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死の世界へようこそ  作者: 路明(ロア)
Episodio dieci 夢の世界
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Mondo dei sogni. 夢の世界 II

 クリスティーナの口調は異常なほど抑揚がなく、口元だけを不自然に動かして話している感じがした。

「まあ、刃物ですの」

「クリスティーナ」

「遠方は夜も更けた頃ですわ」

「クリスティーナ」

 暫く沈黙してから、クリスティーナは口を開いた。

「……焼き菓子をお食べになりますか」

 自分に対して勧めたのだとアルフレードは思った。

 意思の疎通はやはり出来ているとホッとした。

 クリスティーナの手元の辺りを見回す。焼き菓子がどこにあるのか目で探した。

 どこにもない。

「そんなに大急ぎでお食べにならなくても」

 くすくすと笑いながらクリスティーナは言った。

「え……」

「妖精は逃げは致しませんわ」

「クリスティーナ」

 アルフレードは、許嫁(いいなずけ)の肩を掴んだ。

「違います。アルノ川は緑色ですわ」

 餓えのせいなのだろうか。

 死に近い状態の者が、意味不明なことを喚くのはままあると聞くが。

 いや、とアルフレードは眉を寄せた。

 モルガーナが、何か教えたと言っていなかったか。

 夢を見続けられる方法がどうとか。

 クリスティーナは、すっと立ち上がった。

 上品な足取りで、部屋の壁に沿い進む。

 壁に設置されている大きな姿見の前に立つと、両手を添え顔を近付けた。

あなたはどなた(キ セイ)?」

 ハッとアルフレードは、頬を強張らせた。モルガーナが教えたという(まじな)いだ。

 クリスティーナのこの様子との関連性は分からなかったが、直感的に止めなくてはと感じた。

「クリスティーナ!」

 アルフレードは許嫁の腕を強く引き、姿見から引き離そうとした。

 クリスティーナは、ますます姿見に顔を近付け覗き込んだ。

「御名を教えてくださいませ」

「それは君の姿だ!」

「霧なのかしら。そっぽを向かれるんですの」

「鏡の自分が横を向く訳はない!」

 アルフレードは鏡から引き剥がし、両肩を掴んだ。

「クリスティーナ!」

「ごめんなさい。勘違いをしておりました」

 こちらを真っ直ぐに見詰めクリスティーナは言った。

 アルフレードの表情が緩んだ。意思の疎通が出来たかと思った。

「アイリスの旗を見ているのは、わたくしの方ですわ」

 アルフレードは息を吐き、侍女を振り向いた。

「鏡を撤去しろ」

「は、はい」

 侍女は呆然として返事だけをした。

「今すぐだ!」

 ドレスのスカート部分をたくし上げ、侍女は小走りで廊下に出た。

「どなたか、男の方!」

 そのまま廊下を走って行った。




 ややしてから、開け放した扉から長身の男が入って来た。

 非常に整った目鼻立ちに、薄い色調の金髪を長く伸ばして後ろで纏めていた。

 きちんと着こなされた正装、姿勢の良い歩き姿。この家の従者だとアルフレードは思った。

「そこの鏡だ」

 男はカツカツと靴音を立てすぐ傍まで来ると、折り目正しい仕草で礼をした。

 いや。

 礼をするのかと思いきや、更に身を折り、クリスティーナの顔を覗き込んだ。

「これは……随分とご様子が変わられましたな、お嬢様」

 男は言った。

 仕草の恭しさとは裏腹に、嘲るような口調だった。

「つまらん女だったのが、何やら面白げになった」

 アルフレードは、目を見開いて男の姿を凝視した。

 この家に、こんな慇懃無礼な振る舞いをする従者がいただろうかと記憶を巡らせた。

 少し記憶を探ったところで、言動に覚えがあることに気付いた。 

「……ナザリオ?」

 アルフレードは掠れた声で言った。

 男が顔を上げアルフレードと目を合わせる。

 正解、ということか。

 アルフレードは、すっと横歩きでクリスティーナの前に立ち、庇った。

「出て行け」

「そう言うな若様。口づけを交わした仲ではないか」

 ナザリオは口の端を上げた。

「貴様のお陰で、一生麦酒(ビッラ)が飲めんかもしれん」

「若様におかれては、接吻には不慣れでいらしたようで」

「男との接吻なんか慣れててたまるか」

 アルフレードは吐き捨てた。

「クリスティーナ嬢とも、挨拶以上の接吻はしていなかったようで」

 ナザリオは目線を逸らし、(のど)を鳴らしてククッと笑った。

「唐突におかしな推測をするな」

「推測なものか。お嬢様のこの状態なら、部屋に忍び込めばしたい放題だ」

 アルフレードは眉を寄せた。

「お嬢様は恋仲同士の深い接吻など、全く経験のないご様子だった」

「ふざけるな」

「その先の事など、知識すら」

 思わず手が動いた。

 身体は無関係な他家の使用人だということを一瞬忘れた。

 アルフレードはナザリオの胸元を乱暴に掴み上げ、正面から睨み付けた。

 反動で(あご)が上向いた格好で、ナザリオは含み笑いをした。

「冗談だ。安心しろ、若様」

 降参、というように両手を上げる。

 アルフレードは歯噛みして手を離した。

 ナザリオは首の辺りをさすりながら口の端を上げた。

「こういうつまらん女は好みではない。叔母上は気に入っていらしたようだったが」



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