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この作品には 〔ボーイズラブ要素〕〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

追放を犯した召喚師の復讐劇

作者: 夏目みゆ

 この度はお読み頂き有難うございます。

 復讐劇というタイトルですが、物騒な内容ではありません。頭空っぽにして、一般性癖をお楽しみください。

 男の娘が苦手な方は、ここでお辞めください。

 ローラン王国の領土に含まれる迷宮都市ファールジルトは、巨大迷宮バビロンの上に作られた街である。

 百年以上前に突如地震と共に姿を現した迷宮(ダンジョン)という存在は、当初は混乱をもたらした。だが、迷宮(ダンジョン)に出現する魔物の素材(ドロップ)や、突如として姿を見せる財宝は人々に豊かさを与えた。


 巨大迷宮バビロンに潜る者を人々は探索者(シーカー)と呼んだ。探索者(シーカー)達は富と財宝を夢見てバビロンへと挑んだが、多くの者が欲望に溺れて散っていった。

 事態を重く見たローラン王国は、迷宮都市ファールジルトに探索者(シーカー)ギルドを作る。探索者(シーカー)ギルドが探索者(シーカー)をランク付けする事で、探索可能な階層を決め、無益な人材消費を抑える事に成功した。


 探索者(シーカー)達は仲間と共に迷宮(ダンジョン)に挑む。迷宮都市ファールジルドが出来てから百年を超え、未だ最奥には辿り着けていない。

 記録に残る最高到達階層は48階層、痺れを切らした当時の国王が、兵や冒険者を可能な限り投入した成果だ。


 だが、帰還者は僅か数名。

 歴史に残る痴態として、当時の国王は汚名を刻んだ。

 それでも、巨大迷宮バビロンが人々にもたらす富は多く、探索者(シーカー)達は今日も潜る。

 

 探索者(シーカー)達の人数が増えると、複数のパーティを纏めてクランを作る者が出た。

 ギルドはクラン作成を申請制にする事で管理し、必要ならば補佐を行う。強者が揃うクランは、最高到達階層に迫る勢いを見せ、得た富が街を駆け巡り豊かにする。

 そして、中には迷宮(ダンジョン)の攻略階層に付いて行けず、仲間から切り捨てられる者もいた。


 人々が探索を終え、己の生存を酒で祝う夜の始まり。探索者(シーカー)のクランの一つ“栄光の翼”では、一つの騒ぎが起きていた。

 騒ぎの中心は、“栄光の翼”の創立メンバーのパーティだ。テーブルには金色の髪の少年が腕を組み、顔を歪ませる黒髪の青年を睨む。

 少年の名前はコルネールと言い、“栄光の翼”のクランマスターの地位についている。


「聞こえなかったのか?」

「いや、聞こえたさ。俺を追放すると、な」

「そうだ、オレ様のクランにお前は不要だ」

「何故なんだ?俺は仲間の盾となり、魔物の攻撃を受け持っているだろう?」


 反論した青年、アイザックは鈍く輝く重鎧に身を包んでおり、傍に立てかけられたカイトシールドはバビロンより出土した魔導具である。魔導具としての効果はそれ程大したものではないが、非常に頑丈な事を好んで彼は愛用していた。

 アイザックの発言の通り、コルネール達は何度も彼に助けられてきた。しかし、彼の言葉を否定するかの如く首を横に振った。


「最近クランの収入が下がっているのは分かるな?その最もたる理由がお前なんだよ、アイザック」


 コルネールの側に立つ女性が、彼にしなだれる。彼女はジェニー、“栄光の翼”の会計を任されておら、迷宮都市ファールジルドの大手商家ボード商会、会長の1人娘だ。

 ジェニーは淡々と支出について語るが、その多くはアイザックの装備修繕費であった。彼は仲間を守る為のスキル全体守護(オールカバー)を用いて、仲間への全体攻撃を一手に引き受ける分、装備の破損が激しくなるのだ。

 時にはクラン資金から足をはみ出し、自費で道具やポーションを揃える事もある。全ては、仲間の為に。


「オレ様達“栄光の翼”は40階層に差し掛かる。だが、お前への出費が多すぎて探索の負担になっている訳だ。しかも、最近入った新人へのポーションの配給が減り、彼等も不満を洩らしている」

「そうよ、アンタ弱い癖に出しゃばりなのよ」


 彼の意見に同意するのは、盗賊のジョブにつくナタリアだ。他にも、魔術士のオリガ、狩人のサリー、戦士のバーバラといった、何れも女性のパーティメンバーは追放に肯定的だった。

 召喚士であるコルネールとアイザックを含む6人のパーティは、“栄光の翼”の主要メンバーであり、クラン成立以前から活動して来た。多少の不満を抱きつつも、この様に仲間を追い出そうとする者達では無かった筈だ。

 アイザックはチラリと、最近クランに加入ジェニーを見やる。


 “栄光の翼”は40階層を目前に尻込しているとはいえ、迷宮都市ファールジルドでは上位の成果を出している。これは、他のクランにとって脅威以外の何者でもないだろう。

 アイザックは内心ジェニーを間者だと疑っているが、証拠も無い今糾弾した所で、悪者になるのは自分だ。

 現在の探索が行き詰まっている事も理由の一つだろうが、ずっと信頼して来た仲間の態度に、アイザックは落胆を隠せなかった。


「そうか、了承した」

「理解したようだな。ま、お前の装備や持ち金はそのまま好きにして良いぞ」

「まぁ、コルネール様はとてもお慈悲深いですね!」


 分かりやすくおべっかに有頂天になる彼を見て、アイザックはバレない様にため息を吐く。そもそも、探索者(シーカー)の個人財産についてとやかく言う権利をクランは持たないのだが、コルネールを不機嫌にしても良い事は無い。

 手早く自室の荷物を纏めると、嘲笑(ちょうしょう)や冷たい視線に見送られてクランを後にするのだった。


 そして半年後、深夜の路地裏を1人の少年が歩いていた。苛立ちを隠せない様子で、何度も感情を吐き出している。

 酒の入った様子の探索者(シーカー)の男とぶつかり、険悪な空気で睨み合う。しかし、男の仲間が少年の顔を見て笑った。


「おいおい、無能なコルネールじゃねぇか」

「っ!」


 無能なコルネール、醜名としてファールジルドに広がり、彼はまともにパーティを組む事すらままならない。召喚士というジョブは、魔力を持って魔法生命体を呼び出し使役するので、本体を守る前衛を必要とする。

 魔力生命体である召喚獣は、召喚中は常に魔力を消費するので、前衛として喚び続ける事は不可能に近い。

 その為、彼は散々馬鹿にして来た、低階層を彷徨う探索者(シーカー)と成らざるを得なかった。


 自分の実力ならば、高階層を攻略可能であるにも関わらず、1人になった彼は惨めにその日暮らしをしている。髪を切る余裕もないのか、腰まで伸び放題となっていた。


「貴様っ!オレ様を見下しやがって!召喚(サモン)ケルベごっふ!」

「おっとぉ、街中で魔法を使うなってママに習わなかったのか?」


 得意のケルベロスを召喚する為に詠唱を始めたが、華奢な彼は腹を殴られて押し黙る。顎を掴まれ、愉快そうに眺められた。


「はっ、よく見たら綺麗な顔じゃねぇか。探索者(シーカー)なんて辞めて、身体を売った方が儲かるんじゃねぇのか?」

「ぎざまぁ!」

「おいおい、辞めとけよ。そんな落ち目な輩に関わったら、こっちまで不幸になっちまう」

「そうだな、探索者(シーカー)にとっちゃ、幸運に見放されちまったら終わりだ。ま、気が変わったら何時でも相手してやるから、身綺麗にしておくんだぞぉ?ハハッ!」


 解放されたコルネールは地面に項垂れ、悔しさに歯噛みする。ポツポツと身体を打ち出した雨粒は、徐々に足を早めていった。

 土砂降りの中、涙を流すまいと顔を歪ませる。


「クソっ!クソっ!アイザックめっ!!」


 コルネールがアイザックを追放してから、彼の転落は始まった。

 最初は迷宮(ダンジョン)の攻略失敗だ。

 巨大迷宮バビロンは5階層毎に階層ボスが存在し、ボスを斃さなければ次の階段にたどり着けない。


 40階層のボスは、大隊殺しの(キリング)ミノタウロスであった。

 ミノタウロスという魔物は元は牛の獣人だ。温厚で争いを好まない牛獣人が、部族の戦士に神の名であるミノタウロスを与えた。

 名は体を表すと言うように、世代を超え襲名の度に血を濃くし続けた結果、ミノタウロスという名は種族名へと至ったのだ。戦闘に特化し、蹂躙の限りを尽くしたミノタウロスという種族は、膂力の対価に知恵を衰えさせた。

 魔獣と化したミノタウロスは、獣人達を狩る小国を堕としたという。大隊殺し(キリング)の名を得るミノタウロスは、“栄光の翼”を蹂躙したのだった。


 幸い死者が出る前にコルネールが、転移水晶という脱出用の消耗品を使用した為、重傷を負うものの撤退に成功する。

 しかし、迷宮(ダンジョン)で稀に出土する貴重な脱出アイテムを使用して、何の成果も出せなかった事実は瞬く間に噂として広がった。同時に、アイザックを追放してから、“栄光の翼”は能力が下がったとも。


 その後、依頼達成率は下がったものの、大隊殺し(キリング)ミノタウロス討伐失敗後から慎重になったコルネールとパーティメンバーによって、何とか日々依頼をこなしていた筈が、評価は下がるばかりであった。

 更に不運は続く。アイザックが居なくなった後にも資金の出費が多く、身に覚えのない金の動きに疑問を覚えた所で、ジェニーがクランから姿を消した。

 クランの資金を横領し、噂を流し商人やギルドからの信用を落としたのも彼女だった。気が付いた時には金は持ち逃げされており、クランの運用は不可能な状態に陥っていた。


 絶望した“栄光の翼”に声を掛けたのは、同じくファールジルドの探索者(シーカー)クランを立ち上げている“黄金の聖剣”だった。

 彼等は“栄光の翼”と実力が近いものの、普段は20階層を探索していた。これは、安全に堅実にメンバーを育成する為だという。

 彼等は、最近になり30階層攻略を始めていたのだが、アイザックを追放した理由の1つに、彼等に追い付かれる事への焦りがあった。


 そんな彼等は“栄光の翼”を迎え入れてくれ、“黄金の聖剣”と合同で攻略する事に決まる。

 だが、40階層の大隊殺し(キリング)ミノタウロス討伐の為に、迷宮(ダンジョン)で野営をした時に襲撃に遭う。

 コルネール達に、“黄金の聖剣”の者が襲い掛かったのだ。


「どういうつもりだ!?」


 激昂したコルネールに彼等は馬鹿にしながら話す。自分達の支援をジェニーが行っており、コルネール達を奴隷として売り払う事を。

 彼等が20階層を探査しているのは、森が広がる人目に付かぬ階層で、人間を襲っているからだった。

 “栄光の翼”にポーションが不足し、横領された一部の金は彼等への支援金として使われていたのだ。


 呆然としたコルネール達は捕まるが、そこに飛来した魔法が“黄金の聖剣”を吹き飛ばす。

 何事かと焦る彼等を叩きのめし、コルネールを助けたのは追放された筈のアイザックだった。


 彼は追放後に仲間に恵まれる。奴隷を助けたり、貴族の淑女を助けたり。エルフや王族に求婚されたり、古龍(エンシェントドラゴン)の妹が出来たりしていた。

 一気に実力者を揃え、ユニークスキル『不屈』によって、諦めなければ何度でも立ち上がり、全体守護(オールカバー)で味方を守り巨大迷宮バビロンの階層を駆け上がっていた。

 悪徳商人を潰す。病気の母娘を治して、食堂を復活させる。王都から来た偏屈な研究者を絆し、迷宮(ダンジョン)の未開区域を発見する等、キリがないほどの名声を得たアイザックは輝いていた。


 助けられた“栄光の翼”は改心し、アイザックのクラン“守護なる騎士”に頭を下げて移籍した。

 勿論アイザックはコルネールを誘ったが、彼はこれを一蹴。

 自力で名声を得ようと足掻いたが、“栄光の翼”を潰した挙句に、アイザックに助けられた無能のコルネールという評判が広まり、現状に至る。


「アイザックめ、アイザックめ……!殺してやる!」

「おやおや、惨めですねぇ」

「誰だ!?」


 コルネールが顔を上げると、漆黒のローブに仮面を付けた怪し気な人物がそばに立っていた。

 見下ろす仮面の隙間から覗く瞳は輝き、本能的な恐怖を持つ。しかし、今のコルネールは恐怖を打ち消す程怒りに支配されていた。


「誰だ貴様は!オレ様を見下ろしやがって!」

「私が誰かなんて、そんなに重要な事ですか?大事なのは、貴女が復讐をしたい、それだけですよね?」

「……なんだと?」

「全てを捨てるなら、復讐を叶える力を与えましょう」

「全てを捨てる?」

「おや、怖気付くなんて女々しい事言いませんよね?」

「……本当に力が得れるのか?」

「えぇ、貧相な貴女の様な方でも、全てを対価にすれば、ね」


 コルネールが迷ったのは一瞬だった。

 彼は仮面の手を取ると立ち上がる。中世的な声の指示のままに、探索者(シーカー)ギルドの登録者カードを渡すと、保護の魔術が掛かった筈のカードを簡単に燃やしてしまった。

 努力の結晶と言える、30階層の探索許可が記された探索者(シーカー)ライセンス。燃え盛るそれを写したコルネールの瞳には、復讐の炎が揺らめくのだった。


 それから半年後、アイザック達が45階層の攻略に乗り出していた頃、探索者(シーカー)ギルドに1人の少年が入ってきた。

 色白で長い金髪を左右に束ね、その美貌に探索者(シーカー)達は思わず視線を向け、頭から伸びる2本の巻角に驚愕する。紅く揺れる瞳と、特徴的な角から、少年の種族が魔族である事に気が付いたのだ。


 魔族と人族は長い歴史の中で度々対立しており、神話や童話では魔族に生まれる魔王がモンスターを率い、最後は勇者に倒されていた。

 逆に、魔族に語られる歴史では、人族が魔族の外見から迫害し、残虐なる者達に立ち向かう英雄こそが魔王だった。

 何方も互いの種族が悪と扱うのは、国や教会の上層部にとって、絶対悪という存在がいた方が都合が良いからだろう。その話を鵜呑みにし、問答無用で魔族を捕まえ罰する地域もある。


 実際の所、数は少ないが魔族や人族は互い行き来し、貿易を行う国もある上、無用な戦争を避ける為に、腫れ物を扱う様に接する国が大半だ。

 それでも珍しい事に変わりは無く、個の力は魔族の方が優れる為、生物的に畏怖をしてしまうのだろう。


 また、迷宮都市ファールジルドは法外都市である。ローラン王国の領土ではあるものの、過去の王が汚名を知らしめて以降、王家の力が及ばぬ地となった。

 表の治安は領主の兵や探索者(シーカー)ギルドが取り締まっているが、元々探索者(シーカー)自体に脛に傷がある者が多い。その為、目の届かない日陰が多く存在し、領主も公にならない犯罪は黙認している。

 国は過去の汚名を恐れ関わりを避け、犯罪者は逃げ道を求めて身を潜める者が増え、法律は殆ど意味がなくなっていったのだ。

 魔族が堂々と歩いても問題ない街だと言えるだろう。

 

「おい、探索者(シーカー)登録をしにきた」

「え、えっと、はい、承りました。お名前は?」

「……ネル、オレ様はネルだ」


 探索者(シーカー)ギルドに魔族が現れた事は街で噂になった。実力やジョブについての憶測が飛び交うが、ファールジルドを仕切る闇ギルドがネルに襲撃されると、その噂は鎮まった。

 この街では、力こそ正義なのだ。


 ファールジルドでは、悪人を取り締まる法律が殆ど機能していない。

 しかし、法律が存在しないという事は、何をしても良いという訳ではない。己の欲望のままに振る舞えば、明日の朝日を拝む事は叶わないだろう。

 人々は生きる為にルールを守り、そのルールを取り締まるのが闇ギルドの仕事の一つだ。

 だから、闇ギルドに手を出す様な者は居なかった。今までは、だが。


 闇ギルドの長、ヤコブは久しぶりに自身を襲う死への恐怖に、冷や汗を流していた。

 魔族がファールジルドに現れた事は掴んでいたが、探索者(シーカー)ギルドに登録した事から、目的は巨大迷宮バビロンの攻略だと考えていた。しかし、目の前のネルは登録した足で闇ギルドを襲撃し、職員を魅了し支配下に置いた。

 そして、己の兵としてヤコブの前に引き連れてきているのだ。

 ネルが舌舐めずりした時にチラリと見えたピアスが、恐らくは魅了の触媒だろう。


「タルコットはどうした?奴は状態異常耐性の装備を着けていた筈だ」

「ふん、オレ様の事を知ってるお前なら、魅了なんてただの付属に過ぎない事を知ってるだろう?力の差の前に、耐性も糞もないぞ」

「知っている?お前は何を……」

召喚(サモン)、ケルベロス」


 一瞬で召喚された巨大な3頭狼に、ヤコブは唖然とし見開いた目に写す。一瞬で椅子を蹴り下がるヤコブだが、それより早くに脚に噛み付かれて身動きが取れない。


「まさかこの召喚速度、コルネールか……?」

「ご明察。貴様が嵌めた、な」

「待て、闇ギルドは関わっていない」

「噂を流したろう?2度も、な」

「……それは、くそっ仕事で仕方なくだ。だが、依頼主のボード商会は潰れた」

「ふん、そんな表向きの結末に、オレ様が満足すると思っているのか?」

「ぐぉぉっ」


 狼の噛み付く力が強まり、ヤコブは呻き声を洩らす。

 ネルはそんな彼をつまらなそうに眺めた。


「ボード商会が潰れた、か」

「あ、ああ。アイザック達が不正の証拠を領主に提出し、衛兵が動かざるを得なかったそうだ。財産の没収と、鉱山への懲役らしい」

「ジェニーって、糞売女はどうなった?」

「奴隷として売られた。ファールジルド外の貴族に買われたからな、詳しく調べるには少し時間が必要だ」

「そうか、なら調べろ」


 忌々しそうに舌打ちしたネルを、ヤコブは注意深く観察して目的を探る。

 恐らく標的の1つであっただろうボード商会は潰されているが、その程度の事だけで闇ギルドを襲撃する様な真似はしない。下手をすれば、ファールジルドの街全てが敵と成りかねない行為だ。

 魅了されているとは言え、自分以外の者がほぼ無傷な事から、ヤコブは一つの可能性に思い当たる。


「人手が欲しいのか?」

「どうだろうな」

「私達を潰しては、背中を任せられる頭数は揃えられないぞ」

「……」

「お前の目的は恐らく、アイザックへの復讐だろう?我々もまた奴の存在は目障りだ。此方の下に着くならば、手を貸してやらない事もない」


 ため息を吐いたネルの瞳を見て、ヤコブは自分の失態に気が付いた。

 そもそも、対等な話し合いではなかったのだ。ネルにとってはこの街と敵対しても捩じ伏せられる自信があり、尚且つヤコブを潰せば他の者への牽制にもなる。

 無価値なものへ向ける眼差しに、ヤコブは迫り来る死に冷や汗を垂れ流す。必死に頭を回して、ネルの唇が動く前に叫ぶ。


「アイザックの情報は全て売る!部下も貸すし、根回しもしておく!消耗品も融通する!」

「立場を理解したと同時に自身の保身に走るとは、呆れた小物だな。別にお前が居なくても問題ないだろ?闇ギルドの長という割に、その辺の小心者と変わらないお前程度が仕切れるのだからな」

「ふん、私が居なければ部下を纏め切れないぞ。末端はチンピラだからな、言葉が通じない。奴等に通じるのは金だけだ」

 

 形振(なりふ)り構わないヤコブに漸くネルは折れる。

 ヤコブの言う通り、ネルの目的はアイザックへの復讐であり、それには時間と人手を要する。余計な(しがらみ)に捉われるより、面倒事はヤコブに丸投げした方が良いと結論を出した。

 魅了での操りは単調な命令しか出来ない。

 腹の中は裏切る算段を考えていようとも、多数の仲間(全員女)に囲まれるアイザックと単身で事を構えても、彼と戦う前に取り巻きに消耗してしまう事は予想出来た。


 そして、1ヶ月が経つ頃には着々と準備が進んでいく。

 先ず、アイザックを襲う場所として、死体を吸収する性質を持つ迷宮(ダンジョン)内で行う事と決めた。

 死体が見つからなければ殺人として扱われず、尚且つ彼等が45階層への挑戦時に実行する。そうする事で、階層ボスに敗北したのだろう、と噂ながせば唯の事故として処理される。


 準備の一環として、ネルは30階層以外の探索許可を探索者(シーカー)歴代最速として塗り替える。

 あまり注目される事は避けるべきだろうが、アイザックを打倒した後の事をネルは全く考えていなかった。

 アイザック抹殺計画が実行間近となったある日、ヤコブから面白い情報を掴んだと連絡が届いく。その頃には、ネルの確かな実力と魅力に惹きつけられ、闇ギルドは彼を長と認めていた。

 元々クランを纏めていただけあり、ネルはカリスマ性を持っている。魔族へと変貌した外見的魅力や、内包された強さが彼等を惹きつけたのだ。


「で、面白い情報というものは?」

「先ずは、アイザックのクラン“正義の盾”は、十日後に45階層の階層ボスに挑戦するそうだ」

「ほう、過去に到達したのは兵力にモノを言わせた王様と、少し昔の勇者だったな?」

「ああ、正確には二代前の七代目勇者だ。勇者、賢者、聖騎士、聖女の4人で45階層のボスに挑戦したそうだ。彼等はボスを討伐後その先に進んだらしいが、そのまま帰ってこなかった。一部では、今も探索をしていると言う奴らもいるな。兎も角、愚王が遺した48階層が今のところ最高踏破記録だが……」

「馬鹿らしい、迷宮(ダンジョン)を舐め過ぎだ。あそこは安易と暮らせる程、温くはないぞ」


 肩を竦めたネルは、話が外れた事を思い出して尋ねた。


「それでオレ様達は、アイザック達が階層ボスに行く日に襲撃を仕掛けるで良いのか?」

「まぁ待て、言っただろう。面白い情報だって」

「?」

「その日に襲撃を仕掛けるのは、私達だけじゃないのさ」

「他にもアイザックを狙う奴等と、結託でもするのか?」

「ふっふっふ、それならこんな焦らさないさ。彼を襲うのはジェニーだ」

「何だと?あの汚物、恥じらいもなく戻って来たのか?」


 ヤコブは闇ギルドが掴んだ情報を話した。

 奴隷として売られたジェニーは、買われた先の貴族に取り入った。そうして、秘書としての能力を買われると共に、コルネールにした様に色仕掛けで壊落したのだ。

 自らは濡れ切れを着せられた、と非痛な面持ちで訴え、アイザックを犯人に仕立て上げる。

 貴族の私兵や傭兵を雇い、20階層で仕掛けるのだそうだ。


「成る程な、そいつらは強いのか?」

「仕掛ける場所が20階層な時点でお察しだろうさ」


 巨大迷宮バビロンを探索する探索者(シーカー)は、実績や実力に応じて探索階層の許可証が発行される。

 迷宮(ダンジョン)内は出現モンスターの階層が大まかに決まっており、モンスターを斃して得た素材は、探索許可証が無い場合は安く買い叩かれるのだ。

 これは無謀な探索者(シーカー)が、無理して階層を潜り、結果として命を落とす事態を防ぐ事が目的となる。

 勿論今回の様に迷宮探索が目的でないならば、許可無く高階層を潜る事は出来るが、その者に潜れるだけの実力が有るのなら、相応しく許可証が発行される筈だ。

 つまりは、その程度の階層許可証しか手に入れられない実力、という事になる。


 巨大迷宮バビロンは、現在42階層までは詳細な探索記録や地図が作られている。

 潜る階層の目安として、1〜9階層が新人、10〜20階層が中堅、20〜30がベテラン、30階層から上は並大抵の実力では難しい。

 過去に王が投入した戦力は、個の実力を埋める人海戦術により48階層まで到達出来たが、それは後先考えない結果だ。冒険者は数人でパーティを組む為、参考にはならない。

 第一に、探索者(シーカー)迷宮(ダンジョン)に潜れなくなれば食い扶持に困る。今日に死力を果たして、明日以降探索出来なければ飢えて死ぬ。安全性を取り、30階層以下で稼ぐ者が殆どとなる。


 ジェニーが仕掛けようとしている20階層までは、金に糸目をつかずポーションを湯水の如く使い、多少実力に覚えがあれば到達可能だ。行軍とは言えないまでも、それなりの人数を揃えているなら尚更だ。

 しかし、その程度の実力者が束になった所で、40階層を探索するアイザックを斃す事は不可能だろうとネル達は苦笑いしてしまう。


「あの尻軽女は頭も空っぽなのか?」

「多少の狡賢さは持っていた筈だがな。嫉妬や憎しみ、強すぎる感情というものは、冷静な判断力を奪うものだ。君にも心当たりがあるのではないか?」


 ネルは舌打ちで返事するとそっぽを向く。しかし、直ぐに気持ちを切り替え、ヤコブに指示を出した。

 癪に触るがジェニーを支援するようにだ。

 おや?と彼は首を傾げたが、内容を聞いて納得した。


 ジェニー達には武具、ポーション等の消耗品を足が付かないように融通するのだ。武器や防具は迷宮(ダンジョン)から発見されるものや、鍛冶屋に作成してもらうものが殆どだ。

 そして、迷宮(ダンジョン)産ではない武器を用意する時、鍛冶屋を経由してしまえば、そこから芋づる式にジェニーの計画が辿られかねない。ならば計画が露顕しない様、武具や消耗品の入手経路に手を貸す必要が出てくる。


 最も、どれ程慎重に行動しようとも、ジェニー達の奇襲は必ず失敗する、とネルは断言した。

 ヤコブはアイザックへの固い信頼を垣間見たが、言葉にすればネルが機嫌を損ねる事は分かっていたので、思うだけにした。部屋にいた部下達も少し目が動いた事から、ヤコブと同じ様に感じたのだろう。


 数日後、闇ギルドの者達で集められたポーションや補助道具。その中に1つだけ紛れている高価な脱出アイテム、転移水晶を見てネルは歪んだ笑みを浮かべた。

 迷宮(ダンジョン)で稀に出現する転移水晶は高価なものだ。だがそれこそ迷宮(ダンジョン)の罠が紛れ込んでいる。

 転生水晶は鑑定スキルを持つ者が“鑑定”しなければ、偽物かどうか判別出来ない。偽物の転生水晶の効果は、自身を中心に大爆発する罠である。

 つまり、使用者を殺害する爆弾なのだ。

 未鑑定のまま窮地に陥り使用し、それが偽物であれば使用者諸共爆死し、全滅しかねない危険性を孕む道具である。

 ただ迷宮(ダンジョン)の罠だけあって、迷宮(ダンジョン)の外では転移水晶は転移せず、偽転移水晶も爆発しない。何故迷宮(ダンジョン)の中でしか使えないのかは、未だ不明のままだ。


 迷宮(ダンジョン)内での自爆テロが起きない様に、探索者(シーカー)ギルドは転移水晶の扱いは非常に厳しく取り締まっている。

 迷宮(ダンジョン)の入り口に設置されている簡易的な検問で、探索者(シーカー)ギルドが探索者が持ち帰った物を徹底して確認するのはその為だ。

 勿論抜け道はあるが。


 転移水晶は探索者(シーカー)ギルドの鑑定士が“鑑定”して、本物だと確認した物には刻印が施される。

 “鑑定”スキル保有者の希少性や、偽物と区別する為に、敢えて高額に取引されているのだ。

 刻印の偽造は重犯罪であり、迷宮都市ファールジルドのルールの中でも、特に厳守すべきものだとどの組織も徹底している。もしも破れば、ファールジルド全てと敵対しかねない行為だ。


 偽物の刻印を施し、捨て駒の襲撃者に持たせる等という行為は頭のネジが完全に外れた行為だ。

 そして、何の葛藤もなく即断したネルに対して、ヤコブは背中の冷や汗が止まらなかった。それ程アイザックを憎んでいるのかと問いた彼に、ネルは笑って答えたのだ。

 アイザックは、こんな事(・・・・)じゃ死なないと。

 自分達が標的とする者の怪物さに震えるが、これは恐怖なのか、若しくは武者震いなのかは分からなかった。

 ただ時間は止まらず、決行の日は来た。来てしまった。


「ネル、標的が迷宮(ダンジョン)に入ったぞ」

「ああ、分かった。尻軽達は?」

「奴等は数日前に入っている。勿論、転移水晶も問題なく持ち込んだ様だ」

「分かった、随分と上手く事が運ぶな……」

「どうも、手を貸しているのは私達だけではないな。断定出来る程深く探っていないが、恐らくは王都貴族や、下手をすれば王家の者が関わっている」

「ふん、オレ様の邪魔をしないのならどうで良い」


 2つに束ねた髪を揺らしネルが出ようとすると、ヤコブが声を掛けて引き留める。闇ギルドの者達は武装し共に行こうとしていたのだが、ネル自身がそれを押し留めたのだ。

 召喚士という前衛を必須とするジョブであるにも関わらず、ネルは単身で30階層の探索許可証を得ている。それでも、単独での行動は無謀でしかない。


「本当に1人で行くのか?激情に呑まれているのなら、私は君を止めるぞ」

「大丈夫だ。初めは確かに復讐心で満たされていたが、ジェニーの末路を見て1人でカタを着けるべきだと思い直しただけだ。これでも、オレ様はお前らに感謝しているつもりだ。後は、言い方は悪いがお前らは足手纏いになる」

「なら、止めないさ。だが、闇ギルドの扉は何時でも開いている。だから、必ず戻ってこい」


 短く、力で抑えられた関係だったが、彼らとネルの間には奇妙な縁が芽生えていた。圧倒的な力とその美貌に、何時しか忠誠心すら芽生える程に。

 ただ、ネル自身は彼等と距離を置いていた。自分の所為で無くなった“栄光の翼”を思い出していたのかは分からないが、心の奥に棲まう嫉妬と憤怒が燻る限り、馴れ合う事を納得しなかった。


 巨大迷宮バビロンの入り口。何度もソロで迷宮(ダンジョン)に潜っているネルを、探索者(シーカー)ギルドの職員は止めない。

 最初は何度も引き止められ、パーティを組む事を説得され、魔族に対して随分と丁寧な対応だと感心していた。

 思い出せば、魔族へと身を堕とす前に1人で探索に来たコルネールにも、さりげなくパーティ加入を勧められていた。自分が無能だと貶されたと捉えた彼だったが、職員は心配していたのだろうと、冷静になったネルは思い自嘲した。

 だが、ネルの復讐は止まれない所まで来てしまっている。


 迷宮(ダンジョン)に足を踏み入れたネルは、深呼吸し魔力を練る。すると、露出した腹に刻まれた陣が発光した。

 一呼吸の間に召喚された三頭狼のケルベロスはその巨体で、ネルを守る様に周囲を威圧する。

 召喚士は召喚中常に魔力を消費する為、本来ならば戦闘時にしか召喚獣を喚ぶ事はないのが常識だ。どれ程探索に時間を要するか不明であり、何時戦闘になるのかも分からない状況で、常に召喚する事は自殺行為なのだ。


 だが、魔族へと転じたネルは常識を覆す。圧倒的な魔力にモノを言わせているのだ。

 その秘密は彼の腹に浮かぶ陣にある。


「往くぞ」


 意思のないケルベロスは返事を返さないが、ネルが背中に跨ると何処となく嬉しそうだった。

 力強く迷宮(ダンジョン)の地を駆け、時折すれ違う探索者(シーカー)達は驚いた様子でネル達を見る。稀に武器に手を掛ける者もいるが、探索者(シーカー)の召喚獣だと気がつくと安堵と共に武器を収めた。

 最近では最速で30階層の探索許可証を得たネルを、狼姫と呼ぶ者も出てきたが、ネルは自身の事だとは思っていなかった。何故なら、彼は姫ではないからだ。付いている。


 アイザックを奇襲するのに、目立つ事は避けた方が良いかと悩んだネルだったが、彼を斃した後の事はその時に考えれば良いかと結論する。

 直ぐに10階層を超え20階層に辿り着くが、巨大迷宮バビロンが巨大と言われる所以はこの階層から来る。

 先ず、階段を降りると同時に視界一杯に飛び込む樹々。樹海に放り込まれたかと見上げれば、そこには空が広がっている。

 空間の歪みによって現れた世界は、探索者(シーカー)達を途端に迷わせるのだ。


 30階層まで続く森は、魔物にとっても、人にとっても獲物を狩るのに最適な空間となる。樹々は視野を狭め、死体の処理は迷宮(ダンジョン)が呑み込んでくれる。

 故にこの20階層からは探索者(シーカー)ギルドの審査が厳しくなり、探索許可証の発行が難しくなる。

 しかし、許可証はあくまでも買い取りの査定額に影響するだけだ。許可証が無くても、階層を潜る事は可能なのだ。


 気を引き締めたネルはそのまま進み、日が落ちる頃には24階層のジェニー達の存在を捉えた。恐らくは階層ボスを倒せないか、消耗を抑える為に25階層のボスを避けたのだろう。

 アイザック達は23階層で追い抜いており、避ける様に大回りして来ている。彼等を追跡するよりも、間抜けなジェニー達と共に潜伏した方が自身の存在を気が付かれないと判断したのだ。

 目論見通りジェニー達はネルに気が付かず、アイザック達を襲う計画を立てていた。


「ふむ、ジェニー(汚物)を見たら殺意が沸くかと思ったが、滑稽な姿に哀れさすら感じるな」


 1人呟いたネルは、闇魔法で存在を夜に溶け込ませて彼等を見張る。

 そして、迷宮(ダンジョン)の空の月が真上に差し掛かる頃、暗闇の森を移動している男の気配をネルは掴む。

 どうやら、アイザック達を尾行していたらしく、モンスター避けの薬草を使い、夜の森を強行軍で進んで来たらしい。

 男の報告を受けると、ジェニー達はアイザックの元へと向かう。如何やら夜襲を仕掛ける様だ。


 召喚した鳥の魔物、ガルーダに使わせた風魔法でその会話を拾ったネルは、闇に溶け込む魔法を掛けたまま追跡する。

 ネルは魔族へと転じた事で、召喚士でありながら闇魔法も使える様になっていた。

 ジョブに左右されず、魔法を行使出来る者は意外にも多いが、ジョブに魔法系統を持つ本職に威力には劣る。だが、ネルの扱う闇魔法は本職に迫る程の威力を得ているのだった。

 ネルは、自身を魔族へと堕とした者から闇魔法を教わったが、正体不明の仮面の事は何も分からない。自身の存在を曖昧にしており、外見状の特徴は勿論、声や身長も覚えていなかった。


 闇魔法を使う度に、脳裏を過ぎる仮面に顔を顰めつつも、ネルはジェニー達を追跡する。

 彼女達がアイザックの姿を確認したのは、月が真上に来る深夜だった。漂う雲が月明かりを覆い、闇夜に紛れてアイザック達を包囲する。


「漸く来たか、待ちくたびれたぞ」

「っ!?」


 襲撃を行う前に武器を構えたアイザック達に、ジェニー達は動揺していた。彼の仲間の1人が照明弾の魔導具を放ち、漂う光弾が周囲を照らす。

 アイザックを囲う女性の1人、優美な姿と小麦色の髪を左右に縦巻きにした娘が前に出る。彼女はファールジルドを治める領主の娘、ヴァーナ=バラノフ。

 美しく装飾されたレイピアはミスリル製で、唯の飾りではない事をその刀身が物語る。


「貴方達、何方かは存じませんが何をしているかご理解なさっていられて?」

「お主ら、迷宮で探索者(シーカー)への危害は御法度よ」


 ヴァーナに続くのは、東方の島国出身のアカネ。灼眼と燃える様な長髪を一つに束ね、和服という異国の衣類を身に付けている。

  彼女達の言う様に、迷宮(ダンジョン)で他の探索者(シーカー)に意図的に危害を加えた罪は非常に重い。自覚があるのか怯んだ彼等にジェニーが舌打ちした。


「ふふ、少なくても私は、貴女達よりはアイザック()の事を知っているわよ」

「ッ!アンタ!ジェニーじゃないの!!」

「あらぁ?誰かと思ったら、ナタリアさんですね。コルネールくんを見捨てた……」

「お前っ!お前の所為でコルネールは行方不明にっ!」

「ふふ、その男に媚びた貴女達の所為ではないですか?」


 ジェニーの言葉に思う所が合ったのか、ナタリア達元“栄光の翼”のメンバーの表情が歪む。

 事情は兎も角、彼女達が探索者(シーカー)として上手く成功している事をネルは知っていた。だが、生きる為にアイザックの手を取った彼女達をネルは恨んでいない。

 プライドを取ったのは自分であり、無能なコルネール(自分)に彼女達を立ち上がらせる術は無かったのだから。


「それは違う、ナタリア達はオレに媚び等売っていない。彼女達がここに居るのは正当な実力だ。ましてや、コルネールはその程度で折れる程小さな男ではない。アイツは、必ず戻ってくる!」

「ふん、防ぐ事しか出来ない貴方は、口でしか攻撃出来ませんのね」


 話を聞いていたネルは表情を盛大に歪めていた。その程度で折れて、尚且つ魔族へと身を落としている自身に後ろめたさを感じて。

 そんなネルに気が付かず、彼等の会話は進行し、当たり前だが決裂した。ジェニー達は元より夜襲を仕掛ける事が目的なのだ。


「ふん、この人数差の前には、如何に優秀な探索者(シーカー)といえども只では済まないでしょう。彼女達は好きにして良いわよ。多少価値が落ちようと、貴族が好む外見ですもの。元が取れるわ」


 男達は武器を構えてアイザック達に殺到した。

 そして、敗れた。地に伏せる男達を、アイザック達は冷たく見下ろす。


「……無駄だ、迷宮(ダンジョン)という死線を幾度も潜れば、此奴ら程度ゴブリンと大差ない」

「あら?余裕ね?」


 瞬殺された手下を見ても、笑みを崩さないジェニーをアイザック達は怪訝そうに見る。

 彼女が右手を大きく掲げ、その指に嵌る指輪が怪しく発光すると、倒れた男達が再び起き上がった。だが負傷したままで、意識も朦朧としている。


「何が……?」

「魅了だよお兄ちゃん!」


 古龍の幼女が叫ぶと同時に、男達は再び襲い掛かる。

 何度かその光景が繰り返され、アイザック達の表情に苦いものが浮かび出す。

 このままでは彼等を殺してしまうのだ。

 

「お前、仲間を何だと思っている!」

「仲間?ああ、彼等は仲間じゃないわよ」

「このっ!」


 ジェニーが連れて来た者の中には、彼女が取り入った貴族の私兵も存在する。無闇に命を奪えば、難癖を付けられかねない。

 最も簡単な手段は、彼等を全滅させて死体を迷宮(ダンジョン)に吸収させる事だが、アイザック達は甘い。

 その甘さこそ彼の強さで有り、弱点でもある。

 同じクランにいたジェニーは、アイザックの甘さを突いてきたのだった。


 元奴隷だった獣人の少女シーヴは、巧みに剣を振りつつ隙を見てはジェニーに仕掛けるが、操られた者達が行手を阻む。分厚い肉の壁は、手数で戦う彼女と相性が悪く引かざるを得ない。

 術者を止めねばと考えたアイザック達だが、ジェニーもそれは承知している。ジェニーのジョブは、ナタリアと同じ盗賊だ。

 気配を消し、逃げに徹すれば混戦の中彼女を捉えるのは難しい。

 迷宮(ダンジョン)の戦闘経験が浅い彼女は、全てにおいてナタリアの下位互換だ。それでも、毒を塗った武器を投げられれば対応せざるを得ず、アイザック達の体力を奪う。


 殺さぬ様に気を使う領主の娘ヴィーナは、投げられたナイフに驚き、背後からの袈裟斬りに対処が遅れ血を流す。

 だが、アイザックが守るまでもなく、上位神官のジョブを持つ巨乳の女性、ローザマリーが瞬時に治す。負傷してからの戦線復帰の早さに、ジェニーは顔を歪めた。

 徐々に致命傷へ近付く彼女の手駒は、動きに精細が欠けてきている。このままではジリ貧となると考え決断した。


「チッ!使えない奴らね。龍滅薬を使いなさい!」


 龍滅薬とは、常人であっても龍を殺す力を授ける、と言い伝えられる伝説のポーションだ。そして、扱いや製造が全ての国で禁止されている。

 実際の所、只の人に龍を殺す力は得られない。だが、龍滅薬の効果中はオーガの如く力を振るえるようになり、細胞を活性化し超再生能力を得る。並大抵の魔物なら討伐する事は可能だろう。

 そして、代償は死だ。

 寿命を対価にしているとも、魂を燃やしているとも言われるが、材料に必要な龍種の血が人を喰らい力をもたらすのだろう。過去に戦争や討伐に用いられたこのポーションは、その非人道的な結末から禁忌の1つとなったのだ。


 それを嘲笑うかのごとく、次々と服用される龍滅薬。人の道を外れた諸行を目の当たりにして、ローザマリーは批判する。


「そんな……貴女、人の心がないの!?」

「ふふ。そんなもの、悪魔に捧げたわ!」


 キラリと煌めく魅了の力を持つ指輪。

 国に取り締まられる禁忌の薬やアイテムは、入手が非常に難しい。龍滅薬は勿論、魅了や洗脳の類いも同様である。

 彼女の言う通り、悪魔と謙遜(けんそん)ない非人道な者が手渡したのだろう。

 龍滅薬には闇ギルドは関わっていないので、彼女を購入した貴族が与えたのだろうか。


 ぶちぶちと、筋肉が千切れる音を(はっ)しながら、操られた者達が殺到する。そこに戦略や技術は無く、数で埋め尽くすかの如く捨て身の攻撃を仕掛けた。

 迫り来る者達はオーガに並ぶ髄力(ずいりょく)を振り回すが、最も恐ろしい事は彼等が自身の被害を厭わない事に尽きる。

 迷宮(ダンジョン)に出現するモンスター達は、生きている。故に、彼等は死を避ける選択を取るのだ。躊躇いもなく肉壁となる事はない。

 死を恐れぬ軍団は、それ程に厄介なのだ。


「クソ!何故龍滅薬をこれ程の数揃えられた!」

「……まさか、王族が関わっていますの?」


 龍滅薬は龍の血を素材とするが、それ自体が非常に希少なものだ。万能薬(エリクサー)若化薬(ソーマ)の素材でもあり、滅龍薬に使う事はほぼない。

 それを、ジェニーが連れて来た仲間の人数分用意する事は、不可能に近い。

 

 ヴァーナは複雑そうな顔をした古龍の幼女の表情を見て、龍滅薬の足取りに気がついてしまった。

 迷宮都市ファールジルドは、一応ローラン王国の領土だ。王族から服従の証として要求された龍の血液、これが滅龍薬に使われたのだ。

 古龍という災害の所持を認める代わりに、一度だけという契約で彼女の血を要求された。

 アイザックは最後まで反対していたが、貴族や王家と敵対する事の危険性や、古龍の彼女本人はあっけらかんと承諾した為、執り行われた契約。

 これで得た古龍の血を、王家がアイザック達を処分する為に龍滅薬にしたのだろうか。


 迷宮都市ファールジルドの英雄が出現しても、王家が(ぎょ)せなければ統治の邪魔にしかならない。ならば、芽が出る前に潰そうとしたのか。

 だが、今は滅龍薬を服用した敵への対処だ。国への思慮は後にしなければと、咆哮を上げて襲い来る者達へとヴァーナは剣を向ける。


 滅龍薬が有り、彼等の様に使い捨て可能な人材を投入すれば、巨大迷宮バビロンを攻略出来るだろうか。

 その答えは、現在まで攻略した階層が、未だ更新出来ていない事から明白だ。

 

 誰よりも前に出たアイザックは、力に振り回された攻撃を受け流していく。大声と共に挑発スキル(ウォークライ)を発動し、理性を溶かした者達は、容易く彼に集中砲火を始めた。

 それはつまり、ジェニーを守る為の肉壁が剥がされた事になる。

 焦りと共に操ろうとした彼女だが、同じ盗賊のナタリアが斬りかかりやむを得ず反撃する。しかし、数度の剣戟であっさりと手に持つ短剣を弾き飛ばされた。


「終わりよ!」

「クソッ!どいつもコイツも!」


 ナタリアは、ジェニーの指輪を憎々しげに睨む。

 アイザックが追放される前、ジェニーが入ってから、自分達よりも早くにコルネールの様子が可笑しくなっていた。今思えば、アレは魅了を掛けられていたのだろう。

 自身の不甲斐なさに唇を噛みつつ、ナタリアは距離を詰める。


「滅龍薬は確かに強力だが、迷宮(ダンジョン)の敵はそれ以上に強大だ。それに、人間の強みである理性を奪えば、彼等はただの獣と大差ない。判断を間違えたな」


 あっさりと倒れ伏した襲撃者達を見下ろし、古龍の幼女は自身の血が不当な扱いをされている事に不機嫌そうにしていた。

 龍滅薬の効果で命を落とす筈の彼等を、上位神官のジョブを持つ、ローザマリーが効果を無くす様に治療していく。

 戦闘時に龍滅薬の効果や、魅了を打ち消さなかったのは、意識がある場合、精神力で魔法に抵抗してしまうからだ。それ程他者に働きかける魔法は難しく、受け入れて貰わなければ効果が出難い。


「本当に甘いのね」

「アタシはアイザックより甘くはないわ。アンタのご自慢の柔肌、ボコボコにしてあげるわ」

「そんなだから、私に逃走の隙を与えてくれる。“起動“!」

「っ!」

「しまった!」


 既に充分に魔力を通していた転移水晶は発動し、眩い光を放つ。

 普段から転移水晶を発動する機会がある、アイザック達はその差異に気が付いた。だが、迷宮ダンジョンに籠らないジェニーは異常に気が付かなかった。

 ただ1人を除き、誰もが反応出来ない。


 致死性の高い極悪なトラップは、迷宮(ダンジョン)内で嬉々として発動し、周囲を閃光で照らしめる。夜の闇を白く塗り潰し、範囲内の者から音と光を奪う。

 衝撃波が樹々を吹き飛ばす。

 だが、ただ1人を除き、誰もが傷付ける事はなかった。


 範囲守護(エリアカバー)は敵味方問わず、一定の範囲内の者達のダメージを肩代わりするスキルだ。

 ボロボロに鎧を焼け焦がしつつも、彼のユニークスキル“不屈”は死ぬ事を許さない。鎖の様に魂を縛り、彼の心が折れない限り立ち上がる。


「か、回復するわ!」


 最も早くに視力を取り戻したローザマリーは、ボロ雑巾と化したアイザックに駆け寄り治療魔法を掛けようとする。

 腰を抜かしたジェニーは呆然とアイザックを見ていた。


「お兄ちゃん!来るよ!」

「……っ!!」


 僅かに緩んだ空気を正す様に古龍の仔は擬態を解き、本来の姿を露わにする。白銀の鱗が煌めく巨体は、力強く地を踏み締め虚空を睨む。

 この姿は消費が激しいと、人型を取っていた幼女。怠惰な彼女が自ずから擬態を解いた事実が、迫り来る脅威の大きさを知らしめる。

 美しくも恐ろしい龍に見惚れるよりも、圧倒的な重圧が森の奥から発せられた。だが、満身創痍のアイザックは動く事が出来ない。


召喚(サモン)ジャバヴォック」


 ソレ(・・)は龍と呼ぶには余りにも歪で、禍々しい力を無理やり一塊にした存在だった。

 生物として頂天に座する古龍である彼女すら、龍擬きに対して、生存本能が警戒音をけたたましく鳴らす。

 古龍とソレは同時に口を開き、互いに力の奔流を放つ。


 一方は鱗と同じ白銀の聖なる強さを感じるブレスを、対して墨汁で塗り潰したかの如く、底の見えぬ深淵が吐き出される。

 拮抗は一瞬。

 されど、その一瞬こそが古龍である彼女の大金星だと言える。


護衛(カバーリング)!」


 白銀の魔力を蛍火の様に散らしながら、幼女の姿へと戻る彼女の前に立ちはだかる。

 スキルはクールタイムが存在し、同スキルを連続で使用は出来ない。アイザックは先程範囲守護(エリアカバー)を使用し、クールタイムが終わっていない。

 かと言って、全体守護(オールカバー)は仲間しか守れず、襲撃者達は塵と化すだろう。


 ローザマリーは歯噛みしつつアイザックに回復魔法を使い、僅かでも傷を癒す。ヴァーナやナタリア達は、後衛である彼女の前に立ち衝撃に備えた。

 そして激突。

 アイザックの咆哮か、ブレスの衝撃波かも分からない、一生とも思える時間を乗り切る。


「……ぐっ」

「お兄ちゃん!!」


 満身創痍、生きているのが不思議な状態だが、彼は立っている。それこそがアイザックのユニークスキル“不屈”の効果だ。

 だが、如何に彼がブレスを防いだとしても、ダメージを肩代わりするスキルとは異なる。ヴァーナやアカネといった、前衛の者達も攻撃の余波を受け大ダメージを受けてしまった。

 元“栄光の翼”の者達は、回復の要であるローザマリーを庇った事で意識を失い、唯一ナタリアのみが辛うじて立っている。


 彼等の睨む先である“ジャバヴォック”の召喚が解除され、姿を消した召喚者への警戒し武器を構える。

 皆が体制を立て直そうと動く中、倒壊した樹々の中から1人の少年が歩いて来た。


「魔族、だと?」


 アカネが外見から評した通り、ネルの頭には羊の様な2本の巻角が生えており、尖った耳や瞳孔の細さが魔族としての特徴を主張している。

 服装は娼婦の様に露出が多く、非常に丈の短いチアガールの服装に、上着を腕のみに通している。

短すぎるスカートから下は黒タイツに隠されているが、性別の主張が下手に動けば見えてしまう程際どい。

 露出した腹にはピンクの陣が浮かんでおり、その異様さに緊張が走る。


 ネルが装備しているチアガールの服は、彼に力を与えた仮面からの贈り物だ。

 迷宮ダンジョン産の装備の1つで、装備条件が非常に厳しい反面、その効果は強力である。男性のみ着用が可能で、外す事の出来ない呪いが掛かっている。厳しい条件の対価は、召喚魔法のコスト軽減や、召喚獣の強化、着用者の身体能力向上等と莫大な効果だ。

 この装備は、腹に刻まれた陣とも相性が良い。

 その為、ネルは望んで着用しているのだが、彼をよく知る人物からしてみれば、随分と変わり果てた姿となった。


「こる、ねーる?」


 元から左目の下にある泣き黒子と、左右に束ねた金髪から、真っ先に真実に到達したナタリアは呆けた様に呟いた。

 彼女の声に反応する前にアカネは駆け出し、召喚士の弱点である近接戦闘へと持ち込もうとする。


「ま、まって!」

召喚(サモン)ディラハン」

「早い!」


 しかし、一瞬で召喚された巨体の首無し騎士が立ちはだかり、両の手に持つ長剣を振り下ろす。咄嗟に避けつつも振るった刃は、巨体に見合わぬ機敏さで戻された剣に防がれ、それどころか押し返された。

 バランスを崩すアカネを補う様に、ヴァーナが斬り込む。

 ディラハンが彼女に反応した一瞬の隙をぬい、アカネは納刀からスキルの発動と共に抜剣。居合の一閃を見舞う。


「大切断ッ!」

「ふん、再召喚(サモン)


 音を超える程の速度で振り抜かれる直前、ディラハンは一瞬召喚を解除され姿を消した。アカネの刃が振り抜かれると同時に、長剣を大きく振り上げた姿勢で再びディラハンは召喚された。

 金属音と共に吹き飛ばされたアカネは、衝撃でかなりのダメージを受けるものの、咄嗟に背後に跳びつつ刀を間に挟んだことで致命傷を免れる。


「お前、召喚士を知らんらしいな」

「くっ……」

「待って!コル!アタシよ!」


 何とか起き上がったナタリアは、再会の嬉しさや戸惑い、凡ゆる気持ちが溢れて混乱しつつも声を掛けた。

 ネルと会った事の無いアカネやヴァーナは、ナタリアを怪訝そうに見やる。迷宮都市ファールジルドは、魔族と敵対してはいないが、馴染んでもいない。

 彼女達が聞いていた、コルネールという少年は人間でありプライドが高く、目の前の男に媚びるような格好の魔族の姿とはかけ離れている。


 ネルはナタリアを見て優しげに微笑み、彼女目掛け一瞬で召喚したケルベロスをけしかけた。

 ディラハンと同時に召喚されたケルベロスに、ヴァーナは驚愕する。

 

二重召喚(ディアルサモン)ですって?」

盾撃(シールドバッシュ)!」


 召喚魔法は、召喚時に対象に応じた量の魔力を消費する。これは、召喚獣の身体を構成する魔力と同等だ。その後召喚し続ければ、空気中に飛散した身体を構成する魔力を補う為に、継続的に魔力を支払わなければならない。

 元々のコルネールがそうであった様に、召喚士は攻撃時にのみ召喚する方が普通である。その為前衛を必要とし、間違っても今のネルの様に1人で何体も()し戻ししつつ、複数人のパーティと戦う事は不可能に近い。

 実際に、ネルは魔族へと堕ちる前は1人で迷宮(ダンジョン)を探索出来ず、馬鹿にされていた。


 だが、コルネールが召喚士として未熟だった、という事は決してない。寧ろ国内屈指の実力でなければ、アイザックを率いていたとはいえ、40階層を潜る事は不可能だ。

 アイザックとナタリアは、ネルの実力を知っていた為に、まともに召喚獣と戦えばジリ貧となり、敗北に繋がると気がついている。

 何故今使わないのかは分からないが、先程召喚された恐るべきモノを呼び出される事は避けた方が良い。


 ナタリアはアイザックに短かく声をかけると、ネルに向かって走り出す。盗賊のジョブを持つ彼女の脚は、この中で1番早い。

 刀を操るアカネの抜刀術は目にも映さないが、脚の速さではナタリアに軍配が上がる。これは、ジョブ毎に能力に補正が掛かるからだと言われている。


 召喚士は接近戦の補正が無い為、近づかれてしまえば補正のない純粋な能力で対応するしかない。接近さえしてしまえば、ネルを倒す事が可能だと考えたのだ。

 また、二重召喚(ディアルサモン)で自己防衛に召喚獣を防衛に回したとしても、アカネ達かアイザック達が自由になる。

 アカネ達が自由になればそのままネルを、アイザック達が自由になれば上級神官のローザマリーが仲間達を回復し、戦線復帰させるだろう。


「コルネール!今すぐに止めなさい!」

「馬鹿を言うな、止めたらアイザックを殺せないだろうが」

「そう、なら目を覚まさせてあげる!」


 迷いは一瞬、ナタリアは麻痺毒の塗られた短剣を手に斬りかかる。数度刃を避けたネルに一瞬で距離を詰めると、利き手に持った短剣を突き刺す。

 だが、バネの様に跳ね上がったネルの脚に蹴り上げられ、無防備を晒す。

 ナタリアの失敗は、コルネールという人物を知っていた為に、魔族という種族を甘くみていた事だ。魔族はジョブに関わらずに強靭な肉体と、闇魔法を種族柄扱える。


影の爪(シャドークロー)


 ネルの影が蠢き、屈強な闇の腕が無防備になったナタリアを襲う。鮮血と共にナタリアが宙を舞い、皆の視線が空へと向いた事で急降下して来た影、ネルの召喚獣であるグリフォンに気が付いた。

 ディラハン、ケルベロスに繋ぐ魔法を行使する、上半身が猛禽類で獅子の下半身を持つ強力な魔物だ。


「くっ!」


 流石は実力者だけあり、ナタリアは空中で身を捻り、グリフォンの爪を辛うじて躱す。

 だが、グリフォンが空を統べると言われるのは、宙から風魔法を放ち、地上の者を蹂躙するからだ。重量に従い落下するナタリア目掛け、風の刃が複数放たれた。


全体守護(オールカバー)!」

「ッ!勝機!」

「貰った!」


 ナタリアを守る為に発動した全体守護(オールカバー)によって、アイザックは周囲の味方への攻撃を防ぐ。ディラハンと対峙しているアカネと、ケルベロスから後衛を守る獣人のシーヴは発動に気がつくと防御を捨て攻勢に出た。


 先ずアカネが突如として無謀な接近を試みる。ディラハンは少し迷いをみせたが、明確な隙に剣を払う。

 振るわれた長剣は正確に彼女の胴を捉えたが、重騎士の大楯に打ち込んだかの様な手応えと衝撃に、大きく跳ね返されてしまった。そして懐に潜るアカネは、納刀したまま目を瞑る。


「一刀両断!」

「ッ!?」


 気が付けば振り抜かれた刀身が眩く輝くと、ディラハンの腰から肩までがずり落ち、魔力の飛散と共に姿を消す。

 一方シーヴは狩り人のジョブに付く為、近距離戦闘よりも弓での戦いを得意とする。だが、素早く3頭を巧みに操るケルベロスは弓を引く隙を与えない。

 アイザックの全体守護(オールカバー)によってチャンスを得た彼女が弓を引くと、弾かれた様にケルベロスの爪が迫る。アカネの時同様に爪は肉を削らず、至近距離でスキルを喰らう。


「牙狼!」


 皮肉にも狼の名を冠する弓を強化するスキルは、3頭全てを貫き魔力へと還す。

 ディラハンと対峙していたアカネは、そのままネルへと迫ろうとするが、そんな彼女をドリルヘアを揺らしながらヴァーナが引き止める。彼女に空から向けられたグリフォンの風魔法、アカネが怯んだ一瞬には既に次なる召喚獣を喚んでいた。


召喚(サモン)サラマンダー」

「……不味いですわ」


 火精霊てあるサラマンダーは、赤い翼竜の姿をしている。爬虫類の瞳がヴァーナ達を捉えると、大口を開けた。

 探索者(シーカー)を襲うブレスは、上空にいるグリフォンの存在が致命的な一撃えと変えた。全力で放たれた火炎のブレスは、魔法で発生した巨大な竜巻に巻き込まれ、生命を焼き尽くす。


 紅く燃える竜巻は、唐突に終わりを迎え姿を消す。

 そして、普通ならば黒焦げの死体が並ぶのだが、アイザックは迷わず範囲守護(エリアカバー)を使用して、仲間だけではなく敵対したジェニー達も守った。

 流石のダメージに意識が飛びかけた彼は、回復魔法がローザマリーから飛んでこない事を疑問に思い振り返る。


「そうだ。範囲守護(エリアカバー)は、全体守護(オールカバー)とは根本的に違う。アイザック、お前の仲間はそんな事も分からないらしいな。お前の事を、理解していない」


 アイザックのスキル全体守護(オールカバー)は、味方全員を庇う強力なスキルだ。味方の基準はパーティであり、敵対者は効果から外れる。

 だが、範囲守護(エリアカバー)は範囲内の者を庇うスキルで、そこに敵味方の区別はない。一見使い難いスキルだが、敵味方問わず範囲内の攻撃を無力化するという点では非常に強力だ。

 意表をつく事もできる上、使い方を考えれば全体守護(オールカバー)よりも強力だともいえる。


 スキルの一部には連続使用出来ないものが存在し、強力なスキル程再使用が可能になるまでの時間が長くなる。

 全体守護(オールカバー)もこのタイプであり、アイザックは合間に範囲守護(エリアカバー)を使う事で再使用までの時間を稼いでいた。そして、彼が探索者(シーカー)となってから最もその背中を見てきたのがネルだ。


 故に範囲守護(エリアカバー)が使われるタイミングを理解し、グリフォンとサラマンダーが引き起こした燃える竜巻によって、視界が塞がれた炎の中に、再召喚したケルベロスを突入させた。

 ケルベロスは範囲守護(エリアカバー)によって炎から守られ、スキルの効果が切れると同時に上級神官のローズマリーを倒したのだ。


「くっ、卑怯な」


 アカネが苦々しく零すが、ネルは楽し気に笑う。


「おいおい、オレ様1人を相手に複数人で戦うお前らが、それを言うのか?」

「おかしな事を言う。貴女と戦った限り、複数人を相手取る為の様なジョブと見受けられる。多人数戦等お手の物だろうに」

「アカネ、それは違う。召喚士は本来、後衛ジョブだ。1人では戦えない」


 アイザックはケルベロスから目を離さないまま、アカネの言葉を否定した。

 ネルがアイザックの背中を見ていた様に、彼もまた召喚士の事をよく知っている。


「なんと?」

「コルネール、いや、今はネルと名乗っているのか」

「なんだ、知っていたか」

「勿論、仲間の事だ」

「仲間、か。お前のそう言う所が頭にくる。まあ、大事な仲間が倒されても、防ぐ事しか出来ないお前は、そこで見ていろ」


 アイザックはケルベロスから目を外して、ネルを真っ直ぐに見た。

 疑問を抱きつつもケルベロスを嗾けたネルだが、ボロボロのアイザックの装備が暗く変色し、自らの失敗を悟る。


「ネル、お前が1人でここまで辿り着くには、血の滲む修練が有ったのだろう。だが、オレもまた、前に進んでいる。強なっている」

「ちぃっ!やれ!」


「痛みを返すぞ、憤怒ノ盾(ラースシールド)!」


 ケルベロスだけではなく、空中のグリフォンとサラマンダーもアイザックに殺到するが、漆黒の重騎士と化した彼は凄まじいの一言だった。

 飛び掛かる召喚獣達が、盾による一撃で魔力に還されてしまう。

 だが、必ずカウンターで攻撃を当てている事から、素早さに変化はない。今までのアイザックが使えるスキルの系統から、カウンターで発動する、若しくは累計ダメージに応じて力が上がるのだろうとネルは考えた。


「やるじゃないか」

「降参するならば、今のうちだ」

「はっ!笑わせるなっ!これならどうだ?多重召喚(サモンカーニバル)!」


 カウンターに対抗するならば、対応出来ない程の数を喚び物量で押し切る。召喚されるのは、子供でも倒せるスライムや、ゴブリンを中心に蟲や獣も多い。何も雑魚と称される者達。

 前衛のアカネ達ならば容易く蹴散らせるが、アイザックの鎧が漆黒に染まってからは彼女達を下がらせている。漆黒の鎧のスキルと、カバー系のスキルは併用出来ないのだろう。

 アカネ達も、前に出ようと考えているのか歯痒ゆそうにしている。


 だが、魑魅魍魎の軍勢に襲われても、アイザックは倒れない。

 数の力に押されようとも、2本の足で立っているのだ。地面に向けた一撃の衝撃で雑魚を倒した彼に、ネルは笑って話しかける。


「なぁ、アイザック。お前が当たり前に使っている“不屈”、その力の源が何処からくるか、考えた事はあるか?」

「いいや、オレは勝つまで立ち上がる。それだけだ」

「ふぅん。おい、そこの貴族の女。ヴァーナといったな。お前はどう思う?恐ろしいだろう?ユニークスキル、なんてものは」

「私達はアイザック様の背中を見て来ましたの。頼もしいと感じるこそあれ、恐ろしいなんて….…あり得ませんわ!」

「ああ、違う。そんなこと(・・・・・)ではない。不可解な“不屈”を当てにして、アイザックに軽々しく命をかけさせている事に、だ。冥土の土産に教えてやろう、力の源を」


 勝ちを確信しているのか、何かの罠なのから分からないが、ネルはニヤニヤと軽薄な笑みを浮かべていた。

 アイザックは召喚獣の処理を終えて駆け出すが、その前にディラハンが立ちはだかる。すぐ様アイザックにより繰り出される一撃は、流れる様に大剣で受け流された。

 アイザックが雑魚を相手取っている間、歴戦の戦士であるディラハンは彼の動きを観察し、対応して見せたのだった。

 歩みを止めた脚を素早くケロベロス咬みつこうするが、少し下がる事で避ける。


 そう遠くない場所に立つネルとの距離は、見た目よりも余程遠い。

 

「ユニークスキルの力の源は、意思の力だ。感情の爆発がスキルの威力に直結するなら、只のスキルが叶うわけないだろう?」

「意思の力ですって?」

「ああ。縦ロール、貴様も負けん気で立ち上がって来ただろう。それこそが意思の力、そいつのしぶとさの異常性もお前は知っている筈だ。だからアイザック、お前を殺すには心を折るしかないんだよ」


 アイザックの心を折る、その言葉にヴァーナ達はネルの狙いに思い至る。アイザックは盾だ、皆を守る為に文字通り血肉を削り立ちはだかる。


「アイザック殿の心を折るか、某達を甘く見すぎだ」


 アカネが抜いた刀が燃え上がった。彼女に続く様にユニークスキルに迫る程の奥の手を、仲間達も発動していく。


「ネル、君の様に彼女達もまた一流だ」


 主人を守るべく立ちはだかる召喚獣は容易く屠られ、ネルへと向かう。

 再び孤立したネルの一挙一動見逃さぬとばかりに、皆彼に注視する。してしまった。


 ネルは魔人へと堕ち、露出した腹には陣が刻まれている。

 ユニークスキルに打ち勝つには、ユニークスキルをぶつけるしかない。だが、ネルはユニークスキルを持っていなかった。だから、怪しげな仮面はネルの腹に陣を刻んだのだ。

 この陣は、ある感情を吸収し魔力へと変換する効果があり、普段からもネルの魔力を底上げしている。


 人は感情に慣れてしまう。

 同じ経験をしても、2度目ならば動く感情は弱まるのだ。それを防ぐ為に押さえ込んでいた感情を、首元のチョーカーを解放した。


「ッ!?」

「なんて魔力量なのかしら!?」


 溢れ出た魔力の渦に圧倒されつつも、ネルから目を逸らさない。だが、如何なる時も敵から目を離さぬ実力者故に呑まれてしまう。


 「ーーッ!あのクソ魔人めッ!お、オレ様にこんな格好させやがって!」


 ネルが解放した感情とは羞恥心。

 元来プライドの高いネルが、娼婦の様な格好に身を包めば屈辱と羞恥心によって爆発的に生まれた感情を、腹の陣が魔力へと変換する。

 そして、チロリと出された舌ピアスが怪しく発光した。ネルが闇ギルドを襲撃した時にも使用した、魅了の力が込められた魔石が埋め込まれているのだ。


 魅了とは、本来ならば同性に対しての効果が著しく低下するものだ。だが、羞恥した可愛らしい格好に身を包むネルの魅了は、男女共通に及んだ。

 思考を停止させて、身体の自由を奪う。

 女性であるアイザックの仲間は勿論、アイザック自身もまた恥じらう様子に目を奪われてしまった。

 僅かな時間だが、既に召喚は完了している。


召喚(サモン)悪夢の化身(ジャバヴォック)!」


 24階層に広がる悪寒すら感じる魔力の奔流は、浮かぶ召喚陣に渦潮の如く吸い込まれていく。それでも、まだ足りない。

 陣から出たソレは頭部のみ。

 それでもこの世の凡ゆる力と邪悪を集めて

、無理矢理龍の形にしたソレは、見るもの全てに畏怖を与える。

 心弱い者はそれだけで折れ、気丈なアイザックの仲間達すら呆然としてしまう。

 中でも、古龍の彼女は力の差を解ってしまう分、先程力を使い果たした事を後悔していた。


 召喚獣は全てを召喚し、漸く力を十全に引き出す事が出来るが、ソレは例外だろう。

 そして、本来ならば召喚獣を従えるには供物や絆、従えるべき術者の力の証明を必要とする。

 目の前のソレがネルに従うままに、その口から破壊を吐き出す事は不可能に近いのだが、極上な魔力はソレに対する供物として充分だったのだろうか。


 アイザックの心を折らなければ、ユニークスキルである“不屈”は何度でも立ち上がるだろう。

 そして、彼の心の弱点は仲間だ。

 仲間の盾である彼が誰一人として守らない絶望感は、きっと彼の心を傷付け、最後には折れる。

 魅了により反応が遅れ、ジャバヴォックの存在に怯え、破壊の光は全てを飲み込んだ。先程の様に僅かに拮抗する古龍も力を使い果たし、防ぐ術は誰も持たない。


「さよなら、アイザック(私の友達)

「ッ!」


 閃光と衝撃、そして破壊音。

 風の流れに髪を揺らし、ネルはもう一度指示をとばす。再び眩い光が周囲を照らす。

 2度目のブレスの後、ジャバヴォックは姿を消した。同時に膝を付いたネルは、荒い呼吸を整える。

 震える手でチョーカーを嵌めると、魔力で作られた鍵がネルの精神を抑え込む。潰される程の羞恥心は鳴りを潜め、魔力を大量に消費した事によって歪む視界に頭を押さえた。

 攻撃の余波によってか、打ち上げられた照明弾も吹き飛ばされ、迷宮(ダンジョン)の星明かりに照らされるのみだ。


 静かだった。

 呼吸が落ち着くと、ふらつきながらも立ち上がり踵を返す。

 この階層で姿を見られれば、今回の事件との関係性を疑われる筈だ。跡形も無く蒸発したアイザック達は、行方不明として処理されるだろう。


 フワリと鼻腔に漂う香りは、何処か馴染みあるものだった。

 良い匂いとは言い難く、確か初夏に嗅いだ覚えがある。

 そう、迷宮都市ファールジルドに来る前、山々を駆け巡っていた時に。ふと嗅いだ臭いの元を尋ねれば、栗の花だと彼は言っていた。


 魅了を解くには、幾つか方法がある。最も大切な者を思い浮かべたり、強靭な意志で跳ね除ける。術者よりも強い魔力で、己を包む等複数存在する。ただし、何れも今回のネルの魔力量の前では不可能に近い。

 だが、魅了を破る手段の一つに、思考や心を空にする方法が存在した。これは、聖職者達が禁欲の果てに辿り着く秘技であるが、男性であれば一時とは言え再現が可能だ。即ちーー


「賢者モードにならなければ、即死だった」

「おま、おまえ!?」


 受けたダメージを攻撃力に変換する今のアイザックは、初撃で防いだジャバヴォックのブレスの力で相殺したのだ。

 勿論無傷ではなく、切り札だった漆黒の鎧も効果を失くして剥がれていく。だが、味方は全員生存している。

 風前の灯だろうと、ジェニー達も一応生存していた。


 アイザックの仲間達に戦う力は残されていなかったが、それはネルも同じである。

 羞恥心を抑え込んだ状態の魔力は空で、簡単な召喚や闇魔法も使えない。残された手は、再び感情を開放する事だが、ネルを改造した仮面からは多様を避けるように忠告されいた。

 初撃を含めて2度も羞恥心を開放している今は、精神が保たないのだ。


「コルネール、まだやるか?」

「な、舐めるな!内心、オレ様を見下してるんだろう?同情し、手を差し出す。オレ様はっ!お前に認められるまで1人で立つのだっ!勝つのは!オレ様だっ!!」

「お前のその力、感情を燃料にしているのか。推測だが、羞恥心あたりか?」


 チョーカーに指を掛けた所で、アイザックが指摘する。

 ネルは自嘲気味に笑うと、勢いのままに引きちぎった。後の事は考えないと、外したチョーカーを投げ捨てる。


「……ッ!お、オレ様は……ッ!負けない!」


 歩けばほぼ中身が見える程丈の短いスカートを、左手で精一杯伸ばしながら、目に涙を溜めてアイザックを睨む。

 そんなネルに、アイザックは静かに語りかけた。


「オレが、誰で賢者モードに致したか分かるか?」

「……は?おま、致したとか!へ、変なこと、聞くなっ!どうせ背後の仲間の誰かだろ!?」

「いや、違う」

探索者(シーカー)ギルドの受付嬢か?」

「いいや、ソフィアさんじゃぁない」

「飲み屋のメリー?武器屋のスカーレット?ま、まさか宿屋のおばさんか?」

「誰も違う」

「はぁ?つ、付き合ってられるか!召喚(サモン)ジャバ「お前だ!」へぇっ!?」


 胸に、知らぬ衝撃が走る。

 狼狽え、眼を泳がせるネルに無警戒に近寄ると、逃さぬとばかりに顔を覗き込むアイザック。


「可愛らしいお前を見て、オレは発っした」

「ふぇぇっ!?」


 衝撃、電撃、頭と心に走る告白。

 羞恥心を開放したネルの身体を駆け巡る、真っ白な愛の稲妻に焼かれて頭が真っ白に染まる。

 心臓の鼓動が煩く、トロルのイビキの如く響く。


 アイザックの背後では、仲間達に別の衝撃が走っているが、彼は気にしない。

 何故ジェニーの魅了がアイザックに効果が無かったのか、それは最も大切な者の姿を浮かべていたからだ。今、目の前にいる人を。


 ネルは言った、アイザックの為に可愛くなったと。いや、言ってなかったかもしれないが、アイザックの愛のフィルターを通せばそう聞こえた。

 元々愛しい娘が、自分の為に可愛くなる努力をして会いに来たのだ。応えねば漢が廃る。


「た、たっしたとか!いたしたとか!馬鹿っ!」

「オレの為に、恥ずかしさを我慢してくれたのか?その姿、可愛い」

「や、やめろっ!」

「コルネール……」

「そ、その名は捨てた!今のオレ様は……ネルだ!」

「ふっ、可愛らしい名前になったな」

「ひぃっ!なんだこの感情は!し、知らない!止めてっ!」


 抑え込んだ羞恥心を解放しているネルは、暴れ狂う感情に制御を忘れて振り回される。

 真っ赤な顔で、己の心境に混乱してしまい、魔力操作を行えない。


「ネル、探索者(シーカー)やギルド、パーティも関係ない。オレと共に、歩んでくれないか?」


 構わず召喚を試みたネルだが、その手を取られ思考が再び滅茶苦茶になる。手から伝わる熱と、身体発する雄の匂い。ゴツゴツした感触は、初心な心をかき混ぜる。

 自身の心境に構わず、魔力となる羞恥心は溢れんばかりに湧き出てきた。

 脳裏に過るのは、怪しげな仮面の忠告。

 

『貴女の力は、自らを飲み込む事に成りかねない』


 暴走するという自覚はあるものの、思考は定まらず焦燥だけが募っていく。その時に、羞恥心の暴走等とと笑った自分が恨めしい。


「離して、駄目だ……っ!」


 戸惑いと共に溢れる魔力に呑まれそうになるネル。手を離す事が正解なのだろうが、アイザックの力強い手は振り解けない。

 以前誘った時は、1人で立ち上がると断ったネル。彼が苦しんでいた時、力になれなかった。

 手酷く追放したのはネルの方だが、それはジェニーの魅了に嵌められたからだと後から知った。

 ネルはその事を気にしているのか、アイザックを頼ろうとはせず、周りに嘲笑されながらも墜ち続けていた。魔族になる直前に言われた様に、あのままではどん底にいただろう。


「離すものか」

「ぁ、ぁぅ」


 繋いだ手を引き寄せ、その腕で逃さない様に包み込む。

 鎧の所為で冷たい感触だが、ネルの火照った頬には心地良かった。

 鳴り響く自信の鼓動に困惑しつつも、包み込まれたよく知る匂いに気持ちは落ち着く。どうしてと、ネル自信にも分からないが。


「あの、あのな。アイザック、本当は、あ、謝りたかった」

「そうか」

「ごめん、追い出して」

「良いさ」

「ごめんね……」


 最初から負けていたと笑ったネルは、酷使していた精神力が尽き、張り詰めたものが解けたのか意識を手放した。そんな彼を横抱きにすると、アイザックは仲間達の元へと帰るのだった。

 仲間達は、複雑そうに笑っていた。

 元鞘に戻ったと。


 仲間達に怪我人は出たものの、幸い後が残る程酷い怪我はない。

 本人は否定するだろうが、ネルの気持ちが出たのだろう、召喚獣達は手加減をしていたのだ。その事実に、ディラハンと打ち合ったアカネが武者震いした事から、近いうちに再戦を申し込まれそうである。


 ネルに対する咎を仲間達は許し、代わりにアイザックを1日連れ回す権利をそれぞれが得た。強力なライバルの出現に、彼女達もまた挑んでいくのだ。


 ジェニーが連れてきた者達は、ローズマリーの処置が間に合い、寿命を3割程失う事と引き換えに命は助かる。ただし、無理な力により老化が進み外見年齢が一回り上がってしまった。

 彼等が竜滅薬を手にした経由を、娘であるヴァーナに急かされつつ、領主は調査を進めるらしい。だが、古龍の幼女がその血を納めた先は王家である為、面倒な事になるだろう。

 最悪敵対してしまうが、国に縛られない探索者(シーカー)ギルドを敵に回す事を王家は避け、適当な上位貴族に罪が押し付けられる筈だ。


 ジェニーは、奴隷として売られた先でも反省の余地が見られないと、犯罪奴隷として国営の鉱山に送られる事になった。

 国が彼女の襲撃を支援していた場合、アイザック達の手の内を教える事になると警戒していたのだが、彼女は捕らえられた牢の中で忽然と姿を消した。

 ネルが所属している闇ギルドですら痕跡を追えず、口封じをされたと結論が出された。


「オレ様にとっての諸悪の根源とも言えるジェニーが姿を消したとはな。何とも、スッキリとしない結末だ」


 アイザックが新たに成立したクラン、“暁の盾”に届けられた新聞を片手にネルは零した。そんな膝の上のネルの頭を、アイザックは慰める様に撫でる。

 意識を取りましたネルに待っていたのは、過保護になった宿敵(ライバル)からの洗礼であった。


 最初は抵抗を試みたものの、恩や借りの多さに受け入れざるを余儀なく、襲撃から数日経った現在、愛玩動物の様な扱いに慣れ始めていた。

 本来そのポジションにいた古龍の幼女からは、時折睨みつけられるものの、強者に逆らえない龍の本能か手は出されない。ネルとしては、寧ろ代わって欲しかったが。


「大変よ!38階層で救援要請が来ているわ!」

「む、急がなければならないな。行くぞ、ネル」

「オレ様はこのギルドのメンバーじゃないんだがな……」


 いつの間にか馴染んでしまったネルは、アイザックのハーレムの一因として今日も迷宮(ダンジョン)に挑むのだった。


「めでたしめでたし、ですわね。それにしても、身体を女の子に近づけ過ぎると、思考にも影響してしまうのね。女神様に報告しないと」


 薄暗い教会で、怪しげな仮面を被ったシスターがいた。周囲に転がるのは黒装束に身を包んでおり、何も絶命している。

 牢から行方を眩ませたジェニーを手引きした者達だ。

 唯一息をしているジェニーは、その顔は恐怖に引き攣り青褪めている。


「あ、アンタ誰よ!?」

「引き立て役、ご苦労様。でも、物語のハッピーエンドに貴女は邪魔ですよ。乙女(男の娘)の恋路を邪魔するだから、解るでしょう?」


 笑うシスターの頭には、魔族の証である角が生えていた。

 

 

 お読みいただき有難うございます。

 ブックマークと評価を頂けると励みになります。


 召喚士ネルの物語は終わりですが、迷宮都市ファールジルドで起こる短編は続きます。何もヒロインは男の娘になる予定です。

 短編事のヒロインが主体となりながら、怪しげな仮面の狙い、迷宮や女神様の存在を書いていく予定ですので、のんびりとお待ちください。

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