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Profumo di bergamotto. ベルガモットの香りがする

「三日後か」

 屋敷の玄関ホール。教会から帰り、外した手袋を執事に渡しながらアルフレードは言った。

「叔父上様方、三日後に揃ってこちらに来られると」

「よくもまあ、難癖を付けに来る暇などあるな」

 アルフレードはうんざりと眉を寄せた。

「あわよくば自分が家の主導権を握りたいのだろうが」

 やや早足で階段を昇り、執務室へと向かう。不意に笑いが漏れた。

「当主など端で見るほど旨味も無いのにな」

「まあ……主導権を握れば財産が使い放題などと幻想する方はどこにでもいますから」

「そうそう使い込める訳など無いだろう」

 アルフレードは(きつ)く眉を寄せた。お前が一番分かっているだろうという風に執事の方を振り向く。

「少々おかしな話をしても宜しいでしょうか」

 不意に執事はそう切り出した。

「何だ」

「うろ覚えなのですが……」

 階段から二階廊下に歩を進め、執務室の前に来る。扉を静かに開けながら執事は言った。

「一時、ラファエレ様がアルフレード様に代わりこの屋敷を取り仕切ったことがあったような」

 象牙色の背の高い資料棚と流線形を基調としたデザインの執務机。その横にチェーヴァ家の剣の紋章と鎧の飾られた室内。

 執事は扉を閉めた。

 どう答えたものかと迷いながらアルフレードは執務机に座る。

「時系列がどうも定かではなくて。ラファエレ様がお亡くなりになったのは八年も前のことですし」

「他の使用人は何と言っている」

 机の上の資料を見るふりをしながらアルフレードは尋ねた。

「アルフレード様が決闘で重傷を負われた時ではと言っていた者が」

 執事は(あご)に手を当て首を傾げる。

「しかし決闘などいつ」

「……つまらん挑発に乗って、まあ」

 複雑な心持ちでアルフレードはそう答えた。

「そんなことがあったのですか?!」

 執事は声を上げた。

 今更あったのかと言われるのも変な気分だ。アルフレードは眉を寄せた。

 ああ、まあと曖昧に答える。

「なぜにそんな危険なことを。お立場は分かっていらっしゃるでしょう?!」

「そうだな」

 苦笑しアルフレードはそう返す。今になり考えれば、いくらしつこく挑発されたとはいえなぜ乗ってしまったのか。

 万が一のことがあれば、家に関わるのだと分からない訳はない。

 ナザリオは自身を少年の頃から見ていたと言った。ものの考え方に、何か少しずつ影響を与えられていたのか。

「決闘と言っていたのは誰だ」

 執務の書類を片手で持ち、読むふりをしながらアルフレードは問うた。

「お部屋のお掃除をしている女中と……あと何人かの使用人ですか」

「そうか」

 かさりと書類を捲る。

「医師は」

「ああ、お医者様もですか。以前、手を血塗れにしながらあなたを運び込んだと仰られていて」

「成程」

 アルフレードは相槌を打った。

「何の話をしているのかと聞き流していたのですが」

 おもむろにアルフレードは顔を上げる。

「ポンタッシェーヴェの親戚はどうなった」

 ああ……と執事は呟き宙を眺める。

「若い方は回復したようですが、ご年配の方はまだ」

「死んだ者はいないな」

 アルフレードは背もたれに背を預けた。

「幸い命は全員」

「そうか」




 昼までにはまだ間のある時間帯だった。

 応接室で客人との面会を終え、アルフレードは一度私室に戻った。

 シャツを着替え袖の留め具を留める。

 扉がノックされた。

「入れ」

「坊っちゃま、お掃除よろしいですか?」

 赤毛の女中と馬丁が扉を開け覗いた。

「ああ。今部屋を空ける」

 律儀に時間だけは守って来るなと思った。もちろん執事の監督付きというのもあるのだろうが。

「花瓶の水を取り替えておけ。昨日取り替えなかっただろう」

 アルフレードは二人を振り向き言った。女中が慌ててサイドテーブルの花瓶を両手で持つ。

「と、取り替えて来ます」

 花瓶の水までは気付かなかったのか、執事が「申し訳ない」という感じに口を動かす。 

「というか、花は要らん」

 上着を羽織りながらアルフレードは言った。

「要らないんですか?」

「たまの着替えと寝るためだけに戻る部屋だ。あっても仕方ない」

「お客様は綺麗だと仰ってましたよ」

「客?」

 アルフレードは顔を上げた。

「以前、アルフレード様が帰宅してまずどの部屋に行くのかと聞いて来た御仁です」

 (ほうき)を手にし馬丁が言う。

 アルフレードは動作を止めた。

 冥王か。そう思い至り眉を寄せる。

 何を居ない間に人の私室で花の批評などしているのか。

 そういうことをするから死の精霊が妙な誤解をするのではないか。親子揃って迷惑な。

「自室まで人の感想に合わせる必要はない。要らん」

「そうですか……」

 女中はやや残念そうに呟いた。

炬花(ベルガモット)を貰って来たんですが」

 部屋の入り口のすぐ傍にある小振りのテーブル。小さな器に紅い炬花(ベルガモット)の花が生けてある。

「野菜売りに来てた農家の人が、ハーブなので飾ってるだけでも落ち着きますよって」

 アルフレードはじっと炬花(ベルガモット)を見た。

 暫くしてから、息を吐きゆっくりと腕を組む。

「では今日だけ」

「はいっ」

 女中は明るく声を上げた。

 花瓶を持った手が弛みそうに見えて、アルフレードは思わず目を見開いた。

「落とすな」

「は、はい」

 女中は焦った表情で花瓶を持ち変えた。

「ついでに言うが、読書机の本は動かすな。書類もだ。装飾品等も触らなくて宜しい。あと、鏡は磨いておけ」

「分かってます」

「監督頼む」

 アルフレードは執事の方を振り向いた。執事が黙って会釈する。

 上着の留め具を片手で留めつつ、つかつかと扉に向かう。

「ああ、そうだ。窓の桟と寝台の下の(ほこり)をきちんと……」

「わ、分かってます」

 女中が弾かれるようにこちらを見る。

「そ、そういえば坊っちゃま」

「何だ」

「ピストイアのご親戚宅で、仮面舞踏会(マスケラータ)があったんですか?」

「どこから聞いた」

 掃き掃除をしていた馬丁が顔を上げる。

「あちらからの用事で来た使用人の方からです」

 使用人同士の情報交換か。侮れんなとアルフレードは思った。

「面白い余興があったとか」

 わくわくとした表情で女中が言った。

「見事な一人ワルツをご披露した男性がいたとか」

 馬丁が続けてそう言う。

 うっと小声で呻きアルフレードは顔を(しか)めた。

 執事が僅かに目を眇めこちらを見る。

「後から別の男性が対抗するように出て来て、お二人で競うようにワルツを踊っていたとか」

 女中が大きな目を輝かせながら言った。

「決闘のような振りまで入れ始めて、ともかく女性の方々が麗しいと大喜びだったって」

「そうだったのか。私は出席しなかったから」

 平静を装いアルフレードはそうと返した。執事が何か言いたげにこちらを見たが、大嘘だと口を挟むほど馬鹿ではあるまい。

 女中と馬丁は「ええー」と声を上げた。

「ピストイアのご親戚宅にいらしたんでしょう?」

「居たが出席しなかった」

 何となく襟元を気にしつつアルフレードは言った。

「そうだったんですか」

 馬丁は言った。

「惜しいことしましたね」

「そうだな。見たかったな」

 淡々と適当な言葉をアルフレードは返した。

「坊っちゃま、うちでは仮面舞踏会(マスケラータ)はやりませんか?」

「やらん」

 襟元を直しつつアルフレードは言った。

「公式な会だけで沢山だ」

「そういえば、坊っちゃまもウィーン風ワルツがとてもお上手なんだって、うちの婆ちゃんが」

 女中が言った。思わず動作を止め、アルフレードは振り向いた。

 女中と目が合う。すぐに扉の方に向き直った。

「しっかりやっておくように」

 そう言い、扉を開ける。

 出入口近くのテーブルの上に置かれた炬花(ベルガモット)から、柑橘類に似た香りを僅かに鼻腔に感じた気がした。








 FINE

 Distinti saluti.





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