19.健気で強引な君
長い聴取を終え、ディートリヒは自室や執務室に寄る事もなく客室へ移った。廊下は勿論のこと、外も三階の高さとはいえ窓が目視できる位置に騎士がいる。
少なくとも国王夫妻が宰相と共に戻るまでは監視付きだろう。あちらも報せを受けて急いで帰国の準備をしているはずだが、あと何日かかる事か。
夜中、シェードランプ一つだけを灯して部屋の明かりを落とす。
サイドテーブルを爪先でカツカツと小さく叩くと、天井のどこかから同じように小さく二度、音がした。
「…いるのか?」
ディートリヒが静かに問うと天井板の一部がずれ、仕事着のユリアが音も無く舞い降りた。
彼女はディートリヒと目を合わせて頷くと、人差し指を唇の前にかざす。以前と違い、今は部屋の扉のすぐ外に騎士がいるはずだ。
ディートリヒはベッドに寝転んで肘をつき、ユリアはベッドの奥側の床に跪く。急に騎士が扉を開けたとしても、すぐ身を隠せるように。
「調べてくれたんだな?」
「はい。…何から、申し上げれば良いのか。」
決して廊下に声が漏れないよう、互いに囁くような小声だった。
眉間に少し皺を寄せ、ユリアは躊躇いがちに赤紫の瞳を向ける。珍しい様子に、ディートリヒは状況が思わしくない事を察した。
「…毒について、君の見解を聞きたい。」
「はい。新種と報告されていましたが、あれは東の島国で使用される既存の毒です。この国でも一部の者は存在を知っております」
「東……イルケールの先か。流通経路は限られているな」
「研究のため、数年前に一瓶取り寄せられたそうです。ただわたくしが城の保管庫を確認した所、無くなっておりました。記録によれば、その研究にはシンデルマイサー医師も参加されていましたので……彼が見たという新薬の状態によっては、《バーデンが開発した新薬と信じて与えた》、という主張もおかしいのですが。」
そこまで語り、ユリアが言葉を切る。
シンデルマイサーはローレンツが幼い頃から彼を診てきた医師だ。疑いたくはなかったと、ディートリヒは無意識に眉根を寄せた。
「ユリア。シンデルマイサーはどんな様子でその証言を?」
「……それが、わたくしは見ておりません。城にも騎士団にもいない様子です。」
「証人を消されないよう警戒しての事か…?証言として扱った以上、騎士団は所在を知っているはずだが……私の命令を聞いたという侍女は?」
「確認したところ、殿下に直接言われたという証言ではありませんでした。人伝いに《指示書》を見せられただけだと。」
「そうか…バーデンは姿を消したそうだが、まだ見つかってないな?」
「はい。他にも幾人か不在の方がおります」
ディートリヒは軽く頷き、ユリアに続きを促した。
「まずエドゥアルト殿下ですが、恐らくはご無事です。事件の発覚から半刻ほど前、カルク伯爵令嬢と共に街へ出ていた所を襲撃されました。護衛はほぼ殺されましたが、殿下はご自分も剣を抜き抵抗、彼女を連れて逃げおおせたと。城の事件を報せに走った騎士が、エドゥアルト殿下を探す不審者を目撃しているため…あちらも発見できていないと思われます。」
「……、続けてくれ。」
犯人の狙いは何だと、呟きかけて飲み込んだ。
ローレンツを殺し、エドゥアルトを襲い、ディートリヒに嫌疑をかけた。王家を潰すつもりなのか。下手をすると、出先で国王夫妻も狙われているのかもしれない。
「次に、事件以降……誰もレヴィン様を見かけておりません。」
「…来ないとは思っていた。騎士団の聴取を受けているわけではなかったんだな」
「重要参考人として捜索しているようですが…どうやら婚約者のヴィルマ様も、夕方にご自宅の庭から姿を消したそうでございます。使用人が目を離した隙の事で、ティーカップが倒れていたと」
「…どうなっている」
王侯貴族やその関係者の襲撃、暗殺、誘拐など、同日に何件も起きるものではない。明らかな異常事態だった。
ユリアの報告はまだ残っている。
「…また、二時間ほど前にディーツェル伯爵が直接騎士団へいらっしゃいました。イザーク・メルツァー様の捜索願いを出されたそうでございます」
「あいつもいないのか?」
「はい。本日も城へ来ておられたようです。騒ぎから事件を知り、血相を変えて出ていったとだけ目撃情報がありました。当該馬車を担当した御者を騎士団が呼び出し、どこまで乗せたか確認している頃かと存じます。…見つかっていれば、ですが。」
もちろん、御者が始末されている可能性もあるだろう。
イザークと彼が乗った馬車が無事にどこかへ着いたかどうかすら、まだわかっていないのだ。
こめかみに指の節をあて、ディートリヒは深く息を吐いた。落ち着かなければならない。
冷静に情報を整理し、今後を考えなければ。
「…容疑者の立場は弱いな。ありがとう、ユリア。お陰でだいぶ状況を知る事ができた。」
「いえ…わたくしは、皆様の行方すら…」
「これだけ色々起きていて、半日でそこまでは無理だ。…そんな顔をしないでくれ」
目を伏せるユリアに手を差し出すと、彼女は意図を理解して自分の手を重ねる。
白く滑らかな肌に、ディートリヒはそっと口付けを落とした。赤紫の瞳を見つめ、励ますように微笑みかける。
ユリアは自分の手に視線を落とし――同じ場所に、唇を触れさせた。ディートリヒが瞬時に頭まで布団をかぶる。
「…殿下?」
「な…なぜ、そうしたのだろうか……。」
布団越しのせいで声がくぐもっていたが、ユリアなら聞き取りは問題なかった。
どうして急に隠れるのでしょうと不思議に思いつつ、ユリアは強制にならない程度の力でくいくいと布団を引いてみる。ディートリヒに聞こえないといけないので、先程までより少し顔を近づけた。
「そうしたいと思ったからでございます。駄目でしたでしょうか。」
「…駄目ではないです……」
「殿下のお顔が見たいのですが、いかがでしょうか。」
「………。」
くい、と引いた布団に抵抗がなくなる。
ユリアがそうっとめくってみれば、くしゃりと乱れた銀髪が見えた。「失礼しますね」と声をかけ、指先で髪を整える。ついでにそれとなくディートリヒの頭を撫で、いくらか気分が落ち着いたユリアは目を細めた。
顔を枕に埋めたディートリヒから呻き声が漏れる。
「君は、どこまでわかってやってるんだ…」
「何がでございましょう。」
「……話を戻そう…。」
今はユリアに振り回されたり甘やかされている場合ではない。
もう少し撫でていたそうなユリアの手に指を絡めて押し留め、ディートリヒはベッドに肘をついて軽く頭を振った。
状況はわかったが、なぜそうなったのかも、誰がそう望んだのかもわからない。
「敵方は私の指示のように見せかけ、兄上に毒を盛ったわけだが……ここから、正規の手順で私を落とせると思うか?」
「いいえ。それは無理があるかと」
ユリアの即答にディートリヒも頷いた。
毒についてはシュミット家以外にも、当時シンデルマイサーと共に研究に携わった者達も知っている。仮にシンデルマイサーが虚言を吐いたとて、それを覆す事は不可能ではない。
万一、もしもニクラス・レヴィンほどの側近がディートリヒを裏切ったなら、偽の証拠が用意される可能性もあるかもしれないが。
それでも国王夫妻が不在の中、その帰還も待てない短期間で王子を処断するなどありえない。裁判が始まる事すらないだろう。帰還すればユリアの父兄も戻る。
唯一危ういのは「自害に見せかけてディートリヒが暗殺される」事だが、それはユリアが許さない。
「狙いがわからない。私達三人を消して利のある人間などいるのか?」
「……すぐには浮かびませんね。陛下には隠し子もおりませんし…現状、王家に取って代わろうなどという程の野心や人望を持った貴族は、この国にはいないと存じます。」
「あるいは私怨かだが…共通して恨みを持たれた者などまずいない。対象は父上達か、王家そのものか……目的より、これをやれるのは誰かと考えた方が早そうだな。」
「はい。調べて《黒》であれば、《落とし前》をつけさせて頂きましょう」
「………、捕えるという意味だよな?」
ディートリヒからの確認に、目を合わせたユリアは数秒経ってから小さく頷いた。
二人は幾つか候補を出したが、いずれも騎士団が大手を振って調べるには事件との明確な関連が必要となる。動けないディートリヒに代わり、ユリアは明日も動く必要があるだろう。
「イザークは何か知っていて動いたはずだ。私やニクラスに報せないあたり、余程急いだらしいが…行方がわかれば、大きな手掛かりになると思う。」
「…メルツァー様といえば、大聖堂での襲撃事件はリーデルシュタイン卿の汚職が絡んでいたとか。」
「ああ。怪しいと睨んではいたんだが…あれはエルフリーデ嬢がくれた情報から証拠を掴み、自白へ持っていけた。実際は次期アイレンベルク公爵の手柄だな。彼が探らせたようだから」
エルフリーデの兄は堅物ながらやや妹に甘いものの、優秀な人物だ。
国のトップの不在に伴い父と共に城に泊まり込んで仕事をしており、今は事件が加わってさらに忙殺されているだろう。
「今回の件に先んじてメルツァー様が襲われたというよりは、別件として扱ってよさそうですね。」
「恐らくはな。どう探すか……そういえば、私の婚約者として君も見張られているはずだな。今日はどうやって動いたんだ?」
「わたくしは事件を知り、ショックで寝込んでおります。食事などは全て侍女を介して受け取っており、部屋から出ていないのです。」
「…なるほど。」
部屋での対応を任されているのは、毒には気付けないが真面目な侍女一人だけだ。眠る時はベッドを使って良いが、その前に扉とここの壁の仕掛けをどうこうして…など、対策は伝えていた。
指を絡めていた手を握られ、ディートリヒの視線がユリアへ戻る。
「殿下。今回ばかりは、朝までお傍で守らせて頂けませんか。緊急事態でございます」
「…そうだな。でも君は明日も私のために動いてくれるんだろう?身体を休めた方が良い。」
「お傍に居られない方がよほど休まりません。」
「しかし、横になれる場所など…」
言いかけた言葉が途切れ、ディートリヒは瞬いた。
こちらをじっと見つめるユリアが身を乗り出し、片膝をつかれたベッドが小さく軋む。
以前「天井裏ではなくベッドで寝てほしい」と言ったのはディートリヒだ。もちろん、「共に寝ようという意味ではない」とも伝えたのだが。
ディートリヒは目を見開いて身を起こし、無意識に後退した。
それがまるでユリアが寝るためのスペースを譲ったように見えるとは、気付いていない。ユリアが嬉しそうに微笑む理由がわからない。心臓が早鐘のように鳴っている。
「ユリア」
「はい。」
「……婚前に共寝は、まずい。」
「中には入りません。わたくしは上着がございますから、これで充分温かいのです」
「そういう問題ではないというか、私が眠れる自信もない」
「…左様ですか?」
きょとり、首を傾げるユリアが愛らしい。
抱き寄せて唇を奪ってしまいたいという欲求に駆られ、ディートリヒは固く目を閉じて脳内で己を殴り飛ばした。「命の危険があるから護衛したい」という健気な婚約者相手に、一体何を考えているのか。
するりと衣擦れの音が聞こえ、目を閉じているのに顔を背ける。
「万一、その…なんというか」
「殿下」
「はい…」
ぎ、ぎ、ぎ、と音がしそうな程ぎこちなく顔を向けようとして、唇に触れた何かに驚いて目を開けた。同時に薄く唇を開いてしまい、口内に侵入した指が舌を撫でる。ざらりとした苦味が広がる。
呆然とするディートリヒの目に微笑むユリアが映った。濡れた指を引き抜いて、彼女は言う。
「睡眠薬でございます。」
ディートリヒの意識はそこで落ちた。




