Ballo eterna. 永遠の舞踏会
なだらかな丘陵地と、オリーブ畑の続く土地に遠目からもよく見える屋敷。
辿り着くと、アルフレードは馬に乗ったまま正門を見下ろした。
やはり誰も出て来ない。
門扉の隙間から敷地内を覗き見るが、何かが動く気配はなかった。
「誰か、出られる者はいるか!」
そう呼びかけてみるが、何の音もない。正門横の門番の待機所すら、動くものの気配は無かった。
馬から降り、門扉を片手で押してみる。
簡単に開いた。
すでに中の様子を暗示しているような気がして、アルフレードは唇を噛んだ。
馬を繋ぎ庭へと入る。
庭は、明らかに長い日数手入れのされていない様子で、荒れていた。
剪定されず放置された木は、ところどころ枝が伸び、整えられた形を崩している。
玄関先には枯れた草葉が散らばり、通路には雑草の生えた箇所もあった。
「アルフレード・チェーヴァだ。誰か、出られる者はいるか!」
玄関の大きな扉の前で、アルフレードはそう叫んだ。
返事はない。
拳で扉を二、三度叩いた。
「返事だけでも構わん。誰かいるか!」
中からは、物音ひとつしなかった。
やはり駄目か。
ベルガモットが言っていたのだ。心構えはして来たが。
サン・ジミニャーノの屋敷も、こんな風にして入ったのを思い出した。
あの時にはまだクリスティーナは元気だった。
あんな場所に現れるとは思わず慌てたのが、遠い昔に思えて懐かしかった。
あのときクリスティーナは、占い師に言われ来たと言っていた。
あのときから、彼女も狙われていたのか。
なぜ気付いてやれなかった。
アルフレードは、玄関扉に額を預けた。
正門から玄関前までは距離がある。
誰にも見られないであろうことが幸いだった。
木々が風に揺られ葉音を立てる。
農地の広がる土地に建っている屋敷なので、周囲は誰も通らず静かだ。
緩やかな風に吹かれ、暫く俯いていた。
どれくらいそうしていたか。
アルフレードは大きく息を吐いた。自身の気持ちを鼓舞し、ドアノブを回してみる。
開いてはいなかった。
周囲を見回し、入れそうな箇所を探した。
屋敷の外壁に沿ってゆっくりと歩き、時おり窓から中を伺う。
厨房の食材の搬入口と思われる扉に行き着いた。
他の窓は背より高い位置にあり侵入するのに一手間かかりそうだが、ここは簡単に窓を割れそうだ。
泥棒の真似事は初めてだが。
眉を寄せてそう思いながら、アルフレードは銃を取り出した。
銃身を持ち、思い切り振り上げて窓を叩き割る。
思ったよりも大きくはないガラスの割れる音のあと、食物の腐った匂いが鼻腔に届いた。
何度か銃を打ち付け、窓枠に残ったガラスを砕く。
屈んで入れそうな程度にガラスを床に落としたところで、窓枠に足を掛け中に侵入した。
もしかしたらこの物音を聞きつけて駆けつける者がいるかもしれないと期待したが、誰もいない。
日光があまり当たらず、やや薄暗い厨房内。
煮炊きする場所には、大きな鍋が掛けられたままだった。
火はとっくに消えていたが、鍋の中には煮込まれ過ぎて焦げたスープの具が、干からびてこびりついていた。
中央に置かれた大きな調理台。
均等に並べられたパンと野菜と肉は、それぞれ腐り干からび、黴が生えた状態で放置されていた。
これから料理を始めようとして、不意に思い付いてやめたような感じに見える。
まるで展示物のように壁に綺麗に並べて掛けられた大小の鍋。
同じく整然と掛けられた調理器具。
梁には輪にして繋げた大蒜や唐辛子が無造作に掛けられていた。
ふうん、と思いながらアルフレードは見回した。
厨房に入ったのは初めてだった。
こんな所だったのか、と好奇心で過剰に見回してしまった。
扉を開け、使用人が使う薄暗い廊下に出る。
幻覚剤のラベンダーのような香りは、ここには無かった。
すでに日数が経ち薄れてしまったのか、モルガーナがもういなくなったせいなのか。
静かだった。
天井が高く、幅の広い階段のあるホールまで来ると、靴音が更によく響く感じがした。
音の響き方の明瞭さで、他に動く者がいないと分かる気がする。
呻き声でも上げる者はいないかと耳を澄まして歩くが、何も聞こえない。
静か過ぎて耳鳴りがしてきそうだ。
コツ、と靴のヒールのような音が聞こえた気がした。
「君か……」
音のした方を振り向く。
誰もいなかった。
そうか、と苦笑した。
当分は来ないと言っていたなと思った。
こちらも譲れない問題だったとはいえ、感情的になってきつい物言いをしてしまった。
怒っているだろうと思い、小さく息を吐いた。
再び歩を進める。
視界の端で、動いたものがあった。
先程ヒールの音が聞こえた辺り。薄桃色のドレスを着た女性がゆっくりと横切った。
暫く会ってはいないが、ここの一人娘か。
「無事か……!」
アルフレードは、女性に向けて声を上げ駆け出した。
しかしすぐに、何かが違うことに気付いた。
こちらには気付いた様子もなく、真っ直ぐに歩いて通路の途中で姿を消した。
呆然とその様子を見ていた。
そうか、とアルフレードは床の絨毯を見詰め呟いた。
駆けてくる足音がした。
姿は無く足音だけが響き、ホール内を駆け回った。
乱れた足取りであちらこちらを走り回る。
広間に続く扉が、動いた訳でもないのに開閉する音を発した。
扉の向こうから大勢の足音と音楽が一斉に聞こえ始めた。
走り回るような音、ステップを踏む音、笑い声と、はしゃいだ声。
アルフレードは、音のする方を暫く見詰めていた。
「そうか」
もう一度掠れた声で言った。
上着の合わせを整え、背筋を伸ばす。
公の場に出るときのように姿勢を正し、広間へと向かう。
広間の扉を開けると、目に飛び込んだのは大勢の老若男女の木乃伊だった。
使用人らしき服装のものもある。
広間全体に、重なり合ったり点在したりして、ぼろぼろになり転がっていた。
走り回る足音が響いた。
アルフレードを取り囲むようにして、ステップを踏むような足音がする。
甲高い笑い声、裏返ったはしゃぎ声。
縺れた足音、苦しそうに咳をする嗚咽の声、嘔吐するときの声。
胃液まで吐いているかのように呻きながら、それでもひきつった笑いを漏らす声。
モルガーナの幻覚剤で、死の間際まで笑い踊らされたのだ。
生と死の区別も付かず、いまだ踊り続けているのだろう。
アルフレードは目を伏せその音を聞いていた。
ややしてゆっくりと顔を上げると、広間中の見えない者達に向けて声を上げた。
「やめられよ!」
奏でられていた音楽がぴたりと止んだ。
何かが一斉に止まった気配がした。
「舞踏会は終わった! 各自もう休まれよ!」
何かに、一斉に注目されたような視線を感じる。
「チェーヴァの当主として言い渡す」
アルフレードは言った。
「もう休まれよ」
広間中から、戸惑ったような気配を感じた。
ややしてから、ホッと息を吐いたかのような音が微かに聞こえる。
辺りの音も気配も一斉に消えた。
静かになった広間で、アルフレードは立ち尽くした。
コツ、と靴音を立て、広間の中を歩く。
息のある者はいないか。歩きながら一体一体を確認した。
広間を概ね一周したところで、もう一度目を伏せた。




