14.合意の上だと君は言う
『結婚したら、夜間同室は当然だな?』
お兄様はそう言っておりましたが、殿下には《天使》と呼ぶ程お好きな方がいらっしゃいます。
あの夜会でその方でなくわたくしを選んだのは、《天使》様が身分の合わないお方だとか、何かしら事情があるから…なのでしょうか。
自室に戻って少し、相変わらず毒入り紅茶を淹れる侍女にやり直しを命じておりますと。
ディートリヒ殿下から花束とカードが届きました。一本だけ後で追加されたらしい毒つきを手折って処分を頼みつつ、カードを確認します。
筆跡は殿下のものですね。
やや急いで書かれた様子…《夕食の後、少し君の時間を貰えないだろうか》…そして具体的な時間と場所の指定。お兄様が仰っていた「今後についてのお話」でしょう。
契約の事に触れるなら、レヴィン様も同席されないかもしれません。表向き婚約者同士のわたくし達ですから、そもそもご遠慮なさる可能性もある。
喜んで会いに参りますと返事をしたため、紅茶を淹れ直してきた侍女に預けました。
そして夜、殿下の執務室へ。
天井裏でも窓でも床下でもなく、きちんと廊下の扉から入ります。そのためにまずはノックを。
コンコンとやりましたら、中から開けてくださったレヴィン様がにこりとして通してくださいました。
「失礼致します。」
「ああ、来てくれたか…遅い時間にすまない。ユリア」
「貴方様にお会いできるなら、わたくしはいつでも嬉しいです。ディートリヒ様」
「………、ありがとう。」
ソファとローテーブルを並べた応接セットまで歩こうとなさったのでしょうに、執務机の向こうで立ち上がった殿下はぐっと目を閉じてしまいました。
お礼の言葉を頂けたという事は、わたくしの対応は大きく間違ってなかったはずなのですが…目が疲れているのでしょうか。
レヴィン様は「少し休憩を貰いますね、殿下」などと言って、やはり席を外されました。部屋にはわたくしと殿下の二人だけ。
「…すまない、ちょっと癒しを噛みしめていた。座ってくれ」
「はい。」
癒しですか?と聞き返すより早く促されましたので、ひとまず座ります。殿下と向かい合って深い青色の瞳を見つめました。
少しの間を置いて、殿下が唇を開く。
「兄上が王位継承権を放棄した。」
…それが意味するところは…ディートリヒ殿下の立太子、ですね。
剥奪まではいかないでしょうと思っておりましたが、自ら放棄されるとは。
「即位式をもって、私が王太子となる。」
「…わたくしを、どのような立場に置きましょう。」
このまま婚約を続け、王太子の婚約者とするにはリスクがございます。
わたくしたちは仮初の関係。いずれ婚約を解消する時には面倒ごとがあるのも前提でしたが、王太子が婚約解消となれば国にとっての重みも違います。
ディートリヒ殿下は眉根を寄せ、真剣な目でわたくしを見ました。
「仮に…私と婚約したまま《契約》が終わったら。君はどうするんだ」
「それは、殿下がわたくしの主君にならなかった場合の仮定でよろしいでしょうか。」
「ああ。まさか、そのままでいいとは言わないだろう?」
「いえ、そのままでも構いませんが」
「えっ」
出禁を食らった時のわたくしと同じ声を漏らし、殿下が固まります。
わたくしは構いませんが、王太子となられる殿下はそうもいきませんでしょう。他の選択肢について続けました。
「各所に与える影響は充分考えねばなりませんけれど、もちろん婚約解消でも、必要な偽装をしてわたくしが表から姿を消す事も――」
「ちょっと、待ってくれ。」
「はい。」
何でございましょう。
殿下は僅かばかり目を見開き、瞬きの回数が少々多めになっております。動揺されているご様子。
「そのままでいいとは……わ、私の妃になってくれるのか?」
「?はい。」
殿下の告白は仮初ですが、現状、婚約者ですし。母国を悪戯に荒らすような真似はしたくありません。殿下がそれをお望みなのであれば、わたくしに異論はない。
想いを寄せる《天使》様の事は諦めるのか、それとも側妃になさるのかとか、殿下が思い悩む事は山のようにあるでしょうけれど。
「…王太子妃だ。ゆくゆくは君が王妃になるんだぞ。私と共に国を背負う事になる」
「えぇ。――なかなか、やりがいのある《お仕事》でございますね?」
ふ、と笑ってみせますと、殿下は息を呑んでわたくしを見つめました。
暗殺者の小娘ごときが、王妃の座を「やりがいのあるお仕事」とは。少々不敬でしたでしょうか?でも、深い青色の瞳に嫌悪は見えない。
「君は……もっと、考えるべきだ。契約者だからといって――それも私は、一年で終える可能性があるのに。その後でも身を差し出すのか?婚姻となれば、ただ共に居るだけではすまないんだぞ。」
「心得ております。婚約をお受けした以上、そのまま婚姻となってもわたくしは構いません。」
「王妃になるのなら、私以外を主君にする事など許してやれないが。」
「それは、この契約の結果次第ですね。」
王妃が国王以外の主を持つなど、あってはならないこと。
わたくしの能力が殿下に認めて頂けないのであれば、仮に婚約を続けたとて、わたくしが殿下の横に立つ事はないのでしょう。
殿下はどうしてか苦しそうに顔を歪めました。
立ち上がり、わたくしの隣へ座って手を取ります。なぜ、そんな目で見るのでしょう。
「王子が何をと思われるかもしれないが…私は君に、心の伴わない婚姻などしてほしくない。」
「……心は、伴っているかと。合意の上でございます。殿下が《そうするのがよい》と判断されるのであれば、わたくしに異論など」
「私が契約者だからか」
殿下の手に力がこもる。
咎めるような眼差しはどこか、自分の事を《使う》と言うな、と仰った時と似ています。
「いいえ」
「王子だから、その意向に逆らわないと言ってるのか」
「いいえ。」
「貴族令嬢として、望まぬ婚姻でも受け入れるという事か。」
「いいえ――殿下なら、わたくしが後悔する結果にはならないと思うからです。」
真摯な瞳を真っすぐに見つめ返してお伝えしました。
意外に思う答えだったのか、殿下は僅かに目を瞠り――ゆっくりと瞬いて、わたくしの指先に柔らかな唇を触れさせます。夜会でしたように。
「ありがとう、ユリア。」
シュミット家の直系は暗殺者。
一人前になれば《生涯の主》を見つけてお仕え致します。腕が鈍る事のないよう、仕事を得るために。
ただわたくしはそれとは別で、殿下のお傍に居る方が都合がよいのです。
たとえ、貴方が覚えていなくとも。
「君がそう言ってくれるなら、私は婚約を続けたい。」
「承知致しました。…婚姻後を見据えるのであれば、わたくしも一つ伺ってよろしいでしょうか?」
「ああ。何でも聞いてくれ」
「殿下はどうなのですか?」
「……どう、とは?」
「わたくしと、子を成すような行為ができるのでしょうか。」
じっと目を見て、少し首を傾げてみます。
なにせ殿下には《天使》様がいらっしゃいますから、世継はそちらでと仰るかもしれない。
びくりと固まって一秒、殿下はわたくしの手を離し。
目を見開いてこちらを凝視し、そのお顔が真っ赤に染まったかと思うと、ソファのぎりぎり端まで後退してしまいました。
質問が少々、直球過ぎたでしょうか?
でも、大事なことですから。
「殿下?」
「っあ……そ、それは…然るべき時に話し合おうというか、私は決して、そんな邪なあれを優先したわけではなく」
明言せず言葉を濁すという事は、やはり《天使》様の存在が大きそうです。
とはいえ、今の陛下には三人のお子がいらしたのにその結果が現状ですから、子は何人か産まれた方がよいという事も明白。
完全に白い結婚にするのか、周囲にはそうでないと信じさせ実情は白とするか、第一子のみ《天使》様にとか、順序こだわりなくわたくしも産んだ方がよいのか。
……そういえば、殿下からはまだ直接《天使》様の話をされておりませんね。
それも含めて後日話し合い、でしょうか?
「どういう事情での婚姻にせよ、そのっ…そういったあれは互いの気持ちというか、今の私と君の間にあるものとはまた別の信頼関係がいるのではないだろうか?私達が将来的に結婚に至ったとして、先ほども言ったが心を伴わない事は…ただの合意という話ではないんだ。無理強いなどする気もなく、だから、なんというか」
「わたくしとは無理だと」
「無理ではないです…」
なぜ小声かつ敬語になったのでしょう。
目を合わせてくださらない殿下は少し汗ばんでいて、湯気が出そうな程にお顔が赤いです。
寝所のお話で少し照れていらっしゃるのかと想像致しましたが、そんなにも?唐突な発熱、ではありませんよね。少し心配になってきました。
「殿下」
「別の!いいだろうか、別の話をしよう。」
額に手をあてて体温を計れないかと、腰を浮かせかけたのですが。殿下が手のひらを向けて制止なさるので座り直しました。
そうですね。婚姻もすぐではないでしょうし、たった今ここで明確な結論を出す事が必須ではありません。
「その――…そうだ。妃教育を始めるにあたって、下準備として試験を受けてもらったな」
「はい。結果は問題なかったかと。」
「全て満点だ。それで確認だが、やはり君は学園でわざと失点していたんだろうか。」
「その通りでございます。あまり目立ちますと、日頃から人目を引いてしまいますので。」
シュミット家の直系としては避けたいこと。
とはいえわたくしの時は殿下がいらっしゃいましたし、途中までは上の学年にエルフリーデ様とエドゥアルト殿下もおられました。彼らが生徒の興味関心を引いていた分、わたくしが隠れるのも容易であったと記憶しておりま……あら?
ぱちり、瞬いて首を傾げます。
「殿下。……今、やはりと仰いましたか?」
「当時から疑っていたからな。君が本気ならどこまでいくのかと」
「お見通しでしたか。わたくしなど、十位内に入った事もありませんのに。」
「順位表で言えば、私はずっとダニエラ嬢と首位を争っているように見えただろうが……実際気にしていたのは君の事ばかりだ。総合点はいつも同じ…恐らく、全教科八十点にしていたのかな。」
そこまでバレていたのですか。
それは、あまりに意外でございます。
在学中のわたくしと殿下は殆ど話した事がないはずです。
視線を感じる事はありましたが、通りすがりに向けるだけの、意味の無いものとばかり。
驚いているわたくしを見て、殿下はふと困ったように微笑みました。
「そろそろ信じてもらえないだろうか。私は本当に」
「誰か来ます。」
廊下へ出て右奥の方向からこちらへ駆けてくる足音。わたくしの言葉に殿下も部屋の入口を振り返ります。
わたくしはすぐ立ち上がれるよう、殿下の前へ飛び出せるよう足に力を込めつつドレスのひだに隠した暗器に触れました。
足音が近づき、息遣いが聞こえてくる――…ああ、これは。
「失礼しました。レヴィン様のお戻りです」
わたくしが言い切った一秒後、扉の前で足音が止まる。
忙しないノックの音。
「殿下、失礼します!レヴィンです。開けさせて頂きます」
「どうした。何があった?」
ただならぬ様子に殿下が立ち上がり、わたくしも合わせて腰を上げました。
どこから走ってきたのか、レヴィン様の柔らかな新緑の髪が乱れている。
「イザークが…メルツァー公爵令息が襲撃に遭いました。」




