィルマ嬢、卒業後は内偵として活躍していたゼッフェルン、これから私と学年首位を競うだろうダニエラ嬢。
そして――…
『殿下。ご命令を』
私にとってはほんの五、六時間前に聞いた声。
すぐ隣に居たはずの、私と共に在ったはずの彼女は今、同じカフェテリアでもまるきり反対側……目立たない柱の影に、一人で席を取っていた。
少ない量をもう食べ終え、細い指先で教本をはらりとめくるその仕草が、僅かたりとも私の方を見ない瞳が、懐かしい。
入学してほんの二週間では、まだ私が君を見てもいない頃だ。
君と話したあの夜が来ていない時だ。
話しかけるなという彼女の雰囲気を正しく察し、遠巻きにユリアを見つめる男子生徒が幾人か見える。今は私より彼らの方が余程、彼女との距離が近い。
私の視線を辿ったのか、ニクラスがわざとらしい笑みを浮かべた。
「シュミット侯爵令嬢か。美人だよな」
「学生服のユリアも美しい…」
「………、幻聴か?今なんて言った、ディートリヒ。ものすごくお前らしくない言葉が聞こえた気がするけど。」
感想が声に出ていたようだ。
なんでもないと返して食事を続ける。
私はユリアに殺してもらった直後、学園の寮で目が覚めた。
この不可思議な現象に彼女が無関係という事はないのだろうが……もしユリアに記憶があるなら、真っ先に私のもとへ来るはずだ。
くしゃみ一つで私を布団にもぐらせるほど、彼女は過保護だったから。
だから恐らくユリアは知らない。
私達が契約していた事も、私が求婚した事も、君が受け入れてくれた事も。
私を
『お望みのままに。約束ですから』
……殺してくれた事も。
「ニクラス。今日の放課後は城に寄ろうと思う」
「は?何で。」
「長兄に会う。お前には別で動いて欲しい事があるんだが…」
第一王子ローレンツは私の二つ上、今は最終学年に籍を置いている。病弱ゆえに登校できる日は限られているものの、座学では首位を保っていた。
兄上はある日を境に寝たきりの身体になり、果ては東国の毒で殺されてしまったが…それらの事件が起きるのもこれからだ。
物言わぬ兄上の死体を思い出し、背中を冷や汗が伝う。
もし、防ぐ事ができたなら。そしてコンラート・バーデンを探し出し、あの新薬を再び作れたなら。
『第一王子殿下の病は、進行し過ぎています。もっと早い段階なら良かったんですが……』
バーデンがどうやって新薬を作ったかは、私の頭に入っている。
彼のメモを覚えているだけだ、不完全なのだろうが……辿り着ける可能性は、充分にあるはずだ。
兄上が寝たきりになるまで、あと数か月。
エルフリーデ・アイレンベルクが凶行に走るまで、あと三年。
何が起きたのか、その全容はわからなくとも……できる限りの対処をするしかない。
私からの頼み事を手帳に速記し、ニクラスは怪訝にこちらを見やった。
「……お前、そんな事知ってどうするつもりだ?」
「大事なことなんだ。頼む」
「…承りました。殿下」
私の友としてではなく、側近としての返事だ。ニクラスの目を見て頷いた。
未来で消息を絶ったお前がどうなったのかさえ、私は知らない。
ヴィルマ嬢を人質に取られ、エルフリーデの言う暗殺計画書とやらの偽装に付き合ったのか。
協力を拒み、どこかに捕われていたのか。
何かを知ってしまい、消されたのか。
ユリアが座っていた席へもう一度、視線を向けてみる。
そこにはもう誰もいなかった。
とうに知っている内容の授業を受け、放課後ようやく城へ着く。
急な訪問にも関わらず、ローレンツ兄上は私を歓迎してくれた。未来で最後に見た姿より断然肉付きが良く、一つにまとめた銀髪も艶がある。
「ふっふっふ……この兄が恋しくて戻ってきたか。ディートリヒ」
明らかに嬉しそうな兄上はマントのように毛布を巻き付け、椅子の上でふんぞり返り、宝石飾りを引っ掛けたフォークを何本かネクタイで頭に巻き付けている。色々な意味で危うい冠だ。
昔ならくすりと笑って「何してるんです」と言う所だが、今の私には少しだけ難しい。
そう――かつて、兄上はよくこうやってふざけていた。
「笑っていないと弟達が心配するからな」と、シンデルマイサーに語っているのを聞いた事がある。
だが寝たきりになってしまったらもう、私達は笑い返せなかった。
おどけて冗談を言う姿が、痛々しく見えてしまって。……それを察した兄上は、困った顔で笑っていた。
喉にこみあげるものを無理矢理に飲み下し、意識的に口角を上げる。
「…何してるんですか。兄上」
「本当は立って迎えたかったんだが、どうしてもフォークが落ちてしまってな……ああ、そこに座ってくれ。紅茶とクッキーかコーヒーとケーキ、どちらがいい?」
「紅茶で。ただ笑ってしまうので、それらは外して頂いてもいいですか。」
「簡単に言ってくれるな。結構大変だったんだぞ?」
そう言う兄上が軽く手を振ると、侍従が宝石やらフォークやらを丁寧に外し、毛布も回収して銀髪を整えた。標準よりやせ型ではあるが、この頃の兄上はまだ元気に見える。
「それで、学園で何かあったのか?」
「ええ、少しご相談が。」
「――…ああ、君達は下がっていい。弟との貴重な時間だからね」
私の視線や表情の意味を即座に理解し、兄上は使用人も護衛も一人残らず退室させた。
陛下と同じ赤い瞳に私が映っている。
「エドゥアルトの件ではなさそうだね。どうした?」
「…兄上が普段服用している薬を、調べさせてください。」
主治医のシンデルマイサーが処方しているもの。
未来の彼が私に不利な証言をしたのは、脅されたか元から裏切っていたかのどちらかだ。最悪を考えるなら彼の全てを疑わねばならない。
兄上は意外そうに僅か目を見開き、「ふむ」と膝の上で手を組んだ。
「私の薬はね。シンデルマイサーと利害関係の無い医師、薬師複数名が確認している。」
「それでも一回分、私に預けて頂けませんか。」
「どこで何を知ったんだ?あるいは誰かに聞いたのか。」
「それは……すみません。」
言いたくても言えない。
未来で貴方が殺された事も、シンデルマイサーが偽の証言をしたらしい事も。
「まさかお前自身が調べるわけではないだろう?鑑定させるのは信用できる相手なのかな。」
「私の命を預けられる相手です。」
「…そこまで言うか。う~ん、なるほどね……」
兄上は椅子の肘置きに手をついて立ち上がり、少しゆったりした歩き方でベッドの傍へ行く。サイドテーブルから小箱を取り出し、こちらへ戻ってコトリと置いた。
「いいよ、ディートリヒ。気の済むまで調べなさい」
元通り椅子に腰掛け、小箱の数字錠をカチカチといじりながら兄上が言う。
開いた中には折り畳んだ薬包紙がずらりと並んでいた。紙の色からして数種類服用しているらしい。
「白が朝と晩、水色は寝る前、薄紅色は週に一度、いずれも煎じ薬だ。私が聞いている飲み方と効能を伝えておこうか」
「ありがとうございます。すみません、急にこんな…」
「いいさ。可愛い弟の頼みだからね」
兄上が話す内容をメモに取り、全ての色を一つずつ預かった。
薬は減ってきた頃合いでシンデルマイサーが補充を持ってくるが、それを箱へ入れるのは兄上自身。減った事に気付かれる心配はないらしい。
「シンデルマイサーは陛下の親友で、私にとってはもう一人の父のような存在だ。そこまで疑ってかかるなんて、まったく無い発想だったけれど……まぁ、何もない事を祈るよ。」
「私もそう祈っています。……ずっと兄上を診ている方です。疑いたくはない」
それは私の本心だった。
無意識に膝の上で握っていた拳を解き、手をつけられずにいたティーカップへ手を伸ばした。いつの間にか喉がからからに乾いている。
「これはお前が知らない話だけど」
兄上が箱を閉じ、数字の列を一つ一つ乱していく。他に開ける者がないように。
赤い瞳はどうしてか少し、楽しげに見えた。
「ひと月ほど前、エドゥアルトも同じように突然やって来たよ。護衛を変えろとね」
「…護衛を?」
「ああ。内密に処分したから表沙汰にはなっていないが、お陰で私は今も元気だ。」
「どういう事ですか。内通者だったと?」
「私を確実に玉座から遠ざけるため――…手足を潰す予定だったそうだ。」
そんな話は知らない。
ひと月前と言えば私もまだ城にいる頃だが、兄上の護衛が入れ替わった事など聞いていなかった。逐一私に報告が届くような内容ではないので、知らずとも仕方ないが……皆、兄上に仕えて何年にもなる古株のはず。裏切ったのか。
「エドゥアルトはどうやって情報を手に入れたか、なぜ怪しいと思ったか……詳細は語らなかったよ。今のお前と同じように」
どくりと、心臓が音を立てる。
私を殺した時、ユリアはなんと言った?
『次こそは、良い選択を。』
街でバーデンを助けた時とは違っていた。
しかし今思えば私は、それと同じ言葉をもっと前に聞いている。
『…良い選択をしろよ。ディートリヒ』
ずっと不自然だった。不可解だった。
婚約者になるはずのエルフリーデを避け、リリアン・カルクに近付いた。
そんな人ではなかったのに。
「エドゥアルトと話をしておいで。…それが何をもたらすのか、私にはわからないけれど。」
「………はい。兄上」
穏やかな微笑みを前に、私は考えていた。
直筆に見えたあの手紙――私をユリアに殺させろという、手紙の意味を。
何を知っているのか問うても答えなかった、あの日の姿が目に浮かぶ。
『もしいつか、俺が言った意味がわかる時が来ちまったら……声をかけろ。必ず力になる』




