15.本当なら君と二人で
「誰が死ぬか。聖書で殴り倒したわ」
肩を越す長さのシルバーブロンド。チェーンのついたフレームレス眼鏡の奥には、気の強そうな切れ長の目がある。
きっちりした神父服を着こなしつつも堂々脚を組み、美貌の公爵令息イザーク・メルツァーは鼻で笑ってそう言った。
昼間、王城にある屋内庭園のテーブルセット。
他には呆れ顔のディートリヒと、こめかみに手をあてるニクラス・レヴィンが座っている。
「ま、私が連れていた護衛だけでは駄目だったかもな。エドゥアルト殿下と騎士が助けに入ってくれたんだ。」
「お前ってホント悪運強いよ……相手は毒を塗った武器も用意してたんだろ?偶然殿下達が近くに居てよかったな。」
「ハッ。日々神に敬虔な祈りを捧げ、聖地レラクを守るのが《お仕事》のメルツァーだぞ?それくらいのご加護は欲しいもんだ。」
「敬虔か…聖書を鈍器扱いする男がよく言う。」
ディートリヒは苦笑して呟くと、テーブルに用意されたコーヒーを手振りで勧めた。
共に並ぶのはいずれもイザークが好む甘さ控えめの菓子で、中には入手が難しい超人気店の物もある。カップに指をかけ、イザークは苦いコーヒーを喉へ流した。熱いくらいが丁度いい。
「しかし本当に、君が無事でよかった。イザーク」
「お前らに囮にされた夜会の方がしんどかったぞ。食い物も取りに行けないし、寄ってくる女どもはうるさいし。」
「うっ…悪かったって。こいつをちょっと連れ出したくてさ。」
「そうだ、お前の公開プロポーズ、アレは何だ?お陰で私はあの女に締め殺されかけたわけだが。」
「…そこが切っ掛けだったのか?」
「あー、女性陣は大盛り上がりだったからなぁ。」
ニクラスが苦笑いして言う。
ディートリヒのプロポーズに一部の令嬢達は涙を呑んだり悲鳴を上げたりしていたが、それ以外は大はしゃぎだったらしい。
逞しい筋力を誇るダニエラ・ラングハイム侯爵令嬢も同じで、感激のあまりちょうど横にいた程よいサンドバッグ――否、イザークをつい締め上げてしまったのだ。
当時を思い出してか、イザークは顔を歪めて首筋を軽く擦った。反対の手で菓子を口に放り込んで咀嚼する。
「久々に来てみれば……あのエドゥアルト殿下が女にかまけて、堅物のお前が人前で求婚。《神に選ばれた一族》が何をしてるんだか――ま、四年もあれば人は変わるものだな。」
「私はしたくてしたわけじゃないぞ。本当ならユリアと二人きりで、婚約指輪や花も用意して…」
「そっか、向こうは四年制だから」
ああしたかったこうしたかったとブツブツ言い始めたディートリヒを放置し、ぽんと手を叩いたニクラスがイザークを指した。
「お前が傷心留学してそんなに経ったか。」
「はあ?おい、誰が傷心留学だ。」
「や、だって留学するって言い出したの、フラれた後だったし…」
「前から話はあったんだよ!」
ぎろりと睨みを効かせるイザークに、物怖じせず「そうだっけ?」と首を傾げるニクラス。二人のやり取りを聞きながらカップを傾け、ディートリヒは自然と口角を上げた。
「ふ……何だか懐かしいな。互いに学園も出て成人したというのに、庭を駆けていた頃と大差ないように思えてくる。」
「お前達二人に可愛げがあった頃の話か?俺覚えてるぜ。ディートリヒが昔『てんしにあった』とか言い出したの。」
「天使?ユリアではなく?」
「違う違う、小さい時だよ。」
「言ったかそんな事……?」
ディートリヒは瞬いて僅かに首を傾げたが、イザークは「私もそれは覚えてるぞ」と頷いた。
「あれだろ?病み上がりを私とニクラスで庭に連れ出して。隠れんぼだなんだってしてたら、熱ぶり返して大目玉食らった。」
「そう。執事に捕まった後、俺だけ父上に殴られたんだよな、『何で連れ出した!』って。こいつ喜んで庭転げ回ってたのに……」
未だに納得がいかないという顔でニクラスが言う。
もちろん伯爵が公爵令息であるイザークや、まして王子であるディートリヒを殴れるはずもないのだが。ディートリヒはいまいち記憶にないらしく、少し眉を顰めて顎に指をかける。
「二人ともよく覚えてるな。何歳の時だ?」
「六歳、十一年前だ。そうしょっちゅう来ないから覚えてる。」
イザークがあっさりと答えた。メルツァー公爵家は領地にしか屋敷を持っておらず、王都に長く滞在する事はあまりないのだ。
三人が仲良くなったのは六歳の頃で、数か月の後にイザークは領地へ戻ってしまった。時折は顔を合わせたものの、大体は手紙のやり取りである。
かつり、微かにヒールの音がした。
「そういや、あの執事はまだ生きて――…失礼、アルトナー卿はお元気ですか?殿下。」
「ふっ、笑顔が嘘くさいぞ。イザーク」
「俺らアルトナー卿には何度も叱られてきたよな。」
「ええ、あれは面倒でしたね。なにせ彼は話が長い」
爽やかに笑い、わざとらしいほど丁寧にイザークが言う。
幼少期の彼は王子を連れ出しては年相応に汚れて帰り、騎士の目を掻い潜る事ばかり教え、喧嘩になれば取っ組み合いし、子供ならではの危険行為もやり放題の困った公爵令息であった。
かつり、靴音が三人の耳に届く。
ニクラスだけは即座に立ち上がってディートリヒの後ろへ控えた。ディートリヒとイザークは座ったまま彼女を見やる。
「皆様、ご機嫌よう。お集まりですのね」
美しい金色の髪に意思の強い碧の瞳――アイレンベルク公爵令嬢、エルフリーデだ。
彼女が優雅に微笑むと、ディートリヒは少し表情を引き締めた。
「やぁ。エルフリーデ嬢」
「こんにちは、殿下。ご歓談中失礼します」
にこりと笑ったエルフリーデのため、それまで静かに控えていた侍女達が追加で茶の用意をし、ニクラスが誰も使っていなかった椅子を引こうとする。
しかし「お気遣いなく。長居は致しません」という彼女の言葉でそれぞれ手を止め、元の位置に控える。
エルフリーデとイザークの目が合った。
「…お久し振りです、エルフリーデ嬢。夜会では挨拶できずに失礼しました。」
「えぇ、お久し振りです。襲撃を受けたと聞きましたが、問題はなさそうですね。」
「運が良かったようで。もしや、私を心配してここへ?」
「…その馴れ馴れしさ、変わりませんわね。」
美しい微笑みと共に放たれた言葉はトゲを含んでおり、ニクラスは噴き出しそうなのを懸命に堪えたが肩が小刻みに震えてしまった。
イザークはその昔、パーティーで会った彼女に声をかけて「馴れ馴れしい」とフラれている。笑顔に苦みが混じるイザークを無視し、エルフリーデは真剣な目でディートリヒを見やった。
「殿下。襲撃犯は恐れ知らずにも、大聖堂でイザーク様を狙った…当然、手引きした者がいるはずですね。」
「騎士団が司教や司祭達に話を聞いている。細かい捜査状況は言えないが」
「構いませんわ。ですが一つ、リーデルシュタイン卿についてお耳に入れたい事が…」
扇子を広げて耳打ちするエルフリーデから目を離し、イザークは自分に用意された菓子をまた一つ、口に入れる。
控え立つニクラスはそれとなくエルフリーデを観察しているが、耳打ちするからといって必要以上にディートリヒと距離を詰めるでもなく、話し終えればすぐに離れた。流石に、公爵令嬢があからさまな色仕掛けに打って出たという邪推は外れたようである。
「そういえば、夜会では熱烈な告白をなさっておいででしたが……例の婚約者様とは、上手くいっておりますの?」
「うんっ!?それは、まぁ。その…適切な距離を保ちながら、互いを知る時間というか…」
「ふふ。このわたくしを放って彼女を選んだのですから、失敗などなさらないようにね?」
「ぐっ……あれはその、決して貴女がどうという話ではなく。」
「理由はもう聞きました。忘れられなかった――でしょう?」
エルフリーデはくすりと唇を笑みの形にする。
ディートリヒは姉に揶揄われる弟のような顔で苦笑し、イザークはコーヒーの残りを飲み干して唇を舐めた。眼鏡の奥、冷静な瞳がエルフリーデを見やる。
「では、わたくしはこれで。」
完璧な微笑みを浮かべ、アイレンベルク公爵令嬢は美しい所作で淑女の礼をした。
◇
かつり。
廊下を静かに歩いていたその人は、わたくしを見た瞬間に一つだけ靴を鳴らしました。鳴ってしまったのか、鳴らしたのか、それは定かではありませんが。
にこりと微笑まれたので、わたくしも歩きながら微笑み返します。
互いに歩み寄り、淑女の礼を致しました。
「ご機嫌よう、シュミット侯爵令嬢。」
「ご機嫌ようございます、アイレンベルク公爵令嬢。」
エルフリーデ・アイレンベルク様。
あの夜会でエドゥアルト殿下がリリアン・カルク伯爵令嬢を選んだ時点で、ディートリヒ殿下と婚約を結べないかと思案されただろうお方。
ぱさり、エルフリーデ様は扇子を広げて微笑みます。
「ちょうど良かったわ。貴女にきちんとお伝えしておきたい事があったのよ。」
「はい、何でございましょう。」
「夜会での事、覚えていらっしゃるでしょう?わたくし第三王子殿下を恋い慕う乙女ではありませんから、それは勘違いなさらないで。どうか安心していてね?」
「承知致しました。」
口角を上げて軽く頭を下げました。
ええ、もちろん。あの時エルフリーデ様は、王妃にと望まれて育った令嬢として役目を果たそうとなさっただけのこと。
ですからもちろん、今も貴女様にとってわたくしは邪魔でしょう。
侍女が用意するティーポットに食事、花束に仕掛けられた毒。夜中に隠し通路の向こうから侵入せんとしたどなたか。泥酔した城勤めの男が偶然わたくしの部屋の鍵を持っていたこと……どれが、貴女様の差し向けたものかはわかりませんが。
わたくしは偶然手をつけなかったので毒に侵されていないし、偶然通路が塞がっていて侵入されず、偶然部屋の扉が開かずに不審者は見回りに捕まったので。
今のところなにも――そう、何も起きてはおりません。
「それにしても……わたくしと違って、殿下と貴女には関わりが無かったはず。婚約の申し入れは、貴女にとって急な話だったのではなくて?もし断り辛かったというのなら、力になるけれど。」
「お気遣いありがとうございます。驚きはしましたが、光栄に思っているのは本心でございます。」
「光栄、ね…」
エルフリーデ様は少し目を細められました。
わたくしの言い方がよくなかったかもしれませんね。
「これまで秘めて参りましたが、わたくしも殿下に惹かれておりましたから。」
「……、そう。けれど貴女、王妃になる覚悟があって?」
「殿下が望まれるのであれば。」
「そう答えれば自身に責はないとでも?」
「望まれたなら全力でお応えする覚悟がある、それだけの事です。」
ただのお喋りですのに、わたくしについてきた侍女は後ろで少し震えているようです。
エルフリーデ様の護衛はやや視線が下方へ。まるで緊迫した重苦しいやり取りを聞いているかのよう。
碧の瞳を真っすぐに見据えました。
学生時代、わたくしはこの方の依頼を一度受けております。エルフリーデ様は当時と変わらない、真剣な目をされている。
「殿下は、貴女を《忘れられない》と仰いましたわね。」
「それが何か。」
「いいえ?――…ただ、滑稽に思えただけよ。」
そう言って、エルフリーデ様はわたくしの横を通り。
後は振り返る事もなく、去っていかれました。




