Vigilia del ballo. 舞踏会前夜 II
「こちらも暇潰しで来た訳ではない。訳の分からんお遊びはしないでいただきたい」
食堂広間に通されたアルフレードは、芳ばしい香りを立てる紅茶を前に言った。
食事係の女中が焼き菓子を添える。
頻繁に来ていた頃と何も変わらない広間だった。
青を基調とした壁紙と金の装飾が、反対色ながらも粋な組み合わせとして成立している。
暖炉前から伸びる長テーブルには、窓から薄く陽光が射し込み、手元を柔らかく照らす。
天井の燭台の繊細で女性的なデザインは、ラファエレのお気に入りだった。
昔はここでよくラファエレも交えて食事をした。
「使用人どもなら、きちんと持て成しておったぞ」
「そういう問題ではありません」
アルフレードは眉を寄せ手を組んだ。
「あの使用人どもは、お前の全快の知らせに来たと言っていたが」
「はい」
「わしは、お前の葬儀にも参列したんだが」
叔父は首を傾げた。
暫く首を左右に傾げ宙を眺める。
「あれは確かに死体じゃった。埋葬される所まで見ておった。どういうことなんだ」
アルフレードは紅茶を飲んだ。
暫く無言で考えたあと、下手な言い訳は諦めおもむろに言った。
「御悔やみいただき感謝致します」
「どんな手品を使ったんだ」
「いちおう神の奇跡ということで通してあるので」
「何が目的の手品だった」
叔父は身を乗り出した。
無言でアルフレードは目線を上げる。
「お前が死んだことになったら、親戚の連中がどんな動きをするか探るつもりだったか?」
「良いお考えですな、それは」
アルフレードは真顔で言った。
「ではお前が死んだあと、親戚どもを抑えて回ったのは余計だったか」
アルフレードは紅茶に目を落とした。
成程。
蘇生するまでの二ヵ月間、親戚内の派閥争いがさほど無かったようだったのは、そういうことか。
「……それは感謝致します」
「跡継ぎが出来るまでは、これが一番の心配ごとだろうと思っての」
「痛み入ります」
「わしとしては、そんな大変な立場にいるより、ラファエレの代わりにこちらの跡継ぎに入って貰いたいんじゃが」
「こちらには、いずれ親戚の男子の誰かを」
アルフレードは言った。
「つれないのう」
「つれるとかつれないとかの問題ではないでしょう」
叔父は手前の焼菓子を摘まみ噛った。
「サン・ジミニャーノの親戚が、何やら大変なことになっとったとか」
「ご存知でしたか」
アルフレードは飲んでいた紅茶のカップを静かに置いた。
「たまたま別の親戚に会ってな。詳細は知らんが」
「立て込んでいたので、詳細は一段落してからにしようと思っていたのですが」
叔父は怪訝な表情で頬杖を付いた。
「妙な状況で全員死んでおったとか」
「サン・ジミニャーノの他に二件、同じように全員死亡した家がありました」
「言葉通り全員か」
声を潜めそう尋ねる。
「はい」
「ひとり残らず?」
「はい」
「襲撃でも受けたか」
叔父は真剣な顔になり手を組んだ。
「いえ。使用人も含めて全員、屋敷に閉じ込もったまま餓死しておりました」
「そりゃ奇妙だ」
叔父は焼き菓子を噛った。
「幽霊にでもやられおったかな」
全く表情を変えずにそう言う。
「え……」
アルフレードは叔父を真っ直ぐに見た。
「ご存知で……?」
「ん? 本当に幽霊か?」
叔父は目を丸くした。
「何かご存知で言った訳では」
アルフレードは困惑して眉根を寄せた。
「幽霊などいる訳なかろう」
叔父は肩を大きく揺らし笑った。
アルフレードは溜め息を吐いた。自分とて、蘇生前は同じ考えだった。
霊の視える者が生まれたことなどなく、考え方も現実的な傾向のチェーヴァの者は、概ねそんな感じだ。
「ただ、ラファエレが亡くなる間際に、譫言で妙なことを言っておったので」
叔父は紅茶を口にした。
「ラファエレが」
「黒い影がいるとか、いつもアルフレードをじっと見ているのだとか」
アルフレードは僅かに目を見開いた。
ナザリオは、生前のラファエレの仕草や喋り方の癖を覚えるほどしつこく憑いていたようだと以前ベルガモットが言っていた。
この家をたびたび訪ねていた少年時代の自分のことも見ていたのか。
考えてみれば当然かもしれないが。鳥肌が立った。
「まあ、高熱に浮かされてのただの譫言だ。気にするな」
叔父はそう言い笑った。
「ええ……」
テーブルに手を付き、アルフレードはおもむろに席を立った。
「とりあえず使用人を連れて帰りますので」
えー、と叔父が不満の声を上げる。
広間を後にしようとしたアルフレードを早足で追い、両腕で抱え込むようにして腕を掴む。
「せっかく来たんじゃないか。何日か滞在して行け」
「仕事が溜まっていると執事に詰られながら来たので」
「当主みたいなこと言いおって」
叔父は顔を間近に寄せにやりと笑った。
「当主です」
「立派になったもんじゃのう」
「それはさっき聞きました」
アルフレードは叔父をやや引きずるようにして、つかつかと扉の前に進んだ。
女中が扉を開けると、叔父は廊下に向かって叫んだ。
「誰か! 本邸の使用人どもを閉じ込めておけ! 絶対に部屋から出すな!」
「何をしているんですか、あなたは!」
腕にがっしりと抱きついた叔父に怒鳴りつける。
「お前が来たら、仮面舞踏会を開こうと思って準備しておったのにぃ」
「……は? 仮面?」
叔父は口を尖らせた。
なぜかベルガモットを思い出す表情だが、美しくもなければ可愛らしくもない。
「羽目を外すなら、あれが一番だからのう」
はしゃいだ感じで叔父は言った。
「私とは関係なく楽しんでください。では」
アルフレードは、叔父を腕に付けたまま食堂広間を出ようとした。
「いやいや、お前のために開くんだ」
「なぜ私ですか」
「グエリ家の令嬢が亡くなったと聞いた」
アルフレードは傍らの叔父の顔をじっと見た。
思わず目を伏せる。
「……はい」
「これを機会に、二、三人持ち帰って遊んだらよかろう」
「何の機会ですか」
アルフレードは眉を寄せた。
「仮面舞踏会の目的なんて、一番はそれじゃろ」
「舞踏会はさほど好きではないので」
再び叔父を腕に付けたまま廊下に向かう。
「ラファエレ譲りのウィーン風ワルツ。あれをもう一回見たいのう」
アルフレードは足を止めた。
ベルガモットにも得意だろうと言われていたウィーン風ワルツ。
元々ラファエレが得意だった。
少年の頃、せがんで教えて貰ったのだ。
肩にしがみつくようにして引き留める叔父の顔を見る。
叔父はわざとらしく俯いてみせた。
「あれを見れば、ラファエレが帰って来たかのような気分になれるのじゃろうのう……」
叔父は片手で顔を覆い、泣くような仕草をしてみせた。
アルフレードは、更に緊く眉を寄せた。
「……分かりました」
渋々とそう言う。
「その代わり、使用人は帰らせてください。こちらで何が起こっているか分からない上に、私まで音信不通では家が混乱する」
「あの使用人どもも結構気に入ったのじゃが」
「帰らせてください」
アルフレードは、語気を強めた。
叔父はころりと表情を笑顔に変え、アルフレードの頭部に手を掲げた。
「背が伸びたのう」
「……いつからと比べてですか」
「ラファエレの服は着れるかのう」
「ラファエレの、ですか」
アルフレードは声をやや沈ませた。
「持って来させよう。合うようなら、それで舞踏会に出たらいい」
「ラファエレは、もう少し背が高かったような」
浮かれる叔父の背を見送りながら、アルフレードは言った。
「いや、そう変わらんと思うぞ」
そう言い、叔父はステップに近いような足取りで廊下に出た。
「子供の頃見てたから、高かったように感じてたんじゃろ」
もしかして直々に取りに行くのかと鼻白んで、アルフレードは叔父の背中を目で追った。