13.期間限定の君
「出禁でございます。それも夜間」
「はっ、ははははは。」
翌日、城内のサロンの一室にて。
眉を顰めたわたくしの前で、お兄様は楽しそうに笑っておられます。話し声が届かぬ位置に控えた侍女は、遠目ながらもぼうっとしてお兄様の美貌に見とれている様子。
「笑い事ではありません。一体どうしたら説得できるのでしょう…」
まさか呼吸音を聞き取れる事が、仕事上で不利に働くとは。まったく思いもよりませんでした。
ティーカップを傾け、侍女に淹れ直させた紅茶を一口飲み下します。最初に持ってきたティーポットと違って、毒の香りは致しませんね……毒と言っても、少量の下剤程度でしたが。
寝言を聞かれるというのは、そんなに恥ずかしい事でしょうか?
わたくしもお父様もお兄様も、寝ていたとて発声するより先に意識が覚醒するため、寝言を発した事がないのです。いえ、さすがに赤子の頃は何か言っていたかもしれませんけれど。
「少々恥と思ったとて、お命を守る方が大事ですのに…」
「わかってるだろう、ユリア。依頼人の希望は――」
「命より重い。」
「そういう事だ。」
無論、わかっております。
人の命より優先する物事があるから、依頼によって人が死ぬのです。
シュミット家に届く依頼の内容は様々。
仇を取ってほしい。口を封じてほしい。情報を吐かせてほしい。死の間際まで追い詰めてほしい。捕えてきてほしい。影から守ってほしい。潜入してほしい。護衛してほしい。人が死ぬところを見せてほしい――…勿論、お断りする依頼もございますが。
多様な依頼がある中で、子を連れて逃げてほしいと命じて自分は亡くなった方がいます。
生きる事はまるで醜く足掻くようだと、自らの死を望んだ方もいたそうです。
依頼を受ける際、わたくし共は依頼人の意思を、希望を優先致します。
……とは、言っても。
「わたくしの出禁は…そういう話でしょうか?」
こてりと首を傾げて聞いてみましたら、お兄様は軽く肩をすくめて「そういう話にしておけ」と仰いました。
「これ以上掘っては殿下が不憫だ。」
「不憫。」
お兄様ときたら、聞き返すわたくしを放置して優雅にティーカップを傾けておられます。
わたくしは真剣に悩んでいるのですが。
後ろへ流した黒髪がひと房垂れるその額、数ミリサイズの固い何かでも弾き飛ばして差し上げたい。ついドレスの飾りについたビーズを指先でいじっておりましたら、妹の不機嫌を察したお兄様がふと微笑みました。
「第一、入学以前は勝手に護衛を付けていただろう?父上の部下を借りて。心配ならもう一度頼んではどうだ。」
「あれは、わたくしの知らぬ間に何かあるといけないから付けたのです。」
殿下とはお約束がありますから、万一があっては困ります。
当時ディートリヒ殿下はまだ幼く、第一王子殿下や第二王子殿下と比べれば、警備はやや手薄でした。
自衛できる年齢でもなく側近も育っていない、そんな状況だったからこそです。
お父様はわたくしの話を聞いて理解してくださいましたし、陛下も「シュミット家の手の者ならよかろう」と承諾してくださったと聞いています。
卒業した今、日中の殿下には護衛騎士やレヴィン様がついている。
昔と比べて次期国王となられる可能性も上がり、警備は手厚くなりました。…わかってはおりますが。
せっかくお傍にいるのですから、わたくし自身が目を光らせたいではありませんか。
「依頼より自分の感情が優先か?」
そう問われて、いつの間にか下がっていた視線を上げました。
射貫くようにわたくしを見据えたお兄様と目が合って、その眼差しが和らぎます。
「殿下はお前にとって特別な相手だ。張り切るのは良いが、そのせいで不和や失敗のないようにな。」
「……はい、お兄様。」
自分の腕には自信があります。
今はもう、「わたくしの力ではこの方を殺せない」と思う相手などおりません。流通している毒は知っておりますし、作れますし、扱えます。
わたくしが常にお傍に居れば、それが一番安心…なのですが。
「今日か明日にでも、今後について殿下から話があるだろう。」
そう言いながら、お兄様は立ち上がりました。
勿論、「それ以上の情報を落とす気はない」と示すためでしょう。……恐らく、第二王子殿下に動きがあったのですね。わたくしも立ち上がり、「承知致しました」と返します。
お兄様は口角を上げ、小声で付け加えました。
「結婚したら、夜間同室は当然だな?」
◇
人払いされた玉座の間にて。
ディートリヒはエドゥアルトと共に、国王による《決定》を聞く事となった。
エドゥアルトの王位継承権放棄を認めること。
ディートリヒが王太子となること。
「異論はないか」と問われたが、事実上王命であり拒否は許されない事は明白だった。
受け入れる以外に選択肢はない。
共に玉座の間を辞してすぐ、ディートリヒは先に歩き出そうとした兄を呼び止めた。
「兄上。話を聞いても?」
「ああ」
護衛を廊下へ待たせて二人、適当な応接室へ入る。
それを見かけた侍女からの「茶を用意しますか」という申し出も断り、扉を閉めたディートリヒは兄を見据えた。
「一体何をしたのですか。」
「どれの話だ。」
「すべて――…学園で貴方がリリアン・カルクと行動を共にするようになってから、継承権の放棄まで。本来、陛下がそこまで自由にさせるはずがない。どんな手を使ったのです」
「もし本当に自由だったら、学生の頃既に放棄してる。俺は当時から父上には打診してたからな。」
「っ…馬鹿な」
そう声を漏らしつつ、ディートリヒは今の言葉が嘘ではないと理解していた。顔を見ればわかる。今、兄は何も嘘をついていない。
王妃譲りの燃えるような赤髪を掻き上げ、エドゥアルトは話を続けた。
「ディートリヒ、お前もいずれわかる。……陛下が俺の変化をどう見ていたのかが。何で様子見で済まされてきたのか…正妃が生んだ男児でありながら、何で継承権の放棄が許されたのか。お前が王になる頃にはな」
「しかし……私は王の器ではありません。」
「今やそれは謙遜じゃなく、弱音って言うんだぜ。王太子殿」
第一王子ローレンツは長らく病床にあり、第二王子エドゥアルトは城を出る。
最後に残った第三王子ディートリヒが王太子となるのは当然の流れだ。
エドゥアルトは口角を上げて笑う。
「《神は常に我らを見守り、正しき者には天使を遣わす》……お前にはきっと、天使が来てくれるだろ。」
「…確かに、天使のように美しいユリアはいますが…」
「……美人なのは認めるが、そこまで惚れこんでんのか。それならそうと、何年か前に言やぁよかったものを。」
「言えるわけがないでしょう!他ならぬ貴方が、カルク伯爵令嬢にデレデレしている時に!」
「それもそうか。」
あっさりと頷くエドゥアルトにやや腹が立ったものの、ディートリヒは不満を堪えて重いため息をついた。
ここ数日の出来事(とユリアによる無自覚煽り行為)によって、だいぶ精神疲労が溜まっている。
「俺は惚れた女の事しか考えてねぇ。あまり手伝ってやれる事はないが…妃は、ユリア・シュミットのままでいくのか?」
その問いに、ディートリヒは軽く拳を握った。
ユリアとは一年という期間限定の《契約》なのだ。その間に生涯の主に相応しいと認めてもらえなければ、彼女はディートリヒのもとから去ってしまう。
依頼として受けたから婚約者になってくれたが、果たして妃にまでなってくれるかどうか。「第三王子の婚約者」と「王太子妃」では、役割の重さも国に与える影響も違う。
「…婚約からして、急な話でしたから…改めて、意見を聞いてみるつもりです。」
「そうか」
納得がいかないという顔をしつつも、ディートリヒは既にわかっているだろう。覚悟を決めるしかないと。
より盤石な後ろ盾を得るのであれば、エルフリーデを妃にするべきだという事も。
「…良い選択をしろよ。ディートリヒ」
少しだけ目を伏せ、エドゥアルトが言う。
「もしいつか、俺が言った意味がわかる時が来ちまったら……声をかけろ。必ず力になる」
「…兄上。貴方は何を知っているのですか?」
険しい表情で問いかけたディートリヒに、エドゥアルトは何も答えなかった。
異母弟に背を向け、ひらりと手を振って応接室を後にする。
中庭に着くと、見慣れたピンクブロンドの令嬢が言いつけた通りの東屋で待っていた。テーブルに肘をついて本を読んでいるようだ。
エドゥアルトが近付くと、彼女に付けていた数名の護衛と侍女が同時に頭を下げる。
それに反応して本から顔を上げ、リリアン・カルクはエドゥアルトの姿をその目に映した。
「エド様!謁見はもういいのですか?」
「ああ。」
丸いティーテーブルの向かいではなく隣に座り、エドゥアルトが頷く。
ちょうど淹れ直したばかりだったらしく、侍女が彼の分のティーカップを出し、温かい紅茶を注ぎ始めた。リリアンは読んでいた本を閉じ、まだ湯気の立つティーカップを持ち上げる。
「お疲れ様です。聞いてわかる気はしないんですけれど、難しいお話だったのでしょう?」
「俺が王子を辞める話だ。」
「ぶはぁっ!げほ!げほげほ!あっすみません!」
白いテーブルクロスがたちまち紅茶色に染まり、侍女達が慌てて片づけを始めた。
エドゥアルトはさして驚いた様子もなくハンカチを出し、反射的に手の甲で拭おうとしていたリリアンがハッとして受け取る。
「あ、ありがとうございます…」
「なぁ、リリアン。」
「はっはい。」
「もうしばらく時間はかかるが、俺は今後爵位と領地をもらい、そこで暮らしていく事になる。」
つい先日まで椅子は隣どころか真横に置き、しょっちゅう肩を抱いてきた男だ。
飽きないのかと内心呆れるほどリリアンの顔を見つめ、シュガーポットごと紅茶にぶち込んだのかと思うほど甘い言葉を囁き、セクハラまがいのボディタッチをしていた男だった。
夜会で気絶して目が覚めてから、リリアンはエドゥアルトの落ち着きようにまだ慣れない。
下心の見えない優しい眼差しで、彼は笑う。
「お前を娶って、家族諸共養うだけの資産はあるんだが…どうだ?」
「どう、って…」
「俺の妻になってほしい。」
「………ほ、ほんとに?」
「ああ。」
リリアンにとって俄かには信じがたい、夢のような話だった。
いっそ騙されている気もするが、何年も馬鹿みたいに優しかったエドゥアルトが今更リリアンを陥れる意味はあるだろうか。
――…で、でも、エドゥアルト様が本当に本当の本気なんだったら、良くないわ。
笑いかけた唇を閉じて、視線を彷徨わせる。
エドゥアルトはリリアンを騙すつもりかもしれないし、そうではないかもしれない。
だが、リリアンは間違いなくエドゥアルトを騙していた。
胸元で自分の手を握り締める。
――言わない方がいいんじゃない?言わずに黙って嫁いでしまえば。……でも、それでいいの?
「…えっと、私…う、嬉しいのですが、その…」
僅かに震えた手に大きな手のひらが重ねられた。
リリアンが肩を揺らして視線を上げると、エドゥアルトは口角を上げてみせる。
「俺に惚れてるのは嘘だって?」
「……き、気付いていたのですか?」
「そう心配すんな、リリアン。お前は自覚がないだけで俺に惹かれてるし」
「はい!?」
「これから改めて口説く。大丈夫だ」
自信たっぷりな声でニヤリと悪そうに微笑まれ、リリアンの頬が赤く染まった。
侍女や護衛達はシンとして気配を消している。
「なにっ…どういう、なんなんですか!?」
「ふ、あはははは!」
「エド様っ!」
エドゥアルトは愛おしそうに目を細めると、リリアンのピンクブロンドを指に絡めた。
記憶の中、嬉しそうに笑ってエドゥアルトの手に触れる妻の姿が重なる。
あの頃、エドゥアルトとリリアンは確かに幸せだった。
慎ましい暮らしであっても、寄り添い合い、笑い合って生きていた。
そんな日々が続くと思っていた。
ユリア・シュミットが現れるまでは。




