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死の世界へようこそ  作者: 路明(ロア)
Episodio dopo 見えていない月
73/74

Luna invisibile. 見えていない月 I

 チェーヴァ家屋敷の執務室。

 壁際に並ぶ資料棚の前に現れたベルガモットに気付くと、アルフレードは顔は上げず羽根ペンの動きを止めた。

「執務中なんだが」

 すぐに書類へのサインを再開しながら淡々と言う。

「構わん。すぐに済む」

 ベルガモットは言った。「構うのはこちらなんだが」とアルフレードが呟いた気がしたが、気に留める気はない。

 執務机の横の大きな窓からは、橙色を基調とした街並みが見える。

 街の中央に建つ大聖堂の巨大なクーポラが、夕方近くの薄くなった太陽光を受けていた。

 窓を開ければ、そろそろ冷えた風の入る時間帯だ。

 ベルガモットはつかつかと執務机に近付くと、上体を屈め机に両手を付いた。

「よいか」

 言い聞かせるように声を張る。

「わたしは、お前の当主としての重圧を分かってやれるぞ」

「そうか」

 アルフレードは顔も上げなかった。サインを終えた書類を確認するように眺めると、横に置く。

「何なら、お前の弱音を聞いてやっても良い」

「また今度」

 アルフレードは、ギッと微かな音を立て背もたれに背を預けた。こちらは一切見ず、手にした書類に目を落とす。

「大勢の親戚を亡くしたのは、お前のせいではない」

「そうだな」

 アルフレードは答えた。

「仲の良い許嫁(いいなずけ)を亡くし、さぞ辛かったであろう」

「蒸し返されると何か複雑なんだが……」

 そう言い眉根を寄せる。インク瓶から羽根ペンを取り出すと、アルフレードは手にしていた書類にサインをした。

 微かなインクの匂いが漂う。

「ぜひわたしが慰めてやろう」

 得意顔でベルガモットはそう声を張った。何なら、飛び込んで来て良いぞという風に両手を広げる。

「執務中なので出来れば後にしてくれないか」

 表情も変えずアルフレードはそう返した。次の書類を取り出し、かさりと音を立て文章を目で追う。

 おかしい。ベルガモットは目を眇めた。

 冥王と同じことをやっていると思うのだが、この反応の無さは何なのだ。

 かつて冥王に(たぶら)かされ、うっすらと頬を染めながら詫びと別れを告げて来た何人もの下僕。あんな顔をするものと期待した。

 そもそも(あるじ)の言葉を適当にあしらい、書類ばかりを見ているのは無礼ではないか。

 (あるじ)として、意地でも関心を引かなければ示しが付かない。

 何の話題なら気が引けるだろうかと考えを巡らすうち、ベルガモットは先立って城に訪ねて来たクリスティーナを思い出した。 

「何なら、あの許嫁に会わせてやっても良い。いつでもわたしに頼んでくれれば」

「いやいい」

 アルフレードが即答する。

 ベルガモットはぽかんと口を半開きにした。

「なぜだ。この前もわたしの城に来て愚にもつかぬことをペラペラと喋っておったぞ。どうせ暇な身なのだ。呼び付ければいつでも……」

 書類を手にしたまま、アルフレードが顔を上げる。

「君のあの城に来たのか」

「来た」

 アルフレードが初めて顔を上げたことに微かに(いら)つく。

 やっと反応したと思えば、あの女の話題でかと思うとやはり悔しい。

「お、お前の話など全くしておらんかったぞ」

 ベルガモットはそっぽを向いた。

「元気だったか」

「もう死んでおる」

「それもそうだな……」

 アルフレードは苦笑すると、再び書類に目を落とす。

 その様子をじっと見て、ベルガモットは目を眇めた。かなり(しゃく)だが、あの女の話題なら食い付きが違うのだなと思う。

「いつでも会わせてやって良いぞ」

「いや結構」

 書類に目を落としたままアルフレードはそう答えた。

「冥王にも同じ申し出をされたが断った。この先を生きていく決心が鈍りそうな気がするので」

 ベルガモットは眉根をきつく寄せた。気配で何か感じ取ったのか、アルフレードがおもむろに顔を上げる。ベルガモットの表情を見て怪訝そうな顔をした。

「どうした」

「冥王と会ったのか!」

 ベルガモットは再び執務机に両手を付き、アルフレードに詰め寄った。

 あれやこれやと如何(いかが)わしい想像が頭の中をぐるぐると巡る。

 もしやもう手遅れであったか。

「君が復活するまでの間、代理だと言って来ていた。聞いていないのか」

「それで情に(ほだ)されて許したのか!」

「何をだ」

 ベルガモットは身を乗り出し、更にアルフレードに詰め寄った。

「奴に口説かれたであろう」

「特に口説きのようなことは言っていなかったが」

 アルフレードが軽く眉を寄せる。

「嘘を申すな。奴がわたしの居ない機会を逃す訳がない!」

「君の考え過ぎだろう」

 やや鬱陶(うっとう)しそうな表情になり、アルフレードは再び書類に目を落とす。

 これは、目を合わせられないのか。冥王にこう誤魔化せばよいとでも入れ知恵されているのか。ベルガモットは苛々(いらいら)と勘繰った。

「お前など、境遇からみて確実に危うい。わたしは確信した」

「君の話はどうにも飛躍するな」

 アルフレードが顔を(しか)める。

「ともかく奴を自室に入れるな!」

「三回とも勝手に来たんだ。仕方がない」

 アルフレードは、かさりと手元の書類を入れ替えた。

「一回ではなかったのか!」

「私が確認している限りでは三回だ」

 言いながら書類にサインをする。

「君がナザリオにやられた直後にも来ていた」

 何だと……と呟きベルガモットは拳を握った。

「人の弱った隙に付け込みおって……あの好き者が」

「君を心配して来たんじゃないのか」

 アルフレードは言った。

「そうではない! わたしに(かこ)つけて、奴はお前を口説きに来たのだ!」

「執務中なんだ。冥王に直接言ってくれないか」

 アルフレードが(うる)さげに言う。

「おお、そうであった」

 ベルガモットは上体を戻した。

「奴め、わたしに追及されるのを恐れて、あちらこちらに移動しておるらしいのだ」

「単に忙しいんだろう」

 淡々とそう返し、アルフレードは次の書類にサインをする。



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