幕間 庭園の邂逅
生まれた時から《おやくめ》は決まっていて、わたくしは学ぶことがたくさんあります。
お父様の言うことを聞いて、本をよみ、じっせんし、お兄様からもおそわって。
色々などうぐの使い方、体のうごかし方、ていねいな話し方も。
ふだん、あやしい人に気付いた時のたいしょも、見つかってはならない人に見つかった時も。
てき、と呼べる人を前にした時のたいしょも、みかた、と呼べる人かどうかをかんがえるのも。
わたくし一人ならどうしたらよいか。
どこまで、ゆるされているか。
りっぱになるまで、かってはゆるされません。
一人前になるまで、えらぶじゆうもゆるされません。
りかいしています、大丈夫です。
でも、ほんの少しだけ。
おしろのお庭がきれいで、もう少しだけ、見ていたくて。
わたくしはお父様にきいたのです。
『お庭を見ていても、いいでしょうか。』
『構わないが、あの噴水までの間にしなさい。そこから出てはいけないよ。』
『しょうちいたしました、お父様。』
しゅくじょの礼をして、わたくしは少しだけ、はしゃいでいました。
そうしてまずはくるりと一周まわろうとして、
男の子がたおれているのを、見つけたのです。
『………。』
草葉をしげらせた低い木の下で、かくれるようにすやすやと、彼はねむっていました。
ぎんいろのかみ、きれいなはだ。
きちんとしたジャケットを着ていたのでしょうと思うような、シャツとベスト、ズボンを履いて、ぴかぴかのくつ。
わたくしと同じで、お庭を見に来たのでしょうか。
少しだけ、わたくしもマネをしてみたらどんな気持ちだろうと思ったけれど、そんな事はできません。
それにしても、この子はいつからいるのでしょう?
『あの、かぜをひいてしまいますよ。』
『………ん…?』
顔をしかめて、まぶしそうにまたたいて、彼はあおい目でわたくしを見ました。
ぼうっとしていたので、わたくしは「きちんと見えているかしら」と思い、首をかしげてみて。
『…てんしって、ほんとにいるんだ……』
『え?』
『ちがうな。にんげんだ…あんまりきれいだから、みまちがえた。』
『わたくしのことを言っているのですか?』
男の子はうなずきましたが、ねぼけたお顔でおっしゃるから、じょうだんかもしれません。
のんびりと起き上がって、葉っぱを頭にのせた彼は歯を見せてにっこりわらいました。
『よくねむれた!』
『よ、よかったですね……?』
『ところで、お前はだれだろう?』
『お…お前と、おっしゃったのですか。わたくしを。』
『?ああ…わるかったね。さいきんちょうど怒られてるところだ。あなたはえらいのだから、ていねいにしゃべりなさい、って。』
彼はかたひざをついて、わたくしに片手をさしだしました。
おしばいのようです。
『わたしにあなたの名前を知るえいよをくださいませんか、おひめさま。』
『………さきほどまでとちがいすぎて、へんです。』
『ふはっ!あはは、そうだろう?』
しせいをくずして、彼は「へん」と言ったわたくしのぶれいも気にせずわらいました。
かめいまできちんと名前をおしえると、かってにあいしょうをつけられます。お父様とお母様がつけてくださった名前なのに。
『あなたは、じゆうな方ですね。』
『きみにはそう見えるんだ。じゃあ、きみはじゆうじゃないんだな。』
『………。』
そうかもしれないと、思いました。
りっぱになったら、いちにんまえになったら、ゆるされることがふえます。じゆうがふえます。
だから今はまだ、今のわたくしはまだ、じゆうじゃない。
『つれだしてあげようか、おれが。』
『…また、ことばがみだれていますよ。』
『ふふ。まじめでかわいいな、きみは。』
『あなたはじょうだんばかりに見えるので、しんじられません。』
『そう?それじゃ、しんじてもらえるようにがんばらないとだ。』
彼はたのしそうにわらっています。
わたくしは――…つい、見とれてしまって。いつもならよけられたでしょう、さして早くもない彼の手を、そのままにしてしまいました。
わたくしの手をとって、彼はくちびるをあてたのです。
『今のわたしにはむりだから、大きくなったらきみをむかえにいく。』
『……は、はなしてください。』
『いいよ、今はね。』
するりと手をはなして、わたくしは一つ、また一つ、後ろに下がりました。
彼はわたくしを見て、目をほそめてわらうのです。
『いつかのきみがイヤじゃなかったら、つかまえるから。そのあとはもう、はなせないよ。』
『そ…そうなったら、じゆうではないじゃありませんか。やくそくがちがいます。』
『やくそくできてるんだ?じゃあもうけってい。』
『おうぼうです!だいいち、あなたの名前も知りません。』
『あれ?そうだったね。おれはディー』
『ディートリヒ殿下っ!』
とおくから大人の男の人の声がして、彼はいやそうな顔で口を閉じました。
ディートリヒ、という名前は聞いたことがあります。さんばんめの王子様の名前です。
『どこにいらっしゃいますか!遊び回るのも大概に――』
男の人は、お庭のおくをさがしているようでした。
わたくしの目の前にいる彼は、「ああ、めんどうなのがきた」とためいきをついて。
『せっかくあえたけど、もういかないと。』
『…ほんとに』
『ん?』
『本当に、わたくしをむかえに来てくれるのですか?』
ディートリヒでんかは、少しだけ目を丸くしました。
そして、うれしそうにわらって。
『わすれなかったらね。』
さいごまでわたくしをからかって、彼は行ってしまいました。
ほんのすうじつ後、お父様がおっしゃったことには。
『そういえば、第三王子殿下はお風邪を召されていたらしい。』
どう考えたって、あんなところで寝ていたからでしょう。
大丈夫なのでしょうかと聞いたわたくしは、
『高熱のせいで、最近の記憶が怪しい所もあるそうだが――…まぁ、問題ないと聞いている。』
たった一度、会っただけ。
ほんの少し、話しただけ。
それなのにわたくしは、貴方が忘れていたらどうしようと、不安でした。
いっそわたくしも忘れようかと、努めました。
でも、忘れられませんでした。
ほんのひと時の出会いでも、わたくしには大切な思い出だったから。
そうして何年も経って会った貴方はやっぱり、わたくしを忘れていたのです。
傷つかなかったとは言いません。
自分の感情くらいわかる歳です。もう子供ではないのですから。
頭の中に微かに浮かぶ、あの日の貴方に文句を言いながら。決めたのです。
――迎えに来る事を忘れたなら、わたくしがお傍へ行きます。
そうして少しでも、同じ時間を過ごしましょう。
いずれ殿下が思い出したら、「やっぱり貴方なんて、信じられなかったじゃありませんか」と、言って差し上げる為に。笑って差し上げる為に。
これは愛ではなく、恋でもない。
幼い頃のわたくしが大切に持っていた、ほんのひと時の思い出を……これからも抱えていたいから。
ディートリヒ殿下。
すっかり「王子様」が板についている貴方が、あの日のように笑うところを見る為に。
あの日のわたくし達は確かに居たのだと。
わたくしを迎えに行くと言ってくれた男の子が居たのだと、確かめるために。
立派になったわたくしが、一人前になったわたくしが、今。
「シュミット侯爵令嬢!」
貴方が選んだ、その声を聞いて。
「どうか受けてほしい。初めて会った時から君を忘れられなかった」
わたくしの心と同じ言葉を吐く貴方を見て。
跪き、あの日のように口付ける貴方を見て。
わたくしがどう思ったかなど――…わからないでしょう。
思い出していないから、今はまだ。
今は、まだ。




