L'amante di Ade. 冥王の恋人
自身の居城よりも遥かに広く、重厚な造りの冥王の城。
ベルガモットは、身長の二倍はあろうかという冥王の私室の扉を乱暴に叩き続けた。
「冥王! 出て来んか!」
黒灰色のレリーフで飾られた扉を何度も拳で叩く。
「つまらん嫌がらせしおって!」
大きく厚い扉に音はあまり響かず、広く薄暗い廊下にソプラノの声が吸い込まれて行く。
やがて、内側から静かに扉が開いた。
品の良さそうな青年が顔を出す。
「あっ……」
ベルガモットは小さく声を上げた。
百年ほど前に下僕にしていた青年だ。
上級の貴族の家出身だった。決闘で華々しく倒れた様に惚れ込んで下僕にしたが、あっという間に冥王に横取りされた。
平均よりやや長身、切れ長だがきつくはない目付き。そこそこに整った顔立ち。
よくよく見ると、全体的な雰囲気がアルフレードによく似ていることに気付く。
「ご無沙汰しております。ベルガモット様」
青年が微笑する。
「お前……」
ベルガモットは扉を叩いていた体勢のまま、微かな怒りに目を見開いた。
「冥王様は先ほど広間の方に行かれましたよ」
青年は廊下の一方向を眺めた。
ラフに羽織った部屋着の袖をさりげなく直す。直前まで何をしていたか想像はついた。
「いまだ冥王と関係しておるのか」
ベルガモットは手を下ろし目を眇める。
「冥王様は、一度手を付けられた方は転生する日まで平等に呼ばれますよ」
「ふん。あの色好みが」
ベルガモットは眉を寄せた。
「その後どうしているかとは思っていたのですが」
「心配無用だ」
ベルガモットはそう言い青年の言葉を遮った。
「お前などより何千倍も良い男を今は下僕にしておる」
「そうですか。それは良かった」
青年は微笑した。静かに扉を閉めようとする。
「待ちや」
鋭い声でベルガモットは言った。
青年が扉を閉めようとした手を止める。
「わたしには、どうでも良いことなのだが」
腕を組み、青年を睨むように見据える。
「冥王はどうやってお前らを口説くのだ」
「どうと言うか……」
青年は顎に手を当て宙を眺めた。
「私の場合は、死後に蘇生させていただいて生前の家に戻った訳ですが」
「おお、そうであった」
ベルガモットは頷いた。
「その際、身内の者を身代わりとして亡くしておりますし」
「うむ」
「非常に若くして家を継いだので」
「そうであった」
ベルガモットは神妙に頷く。
「当主としての重圧や、身内を身代わりにしてしまった負い目などが常にありまして」
「うむ」
「冥王様は何度か私室にいらして、その度につまらぬ弱音を聞いてくださったというか……」
脳裏に何かを連想した気がしてベルガモットは眉を寄せた。何かを思い出す気が。
「当主など、身内にすら弱音など言えませんから。嫌な顔ひとつせず泣き言を聞いてくださる方というのは」
「うむ」
「手離せなくなるというか……」
待て、と思いベルガモットは眉根を寄せた。
もしかしてこれは、今の下僕と全く同じ境遇では。軽い目眩を覚えながら口に手を当てる。
青年はさりげなく部屋着の胸元を直した。
「しかも私は蘇生後に大勢の親戚を一斉に亡くしまして」
ベルガモットは頭痛を感じた気がして、ゆっくりと米噛みに手を当てた。
「更には仲の良かった許嫁まで突然の事故で亡くし」
ベルガモットは眉を緊く寄せる。
「中々立ち直れずいた所を、あるとき私室にいらした冥王様がお前のせいではないと慰めてくださり」
青年は口に手を当て俯いた。微かに頬が紅潮する。
「情に絆され、ついにはそのまま……」
血の気が引くような感覚をベルガモットは覚えた。
「あなたにも非常に良くしていただき、申し訳ないとは思っているのですが」
「……よ、よく分かった」
ベルガモットはそう言った。気のせいか激しい目眩がする。
「こんなお話でお役に立ちましたか」
青年は再び微笑した。
「……う、うむ。非常に参考になった」
「では、お気を付けて」
青年は会釈をした。静かに冥王の私室の扉を閉める。
ベルガモットはくらくらと目眩のする目頭を抑えながら、その場を離れた。
気を付けていないと、そこらで物に躓いて倒れたままになりそうだと思った。




