死の世界へようこそ

Episodio dodici 地下墓地の令嬢

Signora delle Catacombe. 地下墓地の令嬢 I

　教会の地下にあるグエリ家の墓地は、正確には半地下で、墓地の傍らの回廊には大きな明かりとりの窓があり、そこから外の草木が見えた。

　石造りの壁に囲まれた薄暗い一室。回廊以外の床は土で、そこに代々のグエリ家の者たちが眠っていた。

　クリスティーナの横たわった棺は蓋が閉められ、床の一角に掘られた長方形の穴に紐を使って入れられる。

　列席していた者は、そう多くはなかった。

　侍女と使用人と、僅かな身内の者。

　殆どの者が淡々としているように見えるのは、アルフレードが一番感情に囚われてしまっているからなのか。

「アルフレード様」

　無言でじっと棺を見据える様子が、何か心配させたのか。従者が声をかける。

「……大丈夫だ」

　アルフレードは言った。

　本当は、いまだ後悔していた。なぜもっと深刻に彼女の様子を考えてやらなかったのか。

　薄いヴェールで顔を覆った侍女と目が合った。

「ご当主は」

　司祭の聖書を読み上げる声を聞きながら尋ねる。

「お嬢様の死去を知らせる使者を送りました。さすがに早々に戻られると思ったのですが」

　葬儀にも間に合わなかったかと思った。

　どうやらクリスティーナの兄が葬儀を仕切っていたようだった。

「アルフレード」

　参列した者を軽く掻き分けるようにして、クリスティーナの兄が話しかけて来た。

　跡継ぎ息子として、現在は遠方の所有地を任されていると聞いていた。

　妹の死の報を聞き戻って来たらしい。

　中々もたもたと戻らない当主のことも、その際聞いたのかもしれなかった。

「貴殿には、いろいろと迷惑をかけたと聞いた」

「いや……」

「代わりに嫁ぐ者も早々に検討するので」

　アルフレードは、やや俯いた。

　貴族の結婚など、家同士の契約にすぎない。

　何度も婚姻を交わしている二家だ。

　この二家同士の者であればいいのだ。

　心の整理が付かないなどという自分の感情よりも、家に対する責任の方が重い。

「貴殿も、遠い所からお疲れであろう」

　アルフレードはやっとそれだけを言うと、その場から離れた。

　クリスティーナに初めて引き合わされたのは、十二の時だった。

　許嫁(いいなずけ)だと紹介された彼女はまだ幼く、嫁ぐなどというイメージにはとても繋げられなかった。

　恋愛感情は、自覚する限りでは無かったと思う。

　やや歳の離れた妹という感じだった。

　それでも大事なのに変わりはない。

　俯いた視界の端に、葬儀には似つかわしくない軽やかな足取りで歩く人影が掠めた気がした。

　違和感を覚え顔を上げる。

　参列した者の殆どが棺の埋葬された位置を眺めている中、全く違う方向に優雅に歩を進めている者がいた。

　クリスティーナだった。

　以前見たことのあるアプリコット色のドレスを纏い、スカート部分をからげ、まるで関係のない方向にすたすたと歩いていた。　

　やがて参列者たちを振り返り立ち止まった。悉(ことごと)く身体がすり抜けるのを不思議そうに眺める。

「どうなさったのかしら……皆さま幽霊にでもなったかのよう」

　幽霊は君だとアルフレードは心の中で諭し、目を緊(きつ)く瞑った。

「クリスティーナ」

　さりげなく墓地の端の方に移動し、他の者には聞こえないようアルフレードは小声で呼び掛けた。

　クリスティーナは振り向き、深藍の目を見開いた。

「まあ、どうなさったのアルフレード様。礼服なんてお召しになって」

　アプリコットのドレスをからげて、いそいそと歩み寄る。

「どなたかお亡くなりになりましたの？」

　君だ、などと言える訳がない。アルフレードは眉をきつく寄せた。

「お兄さまも戻っていらしたのね」

　クリスティーナは、向こうにいる兄の方を振り向いた。

「わざわざ遠方から戻っていらっしゃるなんて。どなたがお亡くなりになったのかしら」

「クリスティーナ……」

「アルフレード様、お兄さまにご挨拶して来てもよろしいかしら」

　アルフレードは、暫く無言で口だけを動かした。

　何と言ってやればいいか分からない。

　挨拶など、もう聞こえる訳がないのに。

「……行って来るといい」

　かなり間を置いてからアルフレードは俯きそう答えた。

「お待ちになっていて」

　クリスティーナは微笑んでそう言うと、ドレスの裾をからげ優雅に駆けて行った。

　アルフレードは、俯いたまま立ち竦んでいた。

　ややしてから、ゆっくりとこちらに向かって来るヒールの靴音に気付いた。

　顔を上げる。

　ベルガモットだった。

「どのような死者かが直前まで分かりにくかったので、急死の者だとは思っておったが」

　クリスティーナの方を振り向き眺める。

「お前の許嫁とはな」

　そうベルガモットは言った。

「お前が望むなら、送ってやるが」

「それを見ろと言うのか……」

「では目を逸らしておれ」

　ベルガモットは淡々とした口調でそう言った。

「……送ってやってくれ」

　アルフレードは俯き言った。

「会話は、もういいのか？」

「これ以上話していたら、離れ難くなりそうだ」

「そうか」

　ベルガモットは背を向けると、クリスティーナの方に歩み寄った。

　不可解そうな表情でこちらに戻るクリスティーナとすれ違う。

「そこな女」

　ベルガモットは、クリスティーナに声をかけた。

　クリスティーナは、やや戸惑った表情で長い黒髪の美女を見る。

「どちら様でしたかしら」

　微笑みそう尋ねた。

　ベルガモットの手に、古木のような鎌の柄が現れた。

　地下墓地の石の天井から奥の祭壇までを全て遮る壁のような巨大な鎌が眼前に立ち塞がる。

　ベルガモットは、無言で振るった。

　凄まじい突風が吹き、霊的な気が渦を巻くのを感じる。アルフレードは唇を強く噛み締め、クリスティーナが渦に吸い込まれる気配だけを感じていた。

　全てが止むまで、唇から血が流れそうなほど、強く噛み締めていた。