Fiori costellato. 散りばめられた花 I
屋敷に戻ったときには、もう暗くなっていた。
まっすぐ私室に戻り、袖の留め具を外しかけたアルフレードに、女中が来客を告げた。
「グエリ家の従者と名乗る方が」
「どんな用件で」
「それが」
女中は少々困惑した顔をした。
「以前お贈りした麦酒の追加はどうかと」
「麦酒?」
アルフレードは手を止めた。
「そうと伝えれば分かるはずだと」
ナザリオだろうか。アルフレードは眉を寄せた。
そういえば、以前グエリ家の屋敷で従者に取り憑いていた。
「……分かった。応接室に」
「あの」
女中は更に困惑した表情をした。
「私室でお会いしたいと」
アルフレードは留め具に手をかけたまま宙を見詰めた。
ナザリオだとしたら、何を企んでいるのか。
ややしてから、一度外した留め具を掛け直した。椅子に掛けていた上着を手に取り羽織る。
「分かった。ここに通せ」
女中が一礼して扉を閉めた。
間を置かず案内されて来た男は、やはりクリスティーナの部屋で会った従者だった。
中身は間違いなくナザリオだろう。
案内してきた女中が扉を閉め立ち去ると、ナザリオは揶揄うように肩を竦めた。
「口移しの麦酒のお代わりを」
「嫌がらせを言いに来たのか」
アルフレードは眉を寄せた。
「なぜわざわざ私室だ」
「応接室と違って、使用人が踏み込みにくいですからな。少々の物音がしても入室を遠慮しがちだ」
アルフレードは、ますますきつく眉をよせた。
何を企んでいるのか。
「あのお嬢様は、身罷られましたか」
ナザリオは言った。
「若様好みの従順な女でいらしたのに、悲しいことですな」
薄っぺらく同情するように首を振る。
「だが、良いことを思いついた」
ナザリオは口の端を上げた。
「若様に嫁ぐ者を全てこんな結末にすれば、チェーヴァはそれだけで跡継ぎ問題で揉めて自滅しますな」
「そもそもそれを狙ってモルガーナと接触させたのでは?」
今すぐ拳銃でも突き付けたい感情を抑え、アルフレードは言った。
「さあ」
そう答えながら、ナザリオは部屋を見回した。
「せっかくこうして分かりやすく出向いてあげたのに、死の精霊は来ないのか?」
肩を揺らし嘲るように笑い出した。
「若様と仲違いでもしているのかな?」
「仲違いも何も無いだろう。あちらは来たい時に来て、戻りたい時に戻るだけだ」
「だが先程から、随分と遠慮がちに若様を見ているようだが」
アルフレードは目を見開いた。
見ているのか。
無礼な下僕だと、とっくに興味を失くしているだろうと想像していた。
来てくれるだろうか。
ナザリオを冥界に。もし出来るのであれば、その最下層にある地獄へと送り付けてくれ。
彼女に願い事をしているのは、いつも自分の方だ。
あんなことを言った後でまた願い事など、知らんと拒否されるかもしれないが。
「 “ベルガモット” 」
アルフレードは名を呼んだ。
頭上から豪快な衣擦れの音が聞こえた。巨大な刃物の壁が視界を遮断する。
ごつごつとした古木のような柄を振り上げたベルガモットが、黒いドレスのスカートをひるがえした。
上体を大きくひねり、轟音を立て鎌を振り下ろす。
だが。
ナザリオはその動きを見上げ、にやりと口の端を上げた。
「モナルダ・ディディマ」
ナザリオはゆっくりとそう言った。
次の瞬間、ベルガモットの動きは空中で止まった。
黒い目を見開き、紅い唇を半開きにして表情を凍りつかせる。
見る間に身体の端から崩れ、赤い炬の形をした花に変わっていった。
崩れながら落下するベルガモットの身体を、アルフレードは咄嗟に身を乗り出し、両手を伸ばして受け止めようとした。
ザザッと音を立てて、大量の炬花が腕に落ちる。
殆どが受け止め切れず足元へと落ちた。
「な……」
アルフレードは、手の平に残った数輪の炬花を見つめ、顔を強張らせた。
「説明が欲しいか? 若様」
ナザリオは言った。
「 “モナルダ・ディディマ” は、死の精霊の本当の名だ」
「本当の……?」
「いつも使っている名は、いわば通称のようなものですな。精霊というものは、大概、本当の名が弱点なのですよ」
ククッと喉を鳴らして笑い、ナザリオは言った。
「まあ、全てモルガーナ叔母上が教えてくれたことだが」
そういえばとアルフレードは思い出した。
モルガーナが、冥界に送られる寸前に何かを言いかけていた。
あのとき、ベルガモットは動揺したように見えた。
この名を言いかけたのか。




