Fata di morte. 死の精霊 I
「人のペットに危害を加えるでない」
女がきつい印象のソプラノで告げる。
何の前触れもなく空気を動かすこともなく、当たり前のようにその場の光景に加わっている。
女のサラサラと艶のある黒髪をアルフレードは呆然と見詰めた。
「アルフレード、お前、こいつのペットなのかい」
骸骨が問う。
空気の抜けるような息を吐いて笑ったようだった。
「そんな訳があるか」
アルフレードは不快に眉をよせた。
訳が分からなかったが、動揺より自尊心の方が勝った。
懸命に手がかりになりそうな記憶を探り、目の前で起こったことを推測しようとする。
この女に平手打ちを食らわせられた記憶が甦った。
「……下僕と言わなかったか」
アルフレードはようやく思い出した。
「下僕が嫌だと言うから変えてやった」
女はアルフレードの方を振り向いた。
身長差のせいだろう。目尻のきつい黒目を上目遣いにする。
「優しいであろう?」
深紅の唇の両端を上げ笑む。
「何を言っているのだ君は」
というよりも、とアルフレードは思った。
あれは夢か何かではないのか。
先ほど自室の寝台で、目覚める寸前まで見ていた夢では。
「こいつは、古からこの地方にいる死の精霊だ。名を炬の如き花」
骸骨が骨の指で女を指す。
「そして、この醜悪極まる吐き気を催す骸骨は、割と最近死んだ、悪霊のナザリオ」
ベルガモットは、レースの手袋を嵌めた手で骸骨を指した。
「これでも三百年は生きているんだよ」
ナザリオが喉の奥をククッと鳴らし笑う。
「黙らんか、汚ならしい」
ベルガモットが吐き捨てる。
わずかも対等には考えていない口調だった。
「ラファエレではないのか……?」
アルフレードは呟いた。
ベルガモットが黒髪を肩の上でしっとりと揺らし、アルフレードの方を振り向く。
「よろしい。ペットに発言を許す」
「いつもそんな話し方なのか君は」
「それが質問か。答えは然りだ」
そう答えるとベルガモットは骸骨の方を向いた。
「そうではない! あれはラファエレではないのかと聞いているのだ」
ベルガモットは顎をしゃくり、見下すようにナザリオを見た。
「死体や生者に取り憑いては、目をつけた者を混乱させて面白がっている塵だ」
「何故そんなことを」
「さあ。生き甲斐なのではないか?」
ベルガモットは向こうを向いたまま首をかしげた。
「生き甲斐? 死んでいるのだろう?」
アハハハハ、とベルガモットは高い声で笑った。
「その通りだ。このペットは面白い」
「そのペットはやめてくれないか」
アルフレードは眉間に皺をよせた。
「では下僕」
「その二択しか無いのか君は」
「まさかアルフレードを蘇生させて戻して来るとは」
ナザリオが含み笑いをした。
「蘇生?」
「下僕の願いを聞いてやった」
淡々とベルガモットが答える。
「ナザリオ、お前もご苦労だのう。その骸骨が生きている時分から、周辺に貼り付いて仕草やら話し方やら見ていた訳か」
「生きていた時から?」
ベルガモットの黒髪を見下ろしアルフレードは呟いた。
「ラファエレが生きていた時からいたのか?」
ベルガモットは少し横を向き視線をこちらへ向けた。
「発言を許す」
「いちいち君の許可は要らん」
アルフレードはそう言い放った。
「まさかとは思うが、ラファエレが死んだのは」
「どうなのだ、ナザリオ」
ベルガモットが代わりに問うた。
「どうだったかな」
ナザリオがラファエレにそっくりの仕草で肩をすくめてみせる。
本当に嫌がらせが好きそうだなとアルフレードは忌々しく思った。
「脳が溶けたので記憶が出来ていないそうだ」
ベルガモットはくすくすと笑った。
「あいつは脳が溶ける病気で死んだのだよ」
「脳が?」
そんな話をしているところだろうかとアルフレードは思ったが、とりあえず聞き返す。
「そんな奇妙な病気があるのか」
「脳髄に小さな生き物が入って起こる」
「虫か?」
「もっと小さなものだ。目も耳も手も足もなくて、グニャグニャと動く」
ベルガモットは、細い指を互い違いに動かしてみせた。
その生物が動く様を表現しているのか。
「そんな生き物がいるのか? 本当に神が造りたもうたものか?」
「そんなことはお前の神に聞け」
ベルガモットが素っ気なく答える。
「神か」
ナザリオは嘲るような口調で呟いた。
「冥王と交渉したのか」
歯をカタカタと鳴らした。
「アルフレードを蘇生させるために」
ナザリオは骨の指でアルフレードを指差した。
「それで何を引き換えにした」
「引き換え?」
アルフレードは、骸骨の空洞の目を見詰めた。