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死の世界へようこそ  作者: 路明(ロア)
Episodio nove 異端審問の女
36/74

Donna dell'inquisizione. 異端審問の女 I

 屋敷に戻ったのは夕暮れ時だった。

 陽は城壁の向こうに隠れ、最後に残った光が消えていくところだった。

 玄関扉が閉められると、古い造りの玄関ホールはもうだいぶ暗い。

「何か変わったことはあったか」

 アルフレードはホール内をつかつかと歩きながら手袋を外した。出迎えた従者に手渡す。

「グエリ家の、クリスティーナ様の侍女だという方が訪ねて来ておりましたが」

 後ろを付いて歩きながら執事が言った。

「クリスティーナの」

「何かご相談があるとかで」

「サン・ジミニャーノで会った女性かな」

 アルフレードは宙を眺めた。

 そういえば、御者がクリスティーナの様子がおかしいようなことを言っていたが。

「相談の内容は?」

「特にはお聞きしませんでした。アルフレード様に直接お話ししたいとのことでしたので」

「明日訪ねてみるか」

 アルフレードは廊下を歩きながら首元の留め具を外した。

「今日はもう遅いですからな。麦酒でも用意させましょう」

「……麦酒はいい」

 低く声のトーンを落としアルフレードは言った。

「何か有りましたか」

「気にするな。だが当分麦酒は飲まん」

 ナザリオに口移しで飲まされた麦酒の味が口中に甦った。

 生暖かい舌触りと、きつい香水の香り。その後に言われた台詞まで考えたらトラウマものだ。

 一生飲めんかもしれん。

「では何をお出ししましょうか」

 付いて来ながら執事はそう言った。

「……葡萄酒でいい」

「葡萄酒は、ご夕食のときくらいしかお飲みにならなかったのでは」

「当分くつろぐときも葡萄酒でいい」

「赤と白どちらで」

「……白」

 シュル、と首の襟締(クラバット)を解く。

 

「わたくしは、赤が好き」


「えっ……」

 女性の掠れた声がした。

 声の聞こえた方を振り向く。

 たった今通って来たばかりの廊下の角。

 薄紫色のヴェールを被った人物がいた。

 一見アラブの民族衣装を(まと)っているように見えたが、よく見るとヴェールの下は前時代風の緩やかなドレスだ。

「あれは」

 そうと口にする前に、その人物の姿は消えた。

「どうかしましたか」

 執事が伏せかけていた顔を上げた。 

「……女性が」

「女性?」

 執事は辺りを見回した。

 窓は突き当たりにしかない、ひんやりとした薄暗い廊下。

 アルフレードと執事の他には誰もいない。

「いや……見間違いだ」

 アルフレードは前を向き廊下を進んだ。そのまま食堂広間へと入る。

 古い造りの空間に、内装を付け加えた形の広間だった。

 時代を経た暖炉の上には大きな人物画が飾られ、暖炉の前からは長テーブルが伸びている。

 テーブルの上には、古びてはいるが高価な燭台が数台置かれていた。

 既に灯が灯され、広間内を橙色に照らしている。

 アルフレードは上座に着いた。

 母が奇妙な死に方をしていたというテーブルだった。

 代々伝えられて来た古い屋敷の中には、あちらこちらに先祖が変死したり急死したりした場所がある。

 蘇生した当初は、そのことを改めて考えたりもしたが。

「何か軽く召し上がりますか」

 執事は言った。

「そうだな。軽くでいい」


「トスカーナの塩気のないパンと、燻製(くんせい)の肉を」


 女の声がした。

 アルフレードは、ゆっくりと下座の方を見やった。

 薄紫色のヴェールを被った人物が座っていた。

 こちらに横顔を向ける形で、品良く(ひざ)の上で両手を揃えている。

 ヴェールから、赤く肉感的な唇と形の良い(あご)が透けて見えたが、顔全体を見ることは出来なかった。

 アルフレードは、ちらりと執事を見た。

 何らおかしな表情はしていなかった。

 自分にだけ見えているのか。そうと考え、見えないふりをした。

 そのときだった。


「モルガーナ様」


 執事が口を開いた。

 アルフレードは目を見開いた。執事を振り向く。

「アルフレード様、どう致しました。姉君のモルガーナ様ではありませんか」

 執事が言う。

「何を言っている。そんな名前の姉は……」

「お久しゅうございます」

 執事は、ヴェールの人物に一礼をした。

「何年ぶりでしたかな」

 執事は感じの良い笑みを浮かべたが、目の焦点が合っていないことにアルフレードは気づいた。

「いつからお会いしていないのでしたか……」

 執事は(あご)に手を当てた。

「はて。いつから」


「……下がっていい。“姉上” とふたりきりで話をさせてくれないか」

 アルフレードは執事にそう命じた。





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