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死の世界へようこそ  作者: 路明(ロア)
Episodio dieci 夢の世界
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Mondo dei sogni. 夢の世界 I

 グエリ家の馬丁に馬を預けると、しばらくして濃紺のドレスの女性が駆けて来た。

 やはりサン・ジミニャーノで会った、クリスティーナの侍女だ。

 ドレスの両端をからげ、カーテシーの挨拶をする。

 綺麗にまとめた淡い栗色の髪が、わずかに(ほつ)れかかっていた。

「こちらから伺いましたのに」

 そう言って息を切らせる。

「なに、こちらもクリスティーナのその後の様子が知りたいと思っていたところだ」

 そう言い、アルフレードは馬屋の方に引かれて行く馬を見送った。

「クリスティーナ様……」

 言いかけて侍女はまた息を切らせる。

「息を整えてからでいい」

「申し訳ありません」

 侍女は、はあ、と大きく息を吐いた。

「そんなに急いで来るような用件だったのか?」

「お待たせしては申し訳ありませんし」

 侍女は何とか息を整えたようだった。

「クリスティーナ様のご様子が……何と言うか」

「おかしな感じだと聞いたが」

「どなたから?」

 侍女はやや怪訝そうな表情で顔を上げた。

 いや……と答えてアルフレードは宙を眺めた。

 御者からだと言えば、家の事情をあちらこちらで話すなと彼が責められるかもしれない。

「別の話と混同したのかもしれん」

 アルフレードは苦笑してみせた。

「ともかく、会って差し上げてはいただけませんか」

 アルフレードは屋敷の上階を眺めた。

「当主殿は」

「外国に遊興に出掛けられております。戻るのは一週間ほど先の予定で」

「クリスティーナに問題が起こってからか」

「ええ。ただのマリッジブルーだろうと笑って一蹴なされて」

「仕方のないお人だな」

 アルフレードは軽く眉を寄せた。

 グエリ家の当主は子供の頃から知っているが、大雑把で細かいことは気にしない性分だ。娘の少々の不調など、深く追及するのも面倒という感じなのだろう。

 とはいえ、アルフレードも大した問題だとは思っていなかった。

 女性など過剰に怖がりなものだ。男性である自分が「大丈夫」となだめてやれば落ち着くだろう。そう思っていた。




 侍女に促されクリスティーナの私室の前まで来ると、中から話し声が聞こえていた。

 静かな調子だが、途切れることなく話しているようだ。

 たびたび挟まれる控えめな笑い声は、クリスティーナのものだろう。

 扉越しだが、次々と話題が出て楽しく話しているように感じた。

「客が来ているのか?」

 アイボリーに金のレリーフの入った扉を眺め、アルフレードは微笑した。

 私室にまで入れるとしたら、かなり親しい友人か。調子が悪いという感じではないと思うが。

 侍女はドレスの胸元を掴み、複雑な表情をした。

「どなたもいらっしゃっておりません」

 アルフレードは、無言で眉を寄せた。

「ここ数日、お部屋に籠りきりですので」

 御者が同じ話をしていたとアルフレードは思い出した。

「食事は」

「召し上がっておりません」

「全くか?」

 アルフレードは言った。

「何度お呼びしても、ああやって話し声がするだけで、お返事すらしてくださらないんです」

「馬鹿な。なぜ開けない」

 アルフレードは慌ててドアノブを回した。ガチッと金属の音がする。

「鍵がかけられております」

「強引にでも開けないか!」

「その……無理にでも開けた方がとお話したのですが、旦那様が、ひとりになりたいだけだろうと」

 泣きそうにも見える顔で侍女は言った。

「腹が減ったら出て来るだろうとでも言われて出掛けられたか」

「はい」

「ここのご当主が言いそうなことだ」

 アルフレードは、扉の上部を眺め眉を寄せた。

 扉を強めにノックする。

「クリスティーナ、私だ」

 ぼそぼそと一定間隔で話し声は続いていた。

「クリスティーナ、開けてくれ」

 返事はない。

 アルフレードは小さく息を吐いた。

「すまんが、開けるぞ」

「あのでも旦那様が」

「ご当主が何か言われたら、私が勝手にやったと言え。しつこく文句を言われるようなら、屋敷まで私を呼びに来て構わん」

 アルフレードは侍女の方を振り向いた。

「鍵は」

「は、はい」

 侍女は弾かれたように周囲を見回すと、近くを通りかかった女中に「ここの鍵を」と声をかけた。

 ややして持って来られた鍵を、アルフレードは雑に鍵穴に差した。

 扉を少し開けてから、気を取り直して一度閉める。

 許嫁(いいなずけ)とはいえ、未婚の女性の私室だ。

 万が一何もなければ、乱暴に開けるのはかなり非常識だと思った。

「クリスティーナ」

 改めてノックをする。

 返事はなかった。

「クリスティーナ……侍女殿が入っても大丈夫か」

 返事はない。

 アルフレードは、背後にいる侍女をもう一度振り返り、目を合わせて頷いた。

「お嬢様」

 そう言い、侍女が扉を開け中に入る。

 開いた扉の隙間から、ふんわりと香水と化粧品の香りがした。

 侍女に目で促され、アルフレードも一、二歩ほど中に入る。

 柔らかな薄桃色で統一され、可憐なデザインの家財道具が並んだ、良家の若い女性らしい部屋だ。

 クリスティーナは行儀よく寝台に座り、真っ直ぐ前方を向いていた。

 ドレスを乱すことなく身に付け、飴色の髪も綺麗に整えている。

「お嬢様、アルフレード様がいらしております」

 クリスティーナの目の前で屈み、侍女はそう言った。

 侍女の声に反応もせず、クリスティーナは瞳すら動かさずに座っていた。

「クリスティーナ」

 アルフレードは近付いて声をかけた。確かに、異常なほどの表情の乏しさが気になった。

「クリスティーナ、侍女殿が心配されているのだが」

「ええ。よその城の方へ」

 クリスティーナはそう言った。

 怪訝に思いながらアルフレードは許嫁の顔を見詰めた。意味が分からず、侍女の方を見る。

 侍女は眉をきつく寄せ、無言でこちらを見ていた。どうして良いのか分からず、困惑しきっている様子だった。

「クリスティーナ、余所の城とは」

「それが、美しい御髪(おぐし)でいらっしゃるんです」

 クリスティーナは何もない空間にそう語った。

 しばらくしてから一瞬だけ微笑むと、「ええ」と空間に向かって相槌を打った。







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